第17話 ブレザーとパーカー
時は、麗奈が幼なじみと共に登校していた朝まで遡る。
「意外とさむ……」
通学路を歩きながら、麗奈は自分で自分を抱くような素振りをした。
前日の気温が中々に高かった事もあり、薄着にスクールシャツ、その上にセーターだけで丁度良いと思っていたが、外に出てみると思っていた以上に寒く、ブレザーを着てこなかった事を後悔した。
とはいえ、人を待たせている為、家に戻ることも出来ない。
そして、今に至るという訳だ。
少々強めの風に美しい銀髪を靡かせながら、麗奈は目的の場所へと歩き続ける。
子犬の散歩をしている老人や、急ぎ足で歩くスーツの社会人、ブロック塀の上で気持ち良さそうに寝ている子猫など、様々な景色を堪能していると、あっという間に待ち合わせ場所へと到着した。
「あ、いた! おはよー颯太」
「お、来たか。おはよう」
星麗高校の中では待ち合わせ場所として有名な『忠犬像』の前。
赤に近いブラウンの明るい髪色で、短髪寄りのツーブロックの髪型を備える、いかにも"陽キャ"と言いたくなるような男子へと、麗奈は声をかける。
――名は、
「なんか久しぶりだな」
「え、そう? 学校でも会ってる気がするけど」
「いやそうだけどさ。全然話しかけてくれないから、俺の中じゃ会ってるに入らねーんだ」
「えへへ、それはごめん!」
「まあいいけど。そもそも麗奈って高校入ってから男子と全然話さねーもんな」
「ん、まあね。それはそうかも」
そんな、慣れた距離感の会話を展開しながら、二人は忠犬像から星麗高校へと歩き始めた。
◇◇◇◇◇
「マジで久しぶりだな。麗奈の隣歩くのとか何年振りだよ」
通学路の途中、不意に颯太がそんな言葉を漏らす。
その言葉を聞き、麗奈は「うーん」と指を顎に添え、何かを思い出すような素振りをした。
「……意外と本気で小学校ぶりかな? 中学は一回も無かったよね。一緒に行ったり帰ったりしたこと」
「あー、確かにそうかもな。麗奈の男子毛嫌いは中学からだったもんな」
「んもう、人聞き悪い言い方しないの。拒否できないけどさ」
軽く微笑みながら、麗奈はそう返答する。
幼稚園、小学校の頃はよく遊んでいた。
そして颯太の言う通り、マドンナと呼ばれ始めたのは中学校の頃。
同時に嫌悪感を覚え、男子との絡みも一気に無くなったのも中学校の頃だ。
幼なじみである颯太ですら、中学で絡みが無くなる程には、麗奈の男子毛嫌いはすごかった。
「やっぱり、今も誰かに『マドンナ』って呼ばれてんのか?」
歩きながら、少しだけ神妙な声色で颯太が問うた。
麗奈がマドンナと呼ばれる事に対して嫌悪感を持っていることは、当然だが知っている。
「んー、まあね。でも何か、今は『嫌だな』っていう気持ちよりも、『どうでもいい』っていう気持ちが勝ってるかも」
綺麗な青空を見上げ、雄也の事を心に思い浮かべながら、否、勝手に浮かんできた雄也を想いながら、麗奈は素直にそう伝える。
「どうでもいい……か」
「ん、意外だった?」
「まあな。昔に俺が冗談で『マドンナ』って言った時の、麗奈の機嫌の悪さを思い出しちゃって」
「あー……って! 忘れてよそれ!」
「いや無理だろ。一言も喋らないあの感じ、まじで怖かったぜ。まあ、黙ってても可愛いから良いし、そもそも俺が悪いんだけどさ」
「んもう、そうやってバカにして。もっかい怒るよ」
「はい、すいません」
頬を膨らませながら、可愛い目つきで颯太を睨むと、颯太は素直に謝罪する。
とはいえ、颯太も颯太で、「可愛い」という言葉は本心だった。
「『どうでもいい』って思うようになった事にさ、きっかけとかあんのか?」
不意に、颯太がそんなことを問う。
――そして、麗奈は空を見上げて考えるような素振りをすると、その答えを口にした。
「うーん……秘密!」
「秘密……?」
「うん、秘密!」
「……そうかよ。それなら仕方ないな」
謎に誤魔化す麗奈を不思議に思いつつ、言いたくない事もあるのだろうと結論付けた颯太は、それ以上問うことはしなかった。
「てか、なんで急に俺の事誘ったんだ? 突発的じゃなかったし、何か目的があるんだろ?」
今現在、共に歩き、共に登校している理由。
それは意外にも、麗奈からの誘いがあったからだ。
前もって日にちをこの日に決めていた為、目的があることも容易に推測出来る。
「んーとね、颯太には言っておかなきゃーって思ってる事があってさ」
「ん……え、告白か?」
「あ、違う違う。全然そんなんじゃないよ。もっと大事なこと」
