第14話 いゐりゃぬ神の聖なる御社 於:南嶺イノーグ山
吹雪の下、やっと雪の祠を作ったイシュタルーナとラフポワとであったが、いゐりゃぬ神が石の上に立つと、壁からはみ出ることに気がついた。二メートル以上の高さが必要となるが、今以上に雪を積み上げることも、屋根を工作することもできず、断念する。
「やむを得まい。何と言うことだ。妥協だらけだ」
「凍えて死んじゃうよ」
「神のために殉ずるのは幸せなことだ」
「僕は嫌だよ、死んだら神をお祀りすることもできないよ」
「詭弁を使うな、耐えよ、堪えよ。死は大義だ」
「寒いよー」
イシュタルーナは歎息する。
本來、神聖な場所となるため、雪の壁のうちに入るべきではないが、かくもラフポワが凍え震えて泣くため、さすがのイシュタルーナも妥協し、
「では、お前はそのうちに入れ」
「イシュタルーナも來なよ、二人の方があったかくなるよ」
「わらわは要らぬ」
「死んぢゃうよ」
「神に殉ず」
「天国へ逝くってこと? 神を放っておくの?」
「そうではない。もういい、お前は入れ」
「だめだよ、あゝ、神様、何とか言って!」
いゐりゃぬ神の双眸が燦めく。
「巫女騎士よ、このうちに入れ。神の言葉に遵え」
「神よ、憐れみを垂れること勿れ。聖なる正しき行いは峻厳である。峻酷である。妥協は一切ない。神よ、憐れむ勿れ」
「眞理はかたちを持たぬ。生命は超越である。眞実を生きよ」
イシュタルーナは項垂れていたが、神の言葉に遵った。ラフポワはガチガチ震えながらずっと待っている。
「入るぞ」
かくして、二人は壁のうちに入り、寒さを凌ぐのであった。
「ああ、あったかい」
ラフポワが何とも言えぬ良い笑顔で微笑む。暖かいはずがないのだが、風をいくらか防ぐことができたため、刹那的に暖かく感じていた。
イシュタルーナは心を緩めない。
最も警戒すべきはエミイシからの反撃であった。だが、そういう気配はまったくない。訝しく思ったが、空腹で凍えるからだがさらに凍えると言ってまたラフポワが泣き出したため、イシュタルーナは神の言葉を慮って、よく警戒しながら、独り針葉樹林のある位置まで吹雪のなか、雪の斜面を下り、埋もれた木の実を集め、戻った。
「ぅわあ、すごい。これ、食べていいの?」
「神への供物だ。残りを食べよ」
いゐりゃぬ神の前に捧げた。木の実を置くスペースすらなかったが。
「よし、ここに餘ったものがある。食べてよいぞ」
「ありがとう。んむ、あむあむ、あゝ、こんな美味しいもの、食べたことないよ」
煎ってない、生のままの木の実がそんなに美味いはずがない。
イシュタルーナは憐れをもよおした。
「あれ、イシュタルーナは?」
「後で食べる。先に食べろ。それは全部食べていいぞ」
「ほんとにー、食べちゃうよ」
「大丈夫だ、好きにしろ」
イシュタルーナが心配していた報復であるが、その頃、エミイシの軍勢では、巫女騎士を追わせた傭兵が帰って來ないことを訝しくは思っていたものの、傭兵など粗野でデタラメな人種ゆえ、どこかへ逝ってしまったのだろう、さぞかし略奪や強姦をするだけして、どこか遊興にでも出掛けてしまったのであろう(報酬は先払いを条件として提示され、止むを得ず先に支払っていた)などと勝手に思い、よもやイシュタルーナが助かっているなどとは思わなかったのである。
ましてや、巫女騎士が追手を撃退していたとは夢にも思っていなかった。
彼女らを次に攻撃したのは山賊だ。北方の山賊は巨漢の上に、命知らずの荒くれで知られ、ゴーレムにも喩えられていた。凶暴なこと、この上もない。
十数名が突如あらわる。吹雪の止んだ翌朝。晴天。
「ほう、何だ、こりゃ。鼻持ちならねえイノーグどもの聖地におかしな雪の塊があるぜ」
「ありゃ、ほんとだあ。へっ。ぶっ壊しちまえや、どーせ、奴ら、もう滅んじまったんだ」
巫女騎士が姿を表す。
「侮辱は赦さぬ」
螺鈿の刺青が彫られたイシュタルーナは眞咒の浮き彫られた鞘からイノーグの家紋である蜥蜴の聖紋の彫られた長剣を抜き、二の腕に革のベルトで留めた、同じく蜥蜴の紋の楯を構えて立ちはだかるように仁王立ちした。
「何だ、おめえは? イノーグの生き残りか」
