第14話 七瀬麗奈のキュンキュン大作戦 ④


「ハグなんてしたことないよ……」


 夕飯を食べ終えた後、入浴を済ませ、自室へと戻った麗奈は、焦るようにそう呟いた。

正確に言えばある。が、恋人として、恋愛的視点で、異性とハグをした事などあるはずもない。

 赤ちゃんのような優しい匂いを纏い、ベッドの上で座る麗奈は、さながら天使のようだった。


『明日の天気は......』


 座る天使の正面、流しっぱなしにしているテレビでは、つなぎのニュース番組が放映されていた。

 

 一つ目の「不意に名前を呼ぶ作戦」も、二つ目の「頼りになる瞬間を見せる作戦」も、まさかの返り討ち。

 つまり、悲惨という名の最高な結果に終わってしまった。

 正直、思い出すだけで頬が熱くなってしまう。

 お風呂上がりだから、なんて言い訳も出来ない程に、心の中は雄也で埋めつくされていた。


「ハグ作戦……」


 残る三つ目の作戦を、口に出す麗奈。

 同時に、頭の中で実行するプランを立てようとするも――


「……え、一番難しいじゃん!」


 全く浮かんでこなかった。

 そして、一番難しい作戦である。

 だが麗奈には、一日で実行しなければならないという使命があった。

 時刻は21時前。

 雄也が睡眠につく時間も含めれば、タイムリミットはあと2時間と言ったところだろう。


「自然に雄也くんに抱きついて……むりむりむり!」


 とりあえず、自分の中に浮かんだ案を口に出してみるも、現実的じゃない事、そして何より恥ずかしすぎる事に気が付き、麗奈は銀髪を靡かせて首を横に振った。

 麗奈の中で、"お家の中で恋人として自然に抱きつける状況"など、よからぬ想像に繋がってしまった。

 問答無用で却下だ。


「んー……雄也くんから『ハグしてほしい』って言われるのを待つとか……ありえないありえない」


 少し妄想を取り入れながら、次の案を口にしてみるも、それも現実的では無い為却下だ。

 腕で抱き締めるピンクの枕からも、「どんな状況だよ!」と、ツッコミが入った気がした。


「じゃあ私が、『ぎゅーしよ』って言ってみるとか……んぅ、もっとむりだよ……」


 最後の案を口にした所で、麗奈は最大限に恥ずかしくなった。

 お兄ちゃんに向かって「ぎゅーしよ!」なんてお願いしている妹、多分存在していない。

 存在しているとすれば、それはまだまだ年齢的に幼い妹だろう。

 高校二年生の妹が「ぎゅーしよ」なんて、ありえないにも程がある。

 そんな考えが、麗奈の脳内を巡った。

 ――まあ、本当の理由は「恥ずかしすぎるから」なのだが。


 浮かんでくるのは、一抹の不安と、「自分次第でハグができる」という大きな希望だけ。

 が、そこに至るプロセスは、何一つとして浮かんでこないでいた。

 そうして、そんな気持ちに揺られるまま、時刻は21時ちょうどを指した。

 

