第2話 瀕死
肉も裂け半裸の体で極寒の過酷な山岳地帯に抛り擲たれたアンニュイには、もはや死しかないように見えた。
彼もまたそれしかあり得ないと感じていた。
雪と岩と絶壁(又は、急傾斜)しかない。
蔽い被さるように、峻嶮に聳える山々は、明るい蒼穹を背景に迫り上がってさえも、神のごとき荘厳な威嚇で人間を壓する。
風はなくとも、ゆっくり舞い上がって移動する粉雪。
王国エルロイぺは、大山脈群の終わる裾野に展開する広大な平原と、豊かな丘陵地とに、広がり栄える聖なる国であった。
しかし、その辺境は、このように荒涼として苛烈であった。
凍てつく。
「あゝ…」
わずかに呻く。
死ぬ。そうとしか思えなかった。
「うっ、ううっ」
呻かずにいられない。からだが勝手に震えて止まらない。傷が激しく痛む。
立ちあがろうと、試みる。立ち上がれなかった。力が入らないからだ。
体温が下がって心臓が止まるだろう、呼吸が苦しい。意識が遠のく。
仕方のないことだ。皆、死ぬのだから。十二歳の少年とは思えぬ諦観であった。虚しい人生であったと、自らを想う。
髪の毛は身を覆うも、寒さを防ぐどころか、凍り始めていた。
しみじみ思うに、これの純粋な心にも、さまざま疑問が湧く。
なぜ、あの時、自分は独りで警邏していたのであろう。独りというのは、初めてであったし、他からも聞いたことがない。
まさか全てが仕組まれたことでは。
そんなあり得ない。理由がわからない。
人の妬みや嫉みなど、思いもよらないからであったが、ふと友人の言葉が啓蒙のように脳裡に甦る。
「お前は、美しい。
美し過ぎることは、禍だ。悪魔が嫉妬するから。
よく気をつけたほうがよい。お前に憧れる少年騎士や侍女たち、女官すらもいる。
彼ら彼女らを愛する者の想いを少しはか空想した方がよい。
情念とは、怖ろしいものだ」
それは、彼によく近づき、よく面倒を看てくれた年上の少年であった。
彼はジャンの体によく触れた。
しかし、ジャン少年には意味がわからなかった。わかろうともしなかった。
そして、不意に王女の従兄弟にあたるプースティングのことを思い出した。
それは、宮殿の回廊を歩いていた時に、侍女たちが囁く声であった。
「王女様はあまりに美しく、求婚の申し出が他国からも数多。
だから」
従兄弟殿が邪恋を抱き、時に皇女に辛くあたり、時に近づく者に男女を問わず、仕打ちをするのだと。
そういうことだったかもしれない。我が身に起こったことも。
自分に不実はない。十二年の生涯を通じて誠を尽くした。そのような怨みや憤りに心を染めることはやめよう。潔白でありたい。神のために。
ただ、家族を、一族を苦しめたことが悲しい。真実を尽くしたが、虚しかった。だが、恨みも憎しみもない。ましてや、後悔など。それが真実に殉ずるということだ。
一族の名誉は汚された。しかし、どうにもならない。
あゝ、せめてもの心の慰め、魂の癒しは、崇高なる優しき王女様の憐憫をいただいたこと、これをこの短い生涯の名誉としよう。
意識を喪った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます