第16話 兄に言わなきゃいけないこと
こんなにも憂鬱で、心が下降気味な帰り道は初めてだった。
本来、帰宅する事は嬉しいはずなのに。
一歩、また一歩とコンクリートを踏む度に、自宅に近付いていくことが、今は億劫でしかない。
同時に――麗奈への尋問時間も近付いていて。
「あー、くっそ……」
嫉妬に駆られる雄也は、その気持ちをぶつけるように小さい石を軽く蹴りながら歩いていた。
嫉妬の源泉――麗奈の隣を歩いていた男の正体。
涼太の話によれば、"男"としか言ってなかった。
――だが、こうして尋問の時間が近付くに連れて、最悪の思考が雄也の頭を巡っていた。
恋愛とは不思議なもので、心の中に不安材料になる何かが一つでも出来てしまった場合、それは留まる所を知らずに面積を埋めていく。それも、時間が経てば経つほど、どんどんと大きくなって。
だから、麗奈から明確な答えを聞いていないのに、「彼氏だろうな……」と決め付けてしまう思考が、雄也の中にも存在していた。
「……ふぅ」
無意識に立ち止まり、深呼吸をした。
――奇しくもその場所は、麗奈をナンパから救った場所で。
「……ほんっと性格悪いよな、恋愛の神様って」
そう呟きながら、雄也は空を見た。
夢を、見すぎたのかもしれない。
麗奈はそもそも、"学年一のマドンナ"と称されている女の子だ。
だから、雄也と同じように麗奈の事を好きな男の子だって沢山居る。当たり前の事だった。
その、星の数程いる男の子の中から、冴えない陰キャである自分を選ぶわけが無い。
――そう、どんどん自信を無くしていくのが、雄也の性格だった。
「……そうだよな。あんなに可愛い女の子、彼氏くらい居て当然だよな」
涙が出そうな瞳で、空を見上げ続けた。
――そして、全てを受け入れる決意を固めた。
◇◇◇◇◇
「……ただいま」
玄関を開けた雄也は、覇気のない声色でそう言った。
麗奈のローファーは置いてあり、既に帰宅しているようだ。
すると、雄也の声を聞いたのか、麗奈が階段を降りてきた。
「おかえり雄也くん……って、どうしたの?」
露骨に表情が死んでいる雄也に、麗奈は不思議そうに問う。
その、何の悪意も無い問いかけに、雄也は無言になるしか無かった。
だって麗奈は、何も悪いことをしていない。
ただ、自分が勝手に恋をして、勝手に夢を見ていただけなのだから。
――それで勝手に、絶望しているだけなのだから。
「体調悪い……の?」
言葉を発さない雄也に、麗奈は心配そうな目つきになった。
それでも、雄也は何も言わず、ただただ下を向いて、己の絶望と戦っている。
目の前に想い人が現れ、でもその想い人には、推定彼氏の存在が居て。
折角、"付き合いたい"と思ったのに。
陰キャでも、夢を見れると思ったのに。
――そう考えたら、我慢出来なかった。
「ねえ、どうした……んぇ!?」
「……」
「ちょっと……雄也くん!」
「……」
「ねえってば!」
麗奈の手を強引に掴み、階段を上がっていく。
そしてそのまま自分の部屋へと連れ込むと、麗奈をベッドに座らせた。
「……どうしたの? なんか今日様子おかしくない?」
若干頬を赤らめながら、しかし不思議そうな眼差しを雄也へと送っている。
雄也の強引さにキュンしそうになるも、今はそれよりも雄也の様子の方が大事だ。
「……ごめん、無理矢理引っ張ったりして」
「ん、それはいいんだけど……雄也くんの様子の方が今は心配だよ、私」
惰性で動いた事を反省する雄也に、麗奈は本気で心配そうな眼差しを向ける。
その視線を感じ取ると、雄也は持っていたスクールバッグを、立ったまま床に優しく置いた。
「……お兄ちゃんに、何か言わなきゃいけないこと、ない?」
「……え?」
「だからその、妹としての報告というか、そんな感じの……」
「報告……? 何を……?」
皆目見当もつかない麗奈は、つぶらな瞳を細めて思考を働かせる。
しかし、雄也の言う「報告すること」が全く浮かんでこなかった。
「お風呂洗っておいたよ……とか?」
「……え、あ、それはありがとう。でも違う」
「え……じゃあ、雄也くんのプリンも我慢出来なくて食べちゃった……とか?」
「……は!? それは聞き逃すわけにはいかない……けど、それでもない」
「雄也くんの部屋っていい匂いするね……とか?」
「……うん、それは報告というより感想だから受け取っておくけど、違うね」
「え、ええ……」
何とか振り絞り、言葉を紡ぐ麗奈だが、それらを全て拒否され更に混乱した。
そんな、可愛い顔で困り果てている麗奈を見て、雄也は罪悪感と少しの嫉妬を感じると、申し訳無さそうに口を開いた。
「――麗奈って、彼氏出来た……よな?」
言いたくも無かった、想像したくも無かった、受け入れたくもなかった現実を口にする。