 ――すると、流しっぱなしにしていた自室のテレビに変化が生じた。


『"ラブラブ大作戦"、前回のあらすじ!』


「……ん」


 その音を聞き、麗奈は目線を奪われる。

 21時00分。

 ――俗に言う、『9時ドラマ』の放映時間だ。


『彼氏にキュンキュンさせたい私、安藤優子は、色んな方法を試すことにしたの!』


「……え、私のドラマ?」


 タイムリーすぎる内容に、麗奈は思わず自分がヒロインではないかと錯覚する。

 題名は『ラブラブ大作戦』と言うらしい。

 もはや題名すらタイムリーだ。


『さりげなく触ってみたり、頭を撫でてみたり、手を振ってみたり! 色んな方法を試してみたんたけど全然ダメで……』


「……私じゃん、本当に」


 ヒロイン・安藤優子のナレーションを聞くと、麗奈はその内容に親近感を覚えた。

 細かな内容、関係性は違えど、対面する問題は同じで。


『――だから、今回は思い切ってハグに挑戦してみることにしたの!』


「……へ、え!?」


 もう、麗奈の生活をドラマ化しているのでは無いかと思ってしまう程に被っている。

 そして、安藤優子こと、9時ドラマのヒロインは、テレビの向こう側でその方法について語り始めた。


『――笑顔で手を広げて、お母さんに抱っこを求める赤ん坊の如く待つ! ……てか、彼氏なんだからハグくらい出来るよね!? それでは、本編へどーぞっ!』


 丁寧に、ヒロイン・安藤優子はテレビを見る視聴者へと方法を語ると、"ラブラブ大作戦"は本編へと突入した。

 まさか、視聴者の中に、同じ場面に出くわしている女の子が居るとは思わずに。

 ――そして、その女の子が勉強しているとも思わないだろう。


「――それだ!」


 安藤優子のナレーションを聞き終わると、麗奈はテレビに人差し指を向けながらそう言った。

 そう、恋愛経験皆無のマドンナからすれば全てが勉強だ。

 ましてや、脚本家の考えた恋愛ドラマなど、もってこいの教材である。


「――立場を上手く使えばいいんだ……!」


 再度、安藤優子のナレーション内容を口に出しながら立ち上がり、自分の頭の中へと叩き込む麗奈。 

 その顔は、水を得た魚の如く明るくなった。 

 それもそのはずだろう。

 終わりかけていた「ハグ作戦」に、活路を見出すことが出来たのだから。


「――出来る、絶対私なら出来る……いや恥ずかし……んーん、出来る!」


 段々と恥ずかしくなってくる気持ちを誤魔化す為、強引にそう言い聞かせる。

 そうして、放映中の"ラブラブ大作戦"に向けて「頑張ってね優子ちゃん」と、心の底から声援を送ると、麗奈は自室のドアへと――足を進めた。


 ◇◇◇◇◇


「……」


 決意を固めたのは良いものの、そう上手くはいかないのが恋愛というものだ。

 それを実感するように、麗奈は雄也の部屋のドアの前で立ち尽くしていた。

 手を伸ばし、ノブを捻れば雄也は居る。

 ――なのに、緊張して手が動かない。


「……だめ、頑張るの」


 ここまで来て動けない。

 そんな情けない自分に、麗奈は喝を入れる。

 ただそれでも、手は思うように動かず、緊張に負けてしまっていた。


「……お願いだから頑張って、私の手」


 自分の意思に向けて、儚い願いを伝える。

 その願いが伝わるかどうかも、結局のところ自分の意思次第なのだが。

「ふぅ」と、軽く一息吐いたところ。

 

 ――そんな時、付けっぱなしにしていた自室のテレビから、微かに音が聞こえた。


『――わ……し……ハグしてるぅ〜!?』


 前半部分ははっきりと聞き取れなかったものの、後半部分ははっきりと聞き取れた。

 安藤優子の嬉々とした声色が、麗奈の部屋から微かに聞こえてくる。


「嘘……優子ちゃん、作戦成功したの……?」

『私がキュンキュ……しちゃ……る……けど!?』


 ――そう、安藤優子は、ハグ作戦に成功したのだ。 

 

「……んもう、本当に私みたいなんだから」

 

 相変わらずタイムリーすぎる感想が耳に入り、麗奈は微笑んだ。

 同時に、つぶらな瞳には"勇気"が宿る。


「――よし。私だって頑張るもん」


 その結果報告は、麗奈の心の燃料には十分だった。

 優子ちゃんには負けない、そんな想いを込めた頬は確かに赤い。

 その想いを、麗奈は頬から右手へとシフトさせた。

 

「――」

 

 ――そうして、勝手ながら安藤優子への対抗心も乗せた麗奈の右手は、ゆっくりと雄也の部屋のドアノブを捻った。


「――ん、麗奈か。どうした?」


 眼前、開いたドアの先から、愛おしい声が麗奈の耳元へ届く。


「私は雄也くんの何?」

「何って……そりゃ家族だし妹だよ」

「ふんふん、そうで......だよね」


面と向かって『家族だよ』なんて言われ、キュンしかけた所を堪えると、作戦遂行の為の準備を進め続ける。

 目が合ったら恥ずかしくなってしまうので、勿論逸らしながらだが。


「妹ってことは……」

 

 そして――麗奈は作戦実行へと移った。


「……は?」


 何故か手を広げている麗奈に、雄也は目を丸くする。

 雄也の視界に映る麗奈は、細く綺麗な白い腕を精一杯こちらへ伸ばしている。

 頬は赤みがかり、目は瞑っていた。


「……麗奈? どうしたんだ……?」

「……」

「おーい……」

「……」


 問いかけても返事をせず、ただただ白い両腕を雄也に向けて伸ばしている。

 お風呂上がりだからか、若干艶らかに見えるその銀髪セミロングは、いつもに増して美しい気がする。

 相変わらず目は瞑っており、恥ずかしそうな顔をしていた。

 

