映画感想百篇
馬村 ありん
1~10本目
「オッペンハイマー」(2023)
ただただ圧倒され、見終えたときには言葉も出ずにボーっとしてしまう。そういう映画がある。
クリストファー・ノーラン監督の最新作「オッペンハイマー」は間違いなくそういう種類の映画だ。
作品は、オッペンハイマーの伝記映画である。公聴会のシーンを主軸としながら、フラッシュバック的に、あるいはエピソード的に、オッペンハイマーの幾多の記憶がひもとかれる。
無数の記憶が積み上っていくのは、さながら記憶のパッチワークが編み上げられていくかのようだ。そのようにして、オッペンハイマーそのひとの人物像がいつのまにか観衆の心にあぶり出されていく。
原爆開発も、オッペンハイマーにとってはあくまで人生の一部分であり、映画のテーマそのものではない。
もちろん、それが映画の白眉であることはいうまでもない。彼は仲間を集め、軍の連中を説得し、ひとつのものを作り上げていくのだが、その情熱の高さに観衆は胸を打たれるだことろう―-日本人としては心中複雑だが。
特に、トリニティ実験のシーンは、観客に強い衝撃をもたらす。まばゆいばかりの閃光、爆風。これは地球の消滅の可能性をごくわずかに秘めていたが、それでも実行されたのだ。
繰り返すが、映画が描くのはオッペンハイマーの個人史である。あくまで人間・オッペンハイマーそのものがテーマなのだ。
そこには不貞な女性関係があり、結婚生活があり、学者同士の友情物語があり学生生活がある。
作中にもあるが、『天才とは紙一重』で、損になるとしか思えない行動も彼は平気で実行する。
当時のアメリカでは御法度な共産主義との接近をしたり、妻を持ちながら他の女と浮気する。核開発にあっては、機密漏洩の可能性も度外視してあちこちから人材を呼び込もうとする。
「人の心がないのか」 と言いたくなる場面もあれば、「あんたも人の子なんだな」と言いたくなる場面もある。
果たしてどのような人物像なのか、ノーラン監督はその見解を押し付けてはこない。すべて見るものの判断に委ねられている。
なぜ今オッペンハイマーを取り上げるのかについて、ノーラン監督は現在も続く世界のスキームを構築した人物だからだといった趣旨のことを話している。
核抑止力の中で、好むと好まざるとにかかわらず我々は暮らしている。米ソ冷戦中の一触即発の状態からは抜け出したものの、すわ核戦争かといった不安はいまだにくすぶり続けている。
こうしたスキームを作り上げた男の正体について知ることは、ひいては世界を知ることにもなる。そういう意味で本作は現代人にとって必見の映画だといえる。
最後に、本作をまだ見ていない人へのアドバイス。
本作は膨大な情報であふれているので、初見の方は大変面食らうこともあると思われる。
まず、最低限オッペンハイマーが栄光と挫折を経験したという事実は押さえておいたほうがいい。
それとオッペンハイマーの個人史の予習。これは時系列が前後しているので、混乱してしまうところがあるからだ(終盤に種明かしはあるが)。公式サイトのストーリーだったり、ウィキペディアのページだったりを読んでおけば、より没入して見られるだろう。
また、人物関係。様々な人間関係が出てくるので、「この人誰だっけ」なんてことになりかねない。公式サイトの人物紹介には目を通しておいたほうがいい。
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