冗談でそんなことを言う颯太を軽くいなしつつ、淡々と話を進める麗奈。
心無しか、颯太は少し落ち込んでいる気がする。
まあ、気にすることでもない。
「――私のお父さんが再婚してね、新しい家族が出来たの」
「……は、はぁあ!?」
麗奈の言葉に、颯太はかつてない程に目を丸くした。
元々ルックスは悪くなく、綺麗な目を持っている颯太。
その、つぶらな瞳が飛び出て来そうな程に驚き、声を上げている。
「んもう、予想通りの反応すぎるね。でも、もっと驚く事言っていい?」
「……え、まだあんの?」
「うん。まだあるよ。その"新しい家族"なんだけど……」
「おう……」
「――星麗にいるし、私と同じクラスの子なの」
「……えええ!?」
再び、驚愕の事実が麗奈から投下される。
もはや驚愕という言葉で表せない程には、颯太の頭はパニックで埋まっていた。
「まじ……まじで……?」
「うん、まじ。雄也っていう名前」
「雄也……聞いたことないな。って、よりによって男なのかよ! マドンナって呼ばれてないよな!?」
「んもう、私のお兄ちゃんはそんなこと言わないもん。ばか」
「お、お兄ちゃん……」
「えへへ」
慣れない、というか初耳の麗奈の「お兄ちゃん呼び」に、颯太は思わず反復した。
一生聞くことの無い呼びだと思っていたが、この日がやってくるとは。
特に感動している訳では無いのだが、何となく幼なじみとして感慨深い気持ちになる。
「そうか……。なら、仲良くなりてーな」
「そうそう、私もそう思ってる。だからさ、今度挨拶がてら、雄也くんと会ってくれない?」
「ん、俺は全然いいぜ。向こうが大丈夫ならだけど」
「え、ほんとに!? じゃあ決まり!」
「その、雄也には確認したのか?」
「してないけど、優しいから多分大丈夫! だと思う!」
「おぉ、大変な妹になりそうだな……」
自信満々に親指を立てながら、満面の笑みで返事をする麗奈。
そんな妹を新たに持つ、まだ見知らぬ雄也を心配しながら、颯太は麗奈の笑顔を受け止めた。
「にしても寒いなぁ、うぅ……」
「言われてみればそうだな……って、セーターだけじゃ絶対やばいだろ」
「うん、やばい。めっちゃ後悔してる」
それから少し歩いていると。ブルルと小さく体を震わせながら、麗奈が笑顔でそう言った。
すると、そんな麗奈が可哀想に思ったのか――
「――これ、着るか?」
と、颯太が、羽織っていたブレザーを肩から脱ぎ、麗奈へそのブレザーを向けた。
しかし、麗奈は「んーん」と、首を横に振ると、「ありがとね」と、手を合わせながら、小さな声で呟いた。
「……そっか。それなら……いいや」
ポツン、と、どこか寂しさと儚さが混じった声で、颯太は呟く。
その声が麗奈に聞こえていたかどうかは、分からない。
ただ、聞こえていたら「どうしたの?」と心配される、否、してくれるんだろうな、と、颯太は心の中で思ったのだった。
◇◇◇◇◇
麗奈が食べた、否、我慢出来ずに食べちゃった雄也のプリンを買いに行く為、麗奈と雄也はコンビニに向けて歩いていた。
「ねえ、こんな時間まで寒いとか聞いてないんだけど!」
「いや、俺に言われてもな……」
歩きながら、まだまだ肌寒い気温への怒りを雄也へとぶつける。
何故か朝の教訓を生かさない麗奈は、スウェットしか着ていない。
むしろ、朝よりも薄着だ。寒くて当たり前である。
「五月ってこんな寒かったっけ? 私の中の五月はぽかぽかしてるイメージなんだけど?」
「まあ、そのスウェット一枚じゃさすがに寒いだろうな。俺もブレザー代わりにパーカー着てるけど、それで丁度いいくらいだもん」
震える麗奈の隣、雄也はセーターの上から無地の灰色のパーカーを着ている。
だいぶ厚着だが、それでも丁度良いという感想が出てくる程には今日は寒い。
「はぁ。完全に間違えた……」
それを痛感するかの如く、麗奈は寒そうに呟く。
すると、その声を聞いた雄也が、着ていたパーカーをおもむろに脱ぎ始めた。
「――これ、着るか?」
「……え?」
眼前、灰色のパーカーを手に取り、それを向けてくる雄也に麗奈は目を丸くした。
そんな麗奈を、雄也は不思議そうに見ている。
「え? 寒いんじゃないの?」
「……あ、え、まあ、うん。……寒い」
「だからこれ、着る?」
雄也は何の恥ずかしげもなく、再び灰色のパーカーを向けてくる。
きっと、"キュンさせたい"という気持ちよりも、単純な優しさでそう言ってくれている。
――それでも、麗奈の心を持っていくには、十分すぎる燃料で。
「……着たい、です」