「こりゃ、儲けもんだわ」
「ちっ、女とこどもだけか。まあ、それだって、エミイシのとこへ引っ張って逝きゃあ、相當なご褒美が戴けるぜ」
「ひゃっほー、おい、兄弟、その前にちょっと味見、っていうのはどーでえ?」
「ひゃははは、大賛成だぜ〜」
イシュタルーナは蔑みのまなこで睥睨する。
「下卑た欲得塗れの薄汚い愚者よ、生きる価値も意味もない者どもよ、聖なるいゐりゃぬ神の御前で、無体な。何たる醜態を晒け出すことか。人権を尊ばぬ者に人権は不要。
天罰をも畏れぬ愚かな行為。神が裁くにも値せぬ。このイシュタルーナが成敗してくれるわ」
と言うが早いか、さっ、とミサイルのように飛び出し、一呼吸で十人を斬る。
「ヒイィっ」
その鬼神の御業に腰が抜ける。
「やべえ、に、逃げるぞ」
一人が言うと、もうなし崩し。
イシュタルーナは追いもせず。
「不届きな者たちよ。いつでも來るが良いぞ」
再來に時間はかからなかった。翌日、晴天、二百数十人を引き連れてやって來る。
「ここか、思い知らせてやる」
そう言った巨漢は鉄の武具で武装したウォルラス・ボルテクス、眞っ黒に日(雪)焼けし、鬣靡かせ、あらゆる鬚、髭、髯を臍下まで伸ばす山賊の大将、イノーグ山など周囲の山脈に跳梁跋扈し、住民を害すること甚しく、亡き族長ヴォーグから蛇蝎のように忌み嫌われていた男であった。怖じることなく、イシュタルーナは雪の祠から出てくる。
祠は改良され、雪の壁で作る直径は一廻り大きくなっていた。屋根の替わりに針葉樹の枝をそのまま、神社の千木のように交叉させて被せ、雪で固定するという造作をしている。
なお、拡張によってできたスペースに枝を敷いて寝坐の用とした。
「何者ぞ、聖なる我らが域の聖の聖なる神の鎮座まします場を騒がせる者は」
巫女騎士を見てウォルラスは欲情のまなこを膨らませ、大笑い、
「ガハハ、こいつあ、愉快だ。さっそく堪能させてもらおうかのう」
イシュタルーナが一歩踏み出すと、二百の賊どもが弓を構えた。雪の祠のなかで、いゐりゃぬ神の双眸が煌めく。
イシュタルーナが蜥蜴の聖紋の剣を抜くと同時に、神の眸から放たれた神光が刃に蛇のごとく絡み、燦光した。
巫女騎士が雪を蹴って走り出すと、急に強風が氷雪を礫となし、弓手をたじろがせる。その一瞬で、二百のうち百が射る暇もなく斬られた。射ることができた百の矢も、巫女騎士の速さに追いつかずに外れる。聖なるイシュタルーナがウォルラスの前に立つ。
「では、堪能とやらをしてもらおうか」
震え上がった大将は言葉も出ない無様であった。
「どうした? 何か言え」
「あ、ど、どお、か、お、お」
脚が諤々して立っているのも精一杯である。
「何だ? はっきり言え。
さ、その大きな剣を抜け。何だ、手が震えているぞ。剣がつかめぬか」
「ど、どうか、お赦しを」
失禁していた。
「醜い」
一振りでウォルラスの鎧を裂く。
「ひゃあ、ひええ」
腰が抜けてその場で尻餅。
「お赦しを、お赦しを、どうかお赦しを」
「わかった。死の瀬戸際は人を覚醒させるとも言う。
赦す。だが、神に仕えよ。ならば、赦す。よいか。偽るな、誤魔化すな、嘘を吐くな、神はいつも見ている。わらわを騙せても神の眼から逃れられぬぞ。神に遵え」
「ぎょ、ぎょ、ぎょ、御意でござりまするー」
百数十人の信徒を得た。
「言葉ではなく、行為をせよ。言葉は空疎だ。思考は行動とともに。
では、さっそく命ず。神を荘厳せよ。今すぐに」
「へ、へいっ!」
祠はすぐに丸太の簡素な社に造り替えられた。雪の祠から木の社に変わる。
諸々の作業を各班に分けて行ったが、狩に逝く班は食糧を調達して來た。腹が減っては仕事ができない。その貯蔵のための丸太の倉庫も造られた。又、とても簡素であるが、イシュタルーナとラフポワの即席の住居も、信徒の舎も造られる。
「思ったより合理的に要領を得て働く」
巫女騎士は満足する。
ラフポワはもっと大喜びだった。初めて自分の部屋、いや、家を持ったのである。
「すごい、信じられない、夢みたいだ」
そう言うと、木の箱に針葉樹の枝を乗せて毛皮つきの獣皮を敷いたベッドにぽんと飛び乗った。枝の重ね方で微細なクッションができている。
