「シン・仮面ライダー」(2023)

 令和の時代に庵野秀明監督の手によってよみがえった「仮面ライダー」は濃厚なSF設定と、クールなアクションと、過剰なまでのグロテスクさに彩られ、唯一無二の世界観を構築していた。


 映画は、本郷猛と緑川ルリ子がバイクで逃走しているシーンから始まる。あきらかに不審なトラックに追われている。追っ手は、秘密結社ショッカーの構成員たちだ。組織から抜け出した二人を標的にしているのだ。

 追いつかれた先で戦闘がはじまる。本郷猛はショッカー軍団と戦う。彼がショッカーを攻撃するときのゴア描写はあまりに過剰。やりすぎなくらいの人体破壊描写が繰り広げられる。この時点で、本作は子ども向けではないということを宣言しているかのようだ。


 次いで、本郷猛たちの前に改造人間=オーグが迫る。旧作で「クモ男」「コウモリ男」といった名前だったキャクターたちは「クモオーグ」「コウモリオーグ」といった名称に模様替えである。仮面ライダーもほかならぬ「バッタオーグ」だったりする。


 オーグを率いる秘密結社ショッカーは、人類を幸福にする手段を追求しており、オーグはそれぞれのやり方で実行しようとしている。ただ、そのやり方がひどく間違っている――洗脳したり、操ったり。

 ここで仮面ライダーの出番というわけだ。本郷猛は緑川ルリ子とともにオーグ退治に乗り出す。そこには友情や家族愛といった要素も複雑にからんでくるので、単純にオーグを殴り飛ばせばいいというものでもないのが面白いところだ。


 本作では、昭和と令和の時代が奇妙に混交したような唯一無二の世界観を描いている。まず、キャラクターの言葉づかい。言い回しが妙に時代かがっており、とても令和の若者の姿には見えない。

 令和的でないといえば、面白いのがスマートフォンを使っている描写がないことだ。現代が舞台の作品であれば、いやおうなく登場するものだが、それが出てこず、なんだか新鮮味がある。


 無時代的な要素はほかにもあり、それが背景だ。背景には、日本の原風景である山・海・森林・荒野といったものが選ばれることが多く、人の多い都市部はほとんど現れないのだ。例えば渋谷のスクランブルみたいに都市の住民の姿が描かれる言ったことがない(一部例外あり)。これは新海誠とは好対照だ。

「エヴァンゲリヲン新劇場版」のころから庵野監督は日本の山紫水明な日本の原風景を背景として描くことに執念を燃やしているように思われる。本作でも、会話がかわされるシーンはぽつねんとした大自然の見える場所で行われることが多い。


 これらは昭和と令和との間に流れる世代的なギャップを超えて、「初代・仮面ライダー」を再構築するのに必要な舞台装置だったのだろうと想像する。

 庵野監督による「仮面ライダー」は、独自の世界観と現代的な要素を取り入れながら、昭和と令和のそれぞれの時代が混交したような、ユニークな作品として再構築されているのだ。

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