 ――ただ、麗奈のお世話好きな性格が、ここでひょっこりと顔を覗かせてしまった。


「ぎゅーって……」


 雄也の問いかけに、無視を出来なかった。

 恥ずかしい感情以前に、シンプルに失礼だったから。

 つい無視が出来ず――それも刺激的すぎる内容で、麗奈は返事をした。


「ぎゅ……は……はぁ!?」


 麗奈の返事を聞いた雄也は、両腕を伸ばしていた真意を一瞬にして理解。

 尚も目を瞑り続け、照れくさそうに頬を赤らめている理由も、それに付随して理解した。

 同時に、雄也の頬もポッと赤くなった。


「ちょ……麗奈……?」

「……はやく、はやく……」

「はやくじゃなくてだな……」

「はーやーく……!」


 赤ちゃんのような願いに、雄也の心拍数はどんどんと上がる。

 ドキドキ、なんて言葉では収まらない程に。


「……んっ!」

「おいおい……」


 尚も腕を伸ばし続け、アピールを続ける麗奈。

 マドンナの初々しいアピールの仕方に、雄也の顔はより一層赤くなった。


「どうしたらいいんだよこれ……」


 まあ、そんなことは知る由もない雄也は、対応に困り果てることしか出来なかった。

 ――正直に言えば、思いっきり飛び込みたい。

 身長は160cm程のマドンナ。

 しかし女の子として出るところは出てて、男の雄也から見ても、女の子が憧れる体型だなと分かる。


「……妹なんだから――ハグくらいできるよね?」


 羞恥で死にそうになっていた麗奈が、切り札の言い回しを投下する。

 ――作戦の真髄である「立場の利用」だ。


「せっこいだろそれは……」


 その必殺技をモロに食らった雄也は、逃げ道を無くしたかのようにそんな言葉を漏らした。

 まあ、逃げ道なんてあった所で、逃げないのだが。

 ――そして、理性の枷が、ポロッと外れた。


「……あーそうだ、麗奈は妹だ。妹だ……」


「そもそも妹やら家族やら以前に、こんな可愛い女の子に求められて、拒否できる男なんているわけないだろ!?」なんて声が、雄也の脳内を駆け巡る。

 

 ――そして、ずるすぎる、かつ可愛すぎる誘惑に負け、雄也はついに麗奈の腕へと手を伸ばした。


「……んわぁ!?」


 目を瞑り、視界が真っ暗な中で腕を掴まれ、されるがままに引っ張られる麗奈。

 ――刹那、空気の音と雄也の声しか取り入れていなかった右耳に、誰かの心臓の音が乱入してきた。


「……っ」

「妹なら出来る、麗奈がそう言ったんだからな……」


 おもむろに目を開けた麗奈の視界は、黒い服一色に染まっていた。

 そして、右耳に聞こえていた鼓動も、自分の胸では無く――雄也の心拍音であることが判明する。

 ――ここで初めて、麗奈は自分が抱き締められていることに気が付いた。

 思ったよりすぐに抱き締めてくれた雄也に対し、一気に喜びが込み上げてくる。


「ふぁ……あ、あ……」

「……何だ」

「……何でもない……です……」

「……またよそよそしい」


 ありえない程に頬を赤らめながら、雄也の胸の温もりを顔で感じる。

 麗奈の心の中は、爆発しそうな程に「キュン」で染まっていた。


「……自分で言ったんだぞ、妹なんだからって」

「……え、そんなこと言ってな……」

「言った」

「……はい」


 拒否しようとする麗奈に、そうはさせまいと雄也の言葉が被さった。

 ――そして、麗奈には何より大事なことがある。


「――ねえ……キュンってした?」


 雄也の胸の中、無抵抗なマドンナは、上目遣いで雄也へと問う。

 その、チート級の破壊力を持つ可愛い視線と顔面に、丁度良く鼻腔をくすぐる美しい銀髪に、雄也は耐えきれる訳も無かった。


「……してない」


 露骨に声色に照れが含まれている為、その答えは無効化される。

 何より、麗奈の右耳は雄也の心臓の位置にある為、心拍数もその事を証明していた。 

 

「……すごーくドキドキしてるけど?」

「……うるさい。というか麗奈こそだろ」

「……ふん」

「……てか、俺は妹のお願いを聞いただけの兄だし」 

「……そんなこと言うなら、私だってお兄ちゃんの温もりを感じてるだけの妹だもん」 

「……じゃあ離すか?」

「……ばか」


 お互いに、バレない程度に匂わせを含めながら、そんな会話を交わした。

 綺麗にカウンターを決められた麗奈は、回していた腕の締め付けを――少しだけ強めた。

 その麗奈の腕を感じながら、雄也は「星麗の生徒に見られたらどう思われるんだろうな」なんて、少しだけ兄であることの優越感に浸っていて。


 ここに、最後の「ハグ作戦」、並びに三つの「キュンキュン大作戦」は終了を迎えた。

「ハグ作戦」に関しては、成功と言えるだろう。

 そして、「ぎゅーしよ」と、兄に要求する高校二年生の妹は、確かにここに存在したのだった。


 ――七瀬麗奈の初めてのハグは、雄也のものになった。


――――――――


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