第21話 七瀬麗奈という女の子


「もう、止まっちゃったかな」


 七瀬麗奈、中学三年生。

 自宅の鏡の前で、彼女は自分の胸を触りながらそう言った。

 成長期に入れば、体には変化が出てくる。

 出るとこが出たり、その他諸々の。

 それは形成として当たり前の段階であり、人間ならば誰しもが通る道だろう。

 そして――心の成長も、その一つだ。

 あの子が可愛い、この子がかっこいい、あの人が美しい、あの人が素敵な顔。

 相手の内面的な要素よりも、外面的な要素に視点を合わせがちなのも、立派な成長の一つ。

 それも、人間誰しもが通る道であり、考え方だ。

 

 ――そんな事は、彼女自身もよく理解していた。


 しかしそれは、受け身の立場だったらどうだろうか。

 

『あなた、可愛いね』

『君、美しいね』

『七瀬さんは、本当に素敵な顔だね』


 最初は、自信になった。

 嬉しかったし、沢山言ってほしいくらいだった。

 でも、いつからだろうか。

 そんな言葉たちに――少し不快感を覚えてしまったのは。


『――マドンナは、今日も可愛いね』


 気付けば、それは一番嫌いな言葉になっていた。


 ◇◇◇◇◇


 それは、中学一年生の頃だった。


「七瀬麗奈さん、俺と付き合ってください!」


 放課後の体育館裏、マフラーで首を包む麗奈に、ある男子生徒が右手を差し出した。

 寒風が吹きながらも、その言葉は淀むことなく麗奈の元へと届く。

 入学して八ヶ月ほど経った頃で、正直、麗奈は告白される事にも慣れていた。

 ――こうして、関わった事の無い人から、告白されることに。


「あの、私たちって面識無いと思うんだけど……」

「それでもいいから!」


 良くない、絶対に。

 恋愛経験が無い麗奈でも、それは分かる。

 付き合うという行為は、お互いが好き同士で初めて成立するのだから。

 しかし退こうとしない男子生徒に、麗奈は問う。


「そもそも何で、私なの?」


 至極単純な質問だった。

 関係も無ければ、話したことすらない。

 そんな相手のどこに惹かれ、どこを好きになるのか。

 もう、この手の質問は何回もしている。

 その度に――返ってくる答えは、変わらなかった。


「マドンナだからです!」


 浅く、薄っぺらい内容の返答が、秒速で麗奈の耳へと入る。

 

 "お前が振られたら次は俺が告白する番な!"

 

 と、まるで告白する順番を決めているかのように、男子達の理由は同一していた。


「――」


 男子生徒からの返答に、いつもの様に、麗奈は言葉を失った。

 否、この日だけは、失うというよりも。

 もう――呆れてしまったのかもしれない。


「無理? さすがにマドンナは無理ですか?」


 そんな麗奈の気持ちなど気付かずに、男子生徒は同じ様な口振りで交際を求め続ける。

 しかし麗奈は、その言葉には返事をせずに立ち尽くしている。

 その元凶。それは勿論、"マドンナ"という言葉がのしかかる重圧からだった。


 思えばここ最近になって、男子達の対応やら目線やらが、露骨に変わっていた。

 

「おはよ!」と、笑顔で目を合わせようとして伝えても、相手は露骨に逸らし、半ば無視のような形で通り過ぎていく。

 仲の良かった男友達に、「遊ぼ!」と誘えば、「俺には無理だ。麗奈はマドンナだから」なんて、聞いた事も無い理由で断られる。


 ――もう、我慢の限界だった。


 どうすれば、楽になれるのだろうか。

 今、頭を下げてこちらに手を差し出している男子生徒の手を取れば、偽装結婚のような形で楽になれるのだろうか。断じて、否だ。

 私はマドンナです、と、嫌でも無理矢理認めれば、いずれ受け入れられるようになるのだろうか。それも、断じて、否だ。

 だとすれば――


「――無理。もう話しかけてこないで」


 出したことの無い、本心が籠った低い声で、麗奈は残酷な答えを口にした。

 ――この男子生徒を、否、男子を、突き飛ばすしか方法は無かった。


 その日から、麗奈の学生生活は大きな変化を迎えた。

 男子生徒に話しかけられても、過度に反応せず、最低限のアクションだけで済ませる。

 勿論、自分から話しかけることはほとんど無くなった。

 あると言っても、最低限の学校での業務連絡のようなものばかりで、プライベートな話や交友的な話は一切しなかった。したくなかった。

 最初は辛かった。それでも、割り切るしか無かった。

『マドンナ』と呼ばれて神格化されるなら、自分から関わらない方がマシだったから。

 唯一会話を交わす颯太でさえにも、冷たくした。

 それでも、男子達の『マドンナ呼び』は、収まらなかった。


「……」


 今日も今日とて、下駄箱に入っている手紙。

 内容は勿論、『体育館にきてください』という内容だ。

 しかしそれも、守らなくなった。行かなくなった。

 だから、彼氏なんて出来たこともないし、好きな人さえ出来た事がない。

むしろ男子には嫌悪感が募るばかりで、絡みたくない気持ちの方がどんどんと強くなった。

 ――どうせ誰も、一人の女の子として見てくれないのだから。 

 

