「ボーはおそれている」(2023)

 タイトル通り、主人公ボーはいつも何かにおそれている。何者かによって常に脅かされているのである。例えば、何も音を立てていないのに「静かにしろ」と書かれたメッセージが何通も届けられたり、近くのドラッグストアまで行く途中に暴漢が追いかけてきたりする。まるで全宇宙が悪意をもってボーを弄んでいるかのようである。ただ、それはどこか妄想的であり、悪夢的である。


 ボーの恐れの根源は彼の母親である。社会的に成功して、女手一つでボーを育ててきた母親はボーに対する支配欲が途方もなく強い。精神的自立・経済的自立・性的自立のすべてが母親の手に握られている。おそらく、先述した被害はボーの妄想であり、ボーが日ごろなにかに恐れを抱いているのは、母親に自立させてもらえないからなのである。


 そんな母親の死亡通知が届くところから物語は大きく動く。精神的支柱をうしなった彼は、自分の力だけで親の葬式まで行かなくてはならなくなる。それなのに、世界がまたしてもあらゆる方法で彼を目的から阻む。自動車にひかれて医者の一家に囚われ、そこの娘に連れまわされ、森林で暮らすコミューンに誘われ……。こうした数々の苦難は、彼が自立のために必要な試練として登場する。


 絶対的な親に立ち向かうというテーマは、ギリシア神話のエディプスの話をはじめ数多くの物語にみられる。こうした作品では、親あるいはその代わりとなる人物に、主人公が立ち向かっていくことで「親殺し」を果たす。「親殺し」は大人になるための通過儀礼であり、そうすることで主人公は成長を遂げ、物語は晴れて幕を閉じるのである。


 一方で、「ボー」は簡単には「親殺し」をさせてもらえない。最後にとんでもないどんでん返しが待っている。彼のもがき苦しんだ人生の旅がどういう結末になるかは、本作を見て確かめてほしい。きっと度肝を抜かれるに違いないから。


 先ほど「妄想的」「悪夢的」という言葉を使ったが、本作はそういう非現実的な雰囲気につらぬかれている。飛び降り死体が誰からも片付けられないまま放置されたり、全裸のオッサン殺人鬼が出没したりするのである。特に「屋根裏部屋」のシーンなどはその最たるものだ。このリアリティの失われた感じ――それが本作に独特の雰囲気をもたらしている。


 以上見てきたように、本作はとてつもない映画である。好き嫌いははっきり分かれることだろうが、映画に対して未知の冒険を求めてやまない人、とにかく怖いものが好きな人、心理学に造形の深い人などは必見。これまでにない感覚を味わえることを保証します。

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