出来れば今すぐ部屋から逃げ出して、返答を耳に入れたくなかった。
――それでも、受け止めなきゃいけない現実を受け止める為に、雄也は麗奈の返答を待つ。
そして、返ってきた答えは、想像を裏返す言葉だった。
「――は、え、私に彼氏……?」
あまりの予想外の言葉に、麗奈は目を丸くして雄也の言葉を反復した。
「……え?」
「こっちが『え?』って言いたいよ! どこ情報なの!?」
雄也の反応に、麗奈は頬を赤らめながら返す。
お互いに予想外過ぎる言葉と質問に、雄也の部屋の中にはよく分からない空気が流れていた。
「涼太が見たって言ってたんだけど……」
「鈴木くん……ね。うん、何を?」
「朝、麗奈が一緒に男の子と歩いてたって」
雄也がそう言うと、麗奈は顎に指を添えて、「んー」と言いながら、何かを思い出すような表情をした。
「え、彼氏じゃないの? 本当に?」
麗奈は一言も「彼氏」と言ってないし、涼太も「彼氏」と言ってないのだが、嫉妬に駆られている雄也はついそんな言い方をする。
「本当にって……。そもそも私に彼氏はいません! 一緒に登校した男の子が居るのは本当だけど!」
「うっ……それは本当なんだな」
前半に朗報を聞くも、後半で再び嫉妬の感情が押し寄せる。
「その男の子ってのは、彼氏じゃない……のか」
執拗に、その事実だけを確認する雄也。
その言葉を聞き、麗奈は「ぷぅ」と可愛く頬を膨らませながら、
「だーかーら、彼氏なんか居ないってば!」
頬を膨らませながら、上目遣いで雄也へと怒ると、雄也は「ごめん」と返した。
が、彼氏ではない事が判明した今、もう一つ気になることがある。
「じゃあ、その、誰なんだそれって。言いたくなかったら全然言わなくていいんだけど……」
あまりプライベートな事は聞きたくないが、つい聞きたくなってしまうのが恋愛というものだ。
そうして、少し申し訳なさそうに口を開いた雄也に、麗奈は意外とあっさり返答した。
「――私の幼なじみだよ。雄也くんにも今度会わせたいなーって思ってたから、打ち合わせがてら今日の朝は一緒に行ったの!」
「幼なじみ……か」
「うん、幼なじみ。意外?」
驚く、というか呆気に取られている雄也に、麗奈は微笑みながら問いかける。
「意外っていうか、麗奈って男の子と会話してる所をあまり見ないから新鮮っていうか……」
「んもう、私だって男の子と話すよ。友達ってよりも幼なじみだけどね」
「……そうだったんだ。ごめん、何か変な疑いかけちゃって。本当にごめん」
雄也は麗奈に頭を下げた。
強引に腕を掴んで、自分の部屋へと連れ込んだ反省と、勝手に自分の中で麗奈に絶望していた事へと後悔を含めて。
すると、何故か悲しそうな顔をしている雄也を不思議そうに思った麗奈が――
「――ね、雄也くん。私の隣、座って?」
頭を下げている雄也に、麗奈は自分が座っているベッドをパンパンと叩き、隣に来るように促す。
その、全てを包み込むような優しい微笑みに釣られ、雄也は麗奈の隣へと腰を下ろした。
「お兄ちゃんってさ、妹に彼氏が出来たら不安なの?」
「……いやいや! 不安なんかない!」
「ふーん」
麗奈からの予想外の質問に、雄也は強がって返答すると、麗奈は雄也の顔を覗き込むように返事をした。
「――じゃあ、何でそんなに不安そうな顔してるの?」
「え、してる? してるか?」
誤魔化すように、雄也はそっぽを向く。
が、相手は頭脳明晰な麗奈だ。そんな、レベルの低い誤魔化しの対処法など知っている。
「明日も一緒に行くの、すごーく楽しみだなぁ。彼氏になっちゃったりして」
「明日も一緒に行くの?」
「ほらー! すぐ聞き返すあたり、やっぱり不安なんだ!」
「せこ! うわ!」
まんまと術中にハマった雄也が悔しそうに返事をすると、麗奈は「えへへ」とイタズラな笑みを浮かべた。
「……で、本当に行くの?」
「んもう、行かないよ。今日だけだよ、男の子と一緒に登校したの。普段は一人で行ってる」
「……そうか。良かっ……なんでもない」
「良かったね」
「……」
誤魔化そうと思ったが、普通に聞かれていた事に恥ずかしさを感じつつ、しかしそれは麗奈の優しい微笑みに相殺された。
「――ね、教えて? 雄也くんの中で不安材料になってるのは、何?」
尚も優しい微笑みを浮かべながら、麗奈は雄也へと言葉を向ける。
「良かった」と、無意識に出てしまう程には、雄也の中に不安材料が存在していると思ったのだろう。
恋愛経験が無いからこその純粋な質問だ。
そんな優しい微笑みを向けられて、雄也は何となく――心の堤防が、壊れた気がした。
「……言っても、変だって思っててくれ。俺のエゴでしかないと思うから」
「んーん、思わない。絶対思わないよ、大丈夫」