 ◇◇◇◇◇


「これが私の恋愛事情と、男子に関わらない理由だよ。彼氏も出来たことない!」


 そう言って、麗奈は届いたドリアをはむはむと口に運んだ。

 実際には色々と端折った部分はあるが、大体の事は雄也達へと伝えた。


「……割と重めだな」


 麗奈の話を聞いた雄也が、苦笑しながらポツンと漏らす。

 確かにそれなら、麗奈が男子に対して毛嫌いをしていた理由に合点がいく。

 意外だったのは、恋愛未経験という部分だ。

 これ程の美貌があるならば、一人や二人居ると思っていたのだが。

 とはいえ、颯太はその理由を知っていたので、どこか退屈そうに話を聞いていた。


「まあ、兄貴なら『マドンナ』なんて呼び方はしないだろうけどな。一応忠告しとくぜ。麗奈は怒らせたらやべーぞ」

「やばい……? どんな感じで?」

「まじで一言も話さなくなる。無視。鬼だよ鬼」

「もう、私が怖いみたいな言い方しないで! 冗談でも嫌だったんだから!」


「むぅ」と頬を膨らませながら、麗奈は颯太へと怪訝な目線を送った。

 それに対し、颯太が「わり」と、軽く会釈をした。


 ここまでの会話と麗奈の語りで、大体の麗奈事情は把握出来た。

 しかし、雄也が知りたいのはそこでは無い。

 まあ、そこも知っておくべき事ではあったのだが、この質問コーナーの目玉はまた別なのだ。

 すると、その事について雄也が口を開く前に、颯太が先に口を開いた。


「じゃ、次は恋愛コーナーな。麗奈の取扱説明書は十分理解しただろ、兄貴さん」

「おう、そうだな。そうしよう」


 都合の良いタイミングだったので、雄也も迷いなく乗る。

 麗奈は何となく恥ずかしそうだ。

 そして、待ちに待った恋愛コーナーが、始まった。


「麗奈の好きなタイプってのは何だ?」


 先に口を開いたのは、颯太だ。

 その問いに対し、麗奈は「うーん」と指を顎に添えた。


「そうだなぁ――お兄ちゃんみたいな人がいいかも」

「……ぶ」


 麗奈の想定外の答えに、雄也は飲み物を吹き出しそうになる。

 答えとしては成立しているのだが、さすがに心臓に悪かった。

 というか、兄の前なのだからもっと他の回答があったろ、とは思う。

 とはいえ、本当は嬉しいのでそんな事は言わないのだが。


「お兄ちゃんって……麗奈ってまさかブラコンだったのかよ」


 その答えを聞いて、颯太は別の意味で目を丸くしていた。

 すると、麗奈は途端に頬を赤らめ、それを全力で拒否した。


「え、あ、いやいやいや! ブラコンって言うわけじゃないよ!? ……まあ、雄也くんは好きだけど」


 流れに乗じてそう言えた麗奈の頬は、嬉しそうに赤く染まっている。

 それを聞き、再び飲み物を吹き出しそうになった雄也は、少し喜びに浸ってから、次の質問へと移った。


「麗奈ってさ、何されたら嬉しいの?」

「嬉しいって? 恋愛的なことで?」

「うん。そう」

「えーなんだろう、よく分からない。でも……」

「でも?」

「……なんか、うん。嬉しいことされた時は敬語になっちゃうっていうか、恥ずかしくなっちゃう、かも」

「な、なるほどな」


 またしても予想外の言葉に雄也は驚く。

 口振りからも、麗奈は本当に自分から恋愛をした事が無いのだろう。

 しかし敬語になってしまうとは、何とも可愛らしい反応である。


「本当に恋愛してこなかったんだな、麗奈って」

「ん、まあね〜。自分からそうしてたんだけどね」

「理由が理由だしな。仕方ないと思う」

「んふふ、ありがと、庇ってくれて」


 そう言うと、麗奈は雄也に可愛い微笑みを向ける。

 

 ――そして、またしても露骨に頬を赤らめて下を向いて、


「――今は、初めて恋愛してるけどね」


 と、恥ずかしそうに呟いた。


「……え、今なん、て?」

「……何つった!?」


 その言葉に、男二人は逃さず反応する。

 颯太に関しては立ち上がる程に驚いていた。

 聞き間違いじゃなければ、麗奈は今、確かに「恋愛してる」と言った。


「……だから、今は恋愛してるって」


 やはり、聞き間違いじゃなかったらしい。

 そして、その言葉が意味する事。

 それは、雄也でも、颯太でも、麗奈に恋する全ての男の子でも、容易に分かること。

 答え合わせをすべく、雄也は口を開く。


「……まさか。麗奈には好きな人がいる……のか?」


 焦るような視線を、麗奈へと送った。

 そして麗奈は、オレンジジュースを一口飲んでから、


「――うん、いる。すごーく大好きな人」


 頬を赤らめて、そう口にしたのだった。

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