第13話 七瀬麗奈のキュンキュン大作戦 ③


「不意に呼び捨て作戦」を実行してから、数時間程経ち、窓から見える景色も、すっかり暗くなった時間。

 

 一つ目のキュンキュン大作戦は、大失敗に終わってしまった。

 もしかしたら雄也もキュンキュンしていたのかもしれないが、そんな事を気にする余裕も持てない程に麗奈はキュンキュンさせられたので失敗だ。


「……」


 今日から正式に「麗奈」と呼んでくれる嬉しさと、ほんのちょっとの悔しさを心に持ちながら、枕に顔を埋めている。

 勿論、頬は赤いのだが、自分の部屋ならば誰にもバレない為、気にする事は無いだろう。


 とはいえ、ずっと引きずっているのも得策では無い。

 麗奈の場合、"引きずる"と言うより"浸る"と言った方が正しいのかもしれないが、とにかくそんなことをしている場合では無い。

 初めての恋愛だし、どうせなら両想いになりたい。

 それは、麗奈自身が一番思っている事だった。

 

 ――だからこそ、作戦を成功させる必要があるのだ。


「どーしよー……」


 仰向けになり、枕に埋めていた顔を白い天井へと向けると、力が抜けたような声で麗奈は呟く。

 

 一つ目の「不意に呼び捨て作戦」では、先に帰ることで、「おかえり、ただいま」という自然な会話が必然的に発生する。

 そしてその流れで、実行することができた。

 が、二つ目の「頼りになる瞬間を見た時」という作戦は、どうにもそういう訳にはいかない。

 世話好きの麗奈にとって、「頼り」の定義は理解している。

 が、それは勿論、「人間関係」という面において。

「恋愛関係」において、"頼りになる"という定義は、麗奈にはよく分からなかった。


「うーん、デートで先導してあげ……」


 口に出して考える麗奈。

 その内容が恥ずかしいことに途中で気付くと、ポッと頬を赤らめ、発言を止めた。

 "デートを先導すること"は、確かに「頼り」を感じる。

 が、さすがに「今からデートに行こう!」と誘うのは、不審者にも程があるのも事実。

 まあ、視点を変えれば「お家デート」なのだが、それに対して"先導する"と言うのは、何となく一気に生々しくなるので却下だ。


「ご飯を奢ってあげるとか……? でもそんなのでキュンとかする……?」


 無論、それも「頼り」を感じる部類だろう。

 財力も立派な人間力の一つだし、頼りがいを感じる部分の一つでもある。

 が、それは人間関係においてだ。

 恋愛関係において「財力の有無」は、そこまで重要では無いし、何より麗奈の気持ちはお金に左右される程軽くない。

 なので、その案も却下だ。


「んんぅ……」


 青春真っ盛りの悩みに頭を抱え、マドンナは再び枕に顔を埋める。

「ぼふ」と、小さな音を立てる枕も、きっと微笑ましい表情をしていることだろう。


「……あ、そうだ」


 不意に、麗奈はそんなことを呟くと、ベッドの傍にある置物に視線を送った。

 そしてそのまま、ベッドの上を赤ちゃんの如く四つん這いで進むと、置物へと顔を近付けた。


「……どうしたらいいと思う?」


 その、「雄也が選んでくれた置物」、別名「雄也に見立ている置物」に話しかける麗奈。

 小さなお猿さんが、可愛い顔で思いっきり笑っている置物だ。 

 ――勿論、返事は無い。

 まあ、あったらあったで怖すぎるので当たり前なのだが、羞恥と悩みを誤魔化す為にはちょうどいいのだろう。


「もう、返事してよね」


 微笑みながら、無茶な要望をお猿さんへと向ける麗奈は、優しくその頭を撫でていた。

「雄也に見立てている置物」、そしてそれに対して可愛い微笑みを浮かべながら頭を撫でる麗奈。

 その行為が、当の本人に一番「キュン」を与えられることには、気付いていない。


「ん……」


 再びベッドに寝転び、頭を抱える。

 時刻は18時前を指しており、一日の終わりも着実に近付いていた。

 まあ、今日一日で全てを終わらせる必要は無いものの、しどろもどろでも頑張る麗奈にそれを言うのは野暮だろう。

 

