第27話 君に恋をした理由


 淡い光を放つ街灯が、二人の高校生を照らしている。

 一人の亜麻色の美少女は頬を赤らめ、もう一人の黒髪の少年は真剣な眼差しで。

 前者は答えを待ち、後者は覚悟を決めている。

 そんな二人の間に流れる空気は、いささか重すぎるのかもしれない。


「付き合ってほしい!」


 もう一度、莉奈は頬を赤らめてそう言った。

 確信に近いのだろう。

 微笑みながら、雄也の瞳を見ている。

 そんな視線を感じつつも、雄也は視線を逸らして、言った。


「ごめん」

「……え?」

「付き合えない」

「……うそ、でしょ?」


 雄也の返答に、莉奈はこれでもかと目を丸くする。


「……嘘じゃない」


 呆気に取られたような莉奈の声色に、雄也の心にも混沌が蔓延る。


「……どう、して? 私のこと、好きじゃなかったの?」

「……っ」

 

 ――"七瀬麗奈"を想い、覚悟を決めてここに来たのに、その言葉は予想以上に重く、厳しく、冷たく、桜木雄也の肩に降り注ぐ。


 そんな気持ちを体現するように、涙声の莉奈の前で、雄也は奥歯を噛んだ。

 

 雄也も、あの頃は両想いであることは確信していた。

 しかし、自分の引っ込み思案な性格故に、伝えることも告白することも出来ずに、中学一年生を終えて。

 そのまま、ずるずると後悔だけを引きずった結果、いつの間にか"莉奈への好意"は薄れていった。

 ――結果、莉奈だけが想い続けていたという、残酷な結末を迎えてしまった。


「……ほんとに、ごめん」

「……そっか」


 本当に、自分は情けないと思う。

 そんな気持ちが最大限籠った声色で、雄也は俯く。

 莉奈を好きになって、沢山話して、思わせぶりな発言だってしてきた。

 当時は好きだったから思わせぶりじゃない、なんてのは、この状況ではただの言い訳でしかない。


「……雄也」


 ひたすらに、罪悪感に打ちひしがれる雄也へ、莉奈の悲痛な声が届く。

 その声に、雄也はおもむろに莉奈へと視線を合わせると、そこにはムスッとした顔で、しかしどこか優しさを孕んだ表情の莉奈が居た。


「……ちゃんと、言って」


 雄也が見た事を確認してから、莉奈は続ける。


「……ちゃんと?」

「ちゃーんーと! ……私だって、何回も聞きたくないんだけど!」


 真意が理解出来ずに雄也が質問すると、莉奈は涙をポロポロと流しながら、儚く微笑んでそう言った。

 そして、莉奈は続けた。


「ちゃんと振ってくれた方が、振られた方は嬉しいよ。だから、言って。好きじゃないなら『好きじゃない』って」

「……莉奈」

「雄也くんが目立つのも嫌いで、人にはっきり言えない優しい性格なのも、全部知ってる。だから、だからこそ言わせてもらう」


 そう言うと、莉奈は「ふぅ」と、小さく息を吸った。

 同時に、瞳には潤いが増していく。


「はっきり言ってくれないと……私はまた、雄也の事を好きになっちゃう……から」


 涙を最大限に堪えながら、莉奈は言った。


「だから……言って……?」


 すん、と、雄也の心に莉奈の涙声は落ちていく。

 莉奈においても、麗奈においても、そうだった。

 はっきりと言えないから、自分に自信が無くて言い訳ばかりをしてたから、莉奈もこんな気持ちにさせて、麗奈もあんな気持ちにさせてしまった。

 ならば、今すべきこと。

 そして、伝えるべきことは何なのか。

 それは――


「俺は……俺は、麗奈が好きなんだ」

「……へ?」


 返答に、莉奈は目を丸くする。


「麗奈って……あの、麗奈ちゃん……?」


 莉奈の知る限り、麗奈は妹だったはず。


「おう。あの麗奈だ。俺の妹の」


 真っ直ぐな瞳で、雄也は言う。

 しかしその言葉に嘘は無いこと、それは莉奈でも容易に理解出来た。

 振られた衝撃と、信じ難い事実に言葉を失う莉奈。

 そんな莉奈を見て、雄也は続けた。


「妹に恋する兄貴なんておかしいって、言われると思う。ありえないって言われると思う。再婚相手の連れ子に恋するなんて最低だって……言われると思う」

「……」

「しかも麗奈ってさ……学校でも"マドンナ"って呼ばれるくらいには、他の男からも魅力的に映ってる女の子なんだよ」

「……」

「だから、俺みたいな、目立つのも嫌いで、自分の気持ちも素直に伝えられないような男が好きになっていいのかなって、たまに思うんだ。それでも……」


 今さっき振った相手にこんなことを聞かせるのは、酷だ。

 それでも、雄也が自分の殻を破るには、"はっきり"させるには、こうするしかなくて。

 何より――莉奈の内心は、それを求めていた。


「……怖がらないで、言ってごらん、雄也」


 目には涙を浮かべて、しかし笑顔で、莉奈は言う。

 その言葉を聞き、雄也は言った。


「それでも俺は、"妹"でも"マドンナ"でもなくて、"一人の女の子"として、麗奈が大好きだ」


 恥ずかしかった。でも、何故だか心地よかった。同時に、少し悔しかった。


