第7話 兄に恋をするのはダメですか?
マドンナ――それはきっと、女の子であれば誰でも憧れる言葉。
周りから崇められるし、恋人にだって困らない。
神格化されれば、必然的に学校でのカーストだって上になる。
ただ一つ、犠牲にしなければならないのは――普通ということ。
男子に話しかければ、勝手に緊張されて、勝手に騒がれて、勝手にドキドキされる。
よって、良くも悪くも「普通」の女子高校生ではいられなくなるのだ。
まあ、見返りに比べれば、そんなことは些細な事かもしれない。
むしろ、"異性と交友関係を結びたくない女の子"からすれば好都合だ。
――異性と交友関係を結びたくない女の子、なら。
私は、昔からお世話好きな性格だった。
だから、友達と遊ぶ事が好きだったし、男女問わず色々な友達が多かった。
小学校から帰れば、すぐに公園に行ったし、友達の家にも行った。
――思えばそれは、中学生になってから変わってしまった。
中学生ともなれば、多感な時期に突入する。
男子も女子も、性的な意味でも成長する時期だ。
それは体だけではなく、思考だって同じ。
あの子が可愛い、この子が美しい、そんな考え方を持つ事だって当然だ。
――その結果、昔のようにはいかなくなってしまった。
ただ仲良くなりたいだけなのに、男子に話しかけると露骨に緊張される。
ただ仲良くなりたいだけなのに、男子に話しかけると「俺には無理だ」と神格化される。
ただ仲良くなりたいだけなのに、「七瀬麗奈はマドンナだ」とレッテルを貼られ、崇められる。
小学校の頃に仲良しだって友達でさえ、接し方が変わってしまった。
「かわいい」と言われる事は勿論嬉しいし、自信になる。そんな事は、女子全員が思うこと。
――ただ、行き過ぎたレッテルのせいで神格化されて、周りの態度が変わることに、私は不快感しか覚えなかった。
次第に、その気持ちが積み重なり、男子とは話さなくなった。
誰も、"一人の女の子"として見てくれない。
誰も、"普通の女の子"として見てくれない。
だから、マドンナと言われるのは嫌いだった。
なりたくてなった訳じゃないのに、勝手に騒ぎ出して、勝手にマドンナになった。否、させられた。
それが嫌で、嫌で嫌で仕方なかった。
――本当は、男の子とだって仲良くしたいのに。
でも、「もういいや」と割り切った。
どうせ、話しかければ「マドンナ」と意識されて、緊張される。
その不快感よりも、我慢する方が楽だから。
だから、星麗高校でも男子とは話さないし、友達にだってならない。
勿論、恋人だって作らない――はずだった。
――君が、私を守ってくれるまでは。
◇◇◇◇◇
「……で、呼んだ理由って?」
まだ装飾がなされていない麗奈の部屋で、雄也の声が響く。
半ば強引に、麗奈が「入って」とお願いした為だ。
とはいえ、まだ本題に入るのは早い、というか心の準備が出来ていないので、麗奈は適当に誤魔化すことにした。
「まあいいじゃん。ちょっと話そ」
「もっと怖くなるんだが……」
「何で? 私は妹だよ?」
「素直に認めてるのも怖いな……って、なんで目逸らしてんの……?」
「うるさい」
バスタオルを肩にかけ、顔を火照らせている雄也だが、麗奈は、その目を見ることが出来なかった。
「妹なら兄の目くらい見れるだろ」
「……べ、別に見れるし。ほら!」
「いや、まじでコンマ何秒じゃん……」
それが気になったのか、雄也が言及してきた。
恥ずかしさとプライドが混じった麗奈は、一瞬だけ雄也と目を合わせると、すぐに逸らす。
すると、雄也は何故か申し訳なさそうな顔をし始めた。
「まさか……あれってナンパじゃなくて本当の友達だったりした……?」
「無駄なことをして怒らせてしまった」と不安になっているのか、そんな感じの質問が雄也から飛んでくる。
とはいえ、理由は全く違うし、むしろ助けてくれてありがとうと言いたい程だ。
「違う、違うよ。それは本当に感謝してるし、うん。ありがとうって思ってるよ」
自分の銀髪を触りながら、相変わらず頬を赤らめて返事をすると、雄也から「じゃあ、よそよそしい理由は?」と言わんばかりに、不思議そうな視線が送られてきた。
時間が経てば経つほど、聞き辛くなると感じた麗奈は、強制的に心の準備を済ませる。
とにかく、聞かなければならないこと、と言うよりも聞きたいことがあるのだ。
「その……なんで助けてくれたの?」
何とか勇気を出して、雄也へと目を向ける。
「なんで……妹だから?」
すると、理由としては至極真っ当な事を雄也は答えた。
が、麗奈が知りたいのは、そこでは無い。
「ん……まあそうなんだけどさ……」
「おう、なんだ?」
「あんなに足も震えてて、怖がってたのに、それだけの理由で助けてくれるのかなって」
妹とは言えど、まだ歴は二日だ。
限りなく他人に近い妹だし、「妹だから」という理由だけなのは、少し不自然な気がする。
とはいえ、雄也も雄也で、「好きだからだよ」なんて絶対に言えないので、適当に誤魔化すことにした。
「……そんなに不思議か?」
「うん。私だったら助けない気がするもん」
「……おい、それは話が違うぞ」
こうして会話をしてても、雄也は他の男子と違う気がすると、麗奈は感じていた。
何となくだが、自分を神格化しないで見てくれている気がする、と。
すると、雄也も視線を逸らし、少し恥ずかしそうにしてから、言葉を続けた。
「――まあ、七瀬も一人の女の子だし」
「……え?」
