第13話 アッシュール・アーシュラ・アシュタルテの刺青の曼荼羅の黄金の燦

 眩いばかりに美々しい戦士がいた。


 金粉を帯びたような褐色の滑らかな皮膚の全体に、ぎらぎらした黄金の曼陀羅の刺青が彫ってある。金泥のごとく濃い。


 アッシュールはジョルジュ・サンディーニとならび称される女傑で、南大陸(スール)の中央にある広大な沙漠地帯を駈け廻る遊牧騎馬民族アカーメネッシュの出である。親の決めた結婚相手が嫌で出奔した。神に愛でられた天性の強剛さを用いて北大陸に於いて傭兵として大いに暴れ、稼ぐ。


 なお、その結婚相手とは、當時、砂漠の遊牧騎馬民族を統合しつつあった新興勢力の長で、その時は未だ十七歳であった羅范(らはん)であり、数年後に全騎馬民族を統一し、膂(りょ)力(りょく)皇帝と称された人物であった。一族を滅ぼされ、幼くして孤児となったが、その尋常ならざる魁偉、身長五メートル弱、筋骨隆々で二十数トンの大岩も軽々持ち上げる怪力、神にも近い異能、超絶の剛腕一つで、個人の物理的力だけで皇帝になった男である。


 アッシュールは玉の輿を喪ったと言えるが、そんなことなど、これっぽっちも想っていなかった。何ら価値のないことだと考えている。自由であることが尊かった。


 彼女の神々しい肉體からも、さもありなんと感じ取れよう。

 金刺青の頬。アーモンド型の顔の輪郭は滑らかに強い顎へと繋がり、中央に高い鼻梁を聳やかす。髪は大きくカールして波打ち亂れ、蜂蜜のような黄金のラメの霧を帯びたキャラメル色である。

 蝶々のような長い睫毛は時に双眸を翳し、くっきりした太い小麦色の眉に近い。碧い瞳の眼は大きく睜かれ、眼尻が長く牽き延ばされ切り込んでいた。

 精悍で痩せているが、筋骨は逞しく、かつ、しなやかである。褐色の皮膚はきめが細やかで、シルクのように艶々となめらかであった。

 鎧はクリムゾン(濃く晰かな赤で、青みを少し含み、やや紫がかった色。ケルメス属のカイガラムシから作られる染料の色)、オレイカルコス※製で、軽くて柔軟、鏡面のように艶光りする表面の硬度は高く、まったく傷つかない。靭度も強く、衝撃への耐性も高い。まさしく強靭であった。※オレイカルコスはこの世界では最も軽量で強靭な金属である。 

 右腕の肘から手首までの部分に小型の楯をベルトで留め、彫りの入った大剣を持ち、左手で海神ポセイドンのような、或いはシヴァ神のトリシューラのような『三叉屰』(又は、三叉戟。穂の三つある戟)を持つ。


 輝かしき戦士は装甲した軍馬に跨り、エジンヴァールの高地にある丘陵地帯の城を廻る戦に傭兵として参加するため、騎乗の人となっていた。


 乗っている軍馬は神獣である龍馬。龍と馬との間に生まれ、龍の種類、馬の種類によってさまざまなバリエーションがあるが、いずれのタイプもいかなる状況・条件にも関わらず、一日で七千里(正確には七千三百五十一里。一里程四キロメートル。平均時速千二百二十五キロメートル)を走った。


