「ゴジラxコング 新たなる帝国」(2024)
怪獣同士が会話するシーンが本作にはあると言ったら、あなたは笑えるだろうか。笑えるのだとしたら鑑賞のさいは気持ちを切り替えてほしい。本作はただの怪獣映画ではない。善神と悪神の戦いをえがいた叙事詩なのである。
本作は、『GODZILLA ゴジラ』『キングコング:髑髏島の巨神』と続く『モンスター・ヴァース』のシリーズ最新作に位置づけられる。
とはいえ、鑑賞にさいして予習は特に必要なく、「巨大生物がいることが明らかになった世界観」だという点だけ押さえておけばよい。
物語は、怪獣研究組織モナークが、地下世界と地上で異変を発見するところから始まる。それはやがて巨大怪獣たちの壮絶な戦いへとつながっていくのだ。
なぜ監督のアダム・ウィンガードは怪獣同士が会話するシーンを盛り込んだのだろうか。それは、日本とアメリカでは怪獣への捉え方そもそも違うからなのである。
日本人にとっての怪獣は「自然破壊の影響で巨大化した生物」といったものであり、そこには物悲しい雰囲気が常につきまとう。
一方で、アメリカ人にとっての怪獣はもっとシンプルに「神」の一種である。アメリカ人は映画に新話をもとめてしまう傾向があり、本作もその例外ではないのだ。
この映画を見て日本人が違和感を覚えるとしたらその認識の差によるものなのだ。
本作の怪獣たちは知的生物として設定されている。コングもゴジラもモスラも人並みとは言わないけれど、知的にも情動的にもある程度発達しており、相互にコミュニケーションが可能になっている。
巨大な知的生物――それは端的に言って神である。そう、本作の怪獣はすべて神様なのである。
怪獣同士がコミュケーションを取り合うシーンは、噴飯物のコメディになる危うさを秘めている。ところが、それが神々の語らいであるととらえたとしたらどうだろうか? 映画は途端に神話的な色合いを帯びてくるではないか。
ところで、なぜアメリカの聴衆は映画に神話的な物語を求めるのだろうか。アメリカ・シカゴ出身のコメンテーター、デイブ・スペクターは以前本国でのスターウォーズ人気を解説する際、「アメリカ人は歴史の新しい国なので特有の神話を持っていない。だから神話的な物語に飛びつくのだ」ということを語っていた。
となれば、本作もそうしたアメリカ人の文化的な欲望によって作られたものとしてとらえることができるだろう。
コングにゴジラ、そしてモスラ。彼らは正義を司る善神である。対するスカーキング(本作に登場する悪いコングだ)は正義を乱す悪神。両者が激突するバトルシーンは圧巻の一言で、リオデジャネイロを舞台に派手な都市破壊が繰り広げられる。
筆者はIMAXで見たのだが、怪獣のうなり声と画面を所狭しと暴れるコングたちのアクションシーンに胸を打たれっぱなしだった。
ここまでつらつらと書いてはきたものの、コングやゴジラのどこか人間じみた表情や仕草はやっぱりかわいい。かわいらしくかっこいい怪獣たちを愛でながら、このアメリカ産の『神話』を楽しんでほしい。
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