第2話 ジュリエット? それってアタシ?

 その後、適当っぽかったハーレーは意外にもしっかりとヘリコプターのエンジンを始動した。

 後ろの操縦席に座ったハーレーとは、ヘッドセットのインターフォンで常に繋がっていて(ホットマイクって言って、いちいちスイッチを操作しなくても機内のパイロット同士は話が出来るらしい、だから独り言もみんな筒抜けってことね)ハーレーはなにやらチェックリストに従ってぶつぶつと専門用語をつぶやきながら手際よく手順を進めている。

 今の所私はただ座っているだけだ。

「よし、じゃあ俺は一度降りて電源ケーブルを外すから、操縦桿をよろしく、ユーハブ(ユーハブ・コントロール)」

 頭の上では大きな羽(メイン・ローターって言うらしい)が勢いよく回っている。

「え、ちょっと。操縦桿?」

「そう、右手にある短い棒だよ。それを持って、動かさない様にしててくれればいいから」

 私は言われた通り右側のコンソールからちょこんと突き出ている操縦桿を、恐る恐るそっと掴んでそのままの位置を保持する。

 操縦桿には何個もスイッチが付いていて、余計なものを押してしまわないかチョット心配になる。

 直ぐにハーレーは操縦席に戻ってきた、ケーブルは無事取り外せたらしい。

「サンキュー、アイハブ(アイハブ・コントロール)。操縦桿から手を放していいよ、急にこんな事お願いして悪かったね、今度―」

 ハーレーが何か言いかけたその時、ついさっきまで私がいた格納庫が突然爆発した。

「キャーッ、え、え、何!」


 大爆発だ。

 格納庫の大扉は、外れてどこかに行ってしまった。今は入り口全体から大量の煙と炎が噴き出している。

 格納庫の爆発は、音もそうだったけど振動と衝撃の方がひどくて、一瞬ヘリがひっくり返るかと思うほど揺れた。あと、爆発の破片もいくつか、目の前を飛んで行った。

 私が起きている現実を受け止めきれないでいるうちにも、ハーレーは何やら外と無線のやり取りをしていたようだ。

「タワー、サーペント06。イン・フロント・オブ・ハンガー、リクエスト・デパーチャー、フロム・プレゼント・ポジション。緊急事態だ、今すぐ離陸させてくれ」

 ハーレーは、管制塔に離陸許可を取るとあっという間に大空へと飛び立った。大量の煙を噴き出しながら燃え盛る格納庫の前からそのまま滑走路を使わずにだ。ヘリコプターだから出来る芸当ね。

「とにかくここから離れる、状況が不明だ、そっちは怪我してないか」

「うん、大丈夫みたい。いったい何がどうなってるの」

 飛び上がった空から見ると、燃えているのはさっきの格納庫が一つだけみたい。

 爆発が起きてから、ここまでほんの数分、もしかしたら1分も経って無いかも。ハーレーの決断と行動力にびっくりする。

「状況は確認中だ。ただ、あのままあそこに居る訳にはいかなかった、自分が望む十分な情報なんていくら待っても揃う筈ないからね、状況判断は瞬間。ミスしたと思ったら、それを踏まえてまた判断をすればいいのさ」

 そうか、飛行機を操縦するって事は、そうゆう事なのかも。何かあっても、車みたいに道路の端に一度止めてからゆっくりと考えるなんて出来ないものね。

「それにしても、君も災難だったね」

 そんな事をハーレーは言ってくる、全くこの人は能天気にも程があるわ。誰のせいだと思ってるのよ。

「あのねえ、あなた。ハーレーさん、私のこと会社か空港の職員とでも思ってるようですけど」

 一度は説明を諦めたけど、とにかくここで私の立場をハッキリさせなきゃ、どんどん深みに嵌っちゃいそうだわ。

「おう、さん付けは無しでいいぜ」

「それじゃハーレー。私は、飛行機を見学に来た、ただの女子高生なの。

 分かる?女子高生、JKよ、JK」

「え、何、JK?ジュリエット・キーロウ?ちょっと黙っててくれ、今タワーとコンタクトしてるから」

 うん。自覚は無かったけど、私もかなり動揺してたみたい、高校はハイスクールよね、〈じぇーけー〉じゃ、そりゃ通じないか。でもなんなのジュリエットって、さっきの会話のどこからジュリエットって言葉が出てくるのよ。

 でも、このヘリはハーレーが操縦してるんだから、大人しく彼の指示に従うしかないわよね、今は。

 文句は、着陸してからでも遅くないわ。

「オーケー、ジュリエット、概ねの状況は把握したぜ」

 え、またジュリエット。それって私の事?いつの間にそうなったの?もう、訳がわかんないんですけど。

 色々ともう、どうでも良くなってきた。いや、全然良くないけど。先ずそもそも…

「ジュリエット、何ぶつぶつ言ってんだ」

 やば、声に出てた。そうだった、インターフォンが繋がりっパなんだったわ。

「どうぞ、説明お願い。ハーレー」

「おう、さっきの爆発だが、なんか、爆破予告があったらしい。だから、さっきは誰もあの辺に居なかったみたいだ。直接の被害は、うちの格納庫だけらしい、飛行場は閉鎖されたけど、滑走路なんかは全部無事らしい」

「らしい、ばっかね。それで、これからどうするの」

「うん、それなんだが。いいニュースと悪いニュース、どっちから聞く」

 ああ~、そうゆうパターンなの。

「悪いニュースからお願い」

「実は、さっきの爆発の時破片が飛び込んできて、腕を怪我しちまった。で、利き腕が痺れて感覚が怪しい」

「なっ、え、それって、もう操縦出来ないってことなの!」

「いや、まだ今すぐって訳じゃ無いんだが、とにかく操縦を手伝ってくれ」

「手伝うって」

「あ~、それともう一つ」

「えっ、おかわりなの」

「飛び込んできた破片な、結構大きい血管を傷つけたみたいで、まあ止血はしてるんだが、どうも上手くいってない」

「ちょっと、大丈夫なの」

「俺の事は、今はいい。正直どの位意識を保ってられるか分からんからジュリエット、君には早速操縦を覚えてもらうぞ」

「ちょっと待ってよ、何言ってるのか分かんない!、操縦って?私が?」

「まあ、飛行場は直ぐそこだ。念の為に操縦のアシストを頼みたいだけだよ」

「だけだよって」

「ジュリエット、よく聞いてくれ…

 右手に有るのが、サイクリック・スティック、操縦桿だ…

 これで、機体を左右に傾けたり、頭を上げたり、下げたり出来る…

 旋回する時は、その方向に傾ける…」

 状況は、私の戸惑いを待ってはくれない、ヘリコプターは二人を乗せて今も空を飛んでいる、覚悟を決めて事に臨むしかないわ。

 さっきパイロットの世界について垣間見たけど、まさか私が当事者として直面する事になるなんて。

 後悔しても仕方がないわ。さあ、やるわよ熊。

「ハーレー、操縦桿については分かったわ、後何があるの」

「よし、今度は左手だ。左の方には斜めに棒が突き出ているな、それがコレクティブ・レバーだ…

 左手で握って引き上げると機体が上昇し、押し下げると降下する。解りやすいだろ…」

「コレクティブね、了解」

「最後に足元にペダルが二つ…

 左右の足を軽く乗せる…

 ラダーペダルだ…

 ヘリが勝手に釣合いを取ってくれるから、むやみに踏み込まないこと…」

「ラダーね」

「…普通に空を飛んでる時は、よっぽど大きな操作をしない限りバランスを崩す事は無いから、操縦する時は小さな舵を心掛けてくれ。

 スムーズ・スモール・コントロールだ…」

「了解。ねえハーレー、私今操縦桿を握ってるんだけど、そっちも操縦してくれてるんでしょうね」

「…」

「ハーレー!」

「おっと、ごめんよ、少しぼーっとしてた…

 操縦だっけか、もう腕の感覚がほとんど無いんだ、つまり、さっきから機体を操ってるのはジュリエット、君だよ…」

「~~!」

 途端に、心臓がバクバク言い出した。手汗も酷い事になってる。

 落ち着け私、現に今はちゃんと飛んでる。

 パニックになっても、良いことは一つもないわよ。

「ジュリエット、大事なことを言い忘れてた、サイクリックの天辺に、前後にスライドする黒いボタンが付いてるよな…

 それが無線機の送信スイッチだ…

 それを押しながら話すと、外に無線が通じる、今は空港の管制塔の周波数にセットしてあるから…」

「うん、分かったわ。って、いつの間にか私が操縦するみたいな事になってるけどハーレー、あなたを手伝うって話だったよね」

「……」

「ハーレー!」

「お、ごめんごめん。なんか思った以上に血が流れたみたいで、耳鳴りが…。クソッ」

「ハーレー」

「…すまん、飛行場までは余裕で辿り着けると思ったんだけどね…。

 こっちの状況は、もう管制塔に伝えてるから…

 後はその指示に従ってくれ…

 もう耳鳴りが酷くて…

 眠い…」

「ハーレー!」

 それきり、ハーレーから返事は途絶えてしまった。座席の中で体を捩じって、無理やり後を振り返って見たけど、前後の仕切りが邪魔で後ろの様子はほとんど分からなかった、それどころか、操縦桿(サイクリック)に余計な力が入ったみたいで、機体が左に傾き始めた。

「わわっ」

 旋回したい訳じゃ無いから、慌てて操縦桿(サイクリック)を右に傾ける。

 傾きを直すつもりで操縦桿(サイクリック)を操作したのに、操舵量が多かったのか、それとも急だったのか、今度はゆっくりと反対側へ傾き始めた。

「!」

(焦っちゃダメ、ハーレーは何て言ってた。そう、スムーズ・スモール・コントロールよ、熊)

 幸いヘリの傾きは、そんなに大きくは無い、水平に戻すため何か基準になる物は無いかとあらためて外の様子を見た。

 機体を操るために周りの景色を見た途端。

「ああ!」

そこには抜けるような青空と少しの雲、そしてミニチュアみたいな街並みが広がっていた。

 今まで、次から次へと色んな状況が襲い掛かってきて景色を見る余裕なんて全く無かった。当然だけど、今までも目には映っていたんでしょう。だけど認識出来ていなかったのね。

 そんな、目の前に広がる世界を目にして私は感動してしまった。

 今は命に関わる状況。

 なのに不思議だわ。

 私は今空を飛んでいる!