 日の傾き始めた頃、陣営を遠く見ながら次第に近づく。

「まて、何者か」

「ふ、とんだ出迎えだな。貴様らの主人に招かれた者だ」

「あ、もしや、貴殿は」


 その頃、難攻不落と言われたエジンヴァール城は近づく者を怒りの神のごとくに容赦なく垂直の石積みの灰色の城壁では冷厳に迎えていた。何人も近づくことを赦さない。


 エジンヴァール公タデシウ伯爵の思惑はこのまま籠城し続けて、攻め手のバックガルム伯爵軍が衰退するのを待ち、逆襲しようとしていることは間違いない。


 焦燥のような黄昏が沈まんとしていた。


 黒髪靡かせるバックガルム辺境伯トラボルテは決然と叔父であるローデム大公へ言う、

「今宵、決戦を」

 しかし、叔父は、

「いや、伏兵を夜のうちに配置し、朝に退却すると見せ掛けて」

 そこで一度言葉を切り、眞顔で甥の顔を見て強く促す、

「城門を開いて追って來た敵を挟撃する作戦はどうか。ここは一つ、偽計しかあるまい」

 ローデム大公ジュゼロー侯爵は援軍に駈けつけたものの、実のところは、自前の軍を出來る限り消耗したくないというのが本音であった。

 しかし、若く猛きトラボルテは、

「叔父上の折角のご提案ではありますが、そのようなこども騙しの計略に引っ掛かるエジンヴァール公タデシウ伯爵ではありますまい。

 騎士の精神に鑑み、どうしても今宵、城門へ総攻撃を仕掛ける所存にございます」

「愚かな。それはまさに死地というもの。わしの大事な軍をそんな無謀な戦に参加させる訳にはいかぬぞ。いかがいたすか」

「承知。我が軍のみで逝く所存」

「愚かな」

 大公は眉を上げ、呆れ果てて同じ言葉をもう一度言った。その時、トラボルテの側近があらわれ、彼に寄り添って耳打ちする。若きトラボルテ辺境伯はうなずき、

「おお、着いたか。さっそく、その方をテントへ案内しろ」

 そう一言し、再び大公を見据え、

「叔父上、いかあるとも出撃する所存にて今、御前を辞す次第。武運をお祈りください」


 その場を去りて野戦用テントの一つに入る。黄昏が濃い茜に変じていた。


「おお、貴殿が」

 トラボルテは一九八センチメートルのアッシュールを見上げて感嘆した。

「噂に違わぬ。威風堂々とは、これを云うか。

 さっそくだが、今宵、襲撃する。先陣を頼めるか」

 アッシュールは伯爵を睥睨のまなざしで見下ろし、せせら笑いを浮かべ言う、

「先陣などと言の葉にする暇(いとま)も必要ない。私独りで十分だ。見ていよ」

 そう言うとテントをさっと出でて、龍馬に跨り、嘶かせ、陣営に屯する兵士たちを薙ぎ倒すように駈け抜けて飛び出すと、一気に城門を目指した。

「うらあああああああああああああああっ」

 城壁の上から放たれた矢が雨霰と降り注ぐ。だが、それらはすべてアッシュールの遙か後方に落ちた。速過ぎて捉え切れないのだ。

「しゃあーっ」

 怪鳥のような叫びととともに、高さ十メートル厚さ三十センチメートルの鉄の扉を斬り裂く。まるで落雷だ。一気に突破すると、眼に止まらぬ速さ。城内は殺戮によって血の海と成り果てる。籠城していた千の兵士は数名しか生き残れなかった。

「安心しろ、私はアッシュール、この名は聞いていよう。手向かわなければ、非戦闘員は殺さぬ」

 だが、その時、アッシュールは気がつく。四階建ての石葺の急傾斜の屋根の上に、夕陽を浴びて龍馬に乗った誰かがこっちを見ている。 


「何者」

 一気に龍馬で駈け上がり、屋根の石葺を龍爪で踏み割って立った。

 その人物は腕を組んでいる。アッシュールを待っていたかのふうであった。言う、

「見事な腕前だな、アッシュール」


 アッシュールは長身の相手の上から下まで睨めつけた。長身とは言っても、アッシュールよりは十センチメートルほど低いが。いずれ劣らぬ美々しい女性騎士である。初見であっても、見紛うはずもなかった。