そうして、雄也は麗奈から目を逸らすと――
「――麗奈を、取られたくないって思ってる自分がいるんだ」
他の男を見て、安心してほしくない。
想い人として、妹として、家族として。
全てに共通する気持ちだった。
「――」
雄也の言葉を聞いて、麗奈の表情は微笑みから驚愕へと変わった。
ただ予想外の不安材料、しかし聞けば、どこか共感出来るような内容で。
雄也の横顔は、いつになく寂しそうだった。
「ごめんな、こんなこと言って。まだまだ家族になって短いってのに。麗奈にもお兄ちゃんを選ぶ権利はあ……」
――自分を卑下する雄也の隣、麗奈はおもむろに体を傾けると、その雄也の言葉を遮るように、腕にもたれかかった。
「――その気持ち、すごーく分かるよ。私たちって血は繋がってないし、本当の意味では兄妹じゃないんだから」
最大限の優しさを孕んだ声で、麗奈は語る。
自分の腕に感じる銀髪美少女の言葉を、雄也は沈黙して聞き続けた。
「同じお母さんから産まれた訳でもないし、小さい頃から一緒に居るわけでもない。だから、雄也くんとの思い出だって無い。それでも……」
「……」
「それでもね、もう今は心のどこかで繋がってる気がするし、雄也くんの『おかえり』って声を聞いたら、すごーく安心するの、私」
「麗奈……」
「本当だよ。いつも『あ、帰ってきた!』って思うし。お父さんがお仕事から帰ってくる時とはまた違う感覚っていうか、なんて言うのか分からないんだけどね。でも、安心するのは確かなの」
「……」
「だからさ――そんなに自信無くさないでほしいな」
冴えない彼に、学年一の彼女が、ただ優しく声をかける。
それでも、腕に寄り添う姿、雰囲気、姿見越しに映る二人の景色は、立派な兄妹で。
「――お兄ちゃんの妹は私だけだし、私のお兄ちゃんは雄也くんだけ。それはずっと、ずーっと変わらない。もし、『誰の妹が良い?』って神様に聞かれたら、私は迷わず『雄也くん』って答えるよ」
二人だけの部屋、否、兄妹だけが居る部屋。
お互いに初めての兄と妹で、慣れないことも沢山あった。
それでも、関係は変わらない。
どんなに不安があっても、二人は"兄妹"だから。
お互いからしか取れない不安要素もあれば――安心要素だって、あるのだ。
――そして、麗奈は露骨に頬を赤らめると、雄也の腕の感触を感じながら、言った。
「――私も、お兄ちゃんのこと、誰にも取られたくないって思ってる。私だけで安心してほしいし、私だけに癒されてほしい。妹なのにこんなお願いするの……変かな?」
たまに不安になるのは、麗奈だって同じこと。
それでも、その姿を見せないのは、頼れる妹でいたいから。その気持ち一心なのだ。
バレない程度の恋心の欲望を混じえて、麗奈は本心を伝えた。
その言葉を聞き、雄也の心の中にあった嫉妬は、すっかりと晴れていって。
気付けば不安そうな表情だったのが、どこか安心感のある表情へと変わっていた。
「……変じゃない。俺も、そう思ってるから。誰にも取られたくないし――俺だけの妹でいてほしい」
その言葉にも、バレない程度の恋心の欲望が含まれていて。
「……えへへ、ありがとう。嬉しい」
「……こちらこそ。色々と心配かけて悪かった」
「ごめん」とは言わなかった雄也は、微笑みながら麗奈の頭を撫でた。
その手に驚いたのか、ぴくっと麗奈の肩が反応したのが伝わってくる。
「あの……頭なでなでしてます……か?」
「……あ、嫌だった? ごめん、やめる」
「嫌じゃない、です……」
「ん、あ、そうか。またよそよそしい気がするんだけど……」
なぜかよそよそしい麗奈を不思議に思いつつ、雄也は頭を撫で続けた。
すると不意に、ある事が頭に浮かんできた。
「……てか、プリン食べたってまじ?」
「……あ、うん。冷蔵庫にホイップあったからかけてみたんだけど、すごーく美味しかった!」
「いや、人のプリンでアレンジするな!? てかその余裕はどこから!?」
「えへへ、ごめんなちゃい。じゃあこの後、二人でコンビニ行こ」
「まあ、それならいいか……」
「ちょろ!」
「なんか言ったか!?」
何故か淡々と犯行説明をする麗奈だが、一応雄也のプリンだ。
が、そんな妹も可愛いので、雄也は怒る気になれなかった。
そして何より、学校では男と絡まない麗奈が、家ではこうして、頭を撫でられる甘えん坊に進化するそのギャップに、雄也は恋心を再び撃ち抜かれた。
まあ、兄だからこそ出来ることではあるのだが。
結局、麗奈の隣に立つ男は、彼氏ではなく幼なじみだった。
そして――近日中に、雄也と顔を合わせる事も確定した。
――――――――
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