31~40本目

「胸騒ぎ」(2022)

「マーターズ」「ファニーゲーム」……胸糞映画とよばれるジャンルがあるが、私はそういったものは嫌いではない。なぜなら、グッドエンドの作品からは得られない教訓のようなものを読み取ることができるからだ。

 どうすればうまくいったのか。どうすれば生き残れたのか。「胸騒ぎ」もそういったことを考えさせる映画だ。


 デンマーク人夫婦のビャアンとルイーセ夫婦は、幼い娘のアウネスを連れて、イタリアを旅行する。シャトーやリゾート地を巡る旅のさなか、オランダ人で医師をやっているというパトリックとカリン夫婦と知り合う。パトリックとカリンにもアーベルという幼い息子がおり、ちょうど似たような境遇だ。仲良くなった夫婦は、旅が終わった後も、連絡を取り続ける。やがて、ビャアンたちはパトリックたちからオランダの家に招かれる。

 ためらっていたビャアンたちだが、週末をすごすことを決める。それで、車で八時間かけ、デンマークからオランダまで出かける。


 歓待を受けるビャアン&ルイーセ夫妻。でも、このパトリック&カリン夫妻、なにか違和感がある。

 まず、歓迎のディナーで出されたのはイノシシ料理。パトリックは、ルイーセに肉の一番うまい部分を食べさせようと押し付けてくる。彼女がベジタリアンだと知っているはずなのに。好意を無為にもできず、ルイーセは肉を飲み込む。

 それから、パトリックのアベールに対するあたりの強さ。怒鳴りつけ、揺さぶる。まるで虐待だ。

 レストラン(というか居酒屋)の会計はもたされるわ、パトリックとカリンの辺りをはばからずにいちゃつく姿も目に余るわで、夫婦はうんざりしてしまう。

 ほかにも、ルイーセにとって決定的に許せないことがあり、夫婦は夜明けにこっそりとオランダを去ろうとするのだが……。


 作中でパトリックは言う。「たまに何かがこみ上げてくる。ここからね。力強く荒ぶった魂の叫びだ。おかしな話だけど。その感覚がたまらなく好きなんだ。分かるか? 本当に?」

 ビャアンは答える。「だけど僕の場合は――その叫びを必至で抑えて表に出さないようにしてる」「何でだろうな。ルールが多すぎて。まるで……閉じ込められてるみたいだ。狭くて息苦しい――“理想的な人間”って箱にね」「どこにでもいる――普通の男だよ」


 ビャアンは正しい。大勢の人間がそうだ。だが、彼(および彼の妻)はそれが徹底しすぎてしまっている。後の展開をみるに、どんな悪意ある人間の要請にも従ってしまう精神性を涵養してしまっていたかのように思える。

 一方で、パトリック(およびその妻)はその言葉以上に過激な……いや、異常なまでに欲望に素直な人間だ。パトリックらは奪ってでも手に入れる。財産も親子関係も何もかも。


 本作で示される二つの夫婦のあり方は、おそらくどちらも正しくない。どちらもロールモデルとしては不適格である。我々は、善人すぎては生きられないし、悪人すぎては生きている資格がない。

 この両極端なモデルを前に、我々は我々の落ち着ける得べきところを自分で探すしかないのだ。そうでなければ、過酷な世界で生き残れない。

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