第8話 マドンナを起こしに行こう
「ふぁ〜……」
小鳥のさえずりで、さながら王様のように雄也は目を覚ます。
特に良い夢を見た訳じゃないのだが、何となく気持ちが良い朝だった。
理由は分からないが、昨日麗奈に『雄也』と呼んでもらったからだと思う。きっとそうだ。そういうことでいい。
「……早起き出来るんだ俺って」
眠い目を擦り、寝起きで乱れた黒い髪の毛を触りながら時計を見てみると、針は6時45分を指している。
珍しすぎる早起きに、雄也は自分でも驚いた。
しかも、今日は土曜日で学校は無いのに。
が、朝早々にして一つ案が生まれた。
「……七瀬に起こしに来てもらうのもありだな」
昨日の朝は、7時になると麗奈が起こしに来てくれた。
しかも、親の命令ではなく自分からという。
まあ、毎日確定で起こしに来てくれるのかは不明だが、祐介が『お世話好き』と言っていたので、多分今日も起こしに来てくれるのだろう。
とりあえず、朝一番は麗奈の顔を拝みたいので、雄也は7時まで寝たフリをすることにした。
15分後、時刻は朝の7時になった。
「こない……」
ベッドで寝そべりながら、ポツンと呟く。
悲しいことに、麗奈は起こしに来てくれなかったらしい。
まあ、本来それが当たり前ではあるので、少し悲しい事実を受け入れつつ、雄也は自分で起き、1階へ降りた。
「あら、雄也の方が早いなんて珍しいわね」
朝一番に聞いたのは、麗奈の声ではなく母親の声だ。
本能的に目が覚め、一日が始まるモードへとシフトされる。
が、母親の言葉の内容が少し気になった。
「珍しいってまだ三日目だろ……って、七……麗奈さんは?」
危うく祐介の前で「七瀬」と言ってしまいそうな所を何とかこらえ、慣れない麗奈さん呼びをする。
が、何故か妙に嬉しくなった。多分、合法的に麗奈と呼べたからだ。
「まだ寝てるよ。珍しく」
雄也の問いかけに答えたのは、父親の祐介だ。
今日も今日とて、コーヒーを片手に持ちながら、スマホでニュースを読んでいた。
そして何より、麗奈はまだ爆睡中らしい。
「そうなんですね」
「あ、そうだ。雄也くん、起こしに行ってあげたらどうだい?」
「……は、え、はい?」
祐介からの提案に、雄也は目を丸くする。
そんな雄也を見て、真理子が言葉をかけた。
「何でそんなに不思議そうなのよ。昨日麗奈ちゃんが起こしてくれたんだから、今日は雄也が起こしに行ってあげたら?」
「いや……そうだけど……。女の子の部屋に入るのはさすがに抵抗あるぞ……」
「何よ、女の子って。妹の部屋よ」
「……そうか。そうだった」
多分、母親と雄也で『女の子』の解釈が違っている。
まあ、『片想い中です』なんてバレたら三日目にして家族関係が終了してしまうので、雄也は適当に誤魔化す。
すると、座りながら会話を聞いていた祐介が笑った。
「あはは、まあ大丈夫だよ。まだ模様替えは終わってなさそうだしね」
確かに祐介の言う通り、麗奈の部屋はまだまだ無機質だった。
が、雄也にとっては違うのだ。
"七瀬麗奈"という存在が居る時点で、そこは天国。
とはいえ、そんなことを言ったら警察に突き出される未来が見えるので、素直に起こしに行くことにした。
最初から実はこうしたかったのは、秘密にしておこう。
そうして、雄也は麗奈の部屋へと向かった。
「んだよこのイベントは……」
学年一の美女を起こしに行くなど、誰が想像したことか。
まだ夢の中にいると疑いたくなるが、一歩、また一歩と麗奈の部屋に近づくに連れて速くなる鼓動がそれを拒否した。
否、見方を変えれば夢なのかもしれない。
眼前、麗奈の部屋のドアが現れた。
ついに到着だ。
「……俺は兄だ。そう考えればいける……んなこともないな……」
今は「恋人」よりも、「兄」として起こしに来ただけ。
ドアの前で立ちながら、そう言い聞かせるも、またも雄也の速い鼓動がそれを拒否する。
とはいえ、もしも今この瞬間にドアを開け、謎に突っ立っている自分と遭遇する方が麗奈にとっては恐怖だ。
そう考え、雄也はドアへと手を伸ばした。
寝起きドッキリでもしてるのかと勘違いする程、静かに、丁寧に。
