第17話 死闘 その一  聖堂の急傾斜の床に車座する聖なる会議

 ダルジェロは混亂していた。

 やっとの思いで着いたヒナタは蜂の巣を突(つつ)いたような大騒ぎである。

「メタルハートがあらわれた、あの無差別虐殺者が」「逃げろ、皆無条件に殺される」「女こどもも容赦ない、僧だろうが、沙門だろうが、遠慮するもんか」「あゝ、神様」

 これが聖なる解脱を目指す人々か。

 呆れ果てた気持ちとともに、かくも悟る、

「どんな悟りや哲学を得ようとも、いざという時に際して醜態を晒しては意味がない。醜態という表現は正確ではない。弱さの露呈か。いや、畢竟、不安や動揺、自己喪失など躬らの魂を苦しめることだ。

 死を齊しく生と觀じ、生を死と睿らめる智、実存する睿智が必要だ。それが現実的だ。現実である力こそが眞の智だ」

 ダルジェロは天機によって『龍肯の聖剣』の聖なる龍文の言葉を知らず思い浮かべているのであった。

「大物質主義の台頭は決して偶然ではない。だが、大物質主義はかたちが似ているだけだ。 

 さて、それはともかく、眞の意味で、事象へ還ろう。そうさ、勇気を持とう。せめて、この子を安全な場所に導くまでは。あゝ、動揺するな、現実的な叡智を生み出せ。

 何て臆病なんだ。勇気を出せ、臆病なダルジェロ、この可哀想な子を何とかしなくてはならないというのに、お前は」

 しかし、いくら自責しても、ただの苦行のように、叡智は生まれなかった。

 どうしたらよいのかわからないままだ。手を繋いでいる少女を顧みた。相変わらず感情も反応もない。この少女を見捨てていくことはできない。なぜ? なぜはない。できないからできない。ダルジェロ、お前は臆病だ。これは仕方ない。でも、今だけは勇気を奮い起こせ、ダルジェロ。

 今すぐ究極の眞理を覺醒せよ。死ぬのは仕方ない。華も散る。すべて當たり前に滅ぶ。理由など知らない。だから、魂の求むままに最後まで超越を。生命を感じよ。生命であれ、ダルジェロよ。そう念じ、言い聞かせ、意志の力を統合する。現実は現実でしかない。解答篇は附録していない。だが、選ばなければならない。選ばない生き方は存在しない。

「よし。戻ることはできない。ここに留まろう。これ以上先は人の住めない場所、嶮しく過酷だ。苛烈だ。苦行者しか生き残れない場所、この子を連れては逝けない」

 馬の蹄の疾駈するような音が聞こえた。蹄より柔らかい音だが、ともかくも、こちらへ近づいてくる。

「あ、龍馬、騎士だ」

 まさしくアンニュイ、ジョルジュ、アッシュールが到着したところだった。龍馬は蹄をつけず、龍脚と龍爪のある龍足で走るため、蹄のような硬い音はしない。

 手綱を引かれ、龍馬は止まった。長い鬣を振り亂していななく。

 柔らかい髪の嫋やかな青年が声を掛けた。

「おお、君たち。少年よ、少女よ、なぜ、こんなところに。沙門を供養する奉仕者の家族か? 危ないぞ、早く家族とともに逃げなさい。早く」

「アンニュイ、どうやら、ここには來ていない、來なかったようだな」

「ふむ、そうらしい」

「あゝ、私もそう思う」

 黄金を帯びた褐色の滑らかな皮膚に金泥のような刺青を施したアッシュールもノーズティカを綺羅めかせてうなずく。

「君、早く妹を連れて」

「妹ではありません」

「何だ、友だちか、何でもよい、早く」

「家族はいない、二人だけです。でも、僕らは友だちでも知り合いでもない。この子はアルダの生き残りです。アルダに置いていけないから、ウラに逝ったけれど、そこも虐殺の後で、止むを得ずここまで來たのです」

「逃げる方向が逆だったようだな」

「状況がわからなかった。どっちに危険があるかわからなかったんです。近い方を選びました。判断は誤りでした」

「そうだな、その判断は誤りだった。可哀想だが、誤りは誤りだ。しかし、勇気のある少年だな」

 アンニュイの言葉にダルジェロは眼を丸くし、次に少年らしからぬ苦悶を浮かべた。

「勇気? そんなもの、僕には未だかつてありませんでした。僕は臆病なので、いつもバカにされていました」

 今度はジョルジュが眼を丸くした。

「殺戮神の所業とも言うべき大虐殺の現場を見ても、この子を離さずに來たお前に、もし、勇気がないと言うなら、この大陸に勇気のある人間は百人足らずであろうな」 

 アッシュールがノーズティカを囁かせて笑った。

「ジョルジュ、お前は冗談ではなく、眞面目に言っているから面白いよ。

 で、どうする、アンニュイ。私は、いっそうのこと、連れて逝った方がよいと思うが」

 ダルジェロは驚いた、アンニュイ、ジョルジュ、ではこの人たちは殉眞裂士清明隊! あゝ、凄い!