「貴様はジョルジュ・サンディーニ」

「お見込みのとおりだ。お初にお眼に懸かる」

「ふ、何用だ。なぜ、ここにいる? どちらが強いか決めるためか?」

「ふ。いったい、何のために、そんな面倒をしなくちゃならない? するはずもない。

 答が既にわかっているのに」

「大層な自信だ。自惚れはいかな武人の身をも滅ぼすと知らぬらしい」

「お前もな」

「いいぞ、貴様から打って來い」

「そうか、まあいい。お試しだ。そう言えば、私もかつてそういうふうにやられたことがあった。折角の言葉。遠慮はすまい。では」

 音よりも速い『銀月の剣』の一撃を、

「ふぬっ」

 と、際疾く剣で受け、受けたそのまま流れで円を描くように体を捌き、『三叉屰』のなかほどをつかんだ腕を一直線に伸ばして突く。

 ジョルジュはさらりと躱し、

「ふむ、なるほど」

 などと言う餘裕を見せた。瞬時も置かず、今度はアッシュールの剣が追って迫る。

「ふふ」

 後ろに飛んで躱しながら、『銀月の剣』を振るい、

「銀月よ」

 そう咒すると、光の弧がアッシュールを襲う。

「ふっ」と鼻を鳴らしてノーズティカを揺らし、剣と『三叉屰』を一度十文字に交叉させてから左右へ解き、空間を牽き裂くように、「裂っ」と叫ぶ。

『銀月の剣』の光の円弧が破れ砕けて裂け散り墜ちた。

 その衝撃で石葺の屋根が崩れ、建物ごと崩壊し始める。


 二人とも龍馬で同時にひらりと飛んで、別々の建物の屋根の上に着地した。その両者に声を掛ける者がいる。

「貴殿ら、そのくらいにしたまえ。街を壊す気か」

 声の方を振り向く。ジョルジュが苦笑し、

「アンニュイ」

 アッシュールもすぐにわかった。

「ふん、そちらがジャン・マータか。なるほど、たった二人で傭兵隊を始めたという噂は本當らしいな」

「知っているなら、話も早い」

「まさかと思うが、これは勧誘ではないだろうな?」

「まあ、そのようなものだ」

 さらりとジョルジュが応える。

「手荒な勧誘だな。もっとも、優しくされても〝うん〟とは言わぬが」

「そう思ったよ、じゃあな」

 ジョルジュが言って背を向け、去り逝こうとし、アッシュールも背を向けるも、再びアンニュイが止め、

「待て、それでもよいが、まあ、話を聞きたまえ。武を極め、大道を興すは、さぶらい(侍)の務め」

「何を今さら、そのようなことを。正道を説くことができる身か、我ら傭兵の分際で」

「傭兵であろうが、聖騎士であろうが、大道を為すは人の務め」

「倫理・道徳の講義か? 私はまったく興味がない。倫理なきと言われようとも、意に介さぬ。義勇兵や聖騎士など、眞っ平御免だ」

「義兵や聖騎士などのつもりはない。そのようなものでは儲からぬ」


「ほう、急に俗っぽくなったな」

「それを俗っぽいなどと言う紋切り型、杓子定規、形骸的思考こそ眞の戦士にあるまじき」

「変わった奴だ。儲かるとか儲からぬとかいう話が俗であるという考えに異論を唱えるなど、お前くらいなものだ。

 くだらぬ議論。さて、もういいか? 私も暇じゃない」

「義は尊いが、義勇兵は眞を求道するとは言えぬ。世俗の大義に縛られる。超越的ではない。世俗の倫理に縛られては、眞へ至ることはかなわぬ。神のために」

「ほう、ならば、獣欲の傭兵はよいと言うか。笑止」

「傭兵が皆貪欲とは限るまい、多くはそうだとしても。私が知る限り、貴殿はそうではあるまい。どんなことも心掛け次第だ。かたちではない」 

「ふふ。世辞で落とす気か? 卑劣浅はかな。さらに笑止」

「貴殿同様、我らもなみの傭兵たらんとする気は毛頭ない。沙門(この世界に於いて沙門とは宗派に属さぬ出家人、或る意味、在野の自由思想家)のようなものだ。

