第4話 滑走着陸! 

 軍隊の航空機操縦者の練習生は、非常に厳しい状況に置かれる。

 国費で教育を受ける軍のパイロットに無駄な金と時間を費やす余裕は無い。

 つまり、決められた飛行時間で決められた技量に達したことを証明し続けなければ、志半ばにしてパイロットの道を断たれるのだ。

 見込みの無い者をいつまでも操縦学生として置いておくことは本人の為にもならない。

 厳しい訓練を克服して無事パイロットの資格を得て、部隊へと着任した者たちでさえ、その人生を全うできずに事故で命を落とす者が必ずいるのだ。

 離着陸訓練時の操縦学生は、着陸速度、進入角度、滑走路へのアライン、ホバリング移行のポイント等の複数の諸元を適切に判断し、操作しなければならない。

 しかも、それを同時並行的に設定する必要がある。

 例えば速度に気を取られていると、降下角が疎かになってしまうし、ホバリングのポイントばかり見ていると、今度は速度が疎かになってしまう。地上で生活してきた今までの人生では経験したことのない超多忙感を味わうことになる。

 そんな地上での生活を主としてきた人間が空を飛ぶという今までに経験のない世界に入ったとき、誰もが必ず克服しなければならないものがある。

 それが〈一点集中〉である。

 管制塔との交信に気を取られて、着陸の為の変針ポイントを過ぎて直進し続けたり、航法装置のセットに夢中になるあまり、決められた巡航高度を過ぎても気づかずに降下を続けたりしてはならないのである。

 日常での生活、航空機の操縦以外では集中する事は決して悪い事では無い。いや一般的な生活の中では「もっと、集中しろ!」などと言われる事の方が多くある筈である。

 しかしパイロットの世界では違うのだ。集中は当然する、注意力散漫では航空機の操縦など出来ない。しかしそれが一点では駄目なのだ、複数の要素について適切に注意を配分して全てに集中する必要が有るのだ。適切に注意を配分するというのは、自機の状況、周囲の状況その他諸々を総合的に且つ継続的に判断して、今何に注意を多く向けるべきかを決断し続ける事なのである。

 集中する対象を瞬間的に極短時間で切り替える事で、あたかも複数の事を同時に実施しているように見えるのだ。

〈一点集中〉これは、パイロットにとって最も戒める必要のある状態の一つなのである。


          ◆


「サッドさん、飛行場の救難体制が完了しました」

 運航事務所から連絡が入る。

 爆破された格納庫の消火活動を一時中断して、救難消防車と救急車が滑走路の近傍に待機している。


『ジュリエット、サッドだ。飛行場の態勢は整った、愛しいロミオの胸に飛び込むつもりでアプローチしてこい』

 なっ、上手いこと言ったつもりかしら。

 すっかり馴染んでたけど、そもそも私ジュリエットじゃないし。

 ―でもそうね。

「サッド、私あなたにとっても興味が湧いてきたわ、無事に着陸したら何か一つお願いをきいて貰おうかしら」

 やっぱり、何かフラグを立てておくのもいいかもね。さて、サッドお願いよ。

『いいとも、君をうちの社のパイロットとして、雇うというのはどうだ』

「オーケー、それで手を打つわ、約束よ」


 ジュリエット達のヘリはもうハッキリと見えている、強い横風の中のアプローチにしては、これ以上は無い程順調に進入して来る。

 間もなく飛行場の境界を越えようかという所だ。

 速度が速いか―

 いや、このまま行かせよう。

 ヘリの高度はここからの目測で25ft(約8m)を切っている。


『飛行場境界を越えた、何時でも接地していいぞ』

 サッドの無線がそう告げる。地面から、どの位の高さかなんて全然分からないし、思ってたより速度もずっと速く感じる。

 着陸するためには、もっと高度を下げなきゃならないけど、怖い。


「不味いな。高度が下がらない」

 ジュリエットは、初めての着陸操作の恐怖から、中々接地出来るまで高度を下げられないでいる。ヘリはあっという間に滑走路の中間を越えて行く。

 このままでは、飛行場を通り過ぎて市街地に突っ込んでしまう。

 高度を上げてやり直しをさせるか―


 その時ジュリエットは、初めての着陸の緊張と墜落の恐怖で体が竦んでいた。

 そう、体が縮こまってしまったのだ。

 緊張した体が萎縮した結果、意識しないまま操縦桿が後に引かれる形になり、その為にヘリは自然と機首を上に向ける事になった。

 それは、偶然にもヘリを減速させる機動と一致していたのだ。

 タワーに居るサッドの目の前を通過した直後、ジュリエットのヘリは機首をもたげてフレアー(減速)の姿勢を取る。


「ジュリエット!」

 偶然だろうと何だろうと構わない。その結果、今ヘリの速度は大幅に減少している。

 このチャンスを逃せば次は無い。

「ジュリエット、コレクティブ! 左だ、左のレバーを思い切り下げろ!」


 私が無意識の内に墜落の恐怖から操縦桿を引いてしまったその結果、今まで地面が見えていた目の前は気が付けば真っ青な空しか見えなくなっていた。先程上空で見た抜ける様な青空だ。

 そうだ、緊張すると体が縮こまってしまうって注意されてたわ。ああ、やっちゃった。

 このままでは駄目だ。でも、どうしたらいいの!