「莫迦なことを言うな、アッシュール。これから我らはメタルハートを追うのだ。死地に連れて逝くようなものだ」

「だが、ここも大して変わらない。奴は神出鬼没で、無差別だ」

 ダルジェロは懇願した。

「あなたたちは殉眞裂士の方々ですね、どうかお願いです。アッシュールさんの言うとおりです。僕もそう思います。この子だけでも連れて逝ってください」

「ふうん、その娘だけ連れて逝った場合、お前はどうするんだ」

「わかりません。死ぬかもしれない。いや、死ぬしかない。でも、たぶん、必死で抵抗します。僕も無力ではない」

 そう言ってから、「死を齊しく生と觀じ、生を死とぞ睿らめる」と囁くと、抱えるほどある大きさの石が砂塵となった。アンニュイが微かに眉を上げる。

「ほう、君は高僧か、魔法使いか」

「いいえ、違います。今のことは特別なことではありません。平常道です」

「平常だと?」

 アッシュールが眉を顰める。ダルジェロは誰にともなくつぶやきのように、

「でも、平常こそ難しい」

 ジョルジュがさらに問い、

「お前の言う平常は我々が使う平常とは大きく異なるようだ」 

「僕は今、石に解脱を呼び掛けました。萬象には解脱への意志があります。それが呼び掛けに呼応するのです。超越的な立場でなければ信頼されません。差別を撤廃するのです。萬物の言葉を理解するには超越でなければなりません。それが平常道です。頭で考えても、無為徒労に終わるでしょう。からだで覺えるしかありません」

「そうであろう。武技・闘技も基本は同じだ」

 アンニュイはそう言って、うなずいた。ダルジェロもうなずき、

「原理はとても簡単です。物事は結びつき、安定しようとする。鉄が錆びる※ように。

  ※鉄は酸素や水と結びついて酸化還元(還元=元に還る)し、安定しようとする。これが錆である。

 生存の源である有機物質の分子は集まり、細胞の起源となりました。人体は細胞の集合体です。集団です。細胞は集まっては壊れ、壊れた部材を回収・再利用して(それが新陳代謝の起源です。僕らが肉や植物を食べるのは回収・再利用なのです)、再び構築する。

 遺伝子が修復・復元の意志を宿す。その意志が執著です。執著を厭離すれば、結びつきが解れる。解脱の科学的な原理かそれです。だから、石は壊れました。人なら無餘依涅槃に入ります。

つまり、集積(薀。なお、薀に五つ類があり、それが五蘊である)の解体、死です」

 三人の裂士は黙って思考したが、竟にアンニュイが決断して言う、

「いいだろう、連れて逝こう。むろん、君も、だ。但し、今後、何があろうとも後悔する勿れ。まあ、君にその心配はなさそうだが。よいかな、ジョルジュ、アッシュール」

「異存はない」

「さあ、そうと決まったら逝こう。どうやら、彼は我ら殉眞裂士の仲間のようだ」

「僕が仲間? 裂士の? どういうこと? あり得ない」

「さあ、乗るがいい。君は私の後ろに。その娘はジョルジュの後ろに。名前は?」

「僕はダルジェロ。彼女は喋りません」

 ダルジェロは四番目の殉眞裂士となった。

 

 

 いらふは雪を蹴り、水平に地上スレスレを飛び、燕のようにいきなりに垂直に上昇したかと思うと急降下、メタルハートの顱頂部を狙う。 

 同時にイシュタルーナが足首を狙って、神速で突撃する。だが、その瞬間、

「消えた」

「いや、上だ!」

 メタルハートはイシュタルーナの攻撃を飛び上がって躱しつつ、眞上から來るいらふの直降下の攻撃をも躱し、いらふを上から斬り下ろす縦の太刀筋で、そのままイシュタルーナをも斬殺せんとしている。