「最高だ」
歓喜するラフポワを顧みもせぬイシュタルーナに感興はなく、次の指示を下す、
「生業(なりわい)を糺せ。山賊をするな。里へ降りて布施を乞え。神へ捧げるために」
「あっしらが降りてお布施を乞うても、誰も信用しませんよ」
ラフポワがぷっと吹き出した。しかし、イシュタルーナは眞剣な顔のまま、
「確かにそうだな。
道理である。では、當面、狩をして獲物を供物として神に捧げつつ、信徒の賄いとせよ。
それから、素性の良い、荒んでいない者を選んで、里や町で働かせよ。逃げた者は天罰で即日に死す。誠を以って奉仕のつもりで、安い賃金で民衆のなかに恭肅して働け。餘剰があれば、その一部を神へ奉納せよ。」
又、イシュタルーナは儼かに言う、
「建築の心得のある者はいないか。社を荘厳したい」
口髭を伸ばし、痩せて顔の中心の鼻ばかりが目立つ小男が進み出て、
「モッガーナ・アーキテと申しやす。あっしは棟梁でした。後ろにいる連中は大工で、あっしの徒弟でした」
「モッガーナ、お前の考えはあるか」
「むろんです。今のままじゃ、ただの丸太小屋です。あっしにゃ、宮造りの経験もあります。神のため、是非やらせてください」
「殊勝な心掛けだな。わかった。原案を羊皮紙に示せ。明日までにできるな。飽くまで素案でよい」
「わかりました。いつか大聖堂を建てるのが夢です」
一日で多くのことが成し遂げられた。
炎を囲んで雪上、皆で食事の時、山賊どもが口々に語り合い、酒を回し飲む。イシュタルーナは考え込んでいて、黙ったまま。山賊の一人が言う、
「ぶるっ。うー、寒っ。あゝ、早く春になって欲しいぜ」
「もう直ぐさ、もう直ぐ春だ。このあたりゃ、暑くはならないが、暖かくはなるぜ」
「へー、今がそんなに寒いか、おいらあ、ここで十年も山賊してらあ。慣れちまったぜ。へ、贅沢言うなや。四季があるだけましさ。北嶺に比べりゃあ」
「へえ、そこは四季もねえのかい?」
「むろんだ。知らねえか」
「知るもんか!」
すると、一人が、
「北嶺って言やあ、今朝、麓で会った沙門から、イヴァント山の聖者の話を聞いたぜ」
イシュタルーナの耳が動く、実際、動いた。
「北嶺の聖イヴァント山か。ふむ。詳しく教えよ」
「人が住まず、草木も生えぬ山脈の高みで、白象の骸に住んでいるそうです。偶然で、苦行の沙門が登って発見し、知らしめ、苦行者の崇拝の的になっているようです」
「興味深い。会おう。実はその兆候を占星で觀じていた。是非、逝けと神も言う」
「ええ?」
何事も顧みず、行動しかないイシュタルーナは独り大羚羊に跨って出発する。ラフポワはおのずと留守居となり、居残った。
扨、ラフポワ独りでは山賊どもに舐められ、逃げられるか、最悪逆襲されそうであるが、実際はまったく違う。神将として畏れられ、恐くて誰も逆らえなかった。
傘下に入ったその日のこと、山賊の一人がよく知らずにラフポワをからかった時、ラフポワは、
「あゝ、やめてください、僕をからかわないで」
ラフポワは困った顔をした。それが滑稽でもあった。
「ヒャハハ、そりゃそうだよな」
ますます心配そうな顔に。
「大変なことになります」
「おやおや、冗談はやめな。こっちとら、そんなくだらねえ脅しなんか乗らねーぜー」
「いや、本當なんです、困ったことに神将なんで、どうか…」
「あははは、こりゃ、可笑しいっ! 神将だとよ、あは、こりゃ」
小さな落雷が落ち、男は悲鳴を上げて斃れた。即死である。
沈黙が続いた。
以來、誰も軽んずることはない。軽んずるなど、できようはずもなかった。
そもそも、いゐりゃぬ神の加護がある。それだけでもう逆らいようがない、逃げようがない。唾を吐いても即死だ。
次に、ラフポワ自身が強い。トネリコの木の枝を持ち、それを『雷神の鎚』、又は『雷霆の鎚』と呼んでいるが、振ると、樹齢三千年の杉の大木よりも太い電光の柱が垂直に落ちて來て、簡単に数百人を殺してしまう。山も崩す威力であった。神の鉄槌とも呼ばれる。
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