「ヘル・レイザー」(1987)

 最高にクールな一作である。

 センセーショナルな〈拷問〉シーン。

 地獄からやってきた魔道士セノバイトや悪党・フランクのキャラクター。

 パズル、「地獄」の鮮烈なビジュアル。

 そして忘れてはいけないのは、極限状態での人間ドラマなのである。


 ある日、ラリーとその妻のジュリアが、新居を訪問する。新居は、行方不明となったラリーの兄・フランクのものである。

 ラリーにはなくなった前妻との間に娘がひとりいる。カースティだ。カースティとジュリアはどうやら折り合いがよくない。そのため、『引っ越してこいと』ラリーが言おうとも、いくら生活に困窮していようとも、カースティは独立を貫く。


 一方、ジュリアはフランクの家に来て、なにやら悩ましげな様子。実を言うと、ジュリアはフランクに恋焦がれていて、不貞の愛をはぐくんできたのだ。彼と愛をかわした日々が胸をはなれてくれないのだ。

 そんなある日、フランクが姿を現す。――生皮がはがされ、骨と一部の臓器、筋肉だけの肉体の状態で――地獄のパズルをプレイした影響で彼はこのような姿になってしまったのだ。

 おびえるジュリアに、フランクは告げる。「もっと血がほしい」。血肉を得ることによって、フランクの肉体はもとにもどるのだという。わけのわからないジュリアだが、愛するフランクのいうことを信じる。


 一方、カースティは悪夢を見ていた。父親が死ぬ夢である。電話をかけ、生きていたことにホッとする。これが恐怖の幕開けであったことも知らずに。

 ジュリアはフランクのために「もっと血を集めること」を決断をする。そして、カースティは図らずもふたりの陰謀のさなかに巻き込まれていく。そして、地獄のパズルにまつわる恐怖に襲われることになるのだ。


 本作が紹介されるとき、カースティが主人公として語られがちである。たしかに、カースティは愛情深く、正義感の持ち主で、主人公にふさわしい。しかし、ストーリー的にジュリアがもうひとりの主人公であることは、出演時間の配分から考えて間違いないだろう。

 愛するフランクの「血がほしい」の言葉に、良識と愛情との葛藤に揺れるジュリア。その姿には心を揺さぶられる。

 その一方で、どんなに恐ろしい恐怖へも立ち向かっていくカースティのりりしさは邪悪な世界にあってひときわまぶしく映る。


 わきを固める人物のキャラクター造形も魅力的である。

 文字通り地獄を見てきて、なお挑みかかろうとする悪党フランクも妖しい魅力をはなっている。

 魔道士たち《セノバイト》のビジュアルとキャラクターもキマっている。


 無残にも殺されるその他大勢の男たちからも、ちょっとした台詞のはしばしからキャラクター性が感じられる。細部までつくりこまれているのだ。

 

 残酷さばかりが取り上げられがちだが(それも無理ないが)、本作は人間をしっかりと描いている。

 公開から何十年たっても熱心なファンがいるのも納得の映画なのである。

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映画感想百篇 馬村 ありん @arinning

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