 涙を軽く拭きながら、莉奈はその言葉を受け入れる。

 そして、ニコッと小さく笑うと、静かに雄也の隣へと腰を下ろした。


「……嬉しいよ、私。ちゃんと言ってくれて」


 儚い声色で、莉奈は言う。

 莉奈の言葉に、雄也の瞳にも段々と涙が浮かぶ。


「……ごめん、本当に。俺があやふやにしてたせいで」

「なんで謝るのさ。ちゃんと言ってくれたじゃん」

「……でも、それでもだよ……」


 ひたすら、謝ることしか出来なかった。

 自分があやふやにしていたから、莉奈に悲痛な思いをさせてしまった。

 すると、莉奈は「ふぅ」と一息おいてから、空を仰いだ。

 雄也の涙には気付いていない――否、気付かないフリをして。


「じゃあさ、謝罪の代わりに、私と一つ約束しようよ」


 空を仰ぎながら、莉奈は言う。


「もう後悔しないように、ちゃんと麗奈ちゃんに伝て。『好きだよ』って」

「……莉奈」

「麗奈ちゃんも、すごく雄也の事好きそうだったし。お兄ちゃんとしてなのか、恋人としてなのかは分からないけどね。だから、言ってあげたら麗奈ちゃんも安心するんじゃないかな」

「……そう、だな」

「ちょっと、その申し訳なさそうな感じもうやめて!? はっきり振ってくれたんだし私はもう大丈夫だから」

 

 本当に、莉奈はすごい人だと思う。

 見習うべき所が沢山あって、振られたのにも関わらずこうやって前を向いて。

 自信を無くす自分が、どれだけ情けなくて、弱々しい人間だったかを、雄也は痛感させられた。

 思えば、麗奈と家族になる前も、そうだった。

 自分は冴えない男で、目立たない陰キャだったからと言い訳して、恋する麗奈にはアピールすらしなかった。

 そして、雄也は思う。

 しなかったんじゃない、出来なかったんだ、と。

 だから――もう、前の自分は捨てなければならない。


「……約束、守ってよ。ちゃんと」


 決意をする雄也に、莉奈の声が届く。

 そして再び、莉奈の声には涙が篭もる。

 しかしそれは、悔しさではなく、未練を振りきった嬉しさからだった。


「……分かった。ちゃんと伝えるよ。『好きだ』って」


 もう、前の自分は捨てた。

 決意が籠った声で、雄也は言う。

 その声と言葉を聞いて、莉奈は「んふふ」と微笑むと、


「破ったらどうする?」

「……え?」

「約束でしょ。破ったらどうする?」

「……破ったら?」


 破ることは、ない。

 とはいえ、莉奈は本気で知りたそうに雄也を見ていた。


「……そうだな、どうしよう」

「じゃあ、やっぱり私のこと好きになってよ」


 そう言う莉奈の声は、今までで一番儚かった。

 目を丸くする雄也を見て、莉奈は再びニコッと微笑むと、

 

「んもう、嘘だよ嘘! 約束破ったら、私がビンタしに行くからね。分かった?」

「……分かった。そうする」

「んふふ、じゃあ私帰るね。またね! ぶい!」


 そう言って、莉奈はおもむろにベンチから立ち上がり、雄也にピースサインを送る。


「じゃあ……な」


 雄也もそのピースサインに応じるように、自分もピースを作って莉奈へと向けた。

 にひっと、満面の笑みの莉奈。その顔に、後悔は無い。

 そんな表情を見て、雄也は何を思うだろうか。


 ジャリジャリと、小さな音が鳴るに連れて、莉奈のフォルムは小さくなっていく。

 小さな背中、しかしどこか大きい背中だった。

 そんな時だった。


「――莉奈!」


 咄嗟に、雄也は莉奈の名を呼ぶ。


「……ん?」


 その声に反応するように、莉奈が雄也の方へと向いた。


「……本当に、ありがとう。"麗奈"を好きって言った時、ちゃんと受け入れてくれて」


 妹を好きになった、なんて聞いた時、世間はどう思うのだろうか。

 不埒か、軽はずみか、低俗か。

 きっと、似たような事を思われると思う。

 でも、莉奈は受け入れてくれた。


「んふふ、当たり前でしょ! なんで受け入れないと思うの? むしろ応援する気まんまんだよ!」


 そう言って、莉奈は胸を張るようなポーズをする。

 

「いや……その、やっぱ妹だし。一応、家族だから」

「ばーか。雄也が言ったんでしょ、"一人の女の子"として好きだって」


 振り返ることなく、莉奈は言う。

 そして、続けた。


「私は……雄也のそういう所に恋をしたの! だから、私は"おかしい"なんて思わないし、誰にも"おかしい"なんて言わせない。絶対に」

「……莉奈」

「そういうことだから! だから麗奈ちゃんの事も――自信持って、大好きになるんだよ」


 言うと、莉奈は雄也の方へ振り返る。


「じゃあ、バイバイ」


 可愛く手を振ってから、再び雄也に背を向けて歩き出す。


「悔しいけど、ね」


 そして。

 すーっと、一滴の涙を頬に伝わせながら、莉奈は雄也に聞こえないように、そう呟いた。

 

 

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