 ああっ、でも。こんな空を向いたままじゃダメ、それだけは分かる!

 多分私の頭は緊急事態にフル回転していたのだろう。体感では結構な時間が経っていたように思ったけど、実際はほんの1秒にも満たない時間だったみたい。

 その時私は心の命じるまま操縦桿を前に突いた。それが正しい操作なのかを知っていた訳じゃ無い。この瞬間、体の何処からかそうすべきだという命令が来たのだ。

 そして私が操縦桿を突いたのとほぼ同時に、サッドからの無線が飛び込んで来た。

『左のレバーを下げろ!』

「!」その声に私は瞬間的に反応、コレクティブ・レバーを一気に最低位置まで押し込んだ。

 次の瞬間。

 十分に速度を落としていた私達のヘリは、横風に合わせて機首を右に振っていたにもかかわらず、驚くほど穏やかに接地した。

 多分2~3メートル程滑走路上を滑ったみたいだけど、それだけ。

 機体が滑走路から外にはみ出したりもしなかったし、もちろん横転もしなかった。

 無事着陸に成功したのだ。

 機体の損傷も無し、乗員に怪我も無し、滑走路とその周辺への損害も無し。100点、これ以上望めないパーフェクトな着陸だった。

 私はここで一生分の運を使い果たしちゃったかもしれない。


 機体が完全に停止した途端、滑走路周辺で待ち構えていたレスキュー車両が殺到して来て私とハーレーをヘリから降ろしてくれた。

 ハーレーは直ぐに救急車に乗せられて運ばれて行く。

 進入から着陸の瞬間までハーレーの事は完全に意識から無くなってたわ。今更だけどメディックの呼び掛けにも反応せずに意識を失ったままだった彼が心配になる、どうか無事であって欲しい。

 私自身はと言えば、どこも怪我してないのでストレッチャーに乗るのは断ってしまった。

 着陸した機体から離れレスキューの人に付き添われ歩いていると、救助作業に来てくれてる人達から生還を祝う言葉をたくさん掛けてもらった。

 そうだ、私もお礼を言わなきゃならない人がいるわ。声だけで私を地上へと導いてくれた命の恩人。

 その時、一人の男性が私の方へ歩いてきた、歩く姿勢がすごく良い。視線は私を見てるんだけど、それと同時に私を通り越して遠く彼方を見ているみたいな、ちょっと不思議な感じ。

 髪の毛は茶色かかった金髪を短く刈り込んでて、目じりに少しの笑い皺。

 その人はそのまま私の前まで来るとこう言った。

「やあジュリエット、実際に会うのは初めてだな、俺はサッドだ。

 最高の着陸だった、今でも気が変わってなかったら我が社へリクルートさせてもらうよ」

 この時この台詞を聞いた私は突然、そう突然に何か稲妻の様なものが体を駆け抜けそして理解してしまった。

 色ボケしてる人には申し訳ないけど、別にサッドに一目ぼれした訳じゃ無いわよ。そう、私が恋に落ちたのは…

 大空を飛ぶ事こそが、私の望み。今やそれが私の魂と分かち難く結びついてしまった。

 今までぼんやりと生きてきた私だけど、あの場所には命を燃焼させる何かが確かにあった。

 もう二度と、地面に縛り付けられる生活は耐えられない。それがどうしようも無く分かる。

 私の進むべき道がハッキリと形になった瞬間だった。


 そして…

 私は彼にお礼の言葉を言わなきゃならないのに、ここで初めて無事に着陸出来た事が実感出来て、恥ずかしいけど腰が抜けてしまった。

 突然目の前でへたり込んでしまった私を見て、サッドは酷く慌てて、でも素早く私を抱き止めてくれた。

 残念ながら私、バタ臭い顔って好みじゃ無いのよ。でも、そうじゃ無かったら、もしかしたらホントに恋に落ちてたかもね。


          ◆


 格納庫の爆発に関する事後処置では、部外者の私が何故ヘリに乗っていたかなど色々と面倒な事が有ったけど、ホームステイ先のホストファミリーがボーイング社の関係者だった事も有り、私の当日の行動に関する証言や身元の保証をしてくれたので比較的早く無罪放免となった。

 そして。帰国してからも、まあ色々な事があったけど私は高校を卒業した後予定してた大学進学をやめて、サッド達が所属するPMSC(Private Military Security Company:民間軍事警備会社)にパイロット要員として就職した。

 あ、ハーレーの事ね、彼はしばらく入院してたけど、その後無事パイロットに復帰したわ。

 そうそう、彼の言ってた「悪いニュース」と「良いニュース」だけど、良い方が何なのかは結局聞くことは出来なかったわ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る