 空中で体勢を変えることは難しいはずなのに、空気を泳ぐ魚のよう、ひらりと躱すいらふ。躱しながら黒い炎の剣を蹴って、間合いを取り直す。靴底が焦げた。

 いらふの蹴りで太刀筋が逸れ、イシュタルーナはどうにか魔剣を避け躱したが、

「うぐっ」

 完全に躱し切ることはできず、魔剣が肩甲をかすめ、肩甲が砕けた。

 メタルハートは着地すると、

「とどめっ!」

 柄頭に掌を當て、切尖を眞下に向け、垂直に剣をイシュタルーナの上へ落とす。が、いらふが刃の腹に体當たりしてまたも太刀筋を逸らし、巫女騎士はまたも間一髪躱した。いらふの肩甲が焦げて燻る。

「ふふ、小賢しい」

 まったく餘裕綽々のメタルハートであった。

 イシュタルーナは歯噛みし、

「噂以上という訳か」

 と言うも、諦めではない。巫女騎士は威厳を失わなかった。いらふは冷厳にペパーミント・グリーンの双眸を燦めかせる。断念も諦めも絶望もなかった。

 叡智と勇気、人は決して窮すべきではない。イリューシュもそうであった。本來、戦闘員ではない彼は攻めあぐね、打つ手も持たぬが、ただ、ただ、この剣を、『龍肯の聖剣』を奪われてはならぬと心に固く決している。じぶんの所有権のためではなかった。

 イユたちのいのち(彝之霊)のため、生きるということ、すなわち、生きる世界のために。なすべきこと爲す、正義のために。

 突如、オーロラのような光が虹色に揺らぎながら雷霆のようにメタルハートめがけて落ちて來た。『霓の稲妻』だ。

「やあっ!」

 気合とともに『銀月の剣』の光の弧が襲來する。それらすべてを剣で裂くメタルハートの眼前に『三叉屰』が迫っていた。アッシュールだ。龍馬の背から飛翔し、三叉の刃で突き徹し貫かんとした。叫ぶ、

「喰らえ、この悪鬼羅刹め」

 黄金の刺青を燃え立たせ、ノーズティカを翻し。

 アンニュイ、ジョルジュも次の攻撃を放つ。イシュタルーナもこの好機を逃すまいと、

「なまは ああるや いゐりゃぬ、神よ、今、我に力を」

 眞咒を唱え、螺鈿の燦めきを持つ刺青を輝かせ、剣を神威で輝かせて振り被った。いらふも燕のよう、再び雪上すれすれに飛ぶ。

 メタルハートがそれらすべてを同時に剣で打ち返すさまは、あたかも四つの腕を持つ阿修羅像のよう、腕がいくつもあるかのよう見えた。

「あゝ、いったい、どうしたら」 

 イユの絶望の声が漏れるその時である。

 イシュタルーナの咒が天に届き、蒼穹に唐突に叢雲が起こり渦巻くと、雲の裂けめから、光とともにいゐりゃぬ神が降臨した。

 アヴァに向かって音声を発す。

「菩提薩埵よ、自在天を觀ずる聖なる菩提薩埵よ、ともにあれ。

 ぐゎふてゐぐゎふてゐぷぁらぐゎふてゐぷぁらさむぐゎふてゐゔぉでゐすふゔぁあふぁ」

 音声がアヴァを荘厳し、アヴァの双眸が強く裂(はげし)く綺羅綺羅燦めく。その光燦と相応し、『龍肯の聖剣』が烈しく光爆した。

「うわああ、あ、つっ、あっ」

 イリューシュは驚く。力が漲り、筋肉が膨らみ、からだが光を発する。おのずから手足が武技舞踏の名人達人のように妙義を得て巧みに動いた。そして、一つの構えに落ち着くと、聖剣がさらに輝く。そこで止まらなかった。

「あ、あっ」

聖剣が手から離れなくなり、かつ、イリューシュを急激に牽っ張った。その力は凄まじく強く、一瞬で加速し、弾丸のように眞っ向からメタルハートへ突っ走る。

 じぶんの意志とは関係なかった。全身を刃のように体當たりで突こうとしている。

「ぅおー、畜生っ、こうなりゃ、破れかぶれだ、どうにでもなりやがれ」

「あゝ、イリューシュ!」

 イユは心配で堪らず、叫ぶ。

「アヴァ、お願い、あなたは本當に觀自在菩薩の分け御霊なの⁉︎ あゝ、もしも、そうならば、お願いっ、イリューシュを助けて、あいつをやっつけて、お願いっ!」

 戸惑っていたのは、イリューシュだけではない。ダルジェロもどうして良いかわからなかった。初めて見るメタルハート、おどろおどろしい怨霊をまとう悪夢のような禍々しい姿に、心底、怖気づき、からだが震えていた。