『ハーレー、聞こえているか、返事をしろ!』

「!」

 感動してる場合じゃなかった。

 さっきまで、緊張して全く耳に入ってこなかったけど、無線が何か喋ってる。

 そうか、管制塔と無線が繋がるって言ってた。えーと、確かこのスイッチね。

「もしもし、管制塔ですか、聞こえますか」

『よし繋がった。こちらはレントン・タワーだ、君はジュリエットか』

「はい、そうです」

 もー、完全にジュリエットが定着しちゃってるよ!

『状況は概ね把握している。俺はサッド、ハーレーの同僚だ』

 あ、もしかしてこの人が、私のせいでこのヘリに乗れなかった人?

 声の感じだとハーレーよりやや年上っぽい、チョット渋めだ。向こうも緊急事態だろうに安心感のある声のトーンとスピードで話してくれてるみたい。

『よしジュリエット、落ち着いて聞いてほしい。これから俺達が君を地上に連れ戻すために全力でサポートする。だから落ち着いてこちらの指示に従ってほしい』

 ステイ・カーム、落ち着いてって2回言った。やっぱりこの状況、人生最悪の部類に余裕で入るわよね。うん、不思議と逆に落ち着いてきたわ。女は度胸よ、熊。

「こちらは、了解しました。サッド」

 さん付けは無しでいいわよね。

『宜しい。まず、君の置かれている状況だが、ヘリコプターには一部の例外を除いてパイロットを緊急に脱出させる様な機能が無い。従って君は、それを操縦して地上へと帰還しなければならない―』

 うん、そうなんだ。ヘリって脱出装置無いんだ、へー。…そんな知識知りたくなかったよ。

「了解です。今はこのヘリ真っ直ぐ飛んでるけど、正直これ以上何か出来る気がしないんですけど」

『ジュリエット、君のことは飛行場のレーダーでモニターしている。初めて操縦桿を握ってそれだけのことが出来れば十分だ。お世辞抜きで操縦の才能があると思うぞ』

「了解、今はそのお世辞に乗ってあげます、少しは気が楽になりましたし」

『早速だが、頑張ってもらうぞ。ヘリの燃料は十分余裕があるが、多分ハーレーの方が持たないだろう』

 おおう、そうたっだ。ハーレーはさっきから呼び掛けに全然反応が無い。全く、私の細腕に二人分の命が懸かってるなんて、これ以上緊張のしようがないわ、かえって感覚がマヒしちゃうよ。

『ジュリエット。君は今、飛行場から飛び立ってそのまま離れる方向へ飛行している。だから、これから旋回して飛行場へと戻ってきてもらう』

「了解、旋回ですね。旋回は左右どっちですか」

『お、いいぞ。そんな質問が出来る余裕が有るなんて上出来だ。

 よし、旋回は左に回ってもらう。右手のサイクリック・スティック(操縦桿)をゆっくりと、ほんの少しだけ左に倒してくれ』

 バランスを崩したら二度と元の姿勢に戻せない気がして、サイクリックを動かすというより、手のひらでそっと圧するようにする。

 それでも、目の前の風景はゆっくりと右へ流れて行く。うん、左に曲がってるよね。

 それに応じるように正面にあるモニターの表示も一部が変化してる。私の中の飛行機の計器盤のイメージって丸い時計のような物がたくさん付いているカンジだったんだけど、このヘリは違ってて正面に大きな一枚の液晶モニターがあってそれに色々な表示がカラーで映し出されている。

 計器?の見方は教わっていないので意味は全く不明だ。他所に気を取られてもいけないので、そっちは無視する事にする。

『よし、こっちでも旋回を確認した。そのまま、こちらがストップと言うまで旋回を続けてくれ。それと、そっちで気が付いているかは分からないが、高度が少しづつ下がっている、いずれ着陸する時は高度を下げるから気にせず旋回を続けてくれ』

 え、高度って下がってる?

 そもそも今、地上何メートルにいるかも分かんないけど。

 ある程度の高さになると、もう目で見た感覚じゃ高さの判定なんて無理みたい。そう言えば速度も速いのか遅いのか、全然分かんないわ。計器を読めれば別なんでしょうけどね。ま、気にしないでいいって言うんだったら、そうしましょ。

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