第3話 初めての操縦 

 熊の操縦で、ヘリはゆっくりと左旋回を続けていく。サッドの指摘通り高度はごく僅かづつだが減少している。旋回の為にバンク(傾き)を取ったせいでメインローターの推力の垂直成分が減少した為である。


『よし、ストップ・ターン、ナウ。旋回を終了してくれ。

 高度が変化し続ける場合は、修正の操作をしてもらうが、とりあえすそのまま直進だ』

「了解、直進します。ねえサッド、高度を変えるのは、左手のコレクティブ・レバーで良かったわよね」

『ああ、そうだ。厳密に言うと、速度と高度は関連しているから、右手のサイクリック・ステッィクでも修正可能の場合があるが、今は単純に高度は左のコレクティブ・レバーと覚えておいてくれ』

「はーい、了解です」

 まあ、そうよね。飛行機の操縦がそんな単純なものである筈ないわよね。

 でもその割に、私結構上手くやってるんじゃない。サッドが才能云々言ってたけど、あながちお世辞じゃないのかも。こりゃ調子乗っちゃいそう。


 私の操縦するヘリは、飛行場のレーダーからの誘導で大きく矩形を描きながらレントン飛行場の北側にある大きな湖、レイク・ワシントンを回り込むようにして滑走路延長線上の進入ポイントへ向け飛行していた。

 途中何度か進路や速度・高度を微調整する場面はあったけど、その都度なんとかヘリを操って取り敢えず今は無事に飛んでいる。


 一方管制塔でも、ジュリエット(熊)達のヘリを無事に着陸させるべく懸命な努力が続けられていた。

「サッドさん、何とか無事にここまで来ましたね」

 隣に立つ管制官の言葉に、サッドも頷き返す。

 素人にヘリを操縦させてしかも着陸などと、無謀に過ぎるとの意見が大多数を占めたが、あのままではただ墜落を待つばかりの状況なのは皆の一致する見解でもあり、サッドの「どうせ墜落するなら飛行場内の方が被害が少ない」と言う提案が一応通った形だった。

 冷酷な判断と思われても仕方ないが、空を飛ぶ者として地上で暮らす一般の人たちに被害を与える選択はあり得ない。

 ハーレーについては最悪の事態にも覚悟が出来ていると思うが、気の毒なのは巻き込まれたジュリエットという少女だろう。

 しかし、こちらも全力で無事に着陸出来るように、サポートするつもりだ。

 最後の最後まで諦めるなど絶対にしない。

 それに驚いたことに彼女、ジュリエットは初めて操縦桿を握ったとは思えない才能を示して、こちらの要求以上の操縦技量を発揮している、まだ希望は有る。


『よし、ここからが本番だぞジュリエット。正面に飛行場が見えるな。

 飛行場は今完全に封鎖されている、飛行場を使用する航空機は、君達以外に無い。

 元々、スケジュール便の乗り入れも無かったからな』

 私はサッドの言葉を受けて、正面に飛行場を探すけど、そんな物全然見つからない。

「ねえサッド、飛行場なんて全然見えないんですけど!

 ホントに正面にあるの?」

 今までは、ある程度は順調だったから、ここに来て思わず焦った声が出てしまう。

『ジュリエット、心配するな。慣れていない人間にとって、空中から地上にある何かを探すのは意外と難しいものだ。お前さんも素人なんだって安心したよ。

 しっかり俺が滑走路まで誘導してやるから、安心して向かってこい』

 そんな物なのかしら、足元は大きな湖(レイク・ワシントン)があって、正面すぐ下はこれまた大きな島(こっちはマーサーアイランドって言うらしい)が見えている。

 多分その先、湖の岸辺に接するように飛行場が有る筈なんだけど。

「あ、見えた!飛行場」うっわ、思ってたよりすっごく小さいわ。

 え~。あそこに降りるの、私。

『よし、インサイトしたか。まあレントンは飛行場としては小さめだが、どんな大空港だって空から見たら小さいもんだ。そろそろ高度を下げるぞ』

 わたしは、指示に従って左手のコレクティブ・レバーをじわりと押し下げる。

『ジュリエット。ヘリの着陸は本来ホバリングで終了するものなんだが、初めて操縦桿を握った人間にホバリングは不可能だ。だから、着陸は普通の固定翼機の様に速度を持ったまま滑走路に滑り込んでもらう。

 ホバリングは無理でも、速度は十分に落とすから固定翼機の着陸よりはよっぽど安全だろう』

「了解、どっちにしたって初めてのコトなんだから、仰せの通りに致します」


 サッドは、ジュリエットの言葉を聞きつつ遠く飛行場の北を見つめる。

 彼方にポツンとほんの僅かの染みの様な点が空の青を背景に現れる。あれが、ジュリエット達のヘリだ。

 ジュリエットにも説明したが、ホバリングとはヘリの基本的な飛行方法では有るのだが、その操作は非常に難しい。

 空中の一点に留まると言う事は、見た目以上に高度な操縦技術と特別な空中感覚を必要とするものなのだ。

 

 これからジュリエットが挑む《滑走着陸》とは。

 実際のヘリの運用場面でも様々な理由によって最終的な着陸時に安定したホバリングが不可能な場合が有り得る。そんな時に安全に着陸する為の手段が滑走着陸なのだ。

 パイロットは、普段からそんな状況を想定し滑走着陸についても十分な訓練を実施している。

 但し、素人の女の子にとってはホバリングも滑走着陸もどちらも困難な事に変わりは無い、何しろ人生で初めての事なのだ。

 しかし、少しばかりの難易度の差では有るが、ホバリングに比べれば滑走着陸は、十分に生還の可能性の有る選択だろう。

「サッドさん、不味いですよ。風が回ってきました」

 気象班からの情報を受けたらしい管制官の言葉に吹き流しを確認する。確かにさっきまで滑走路に平行に吹いていた風が横風に変わってきている。

「気象班からのカレント・ウエザー(気象現況)がきました。ウインド240(ツーフォーゼロ)、アット15(ワンファイブ)。ガスト(突風)は有りません」

 240度方向から15ノットの風で、突風は無し。横風は強いが、安定しているのが救いか。

 レントン空港の滑走路は概ね南北に伸びている。正確に言うとジュリエット達は、ランウェイ16(ワンシックス)つまり、機首方位160度、北から南向きで進入しているのだ。