 アンニュイが叫ぶ、

「ダルジェロ、大丈夫だ、自信を持て、君の力を見せよ。すべては五蘊に過ぎない」

 その叫びが合図であったかのように、アンニュイ、ジョルジュ、アッシュール、イシュタルーナ、いらふの五名がイリューシュに随従するように、メタルハートに向かった。

 ダルジェロも震えながら、うなずき、

「死を齊しく生と觀じ、生を死とぞ睿らめる」

 そうつぶやきながら一刹那、瞑目して集中する。まかふしぎの妙なる機らきによって、心が安堵して澄み清らかになった。鎮まるうちに五蘊が結びつく力が解(ほど)けて逝く。

 理由のない、我武者羅で、無明なる妄執が解体して逝くのであった。

 その悟りを眼前で明示され、メタルハートを被う怨霊が躬らを呪縛する怨恨の縺(もつ)れをおのずから解(ほど)くための明智を得て、大樂金剛(たいらきんこう)なる自在の倫(みち)を睿らめ、貪瞋癡を免れ、無餘依の涅槃へと儼(いつ)奇(く)しく現(うつ)奇(く)しく昇天して逝く。

 皆、欣然たる笑顔であった。精妙なる上天へ浄佛して逝く欣び。

「くっ、おのれ」

 メタルハートの顔から餘裕の表情が失せた。ぎらぎらと眼を燃え滾らせ、瞳孔の奥には燠火のような爛々たる炎が揺れ、激しく眉を顰めて眉間を近寄せ、歯噛みして牙を剥き出し、全身から憤怒の陽炎が立てて髪を逆立てた。

 イリューシュとほか五つの攻めすべてを一つの剣、『リャマ・ネグラ』を以って、腕が六つあるかのように受け叩きつつ、全身から発する氣によって弾き返す。弾き返したが、その反動の衝撃によって揺らぎ、

「うぐぐわぬっ」 

 と唸って蹌踉めき、膝を突く。斃れそうになった。

「やったぞ」

「おお、信じられない」

「やったか、あのメタルハートを」

「あゝ、遂に」

 だが、斃れそうであった状態は、ほんの一瞬、悪鬼羅刹のごときメタルハートは瞬時に飛び跳ね起きて間合いを取り、呵々大笑する。

「ふふ、この聖域では、無明なる生存も心を改めるらしい。

 どうやら、我が偉大なる〝非〟の炎、全否定即自己破滅、四方八方破壊、絶対虚無主義、貪瞋癡、一切憤恨、一切怨嗟、一切憎悪の力も無みされ、やや不利のようだのう。

 だが、神は全能にして全網羅、かつ、全肯定。それゆえ、全否定に齊(ひとし)き。ふっ。我知る、不平等はない、と。一切が存在であるがゆえ。ふふ。ふっふふ。

 しからば、場を変え、いずれ再び」

 そう言うと、凄まじい咆哮とともに、遙か彼方から翼ある神獣、翔虎が彗星のごとく降りて來た。衝撃で地が揺れる。獰猛な神獣は咆哮した。

「相見(まみ)え、闘い、命運を決せん」

 悠然と跨ると、空へ飛翔して消える。

 

 

 いらふ、イシュタルーナ、イマヌエル、ユリアス、アンニュイ、ジョルジュ、アッシュール、ダルジェロ、イリューシュ、イユら十名は暫時、茫然としていた。死力を尽くし、疲労困憊している。ダルジェロは今更に恐怖が甦り、その場に震えてしゃがみ込むのであった。

 いゐりゃぬ神はいつの間にか失せ、アヴァと表情のない少女はそれぞれの場所に、ただ、坐っている。

「ま、ハァぁ、ハァ、まあ、何とか、ハァ、なった、…って感じだが」 

 イリューシュが最初に口を開いた。ぜいぜいと息をしている。

 アッシュールも息がまだ荒かったが、つぶやくように言った、

「うむむ。聞きしに勝る化け物であった。いつかは復讐をと考えていたじぶんの愚かさ浅はかさを思い知った」

「復讐?」

 ジョルジュが眉を顰める。虚空を睨むアッシュールが、

「かつて、仲間と妹とを殺された。

 仲間は戦士であったから、やむを得ずとも、妹は留学生だった。裂大陸海洋(マル・メディテラーノ)を渉って南大陸へ向かう帰郷の途上、海鳥島(エル・パッハロ・デル・マル)に寄港中だった」

