第12話 七瀬麗奈のキュンキュン大作戦 ②
学校が終わると、麗奈は一目散に自宅へと帰宅した。
理由は、先に帰られると一つ目の作戦に不都合が生じるからだ。
玄関に入り、靴を見てみると、両親は仕事で不在であることが判明。
同時に、「キュンキュン大作戦」を実行するには、最高の環境であることを確認する。
「えーっと……」
自室で制服から部屋着へと着替えながら、麗奈は桜から聞かされた体験談を思い出してみる。
中々に強烈なものもあれば、つい「それだけで!?」なんて思ってしまうものもあった。
その中でも、恋愛経験皆無のマドンナが唯一共感できたのは、「キス」だ。
ドラマやアニメで何回か見たことがあるそれは、見る度に「きゃあ……」と口に出てしまう程には、マドンナもキュンとするらしい。
「……な、何考えてんの私は!? そもそも兄妹だからダメダメダメ!」
赤らめた頬を触り、口には出さないが中々に不純な考え方をする自分を注意する。
――好奇心は、少しばかりあるけど。
とにかく、キス以外のキュン体験談を思い出し、自分の中で整理した。
たまーに、"語る桜の嬉しそうな顔面"が浮かんできたが、それもそれで可愛いので良いだろう。
桜と決めたキュンキュン大作戦の内容は、大きく分けて三つ。
難易度は簡単、普通、難しめの三通りに分かれている。
一つ目は、「不意に呼び捨てをしてみること」。
正直、これに関しては「なんで?」と思ったものの、桜はキュンとしたらしい。
まあ、そこは恋愛経験の差というものだろう。
二つ目は、「頼りになる瞬間を見た時」。
桜が言うには、自分が出来ないことを簡単にしてくれた時や、難しいことを難なくこなした時に、男らしさを感じてキュンとしたらしい。
それは何となく麗奈も理解出来たので、すんなり飲み込めた。
三つ目は、「ハグをした時の安心感」。
至極真っ当な"キュン"だ。
シンプルかつ、一番分かりやすい。
が、一番難しく、一番勇気がいるもの。
そして何より、タイミングと環境が揃わなければ、そんな事は絶対に出来ない。
考え方を変えれば、兄妹だから自然に出来ることでもある。
が、何せ恋愛経験皆無、そして一人っ子だった麗奈のハグのイメージは「恋人同士」でするものでしかない。
「……これでキュンキュンとかするのかな」
寝転び、綺麗な銀髪をベッドに広げながら、ポツンとそんなことを呟く。
無論、恋愛経験が無いマドンナは自分からアプローチした事がない。
お世話好きな性格故に、人の気持ちを考えたりすることは得意なものの、それは「友好関係」という面において。
「恋愛関係」において、相手を喜ばせることなど想像出来なかった。
まあ、シンプルに恥ずかしいという感情が邪魔しているのもあるが。
「――あ」
――そんなことを考えていると、玄関が開く音が聞こえてきた。
とにかく、迷っている時間など無い。
時間が経てば経つほど、逆に緊張してしまう。
そう考えた麗奈は、すぐに階段を降りて雄也の元へと向かった。
バタバタと音を立てて、銀髪を靡かせながら愛する雄也の元へと向かう。
「おお……ただいま」
勢いが良すぎる麗奈に、雄也は若干気圧されながら挨拶をした。
「やっぱりかっこいいなあ……」なんて、雄也の顔面に浸っている――場合では無い。
――キュンキュン大作戦、一つ目の実行時間だ。
「――お、おかえり"雄也"」
兄妹としてはおかしすぎる空気感で、麗奈は実行する。
露骨すぎるその作戦は、もはや"不意に"ではなく、ばっちり準備してきたような雰囲気があるが、それは麗奈の恋愛経験不足ということにしておく。
美しい銀髪を下げ、可愛い部屋着の裾を掴みながら、麗奈は恥ずかしそうに目を逸らしていた。
というか、目を逸らしてたら反応が分からないだろ、とは思う。
まあ、言わないでおこう。
「――た、ただいま、麗奈」
目を合わせられず、とにかく作戦よりも羞恥と戦う麗奈の元へ、そんな返事が帰ってくる。
――聞き間違いじゃなければ、雄也が呼び捨てにしてきた。
「……え?」
「……え?」
「今なんて……?」
聞き取れなかった、否、驚きすぎた麗奈は、もう一度雄也に発言の内容を問うた。
すると、問われた雄也も途端に恥ずかしそうに頬を赤らめる。
そして、それを誤魔化すかのようにローファーを脱ぎながら、雄也は麗奈の質問に返答した。
「……"ただいま麗奈"って」
どうやら、聞き間違いでは無かったらしい。
「な、なんで呼び捨てなの……?」
「……いや、七瀬だってそうだったから」
「わ……あ、あぁ……」
「……なんだその反応は。嫌だったか?」
「嫌じゃない、です」
あまりのキュンに、自分が作戦を実行していることも忘れて驚くと、恥ずかしさのあまり他人行儀な返事をしてしまう。
桜から聞いた「不意に呼び捨てされた時」という理解出来なかったキュンも、今になって身に染みて感じてしまった。
――これが……キュン……!