 デートで先導している所を想像したり、階段を上がるのに手を貸す所を想像したり、お城の前でお姫様抱っこをされている所を想像したり。

 もはや、後半はただの妄想を楽しんでいる麗奈だが、そんな時――下の階からある声が届いた。


「――雄也か麗奈ちゃんか、手が空いてたら手伝いに来てくれないー?」


 その声の主は、夕飯の準備をする母親の真理子だ。

 救いの手を差し伸べるかのような叫び声に、麗奈の顔には一気に安心感が浮かんだ。

 そして何より「行けば雄也と会えるかも!?」なんて、隣の部屋にいるのにも関わらず思っている。


「いくいくー!」


 麗奈はウキウキになりながらベッドを降り、部屋を出ると、美しい銀髪を靡かせて階段を駆け下りた。


 ◇◇◇◇◇


「あ、麗奈ちゃん! ありがとうね〜」

「うん! 全然大丈夫!」


 すっかり、本当の親子かのような距離感に縮まっている二人は、気さくにそんな会話を交わす。

 ――が、雄也の姿は無かった。


「雄也ったら、こういう時絶対来ないの。麗奈ちゃんにばっか頼りっきりなんだから!」

「私は全然嬉しいなぁ、何だか頼られてる感じがして」

「すっかり妹感が増したわね。なんだかお母さんも嬉しくなってきたかも」


 真理子が微笑みながら言葉を向けると、麗奈も負けじと微笑んだ。

 雄也が居ないことには少し不服だが、新しい母親との距離が確実に縮まっていることを実感する。


「えへへー。で、ママ。何を手伝えばいい?」

「ま、ママ!? あぁ可愛い、あぁ……」


 麗奈からの「ママ呼び」に悶絶する真里子は、フライパンを炒めている手を止めて喜んでいる。

「危ないだろ!」と言いたくなるが、麗奈が居るのでまあいいだろう。良くはないが。


「んもう、焦げちゃう! これ炒めてればいい?」

「んーん。それは"ママ"がやるね。麗奈ちゃんはあそこに置いてあるお皿取ってきてくれる?」

「はーい!」


 何とか平静を取り戻した真理子が、再び菜箸を動かし始めると、目線と片方の指でお皿の場所を麗奈へと合図する。

 それに対し、無邪気な子供のように手を挙げた麗奈は、真理子が指を差す方向へと足を進めた。

 ――階段を、駆け下りてくる音には気付かずに。


「えーっと……これ?」

「そう! その一番上にあるお皿! ……って、麗奈ちゃん届く?」


 麗奈に教えるがてら、改めて皿の位置を確認した真理子は、思ったより高い位置にあった為に麗奈を心配した。

 とはいえ、相手はお世話好きの麗奈だ。

 自信満々に「大丈夫!」と返事をすると、背伸びをし始めた。

 そんな麗奈を見て真理子は微笑むと、再びフライパンへと視線を向けた。


「んーっ……」


 背伸びをして、目的の皿を手に取ろうとする麗奈。

 白く綺麗な指を最大限伸ばし、華奢な体の足りない身長を何とか背伸びで補う。

 が、本当にギリギリ、あと数センチの所までしか指は届かなかった。


「もう少し……伸びて指……!」


 自らの応援の声で指を一時的に伸ばそうとするも、そんなことは起きるわけがない。

 メルヘンチックな考え方だが、虚しいことに指は1ミリたりとも伸びなかった。

 何とか気合いで、何とか根性でその皿へと指を伸ばす。

 あと数センチ。ただ、そこから一向に縮まらない距離。

 ――救世主が現れたのは、諦めかけたその時だった。


「――これか?」


 いとも容易く、麗奈が届かなかった皿を片手で取る男の子。

 160センチ程の麗奈に対し、175センチ程の身長を持つ男の子。

 まさにヒーローの様に現れ――「頼れる瞬間」を容赦なく麗奈にお見舞いする男の子。

 ――雄也の登場だ。


「れ、麗奈?」


 あまりの驚きに固まる麗奈に、雄也は再度問いただす。

 その愛する声を聞いた麗奈は我に返ると、背伸びしていた体の力を抜いた。


