「デッドマン・ウォーキング」(1995)
死刑反対派のシスター・ヘレンと死刑囚のマシューの心の交流を描く衝撃作である。監督は、「ショーシャンクの空に」「ミスティック・リバー」の出演で知られるティム・ロビンス。印象的なタイトルは、死刑囚が死に場へとつづく道を歩くときに放たれる掛け声である(おそらくアメリカの伝統?)。死刑の是非を訴える映画だが、その視点は公平。ラスト20分は見るものに強い緊張を強いる。
シスターのヘレンは、黒人の多く住む貧困地区で慈善活動をしている宗教家。ヘレンの信条を知ったマシューからの助けを求める手紙を受け取り、彼女は面会に行く。
マシューは、本物の
このマシューだが、どうも好ましい印象が持てない人物である。ヘレンが女だからと侮り、人種差別的な言動を取る。「マシューは人の好意を利用しようとしているワルだ」。周囲の人間は、ヘレンが助けようとするのを止めさせようとする。
『マシューが救済に値する人物なのか』という問いかけが本作では繰り返されることになる。動物じみた人間を生かす理由はあるのか? その魂は救済されるべきなのか? ヘレンは何度もそう自問する。
迷いのなかで、ヘレンは被害者家族にも接触をとる。聖職者として彼らのそばに寄り添う。彼らが失った子どもたちの、本当に幼い頃のエピソードを聞けば、
交流を重ねるにつれ、互いの理解を深めていくヘレンとマシュー。ヘレンの出した答えとは。また、マシューは救済がなされるのか? ラスト20分は見るものにただならぬ緊張をもたらすことだろう。
基本的には死刑に反対の立場の私だが、本作を見て、なんども心を揺さぶられた。自分の信条の強さが問われる作品である。
この映画は、現代社会へと向けられたひとつのテーゼだ。フィクションとはいえ、もしかすれば心に深い傷を残していくかもしれない。だが、見る価値がある。
最後に、本当にどうでもいいハナシだが、本作のことを調べていたら、少年役を務めている俳優が、つい先日私が見た「テリファー 聖夜の悪夢」に「デニス叔父さん」役で出演していたのがわかった。時の流れとともに、なにか因縁めいたものを感じるのである。
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