第17話 キツネのお客様

 境内の梅が満開となり、春の兆しを感じる頃、突然そのキツネがやってきた。


参道では獅子と狛犬が威嚇していたが、まったく気にすることなく、ひたひたとちいさな足音を立てながら境内を進む。


「ゆかり様! ご注意ください!」


狛犬の声に私は拝殿の扉を開けて境内を見渡した。


「あ、キツネだ。かーわいー」


「そいつぁタダモンじゃありませんぜ、お気を付けください」


「えーかわいいキツネじゃない。どちたの? 迷子?」


キツネは参道の端まで近づくと、すっと立ち上がり頭を下げた。


「お初にお目に掛かります。わたくし、街の稲荷を取り仕切っておりますウカノミタマノカミ様の神使、仙狐の八重と申します」


「あ、ご丁寧に。私は白蛇山神社の白蛇山大神です。はじめまして~」


「あぁ、あなた様が主祭神様でしたか。

早速ですが、人々が信心を無くしつつある世にも関わらず、白蛇山大神様の神社がとても発展されていることを知りました。

私どもといたしましてはお近づきになりたいと考える次第にございます」


「ゆかり様、この神使、提携を求めておられるようです」


狛犬が私に小声でささやく。

獅子と狛犬には私のことは白蛇山大神じゃなく、ゆかりさんと呼ぶように話してあるが、『様』はどうしても付けさせて欲しいと言われ、好きに呼ばせている。


「提携? どういうことなのかな。ここじゃなんだからどうぞあがってください」


「はい。それでは失礼して、ぬぉおお」


八重が驚くのも無理はない。


拝殿の中は神界の領域となっていてふかふかの絨毯、ソファーセット、ツインベッドにテレビ。

テーブルの上には一升瓶と飲みかけのお酒。つまみにチョコとサラミが並んでいた。

十畳の拝殿に二人ときりで住むのは手狭だが、長いアパート暮らしの癖だ。狭い方が落ち着く。


「あ、そこのソファーに座ってくださいな」


「驚きました、神が新しいとこうも部屋が変わるものなのですね」


「そんなに違います?」


「うちは寝殿造りですので」


「平安貴族か。ま、まぁ普通はそうなのでしょうけどね。そうだ、夜食に買ってあったおいなりさんがあるんだ。八重さんお好きですよねっ、ねっ」


「ええっ、それは、是非っ!」


いなり寿司があるときにキツネが来るってなんという幸運なんでしょう。

はやく食べさせてみたいぐふふ。


「わたしは呑み始めちゃったからおつまみがあればいいんで、どうぞ遠慮無く食べてください」


透明パックに入った五個入りのいなり寿司を出してあげた。


「あの、獣姿ではお見苦しいかと思いますので、人の姿になりますね」


「キツネさんの姿でもよろしいんですよ~。でもどうぞお気軽になさって」


「それでは」


八重の姿が靄に包まれ美しい巫女姿となった。

長い黒髪はつややかに光っている。古風なべっ甲のメガネをかけたちょー仕事ができる感じの巫女だ。


八重はいなり寿司を一つ手に取り、生唾を飲み込む。


「では、いただきます。はぐっもぐもぐごっくん。おっおいひい~


こんな美味しいいなり寿司は食べたことがありません。

香ばしい油揚げは固すぎず、一口食べると何の抵抗もなくかみ切れるし、中のお米にはつゆが染みているのにばらけない。


すべてにおいて完璧ですっ!

これって、こちらの村でご購入されたのですか」


「まぁまぁ、口の周りをお拭きなさいな。

村のお団子屋さんで作っているんだけど、本当においしいのよ」


八重は口の周りにいなり寿司のつゆをべったり付けてテーブルにある残りを凝視している。

キツネの姿で食べるのとどこが違うのだろうか。


「はい、ティッシュどうぞ」


「あ、ありがとうございます。はぁぁぁ、なんという柔らかな懐紙なんでしょう」


「ティッシュですよ、どんどん使ってください」


八重は口の周りを拭いたティッシュを広げてきれいにたたみ、懐にしまっている。


(あぁ、かわいいなぁ、この子はどんな世界から来たんだろぅてぇくらい世間を知らないねぇっ)