「え……」

「ん、この皿で合ってるか?」

「それ、です……」

「そうか。またよそよそしい気がするんだけど……」


 驚きの根源、それは――「頼りになる瞬間」を感じてしまった"キュン"から。

 そして、よそよそしくなってしまうのも、「キュン」を感じた恋愛経験皆無のマドンナの純粋な反応からである。


「なんかほっぺた赤くない? 大丈夫?」

「だ……大丈夫で……大丈夫! 気のせいだよ!」

「そう。それならいいけど」


 "心配"にキュンを感じ、「大丈夫です」と言いかけた所を何とか堪える。

 そうして雄也は、キョドる麗奈を不思議に思いつつ、真理子に「はい」とお皿を向けた。


「ありがとう麗奈ち……あら、雄也だったの」

「そうだよ、雄也だ」

「来るのが遅いっつーの!」


 当たり前のようにそこに居る雄也に驚きつつ、説教を混じえながら真理子はその皿を受け取る。

 すると、麗奈に良い所を見せて調子に乗ったのか、雄也は「へっ」と鼻の下を指で擦りながら、

 

「まあまあ、ヒーローは遅れて登場するって言うじゃん?」

「お手伝い一つにそこまで大袈裟なの雄也くらいじゃない? 最初に来たのは麗奈ちゃんだし、頼りっきりじゃダメよ。ね? 麗奈ちゃん?」

「……ほ、ほんとママの言う通り! 雄也くんもすぐに来ればよかったのに!」

「ほら、麗奈ちゃんもそう言ってる!」


 麗奈と真理子の言葉を聞き、「まあそうだな」と言外で伝えるように笑いながら頭を触る雄也。

 その笑顔と仕草すら、今の麗奈には刺さりまくっていた。

 登場の仕方も、その後の素振りも、本当に「ヒーロー」のようだ。


「あはは、すっかり雄也くんも『お兄ちゃん』感が増したね。――頼りがいのある男の子だよ」

 

 そんな三人の会話を、ソファに座りながら聞いていた祐介が笑いながら言う。

 流石は実父と言ったところで、つもりは無くとも麗奈の気持ちを代弁しているようだった。


「まあ、お兄ちゃんですからね」


 そんな祐介に、雄也も照れ混じりに微笑み返すと、それを見ていた麗奈の頬がまたポッと紅潮した。


「ト……トイレ行ってきま……行ってくる!」


 それを誤魔化すように、麗奈は何の目的も無くトイレへと向かった。

 

 二つ目の、「頼りになる瞬間を見せよう作戦」は、ここに終わった。


 ◇◇◇◇◇


「何してるのもう……」

 

 部屋着のまま、開いていない便座蓋に座りながら、麗奈は自分の熱くなる頬を触る。

 またしても、"キュンさせたい側"なのに、キュンさせられてしまったのだ。


「私がキュンキュンしたらダメなんだってば……ダメじゃないけど……」


 セミロングの銀髪美少女は、純白の頬を赤らめながらそんなことを呟く。

 大半の嬉しさと、ほんの少しの情けなさを孕んだその声。

 それは頼りになる男の子だけに向けるような、甘々な声色にも聞こえてきて。


「……やっぱりダメ! 雄也くんにキュンさせなきゃ意味ないの……!」


 作戦の目的を思い出し、決意を再び胸に宿したように麗奈は立ち上がる。 

 二つ目の作戦の結果は勿論、大失敗。

 が、麗奈理論で言うならば紛れもなく大成功だ。


「でもやっぱり……雄也くんってかっこいい……」


 決意を宿したかと思えば、麗奈は再び体の力を抜いて、開いていない便座蓋に腰を下ろす。

 

 一人籠る個室トイレ。

 恋するマドンナは、決意と共に頬を赤らめながら「キュン」に浸ったのであった。

 ――最も難度の高い、そして最後の作戦である、「ハグ作戦」を成功させるビジョンを頭に流しながら。

 その想像のせいで何回も「キュン」が上乗せされた事は、言うまでもないだろう。


――――――――


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