第26話 すれ違いとキス


 それはそれは、衝撃的な再会だった。


『元気だったよ』


 その声を聞いた瞬間、私の恋心は嘘じゃなかったって、確信した。

 

 高校に入って、沢山の人に告白された。

 ざっと数十人はくだらないと思う。

 でも、誰一人として、私の目には全く魅力的に映らなかったし、"かっこいい"とも思えなかった。

 だって、みんな告白してくる理由が同じなんだもん。

『なんで?』って聞いたら、


『顔が可愛いから』

『雰囲気が美しいから』

『亜麻色の髪の毛が似合ってるから』


 って答えしか返ってこなかった。

 勿論、嬉しいのは嬉しい。

 でも、その嬉しさが告白を許諾することの決め手になるのかって言われたら、全く違くて。

 

 いや、そもそも。

 私が振り続けた本当の理由は、そんなことじゃない。

 

 ――私にだって、ずっと想い続けてる人がいる。


 そう。中学校から。正確には、中学一年生から。

 ライトノベルを読んでる君も、ぼーっと外を眺めてる君も、授業中に当てられてあたふたしている君も、全部が愛おしくて、大好きだった。

 でも、そんな気持ちに気付けたきっかけが、


『――莉奈って顔は良いけど、性格は可愛くないな』


 なんて、素っ気ない言葉だった。

 それが嬉しくて、嬉しくて仕方がなかった。


 皆がみんな、私の外見ばっかりを気にしてたのに。

 それなのに、君は私の内面の事を言ってきたよね。

 そんな男の子は初めてだった。

 その日から、私の心は君だけに夢中になった。

 君だけに優しくしたい、君だけに本当の自分を見せたい、君だけは取られたくない。

 君だけには――私の内面を見てほしい。

 そんな気持ちがどんどんと肥大していった。

 それからどんどん仲良くなって、沢山話すようになった。

 両想いだったのも確信してる。

 両想いって分かってる時の会話がすっごく楽しかったのも覚えてる。


 それでも、私たちは付き合わなかった。

  

 君が恥ずかしがり屋で、目立つのが嫌いなのも知ってる。

 だからきっと、「好きだよ」って言えなかったんだよね。私から言えばよかったよ。すっごく後悔してる。


 中学二年生、三年生の時は別々のクラスになった。

 それでも、私の気持ちは変わらなかった。

 ――勿論、それは高校二年生になった今もで。

 高校に入っても、ずっとずっと変わらなかった。

 毎夜のように、会いたいなって思ってる。

 寝ようとする度に、頭の中に浮かんでくる。

 告白される度に、君だったらなって思ってる。


 だから――久しぶりに会って、隣にいた女の子が『妹だよ』って言われた時は、本気で安心した。

 同時に、私の恋心も激しく再燃した。

 君がどう思ってるかは分からない。でも、私はあの日からずっとずっと好きなまま。


 ――もう、後悔したくない。


 だから、すぐにでも『好きだよ』って伝える事にするよ。

 君に。――桜木雄也に、ね。


 ◇◇◇◇◇


 三人でご飯を食べた日、そして帰り道に莉奈と会った日から、麗奈の機嫌がずっと悪い。

 悪いというか、最低限の会話ばっかりになってしまった。

 私的な会話をする時は、何故か語尾に「ばか!」と付け足してくる。

 目が合えば「べー」と舌を出してくるし、学校ではその「べー」さえもない。

 まあ、後者に関しては雄也の考えすぎなのかもしれないが、不安が募っていく状態でそれを意識しないというのは酷な事だった。

 流石に期間が長すぎて、雄也の危機感も増してくる。

 そして、本格的に"どうしようか"と悩んでいた矢先に、それは起こった。


 六月も中盤に差し掛かり、梅雨が始まってくる時期。土曜日。

 ベッドに寝転がりながら、麗奈の事ばっかり考えていた雄也の元へ、スマホの通知音が鳴った。


「……ん」


 とはいえ、誰かは分かる。莉奈だ。

 写真を送ってくれたあの日から、莉奈との連絡は続いている。

 正確には、雄也がトークを終わらせようとしても、莉奈が延々と話題を振る、という一方的な会話なのだが。


 莉奈:『そういえば雄也、伝えたいことがあるの』

 

 タップし、トーク画面を開いてみると、そんな事が書いてあった。


 雄也:『伝えたいこと?』

 莉奈:『うん。今から会えない?』


 即レスの莉奈。その言葉に、雄也は「はぁ」とため息を吐いた。

 正直な所、"伝えたいこと"の予想はついている。

 だが、今はそんな事をしている場合では無い。

 麗奈がどうして機嫌が悪いのか、そしてどうしたらそれが直るのか、それしか頭に無いからだ。

 