「そう言えば、南大陸の出身だったな。

海鳥島の虐殺か。何と不運な。あの時に居合わせたか。あの事件も未だに何のためか、目的がわからず、理不尽な、理解不能な殺戮であった。怒りと悲痛はよくわかる」

 日頃から感情を露わにはしない冷徹ないらふが暗鬱をもって眼窩を翳しながら言うと、却ってアッシュールは私事を持ち出したことを恥じ、

「いや、すまぬ。私に限った話ではない。皆もよく知るとおり、奴は戦闘員も非戦闘員も区別なく、すべて殺し得る者を殺し尽くし、あやつ躬らのプロテクターにしてしまう」

 アンニュイは委細を承知の上でうなずき、

「うむ。さぞかし無念であったと察する。いつかは斃さねばならぬ悪辣。とは言え、我らが力を合わせ、この聖域のなかという、有利な条件の下であっても、この体たらくとは、俄に信じ難い」

 ユリアスは記憶を探り、

「あの島は惨殺が続いた。生ける眞究竟眞実義と云われた青き双眸のいゐりやの虐殺もあった。その件はメタルハートとは無関係だが、あの島には、何かそういうような、日頃の様相とは真逆な出來事が多い。世界の臍とも言われ、最高の楽園とも讃嘆される一方、時々、大転回(ケーレ)となるべきことが起こる。

 それも臍、中枢、眞奥ゆえか。

 だが、それは、まあ、ともかくも、メタルハートの行動は常に天災のように理不尽だ」

 イマヌエルも眉を曇らせ、

「奴の存在そのものが、だ。あらゆる解釈を総動員しても、理不尽、不可解だ。人間とは思えない。いゐりゃぬ神すらあらわれたというのに斃せない」

 イシュタルーナは、しかし、

「神は誰かの味方ではない。神慮は計り知れず、それを推測することは難しい。いつかわかるかもしれぬが、人には永遠に知り難いかもしれぬ」

 沈黙。

 イユが我に返ったように、

「そうよ、イリューシュ、どうかしら、皆さんに休んでもらっては」

「あゝ、そうだな。でも、全員入ることができるかな」

 狭くて無理かとも想えたが、聖なる白い神象の聖堂に、難なく入ることができた。原初的な聖堂のなか、急傾斜に円環をなして坐す。奇妙な光景だった。

「何だか広くなったような気がしないでもないが……。彼のことだから、できなくもないことだな」

 イリューシュが見廻しながら、しみじみと懐かしみを込めて言う。

 自己紹介を互いにする必要があると感じ、アンニュイが躬ら名乗った。

「ジャン・マータと申します。人は私をアンニュイなどとも呼ぶ。

 お聞き及びかも知れないが、我らは(ジョルジュとダルジェロ、そして、アッシュールを眺めながら)殉眞裂士清明隊という、志のある傭兵隊です(アッシュールは異論を唱えそうになったが、アンニュイと眼が合うと「ま、いいか」という表情に。ダルジェロは天にも昇る気分に)。