麗奈はそっぽを向き、心の中だけでそんな言葉を漏らす。
恋愛経験皆無のマドンナは、初めてのキュンに感動してしまったらしい。
「なんかよそよそしくない……?」
「え、ええ? そうかな? キュンに浸って……いやいや何とも思ってない!」
「そう……か。ならいいけど……」
思いっきりキュンに浸っているが、言いかけた所を、何とか心に打ち勝って堪えた。
幸いにも、雄也も雄也で羞恥心と戦っているので、聞こえていなかったらしい。
「……じゃあ、俺は着替えてくるから」
「……う、うん」
お互いに照れを誤魔化しながら、視線を合わせずにそんな会話をする。
そして、雄也が二階へ上がろうとしたとき――
「なあ、麗奈」
「れな、え……ん?」
上がりかけていた片足を止め、雄也が前を向いたままそんな言葉を漏らす。
聞こえていた麗奈はキョトンを目を丸くして返事をすると――
「――今日から、麗奈って呼んでもいい?」
ただ一言、されど一言の、破壊力抜群の要望が麗奈の耳へと届いた。
そんなの、ずるい、ずるすぎる。
流れのままにそんな事をお願いするなんて、卑怯にも程がある。
――卑怯だけど、すごーく卑怯だけど。
「――い、妹なんだからいいに決まってるでしょ……ばか」
背を向ける雄也の元へ、恥ずかしさを誤魔化すような声色で返事をした。
「そう……だよな。聞いた俺がバカだった。ごめんな麗奈」
「んもう、分かったから! はやく着替えてきてっ!」
「……はいはい」
そう何度も名前を言われると恥ずかしくなってしまう。そんな気持ちを伝えるように、麗奈は投げやりになって雄也へと言葉をぶつける。
そして、一歩階段を上がったのを確認してから――
「――妹じゃなくても……雄也くんならいいよ」
と、聞こえないように呟いたのだった。
◇◇◇◇◇
一人残された玄関。
妙な空気感と嬉しさ、そして少しの悔しさが、麗奈の心の面積を埋めていく。
「……はぁ」
一つ目の「不意に名前を呼ぶ作戦」の成果は、"キュンさせたい側"なのに、容赦なく"キュンさせられた"。
つまるところ、大失敗だ。
「桜のキュン体験談を自分が体験してどうするの!?」なんて言葉が、勝手に脳内で再生される。
――けど、頬が紅潮していく感覚が、どこか妙に心地良かった。
「――ある意味大成功なのかも」
頬を恥ずかしそうに赤らめ、しかしどこか嬉しそうに、麗奈は微笑みながらポツンと呟いた。
これが俗に言う、"勝負には敗北したが、戦いには勝利した"というやつだろう。
「……いやいや、失敗失敗。雄也くんの心を私に染めなきゃダメなんだから!」
赤みがかった純白の頬を触り、麗奈は確かに自分の頬が熱くなっていくのを感じる。
――同時に、「あとの作戦は成功させる!」という決意も、熱くなっていった。
――――――――
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