第六章 雨期の東南アジアへ  第19話 デビュー戦はジャングル 

 飛行機は生き物である。撃墜するには困難な反面、戦機をつかみ得た瞬間の一撃の前にはもろくも崩れ落ちる。逆から言えば、ちょっとした油断と態勢の不利によって、名人といわれた幾多のパイロットが名も無い敵に喰われた例は数多い。


 陸軍航空隊 准尉 田形竹尾





 雨が降っている、糸の様な雨だ。空気もじっとりとした湿気を多く含んでいる、ただし気温は高めな為に濡れても直ぐに風邪を引く程じゃない。

 この雨、私がここに来てから1カ月経つけど、ずうっと降り続いてる。決して土砂降りにはならないけど、こう雨が続いてちゃ舗装されてない足元は泥でぐちゃぐちゃだ。

 私は今、東南アジアの中でもインドや中国なんかとの国境に程近い国に来ている。当然仕事でよ。

 実用機種であるサーペントの基礎練成はとっくに終わって、一応練度判定でD(副操縦士)の合格を貰ったのが半年前。

 そして今は雨期真っ只中のこの国にいるって訳。

「外はどうだった」

 私室として与えられてる改造された輸送コンテナの中からダークが聞いてきた。私とダークは二人で一つのコンテナを使っている。中はエアコン付きで、2段ベッドとちょっとした書類作業が出来るデスクが備わっていて、少し手狭ではあるけど割と快適な空間だ。

 ただ、ダークに言わせれば快適どころか天国って事らしい。彼女が軍に居た時は、基本的に天幕露営で男女関係無く一緒に寝起きしてたらしい。因みにここの食堂はおっきな天幕が別にあって、シャワーもユニット形式の物が複数個まとめて設置されてる。

 ここに有る建物は全てコンテナや天幕といった移動可能な物で、恒久的な施設は一つも無い。私たちが持ち込んだサーペントの格納庫もおっきなテントを使用している。

 このテント、もともと補給品を集積しておくための物で、本来の目的である補給庫としても10数張程展張されている。

 ここはこの国に米軍が展開している兵站基地の一つなのだ。いや、正確に言うとFSA(Forward Support Area:前方支援地域)って事みたい、そうサッドが教えてくれた。


「外はどうだった」

「相変わらずのDZ(ドリズル)よ」

 この居住コンテナ、窓が無いのが欠点ね。天候を確認するのに一々外に出なきゃならない。

 因みにDZ(ドリズル)って言うのは霧雨の事よ、天気略語ね。

 航空機の運航を取り巻く環境のうち最も重要な要素の一つが気象である。だから飛行場等では観測した気象を情報提供してくれている。これによって私達は気象端末を確認すれば世界規模での情報入手が可能なのだ。

 提供される情報は風向・風速、視程(水平に見通せる距離)、霧などの視程障害現象、雨や雪といった現在の天気、そして雲の量と高さ、あとは気温や気圧などが含まれる。

 そんな気象情報は略語と数字で表され、おおまかに定時の実況気象をMETAR(メタ―)、予報はFCST(フォーキャスト)と言う。

 飛行場の気象班にいる予報官もパイロットに対するウエザー・ブリーフィングで、これらの用語を使うし、パイロット自身も端末で気象観測報を確認するから、略語と数字の電文を確実に解読出来る必要が有るのだ。

 航空機の運航に必要な情報だから、雨に関してだけでもシャワーレイン(SHRA:驟雨)、レイン(RA)、ドリズル(DZ:霧雨)みたいに細かく分かれてるし、+(heavy:強)や-(light:弱)なんかの強弱も組み合わせて使われる。

 だから、パイロット同士が天気の話をする時は単に晴れ雨じゃなく、専門用語を駆使した突っ込んだ内容になるのだ。


          ◆


 さて、そもそも何でこの国に米軍が展開してるのかをざっくりと説明するわね。

 第2次世界大戦後にイギリスの植民地から独立したこの国は内戦と軍事政変を繰り返してたんだけど、一応2大政党による民主主義政治が機能しだした頃から、豊富な天然資源による収入のおかげもあって経済も良好に推移してたの。

 ただ、国民全てがその恩恵を受けられる筈も無く、貧困層の不満は高まっていたわ。

 そんな時、既存の政治システムの打破を訴えた政治家が現れ政権を握るの。だけど貧困層の救済を掲げた政策は、逆にこの国の経済崩壊の悲劇を生むの。理由は簡単、政権にまともな経済政策立案者が居なかった事。

 政党の関係者が素人丸出しの政策を掲げて、それをそのまま実行する。予算が無ければお札を刷る、ハイパーインフレーションによる経済崩壊の始まりよ。

 社会インフラは麻痺、停電や断水が起き治安は悪化、犯罪も多発。警察は機能せず、むしろ反政府デモの鎮圧や政府に批判的な人達を不当に逮捕して拷問に掛けたり処刑を行う始末よ。

 食糧不足も深刻で国全体で飢餓が広がりつつあったし、医療の崩壊で病死率も急上昇。

 国がこんな状態だったら軍事クーデターが起きてもおかしくないと思うでしょうけど、大統領による軍部の掌握だけはかなりのものだったの。一つは大統領直属の情報機関による自国軍内部に対する厳しい監視、そしてもう一つは軍上層部に広がる利権の構造ね。腐敗した現政権下で甘い汁の恩恵に与り続けたい高級軍人が多数派を占めてたの。

 それでも2年ほど前に大統領選挙が行われたわ。そこで野党が唯一主導権を握っている国会の議長を暫定大統領として新たに任命したの。

 ここでこの国に現大統領と暫定大統領、二人の大統領が存在するっていう異常事態となってしまった訳ね。

 アメリカや欧州などの多くの国は新しい暫定大統領を認めていたんだけど、中国なんかの反米系の非民主主義国家は現大統領を支持していたのよ。

 ここで事態は急転直下の展開を見せるの、それは現大統領が後継者を決めないまま急死してしまったって事。公式の発表は病死って事だけど、実際の所は謎ね。

 後は政権内でお決まりの内部抗争が起きて、その混乱の隙を突いた議会と暫定大統領がアメリカ・欧州の全面的な後ろ盾を得て実質的な政権を掌握したの。混乱はあったものの最悪血みどろの内戦が長期化する事を予測していた諸外国はこの政権交代にいささか肩透かしを食ったみたい。そもそも国軍は上層部が腐敗していたし、多くの高級将校がそれぞれ独自に密輸などの犯罪ネットワークを張り巡らせ、まとまった統一意思を持つ武装集団としての存在価値を失いつつあったのが現状みたい。

 今は新しい体制の元、ガタガタになった閣僚や軍部を立て直しつつ経済の復興を図ってるって所。

 ただ、未だに中国やロシアから支援された地方軍閥が小規模な反乱を繰り返していて、完全な平和って訳にはいかないみたい。

 現状はアメリカを主体とする国連が地域の安定化の為に軍を派遣して治安の維持や復興支援に当たっている所。


 今やアメリカの軍事作戦、取分け安定化作戦にPMSC(民間軍事警備会社)の存在は欠かせない物となっているって事は、前に話したわよね。

 ここFSA(前方支援地域)でもそう、食堂の運営やFSA全体の警備、一部の輸送業務は複数のPMSCが分担して請け負っているのよ。

 じゃあ直接戦闘に関与しない建前のPMSCにおいて、戦闘ヘリを運用する我がA・A(エア・アーマー)社がこの作戦にどう食い込んでいるかって話だけど…

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