「どうぞどうぞ、遠慮なさらずお好きなだけ食べてくださいな」


「はいっ、いただきます! はぐっ、ぐぅぅ。美味しいっ~」


「おっ、誰ぞ来ておるのか?」


山神が風呂上がりのパジャマ姿で戻ってきた。

うちの神社には神界エリアに檜風呂があるのだ。


「うっ! うぐっんぐっ」


「八重さんっ大丈夫? ほらこれ呑んでっ」


コップの日本酒を一気に飲み干した八重はうっとりとした瞳をしてコップを握りしめている。


「はっ、まさか、なぜここに御山の白蛇が」


「あぁ、今は私と合祀されているんですよ」


「ええぇぇっ、だってっ、神をも破る神敵で、えっえっ?」


「そんな昔の話を出されてものう。わしはのんびり暮らしておる。

ここは快適じゃ」


「そうでしたか。取り乱してしまい失礼いたしました。

わたくしは街の稲荷からやってきました。神使の八重と申します」


「うむ。歓迎するぞ」


「ありがとうございます。

あまりに美味しいいなり寿司に久しぶりの神酒、勢いのあるお社は違いますねぇ。いいなぁ、いいなぁ」


気付けに呑ませた酒が効いているのか、できるオンナが色っぽいオンナに変わっている。


「それほどでもないですよ。まだ神域だってこの村だけですから」


「八重よ、その神域の話をしに来たのじゃろう。やはり街の社は呑まれつつあるのか」


「ふぁい。人の生活圏に取り囲まれ、社だけが残る我が神の社は五十年前にウカ様が旅に出られて以来わたくしが取り仕切っておりました。

わたしひとりなんですよぉ。


神不在になった時、隣町の天津神が摂社関係を持ちかけて神域の融通をしてくださったのですが、実は氏子の引き抜きが目的だったんですぅ。

しかも、うちを摂社じゃなくて末社にしてるみたいなんですよー。

ウカ様にどうお詫び申し上げたら良いものかと、ふぇぇん」


「ウカ様か、以前の山の神が話しておった。

神社の危機を高天原にお伝えし、神域の再構築をお願いするため留守にするとか。まぁ、呑め」


山神が真面目な話をしているように見せかけ、八重が酔う姿が面白いらしく、時々酒を勧めている。


「高天原に異動をお願いして千五百年掛かったって前の山の神が言ってたよ。

五十年かぁ。もう少しかかるかも……ね」


「千五百! もうむりぃ~我らの社はあと十年と持ちませんよー。そこでお願いにきたんですぅ」


「提携関係を結ぶってことね。私はいいけど、稲荷神社って神階は正一位しょういちいだけど」


「どれだけ勧請かんじょうしてるとおもってるんでしゅかぁ、関係ありません!」

(ちなみに三万社ある)


「わしはかまわぬぞ」


「じゃ決まりね。摂社ということになるのかな」


「はぁい、おたがい摂社としてみなさんと、ウカさまをおまつりくださいませ~」


「正一位のウカ様を摂社か、ほんとに大丈夫なんだよね、怒られない? それでよろしければ、是非提携いたしましょう」


私達は固い握手をした。手が油まみれになった。


山神は冷蔵庫から出してきた冷酒をきれいなグラスに改めて三人分注いでくれた。


「この山に客は珍しいのじゃ、まあ、色々話をきかせておくれ」


「白蛇様にお注ぎしてもらっちゃったぁ、恐縮でありますっ!」


八重は立ち上がって敬礼している。


「まあまあ。ではかんぱーい」


酔っ払った八重から聞き出した話では、街は恐ろしく早い変化をしているとのことだった。


神社の敷地は古くからの宮司に売り払われ、人が間近に住むようになり今は社の周りに一切の土地が無いらしい。

それでもまだ地力は光を残しており、古くから稲荷に仕える八重は地力を得て神通力を発揮し地域を守っているそうだ。


しかし、元々あった鳥居の内側まで人が住み着き神域は消えて、稲荷を末社に入れてしまった天津神の神域が侵略してしまったという話だ。


「最近はウカノミタマノカミ様っていうおなまえより稲荷大明神のほうが通ってるみたいでぇ、神棚に祀ってくれないんでしゅよぅ」


「そこへきて天津神のTOBがかかったってことか」


「それも世の流れ。なるようにしかならぬて」


人の発展に神はあらがえないと知っている山神はクールだ。


「山神様はそう言いますけど、神様同士仲良くやっていきたいじゃないですか」


「おぬしならやれるかもな」


「八重さん、ほかにも提携を結べそうな社ってあるの?」


「ありまぁす! 街のおやしろはみいんな神使だけでどうやって生き延びたらいいのかわからなくなっちゃってぇ」


「神使だけって。そうか、本当に地力だけで存在しているのね」


「はい。わたしたちばかりお願いしちゃってごめんなさい。ぐすん。


みぃんな神様がいなくなっちゃって、ゆかりちゃんと山神様の神社にまもってほしいの」


意訳【神のおわす白蛇山神社の勢力下となれば、天津神へのけん制になると考えているのです】


「ですね。それでは友好的に提携出来そうな他の神使に声を掛けて貰えないかな」


「おまかせあれぇ。これでもぉわたくしはぁ、街の神使会会長ですので! えっへん」


「そーゆーのがあるんだ」

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