頬を赤らめ、よそよそしい言葉遣いで、そう返事した。
「まーたよそよそしい。嫌なら無理して着なくてもいいよ」
「……嫌じゃないです、あ、嫌じゃない! だからその……着させてほしい」
「……はい」
麗奈が目を逸らして恥ずかしそうにそう言うと、雄也も途端に頬を赤らめた。
そして、麗奈は雄也の手から灰色のパーカーを受け取ると、スポッと自分の頭からそれを着た。
「……おっきいね」
「そりゃあな。俺はお兄ちゃんだぞ」
「えへへ、確かにそうだね」
雄也のパーカーを着てみると、一回り、否、二回りも大きかった。
裾は太ももくらいまで到達し、手は袖口にすっぽり埋まっている。
全体的にダボダボで、オーバーすぎるサイズ感。
でも、それが心地よくて、安心した。
「にしても、麗奈はちっちゃいなー」
からかうように、雄也は笑いながら麗奈へとそう言った。
「……うるさい。一応160はあるんだから!」
「じゃあ、これ届く?」
雄也のからかいに、麗奈が頬を膨らませながら答えると、雄也は自分の手を空へと伸ばした。
ハイタッチを求めるような素振りだ。
「……届いたらどうするの」
「んー、コンビニで何か好きなの奢ってあげるよ」
「ふん。言ったね? 約束だよ?」
「おう、いいよ。届いたらな?」
余裕そうな表情で、雄也は手を挙げている。
麗奈は、その表情を『かっこいい……』なんて少しだけ思いつつ、「ふぅ」と、小さく息を吐いた。
「……えい!」
精一杯手を伸ばし、小さくジャンプをした。
が、目的の手に当たる感覚は無く、麗奈の手には空気の感触だけが残った。
「……もっかい、もっかい!」
「はいはい」
「……んっ!」
二回目の挑戦をしても、麗奈が触れたのは空気だけ。
もう少しで届きそうなのだが。
そんな麗奈を、雄也は微笑ましい表情で見ていた。
「……あともっかい! まだやらせて!」
「はいよ。俺の手はここにあるぞ」
三回目の挑戦――に入る前、麗奈は頭の中で作戦を立ててみる。
ここまでの二回、縦に飛ぶという同じ方法を使用し、同じ失敗をした。このままいけば、三回目もきっと同じだ。
――そう、何かを変えなければならない。
「麗奈? どこ行くの?」
唐突に背を向けて歩き出す麗奈に、雄也は後ろから声をかける。
数秒後、立ち止まった麗奈は、銀髪を靡かせて後ろを向いた。
「――助走をつけるの。バスケの選手みたいにっ!」
瞬間、麗奈が雄也の手に向かって可愛く小走りをする。
それはバスケ選手というよりも、ただ一生懸命な子供のようだ。
そして、雄也の眼前まで来ると、踏み込み、小さくジャンプをしながら白く綺麗な腕を精一杯伸ばした。
「とりゃー!」
――そして確かに、伸ばした手の表面には、もう一つの手の感触があった。
「……お、すごい!」
「……え、触った!? 指がぎゅいーんって伸びた!?」
「どんな表現だよそれ」
まさに、三度目の正直だ。
満面の笑みで、麗奈は喜んだ。
そんな無邪気な笑顔を見て、雄也も微笑ましい表情になる。
「え、でも触ったよね!? ちゃんと触った感覚あったんだけど……」
「おう、確かに触ったな」
「んー、やったあ!」
改めて、成果を麗奈へと伝える。
それを聞いた麗奈は、足踏みをするように可愛く喜ぶと、その笑顔のまま雄也へと近づいた。
「――はい、ご褒美!」
「……え?」
そう言うと、麗奈は頭を下げた。
眼前、白銀のサラサラな髪を備えた小さな頭がある。
雄也の知る限り、それは「頭を撫でて」とお願いする時のポーズだ。
「なでなでして、頑張ったから!」
「いや、でも奢りって……」
「んもう、それは嘘! やっぱりこっちがいい!」
相変わらず子供のような言い分で、麗奈はお願いをする。しかし頬は赤らめ、パーカーの袖口をキュッと握っていた。
「……誰かに見られても、知らないぞ」
「いいもん」
「……そうか」
やけに余裕そうで、しかしどこか嬉しそうな声色の返答が帰ってきた。
とはいえ、外だ。さすがに恥ずかしい。
そして雄也は、麗奈の頭を撫でる――のではなく、その後ろへと手を回し、麗奈の頭にフードをかける。
そして布の上から、麗奈の頭を優しく撫でた。
「――ありがと、ばか」
照れを誤魔化すように、なんとなくからかいを混ぜる麗奈。
反対に、フードを被る麗奈に上目遣いでそんなことを言われた雄也だが、しかし可愛すぎて気にならなかった。
そんな、兄妹同士で頬を赤らめる、コンビニへの道中であった。
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