 眞を求道し、大義を尽くす」

「どうやって」

「死中を求め、存在の眞を極め、その求道の究竟として大敵を斃すという大義を全うする」

「大敵か。ふ、大敵とは神聖イ・シルヴィヱ帝国か」

「それもある。永遠の時の間には無限に敵があらわれる。湧くように、次から次へとだ。永遠に闘う、永遠の生命を以って」 

「それなら、面白い話を聞いたことがある。いらふの名は聞いたことがあるな?」


「ペパーミント・グリーンの双眸を持つ東洋人、死に神にも等しい暗殺者だ。

 東大陸の大華厳龍國に属するが、常に特命を受けて所属がない。何よりも気をつけねばならぬことは、その技、流儀というべきか、それが未知であるということだ。それを畏れるべきであろう。

 決して、噂だけではない。噂ばかり大きくて実はさほどでも、ということはよくあるが、彼女に限っては、残念ながらそうではない。

 いらふがやったという確たる証拠はないが、顕かにそうであろうと思われる数々の痕跡があるからだ」


「そうか。さすがに詳しいな。

 最近、いらふが龍馬に跨って、私を訪ねてきた。どうやって私の居場所がわかったかは、遂に言わなかったが」

「ふう、人気者は忙しいな、アッシュール」

 ジョルジュが揶揄して言うと、アンニュイは美しく微苦笑し、

「茶化すな、ジョルジュ。アッシュール、貴殿の話を聞こう」


 碧い眼を鋭くし、アッシュールは言う、

「話の内容は、簡単に言えば、情報収集だった。私は知っていることを語った。

 私にとっても恨みのある仇敵のことだった。いらふは、その仇敵から史上稀有なる聖剣を守護する話、同道するかと訊いてきたが、断った。

 宗旨に合わなくてな。ふふ」


「ふうん、気紛れな奴だな」

 ジョルジュが小バカにしたように言うと、アッシュールは尠しムキになって言い返し、

「弱肉強食の修羅場が好きなのだ。強い者が強いことには意味がある。摂理だ。

 それはどうでもよい、いらふの奴、最近、レオン・ドラゴ=クラウド連邦のイースと会ったという噂がある。恐らくはイースに依頼されて動いているのであろう。

 クラウド連邦は好きではない。

 聖アカデミアと直結しているからだ。世界に数ある聖都を束ねる総本山、その中枢である聖学園都市アカデミアと直結しているからだ。クラウド連邦はアカデミアの守護者を名乗って憚らない。

 ふふ、寺や教会などは、私の性には合わない」


 それを聞いて眉を顰め、アンニュイは、

「そうかもしれぬ。そうかもしれぬが、まあ、貴殿のごとき英雄が杓子定規な」

「杓子定規? また言うか」

「そう、杓子定規。寺や教会は奔放な武闘派と合わぬという考え方は定型的だ。

 それはともかく、なるほど、貴殿の仇敵とやらの察しはつく。もし、それが當たりであれば、我らがいずれ闘うべき相手とも一致する。独りで立ち向かうのは危険だ。

 しかも、奴はかつて争ったこともある神聖帝国と今は手を結んでいるとの情報も得ている。恐らくは、あのいらふがクラウドとともに動く理由も、それであろう」


「かもな、そして、イノーグの巫女騎士の話をしていた」


「イノーグの巫女騎士?」

 ジョルジュが怪訝な顔をするも、アンニュイは、

「うむ、イカルガーノ王国でイノーグ族とエミイシ族が争い、イノーグが滅んだ時、イノーグ山に神が降臨し、生き残った巫女騎士が(小規模ではあるが)特異な勢力を張っているという話を聞いたことがある」

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