21~30本目

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」(2024)

 まるで戦場に放り込まれているかのような感覚に襲われた。本作からは、戦争の是非を論じることより、まずは戦争そのものを体験してもらおうという意図を感じる。

 死体が転がり、銃弾が飛び交い、サイコパスな人間が生き生きとし出す。このような生き地獄で、戦場カメラマンの目を通して見えてくるものとは?


 タイトル「シビル・ウォー」が意味するのは、「内戦」である。物語では、独裁者的な大統領が君臨する「中央政府」に、テキサス・カリフォルニアなどが手を組む「西部勢力」が独立を宣言し、以来内戦が続いている。

 主人公リー・スミスは、戦場カメラマンであり、メディアとしてどちらの立場にもくみしない立場だ。


 リーは四十代女性で、修羅場で培った冷静さと心の優しさを持っている。「西武勢力」が首都ワシントンD.C.に攻め込むという情報を事前にキャッチし、友人ジョエル、それから師匠のサミーとともに、大統領が処刑にあう直前にインタビューを敢行しようと戦地に乗り出す。

 そこに番狂せが。ジョエルが、リーに憧れる新人女性カメラマン・ジェシーをクルーに入れてしまうのだ。リーは反対するが、最終的に本人の意思が尊重される。


 本作は、戦争の是非についてかまびすしく論じない。主人公たちは必ずしも正義の使者としては描かれていないので、観客は政治的にフラットな立場から見ることができる。そのためか、戦場へと乗り込む冒頭のシーンからは、いまから冒険へと乗り出すかのようなワクワク感すらかもし出している。


 ただし、戦争状態になればこんなことが起きるということが本作では克明に描かれている。

 銃を持った人間たちに監視される街。

 私刑にあう市民。

 強烈なのが、中盤で登場するサイコパス集団。特に赤メガネの男は、「アメリカ的な人間」「非アメリカ的な人間」を選別し、処刑する。そこに明確な基準などなく、雰囲気で人を殺しているようである。彼らが築き上げるのは文字通り死体の山。とても恐ろしい。


 先に述べたように、戦場カメラマンも正義の使者というわけではない。彼らにとっては「良識を伝えること」よりもまず「事実の伝達」をすることが本義なのである。

 戦場で、リーは何を目にするのか。また、危険な現場で新人のジェシーはどうなってしまうのか。注目してほしい。


 現実に目を向ければ、ウクライナでガザで軍事行動が起きていて、多くの無辜むこの市民が無惨な死に追いやられている。我々はその現実の闘争に少なからず心を痛めずにはいられない。こうしたことを知ることができるのも戦場へと撮影に赴くカメラマンたちのおかげである。


 国家間の暴力について、われわれ無力な一般市民にできることなどたかが知れている。たかが知れているが、こうして戦場に想像力をはせ、それがどんなものかを知っておくことがとりあえずは大事なのではないだろうか。

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