 でも、一つ思う。

 麗奈の機嫌がナナメになり始めたのは、莉奈と再会した日からだった。

 莉奈のせいとは言いたくない。けど。

 どうしても、麗奈の機嫌には莉奈が関係していると思っていい気がして。

 というか、そう思うのが普通だ。


「……どうすればいいんだ」


 ここで会うべきか、会わないべきか。

 雄也は天井を見ながら悩んでいる。

 麗奈を優先したい。それは当たり前だ。

 かと言って会わなかった場合、現状が変わるとも思えない。

 だとすれば――


「……会うべき、なのかもな」


 漠然と、その答えしか浮かんでこなかった。

 どちらも不正解、そんな気がして。


 雄也:『分かった。遅くならないならいいよ』

 莉奈:『そっか。じゃあ駅前の公園で。待ってるね』

 雄也:『おう』


 すぐに既読がついた後、特に莉奈からは何も送られてこなかった。

 準備を始めたのだろう。


「……ああ。なんかな……」


 やるせない感情を抱きつつ、麗奈を頭に浮かべる。

 同時に、思う。

 こんなにも寂しくなってしまう程に、自分は麗奈を溺愛してるのだ、と。


 それから、複雑な感情を抱えつつ、雄也は身なりを整える。

 姿見で特におかしくない事を確認して、部屋を出た。

 ――それは、部屋を出てすぐの出来事だった。


「……麗奈」


 ドアを開けて、麗奈の部屋の前を通る時。

 壁に寄りかかるように、体育座りをする麗奈がそこには居た。


「……」

「……麗奈、大丈夫?」

「……大丈夫。ちょっとこうしたいだけ」


 麗奈は俯きながら、雄也と視線を交わさずに会話をする。


「……そっか」


 気まずくて、重くて、どこか気持ちの悪い雰囲気が二人の間には流れる。

 すると、麗奈がおもむろに視線を上げて、雄也を見た。


「……雄也くん、どこか行くの?」


 部屋着にしては整えられた格好に、麗奈は言及する。


「……うん、まあ。呼ばれたから」

「……そ、っか。誰にとかは言いたくない?」


 不安そうな眼差しで問う麗奈。


「いや……」


 雄也も、言いたくない訳では無い。

 しかし、言うのが正解なのだろうか。

 言って、更に機嫌を損ねている材料を追加してしまったらそれはもう取り返しのつかない事になる。

 かといって、隠し通すのが最善の策という訳でも無い。

 雄也の頭の中は、ただひたすらに、混乱と困惑と罪悪感で埋め尽くされていた。


「……莉奈ちゃん?」


 すると、まるで雄也の思考を見抜いていたかのように、麗奈がそう言った。


「……そう、莉奈」

「……そっか。そうだよね」


 そう言って、麗奈は再び膝に顔を埋めて俯く。


「……莉奈が、麗奈に何かした? それともやっぱり俺が……」

「……いい。早く莉奈ちゃんの所行ってきて」

「……でも……」

「……私のことはいいの!」


 初めて聞くような麗奈の強い声に、雄也は目を丸くする。

 そして、何も言うことが出来なかった。


「……」


 理由は分からない。でも、莉奈が関係しているのは確かだった。

 とはいえ、だ。

 はっきりと言ってくれないのに、いきなり強い声を出されるのも腑に落ちなかった。


「……何でか、教えてくれないくせに」


 麗奈に背中を向けながら、雄也は言った。

 ずっと、耐えてきた。

 理由を教えてくれなくても、自分の頭の中には麗奈しか居なかった。

 麗奈の事だけを考えて、頭を巡らせてきた。

 理由がわからなくても、どうすれば機嫌を直せるか、どうすれば楽しい日常に戻れるかを、ひたすら考えてきたのに。

 それなのに――何で。

 何で強い口調で、言われなきゃいけないのだ。


「……雄也、くん?」


 お返しの言葉に、麗奈も目を丸くした。


「俺だって、俺だって考えた! 麗奈の機嫌が何で悪いのかとか、どうやったらそれを直せるのかとか、沢山考えたよ!」

「……」

「それでも分からなかった。だから麗奈に聞いたのに、『ばか』とか『ふん』とか言って誤魔化して。それで、何で俺が強い口調で言われなきゃいけないんだよ!」


 雄也も、初めて出した強い声だった。

 肩を揺らして、冷や汗をかいて。

 それでも、仕方の無い事だった。


「麗奈のことばっかり考えてた! それでも……それでも分からなかったんだよ……」

「……っ」


 その言葉を受け、麗奈は奥歯を噛むように、悔しい表情に変わる。

 そして――


「……お兄ちゃんなら、分かってくれるって信じてた」


 ポロポロと涙を流しながら、麗奈は悲痛な声で言った。

 それはどんどんと、怒りへと変わって。


「……お兄ちゃんなら、妹のことくらい理解してくれる思ってた」

「……」

「……お兄ちゃんなら、言わなくたって私の気持ちを察してくれるって思ってた!」

「……」

「私の事なんて……私の事なんて全然わかってない! いつも私ばっかり雄也くんのこと安心させて、雄也くんは私の事なんか気にしてないんでしょ!」

 