ドアを開けると、昨日と同じ景色が広がった。
まだ装飾が施されておらず、最低限の家具しか置いていない無機質な空間。
が、今日からはベッドに、可愛らしい姿があった。
「……本当に寝てるじゃん」
布団に身を包ませ、気持ち良さそうな寝顔を浮かべている。
そこにいるのは、長いまつ毛を生やし、枕元には美しい銀髪を広げ、顔にはシミひとつない綺麗すぎる肌を持っている麗奈だ。
寝ていても、その美貌には遜色が無い。
というか、寝ている顔にも、それはそれで別の魅力がある気がする。
そうして、雄也は起こすことを忘れ、麗奈の顔に見惚れている――その時だった。
「――雄也くんぅ……」
目を瞑り、眠っているはずの麗奈から、可愛すぎる声が聞こえてきた。
しかも、「雄也くん」と言って。
そして何より、寝顔には幸せそうな顔が浮かんでいる。
「おいおいおい……」
さすがに心臓に悪すぎて、雄也は嬉しさ混じりの声を漏らす。
が、麗奈はまた、雄也の心を削る寝言を言い出した。
「……ねえやーだ……いかないで……」
幸せそうな顔から一転、今度は寂しそうな顔をし始めた。
そこで雄也は確信した。「麗奈は、完全に夢を見ている」と。
喜んでいいのか、喜ばない方がいいのかよく分からない。
が、一つ明確に喜んでいいことがある。
それは――可愛すぎる、ということだ。
とはいえ、起こさないのはまずい。
学校にも遅刻してしまうし、何より麗奈が怒る気がするから。
まあ、正直怒らせてもいいが、道徳的にそれは拒否。
もっと寝言を言われたいが、それこそ本気で怒られる気がするのでそれも拒否だ。
なので、起こすことにした。
少し物足りないのは置いといて。
「……おーい、起きて」
「……んうぅ……」
寝言だけでなく、吐息も可愛いらしい。
「……七瀬、朝だぞー」
「……んぅ……やだぁ……」
「ちょ……やばいって……」
赤ちゃんのようなわがままを言う麗奈は、まさに言動も赤ちゃんで、起こす雄也の腕に頬を擦り付けている。
瞬間、枕に比べてその腕の硬さが異様な事に気付いた麗奈は、ゆっくりとつぶらな瞳を開けた。
「……んぅ……って雄也くん!?」
「……やっと起きたか。夢見すぎだ」
眼前、愛おしき雄也が前に居ることに、そしてその腕に触れていることに、麗奈は驚いて飛び上がる。
「……な、なんでここに居るの……?」
「起こしにきたんだ」
「……起こしに来てくれたの。なるほど……」
「そうだよ。怒るなら親を怒ってくれ。俺は勝手に麗奈の部屋に入ったわけじゃないから」
「……別にいいよ。お兄ちゃんだし」
「そ、そうか。で、何の夢見てたんだ?」
「夢……えーっと……」
雄也に聞かれ、麗奈は眠たそうにしながら自分が見た夢を振り返る。
分かっているくせに聞くこの男、普通に夢の状況を楽しんでいて、少しムカつく。
そして、麗奈は夢の内容を思い出すと、途端に顔が赤くなった。
「えーっと……雄也くんがいて……あ……」
「ほうほう、俺がいて?」
「ねえ、まさか……」
雄也が、分かっているかのような素振りを見せると、麗奈は必然的にその理由を察した。
「寝言を言っていた」と気付いてしまった。
「……まさか? 変な夢でも見たのか? 妙にいい匂いが俺の腕についてる気がするけど……って七瀬?」
「……もう言わないで……」
少しからかいめに雄也が言及すると、恥ずかしすぎた麗奈は枕に顔を埋めた。
腕に残る確かな感触、見た夢の内容、思い出す全てがその恥ずかしさを上乗せする。
「朝から心臓に悪いな……」
「……こっちのセリフだし……」
眼前、白い耳が瞬く間に紅潮していく麗奈に萌えた雄也がそんなことを漏らすと、麗奈も言い返す。
が、どちらもそれは『朝から恋人が前にいる』という意味合いであることは言うまでもないだろう。
すると、枕に顔を埋めていた麗奈が、おもむろに仰向きになると、雄也に向かって両手を伸ばした。
「……ん、起こして」
「……え?」
「起こして! 起きれない!」
「……いや、仰向きになる気力あるじ……」
「おーこーしーて! 使いきったの!」