「妹とか以前に、女の子として嫌だろ。ナンパとかって」
――その言葉は、麗奈が一番聞きたくて、言われたかった言葉だった。
瞬間、麗奈の心の中に、雷の様な衝撃が走った。
つぶらな瞳を更に丸くして、銀髪を触っていた手も思わず止まる程の衝撃が。
雄也が居なくて少し寂しいと感じていた理由、目を見れなかった理由、会いたくなっていた理由。
その全てが、自分の中で解明されていく。
「今日もクラスメイトにマドンナって騒がれてたの見てたけど、正直それも嫌だったろ?」
何も言えない麗奈を傍目に、雄也も恥ずかしそうに言葉を続けた。
「――」
今まで、話した事も無かったのに。
話したことも、笑い合ったことも、見つめあったことも無かったのに。
あえて、避けてきたはずなのに。
なのに、なのになんで――この男の子は、こんなにも自分を分かってくれるんだろう。
「何せ、俺は陰キャだから学校じゃこんなこと言えないんだけどさ……」
尚も、恥ずかしそうに視線を逸らしている雄也。
――気付けば麗奈は、そんな雄也に視線を奪われていた。
一方的に見つめ、視線を送るその姿は、完全にマドンナと陰キャの立場が逆転しているようで。
そんな麗奈にも気付かず、雄也は言葉を続けた。
「――まだ二日しか経ってないけど、それでも俺は妹の七瀬の姿を見てるから。前まではただ憧れて、マドンナみたいな存在だったけど、今はもう"一人の女の子"だって思ってるよ」
ずるい。そんなのずるすぎる。
「兄」としてまだ慣れていないのに、そんな「男の子」のような事を言うなんて、本当に雄也はずるい。
――完全に、「恋に落ちた」感覚がした。
「……私のこと、マドンナだって思わない?」
「おう。思わない……な」
不安そうに尋ねる麗奈に、雄也は「男の子」として言いきる。
「……じゃあ、"麗奈"って呼んで」
「……え、なんで?」
「いいから! 1回呼んで!」
「……」
謎のお願いをしてくる麗奈に、雄也も困惑した。
とはいえ、麗奈が本当に呼んでほしそうな目でこちらを見ている気がするので、断れなかった。
「……れ、麗奈」
目も合わせられず、空気に消えるような声で呼ぶ。
すると、感じていた視線が消えた。
同時に、麗奈の方へと視線を送ってみると、ありえないほどに頬を赤らめ、壁へと視線を送っている。
その白い肌と綺麗な横顔のせいで、頬の赤さが逆に目立っていた。
「……見ないで、あっち向いて」
「……あ、え、ごめん」
お互いに目を合わせられないまま、時間だけが過ぎていく。
壁に取り付けられている時計が、カチカチと音を立てて。
「……じゃあ、七瀬も雄也って呼んでよ。一回だけ」
「……今"七瀬"って呼んだからやだもん。……もう一回"麗奈"って呼んでくれたらいいよ」
「なんだそれ……」
「……ふん、じゃあいいし」
さすがに、雄也も羞恥で死にそうになる。
ただ、拗ねている麗奈も可愛くて、可愛くて仕方が無い。
そう考えると、呼び捨てされたいという気持ちが羞恥を勝ったので、何とか頑張ることにした。
「……麗奈、雄也って呼んでほしい」
目も合わせられない、顔も向けられない。
ただただ羞恥に襲われ、頬が赤くなるばかり。
――それは、お互い様だった。
「……ゆ、雄也」
そっぽを向いて、壁を向きながら雄也の名前を呼ぶ。
「壁が羨ましい」とは雄也も思わなかった。
ちゃんと、聞こえていたから。
「……なんか、普段"くん付け"で呼ばれてるから、あんまり違和感無かったな」
「……何なの、頑張ったんだから素直に『ありがとう』って言えばいいのに」
「……それもそうだな。ありがとう」
「……ばーか」
頬を赤らめ、不貞腐れたように雄也に視線を送っても、やっぱり雄也はこっちを見ていなかった。
無機質だった部屋に、兄妹とは思えない空気が流れる。
「……んもう、話終わり! 早く出てって!」
さすがに羞恥と空気に勝てなくなり、麗奈は照れを誤魔化すがてらそう言った。
――本当は、出ていってほしくなんかないけど。
「……分かったよ。聞きたいことはもう無い?」
「無い!」
「その即答なら本当っぽいな……。じゃあ、なんかあったらまた呼んでくれ」
兄のような年上感を出して、「何も感じてないよ」みたいなフリをする雄也。
――本当は、出ていきたくなんかないけど。
そのまま、視線を合わせることなく、雄也は麗奈の部屋を後にした。
雄也が居なくなり、一人になった麗奈の部屋。
今度は、寂しくなんかない。
隣の部屋に雄也がいるから。
「……はぁ」
自分の頬を改めて触ってみても、やっぱり熱い。
胸を触ってみても、やっぱりドキドキしてる。
雄也の顔を思い出したら、もっとドキドキする。
「……」
そんな自分を誤魔化すように、麗奈はベッドにうつ伏せになって、枕に顔を埋めた。
「ぼふ」と音を立てた枕の周りには、美しい銀髪が広がっていて。
「……すき……すきすきすき……もうっ……」
枕に顔を埋めながら、声にならない声を出す。
余程照れているのか、足をバタつかせていた。
顔が熱く、頬が赤く、体温が高くなっている。
それら全てが、雄也に恋している自分を証明させていく。
こんな気持ちは初めてだ。
――麗奈の心は、完全に雄也のものになっていた。
こうして同じ屋根の下、お互いに想いを寄せ合う男女の、特別すぎる共同生活が始まった。
――――――――
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