「ラブライブ 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第1章」(2024)

 わたしたちが「ラブライブ 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第1章」をみなければいけない理由について話す。


 こういう作品は、まじめな話をせず、頭を空っぽにして、「キャラがかわいかった」「なんか曲がよかった」「映像がきれいだった」ぐらいの感想で終わるのが正しいのかもしれない。

 まじめに語ってしまうと大げさに響いてしまうのかもしれない。


 でも、まじめに書く。


 さて、わたしたちはどうしてこのようなキラキラした少女向けっぽいアニメ映画を見なくてはいけないのか?

 それは、本作が「競争」という熾烈しれつになりがちな主題を、これ以上なく美しく描写している点にある。


 まずは、現状認識をしていきたい。


 競争社会にわたしたちは暮らしている。

 社会のあり方が八十年代に新自由主義に突入して以来、わたしたちはレースへの参加を余儀なくされてきた。

 まわりは全て自分を脅かすライバル。他人の勝利は自分の敗北。勝つためなら手段を選んではいられない。どんなうす汚い手段でも使うしかない。裏切りは常套じょうとう手段しゅだん――競争社会は、われわれにそうしたメンタリティを植え付けていく。

 

 そういうわけで、わたしたちは熾烈な競争社会のなかに置かれている。そして、「虹ヶ咲」はそんな社会状況を反映して生まれたコンテンツなのだ。


 その歴史を紐解けば、下記の通り。

 90年代から2000年代にかけて、芸能人同士を競わせるテレビ番組が流行した。そこで登場したのが「モーニング娘。」というアイドルだ。

「モー娘。」には、人気投票によってメンバーを選別し、オリコンでCDセールスが上位に届かなければペナルティを課す――といった競争的な趣向があって、それがお茶の間を沸かせた。

 その趣向は、2010年代に一世を風靡ふうびしたアイドルのAKB48へ、さらには二次元コンテンツである「ラブライブ」へと受け継がれることになる。

「虹ヶ咲」もラブライブシリーズの一員であるから、キャラクターのPVを作るための人気投票が開催されたこともあるし、毎月テーマに沿ったキャラクター投票が実施されていたりする。


 ここで紹介する本作のストーリーは、「虹ヶ咲」の面々が、「スクールアイドル・グランプリ」という「アイドルとして個人で競い合う大会」に出場するといったもの。 

 つまりそれぞれ敵同士になるというわけだ。


 本作がすばらしいのは、競争相手への思いやりを忘れないことだ。「自分たちは大切な仲間同士だと伝え合うこと」をけっして忘れないのである。

 そのシーンは、珊瑚のブローチのプレゼントし合うという形で象徴的に描かれる。

 大会の結果と同じくらい、お互いを思いやる気持ちが優先されるのである。


 ここから学び取れるのは、「対戦する相手への敬意を忘れてはならない」というマナーのようなものだ。

 競争で勝つことに我々は少し前のめりであり過ぎる。

 競い合うのもいいが、お互いに尊敬しあわなくては、社会そのものが続かない。

 そんな戦いに取りつかれた現代人の背中を、そっと優しく押してくれる作品なのだ。


 もちろん、本作のキャラクターは「競争」することを志向してやまない。見る人に「推しキャラ」は誰かを耐えず問うてくる。

 あなたの「虹ヶ咲」の推しキャラは誰か?

 もし、この文を見かけた方がいたらこっそりと教えてほしい――。

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