視線を逸らし、屁理屈を言おうとしてくる雄也に頬を膨らませる。否、この場合は麗奈が屁理屈を言っているのかもしれない。
遺憾無く妹感を発揮してくる麗奈に、雄也も断れる訳がなかった。
「……ほら」
伸ばされる白い綺麗な手首を優しく掴みながら、雄也も視線を逸らす。
休日の朝からこんな会話をするのは、多分この兄妹だけだろう。
というか、初日から麗奈が攻めすぎだ。
「えへへ」
引っ張られる手首に流れを任せ、身を起こすと、麗奈は嬉しそうに微笑んだ。
朝から雄也に起こされ、触れることが出来たことを喜ぶように。
「……ってもうこんな時間!?」
時刻は7時15分。
雄也からすれば普通の時間だが、麗奈からすれば大分遅めの起床だ。
とはいえ、今日は休日。
が、朝の目覚めが特殊すぎて、麗奈はその事に気付いていなかった。
「言うほど遅い?」
「遅いよ!? なんでもっと早く起こしに来てくれなかったの!?」
「麗奈が夢を見てたから」と言いたくなったが、何となく怒ってる姿も可愛いので言うのはやめておく。
そうして、バタバタしている麗奈に、雄也が微笑みながら「ごめんごめん」と思っていない謝罪をすると、
「ほら、行こ!」
と、いつの間にかドアの前に立っていた"世話好き"の麗奈から、可愛らしい声がかかった。
意外にも、寝起きの麗奈は普通の女の子で、髪の毛が乱れていた。そんな所も可愛いのだが。
そうして、二人は1階へと向かった。
◇◇◇◇◇
「今日は……休み……?」
1階に降り、何やら忙しそうにしていた麗奈に、「学校無いよ」と真理子が言った途端これだ。
つぶらな瞳を更に丸くして、ありえないくらいに驚いている。
「どうしたの麗奈。何か良い夢でも見たのかい?」
さすがは実父。
麗奈の珍しい様子、そしていつもより遅い起床に対して、完璧な考察を展開している。
その会話を聞く雄也は、どこか満更でも無い顔をしていた。
「え!? そ、そんなの見てないよ? 雄也くんが起こしに来てくれたから焦っちゃったのかも」
「あはは、そうか。まあ、ゆっくり動きなさい」
「うん……そうする」
祐介の考察が完璧に的中し、焦った麗奈は、「言ったな!?」と言わんばかりの視線を、雄也へと送った。
そんな麗奈に「言ってない言ってない」と伝えるように首を横に振る。
すると今度は、祐介が雄也へと言葉を向けた。
「そういえば、麗奈の部屋はどうだった? まだまだ寂しい感じだったかな?」
「まあ、はい。女の子の部屋では無かったですね」
「何その言い方! 女の子の部屋ですけど!」
からかい混じりに雄也が答えると、それに対して麗奈が頬を膨らませながら反論する。
そんな二人を見て、祐介は「仲が良さそうでよかった」と言うように微笑んだ。
「あはは。まあ、麗奈にも時間が無かったから仕方ないね」
「……ふん。パパの言う通りなんだからね」
そう言いながら、不貞腐れた目つきで雄也を睨む。
心の中で「可愛いなー」なんて思いながら、言ったらぶっ飛ばされるので口にはしない。
すると、会話を聞いていた真理子が口を開いた。
「あ! そうだ祐介さん、それと麗奈ちゃん! 新しい家族になったことですし、麗奈ちゃんの模様替えの為にもお買い物に行きませんか? 今日は私も休みですから!」
「いいね真理子さん。僕は大賛成だけど、麗奈はどうかな? 雄也くんも大丈夫そう?」
両親は軽く決めているが、麗奈と雄也にとっては中々のイベントだ。
デート、と言うのは大袈裟なものの、それに近しいことには間違いない。
そんなことを考え、雄也が迷っていると――
「――行くー! 行きたい行きたい行きたい!! 雄也くんも連れていこっ! てか強制で!」
と、麗奈はつぶらな目を輝かせ、無邪気に喜んでいた。
「あはは、世話好きの麗奈は即答だけど、雄也くんは大丈夫かな?」
微笑みながら、祐介が雄也へと問う。
さすがに「嫌です」なんて言えないし、そもそも嫌じゃない。むしろ行きたいので、「大丈夫です」と、クールぶって返事をした。
心の中では、怖い程に大はしゃぎしながら。
――――――――
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