 だから、風が240度方向から吹いている場合、右から横風を受ける事になる。

 不味いな。このままではヘリは横風を受けて、飛行場を逸れて市街地へと向かってしまう。地面を走る自動車でさえ横風を受けたら進路が振られてしまう事があるのに、空中を飛行する航空機が受ける風の影響はそれ以上だ。


 あれ、おかしいな。飛行場が正面に見えるようにしてるんだけど、何故か機体が左にずれて行くみたい。

「サッド、飛行場が右に逃げていくんですけど」

 熊の問いにすかさずサッドが答える。

『ジュリエット、状況は余り芳しくないぞ。

 今、飛行場周辺に強めの風が吹き出した。

 どんなに強くても風の方向が滑走路に沿っているなら問題は無いんだが、今は右からの横風だ。着陸は少し難しくなるぞ』

「えー、今更」

『ジュリエット、速度が落ちてきてるぞ。人は緊張すると無意識に筋肉が萎縮して体が丸まってしまう傾向がある。リラックスして、サイクリックをほんの少し前に出せ』

 この状況でリラックスなんて出来ますか、も~。

 でも、やるしかないよね。

 ヘリは風によって左へ流されながらも徐々に高度を下げ、飛行場へと近づいて行く。

『ジュリエット、空を飛ぶ物で風の影響を受けない物は無い。今の状況を例えるなら、船で川を直角に渡ろうとしている様なものだ。

 水の流れによって川下へ流されない様に、船の舳先を上流側に向けて流れに逆らいながら進むしかない。

 ヘリも同じだ、風上側の右ラダーを踏み込んで、偏流を修正するんだ』

「了解、でも、どの位踏めばいいの?川と違って風は流れが見えないから見当が付かないわ」

『なに、風が見えない?俺には見えるぞ』

 サッド…、冗談のつもりかしら。

 もうっ、分からない事を考え続けても無駄ね。取りあえず勘で踏み込み量を決めて、多ければ戻し、少なければ足せばいいか。

 えい、やー、の精神よ。

 風に流されない様にラダーを踏むんだから、遠慮がちな踏み込み量で少しづつ修正するより、まず思い切って踏み込んだ方が良いよね、多分。

 よし、いくわよ。

「えーい」

 私のラダー操作によって、ヘリは風上に機首を向けながら、身を捩るようにして飛行場へと近づいて行く。

 幸いにも、修正量はそう間違っていなかったらしく、滑走路への進入の軸線にだいたい合っている、と思う。多分。


「オン・コース。滑走路の軸線に合っている、いいぞ。

 オン・グライドパス。降下角も適正だ、このままランウェイ目がけて降りてこい」

 ここまでは、上出来すぎる位だ。ジュリエット達の機体は、風に逆らいながらも飛行場へと近づいてくる。

 軸線も、降下角も、やや不安定だが、今それを言っても仕方がない。相手を不安にさせるより、安心させてパフォーマンスを十分に発揮させるほうが良いだろう。


 私は飛行場から目を逸らさない様にする。

もう左右にランウェイがずれたりしないわ。

 降下の角度は分からないけど、ランウェイの一点を目がけて行けばいいのよね。

 私たちのヘリは、マーサーアイランドを越えて湖の上空を飛行場へと近づいて行く。

 飛行場は湖の一番奥、丁度ランウェイの端が湖の岸辺に接する様になっている、もう間違いようがない。

「んー?」

 今気が付いたんだけど、このまま近づいたら機首の陰になってランウェイが見えなくなるんじゃない?

 って言うか、ランウェイを見続けたら、ランウェイの手前に落ちちゃうんじゃ?

 私の知ってるヘリって、操縦席の周りは足元までガラスだったように思うんですけど。

「サッド、このままランウェイを見てたら手前に落ちちゃうと思うんだけど。このヘリって足元とか全然見えないし、どうしたらいいの?」

『すまんなジュリエット、お前さんのケツの下には機関砲が付いてるんだ』

「機関砲!このヘリって軍隊のヘリなの?」

 もう、今更これ以上余計な情報を入れないでほしい。

「とにかく足元は見えない、それで良いんですね」

『そうだ、だからある程度飛行場に近づいたらランウェイそのものを見るんじゃなく、自分が接地したい場所の真横に目標を取るんだ』

「もぉー、やる事が多すぎ!人間は一度に二つも三つも同時には出来ません!」

『心配するなジュリエット、その為に俺がいる。適切な時にタイミングを逃さず俺がアドバイスをするから大丈夫だ』

 サッドの励ましを聞きつつ私は、こんな時だけど、パイロットって人種について考えてしまう。

 歩きスマホや車の運転中のスマートフォン操作が禁止されているように、人間には同時にできる事には限りが有る。

 でも今の状況、普通にそれ以上の事を求められている。

 多分、パイロットは更に多くの複雑なことを同時に出来るのだろう、どれだけの才能と訓練が必要なのか。

 やはり、選ばれた一握りの人たちだけが、大空を自在に飛ぶ事が許されるのか。

 いや、弱気は禁物よ熊。やるしか無いんだから、そう今がその時よ。

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