 背中で麗奈の声を浴びながら、雄也は立ち尽くす。


「……寂しくなるのは、お兄ちゃんだけの特権だと思ってるの?」


 すると、怒気が混じった涙声で、麗奈はそう言った。


「――」

「お兄ちゃんだけが寂しくなっていい、そんなルールない! 私だって寂しくなるもん!! それくらい察してよ!!!」

「――」

「颯太に会いに行く前の雄也くんだって、そうだったくせに! 自分だけが寂しいなんて……そんなこと思わないでよ!!」


 今にも崩れそうな涙声で、麗奈は言う。

 そして、麗奈はおもむろに立ち上がり、雄也へと近付いていく。

 涙は止まらなかった。

 寂しいって、取られたくないって、気付いてほしかった。

 妹でもあるし――初めて好きになった人だったから。

 こんなにも好きで、仕方ないのに。

 誰にもあげたくないって思ってるのに。

 自分のエゴかもしれない。自分勝手な恋愛観かもしれない。

 男の子と絡んでこなかったからこその、間違ったわがままなのかもしれない。

 それでも、それでも君だけには――兄としての意地でもいいから、私の気持ちに気付いてほしい。


「――」


 そんな想いを乗せながら、麗奈は雄也の頬に優しく――キスをした。

 そのまま顔は見ずに、涙を腕で拭いて、自分の部屋へと戻っていった。

 


 

 一人取り残された階段前。

 頬には、確かに麗奈の唇の感触がある。


「――」


 しかし雄也にとって、今はそんなことどうでも良かった。

 麗奈の涙声、そして、『自分だけが寂しいなんて思わないで』という言葉。

 確かにそうだった。

 麗奈だって、学校では高嶺の花のような女子でも、家に帰れば立派な妹であって。

 何より、颯太に会い行く前、雄也自身も不安だったではないか。


「――」


 ならば、どうするべきか。

 

 ――きっぱりと、はっきりと、莉奈に思っている事を伝えるべきなのだ。

 

 またあの頃のように曖昧にして、勘違いをさせ続けるのも莉奈に悪い。

 そして、雄也は決意した。

 

 七瀬麗奈という"一人の女の子"だけを自信を持って好きになったなら――莉奈との関係をはっきりさせるのが当たり前だ。


 と。

 完全に、片想いのエゴだ。

 それでもいいのだ。

 麗奈はただ"妹目線"で寂しくなっていたとしても、雄也は"好きな人"として麗奈の不安を拭う。

 それでいい。

 些細な自己満足の積み重ねこそ、恋愛なのだから。

 その決意を胸にして、雄也は玄関へと足を進めた。

  

 ◇◇◇◇◇


 未だに新鮮な亜麻色の髪の毛。

 それを備えた見慣れた顔の少女が、ベンチには座っている。

 一歩、また一歩と、その少女へと雄也は近づいていく。

 言われることは分かってる。

 あの頃、お互いに言えなかった事を言ってくるはず。

 でも、自分には今、七瀬麗奈という大切な存在が居るのだ。


「おまたせ」


 座りながら下を向いている少女――莉奈の手前まで着いた所で、雄也は声をかける。

 その声に反応するように、莉奈はおもむろに顔をあげた。


「……あ、意外と早かったんだね!」

「まあ、な。色々あって」

「んふふ、そうなんだ〜」


 そう言うと、莉奈はパンパンとベンチを叩く。

 自分の隣に座って、という要求だ。

 その合図に、雄也は静かに莉奈の隣へと腰を下ろした。


 それから、少しの沈黙が続いた。

 そして、優しい夜風が亜麻色の髪の毛を靡かせるのと同時に、莉奈は口を開いた。


「夜風、気持ちいいね」

「そうだな」

「こうやって二人きりで話すの、何年ぶりくらい?」

「さあ。中学振りだから……二年とか三年とか?」

「そんくらいかあ〜。早いなあ、時間って」


 そんな会話を交わしつつ、二人は夜風を浴びる。

 そして、少々の沈黙の後、再び莉奈から口を開いた。


「……雄也はさ、中学の頃、私の事好きだった?」


 少し照れくさそうに下を向きながら、莉奈は言う。


「うん」


 ベンチに寄りかかりながら、雄也は前を向いて言った。

 そこに羞恥や照れは無かった。


「だよね。……私も好きだった」


 莉奈は下を向いて、再び続ける。

 そして言った後、おもむろにベンチから降りて、雄也の前へと歩く。


「……ん?」


 ジャリジャリと、地面を歩く音が眼前までやってきた所で雄也は目の前にいる莉奈へと視線を向けた。


「……もう、恥ずかしくなる前に単刀直入に言うね」


 頬を赤くさせ、莉奈は言う。

 その言葉に、雄也が「おう」と返事をすると、莉奈は雄也と目を合わせて、言った。


「――私は、今も雄也のことが好きです! だから、付き合ってほしい」


 雄也の耳に届いたのは――予想通りの言葉だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る