 こちらの少女はアルダの生存者です」

「何と、アルダの生存者とは。それは大変だった。誰も生き残っていないと思っていた。さぞかし恐ろしい思いをしたであろう。よく無事で」

 イシュタルーナが驚きと同情の表情で言った。

「いったい、何があったの?」

 イユとイリューシュは知らなかったので、ユリアスが簡単に説明した。

「何て恐ろしい。そんなことがあったの。あの化け物は、そんな恐ろしい奴なのね」

そして、ジョルジュが、

「このダルジェロが命懸けで守ったのだ」

「いや、そんな大袈裟なことじゃ…‥」

 ダルジェロは俯く。

「ほう。見掛けによらず、勇敢な」

 イシュタルーナが感心するも、ジョルジュが、

「見掛けに依らずとは、少々失礼では…、でも、ないか」

 アッシュールが笑いを噛み殺す。

「ジョルジュ、お前は本當に面白い奴だな」

「ふ。何とでも言え」

「いや、そもそも、私の失言が原因」

 イシュタルーナがキッパリそう言い切ると、イリューシュがにやにや笑いながら、頭髪をぼりぼりと掻き、

「何だか、固っ苦しい、変な人たちだなあ」

 アンニュイも苦笑し、

「うむ。そうなんだが、気にしないでくれたまえ。

 ところで、メタルハートは、あなたたちの聖剣を狙っているようだ。以後もよく気をつけた方がよい」

 イマヌエルが危惧し、

「あゝ、何と。それか、ユリアスが言っていた聖剣とは。あ、私は哲学者イマヌエル・アルケーです」

 それにはユリアスがうなずき、

「そうです。龍肯の聖なる剣。間違いない。彫られている龍文を見れば晰らか。申し遅れましたが、私がユリアス・オシリス・コプトエジャです。スールから來ました」 

「おゝ、これは聖なる龍肯の究竟眞言だ。そう言うことか。ふうむ。

 わらわも申し遅れた。いゐりゃぬ神のしもべ、巫女騎士イシュタルーナ・イノーグ」

「これを奪いに再び來るか」

 ジョルジュが自己紹介を遮るようにそう言っても、アッシュールもまた止めもせず、

「いや、もう來ないのでは」

「今いる全員が、このまま、ここにいるならば來ない、來られない。その可能性も零ではない、…いや、奴なら來るか」

 イリューシュが慌てて、

「冗談じゃないぜ、アンニュイ。ってことは、皆がいなけりゃ、また來るってことか? まじか。いや、ま、でも、そーかもしんねーな」

「ふうん、我々は聖剣を想うならば、ここから離れられないという訳か」

 ジョルジュが言うと、アンニュイが、

「全員がこのままここにいて研鑽を積めば、まあ、一番安全とも言えるが」

 アッシュールは繊細な金細工のノーズティカを揺らして首を横に振り、 

「厭だな、死んだような人生だな」

 ユリアスも否定的見解で、

「メタルハートも進化します。いつまでも今と同じ状況が続く訳ではない。今日のことを鑑みても、辛うじてどうにかなったという程度です。ここが聖域でメタルハートの力が削がれるとは言っても、いつまでも絶対安全とは限らない」

「先ほども、紙一重であった。何かのタイミングが尠しでも狂えば全員死んでいた。絶対安全はない」

 イシュタルーナも聖域安全説には否定的見解だ。アッシュールは、

「我々だって進化する。いずれにせよ、私は逝く」

「イリューシュ、どうしよう、せっかく幸せだったけれど」

「ふむ、ここが他よりかは安全って言っても、皆が残らないとなれば、俺とイユとアヴァだけではまったく安全じゃないってことだ。

 ここにいても、外の世界へ出ても、同じくらい危険ってことか」

「わたしたちは、どうあっても、逃れられないのね」

「ふうん、そっかなあ、聖剣を捨てれば、もしかしたらいーんじゃねえかな?」

「何を言うのよ、イリューシュ、捨てれば、あいつがもっと強くなって、いつかは全員が殺されるわ。一日で何十万人も殺すのよ。何億人いても皆殺しになるわ」

 この世界の総人口は三百億弱、一日二十万人殺として四百二十三年以上を要す。その間に多くの誕生があるとしても、氷河期が人類を減じたように減ずると憂うアンニュイが、

「ともかくも、全員で移動してはどうか。化け物退治が終わるまで」

 イシュタルーナがうなずき、

「うむ、至高神聖の聖剣を守るためには、やむを得まい。幸い、いゐりゃぬ神の供養は山賊たちにも熟せるようになってきている。そうだ、神将ラフポワも連れて來よう」

「神将か。心強いな」

 ラフポワを知らぬジョルジュは素直に感心するも、イリューシュは、

「なあ、取り敢えず、自己紹介の続きをしないか、誰が誰だかよくわからねえ」

「さもありなん。私がジョルジュ・サンディーニだ」

「ダルジェロ・プラトニー・コギトーです」

「若干、不本意だが、殉眞裂士のアッシュール・アーシュラ・アシュタルテ」

 イリューシュも、

「俺はイリューシュ・ユジーユ、こいつは…」

「あなたは黙って、イリューシュ。

 わたしはイユ・イヒルメ。この子はアヴァ。アヴァ・ロキタ・イーシュヴァラ。觀自在菩薩と同名で、半信半疑だったんだけど、今日、確信したわ」

 アルダの少女は無表情だった。アンニュイは眺めながら憂いに満ちて嘆息し、

「取り敢えず、仕方あるまい、ジョルジュ」

「そうだな、仮に名前をつけるか。呼び名を。何かないか、イマヌエル」

「エルピスはどうだ」

「いいね、エルピス(希望)か」

 アッシュールが言うと、ジョルジュもうなずき、

「じゃ、決まりだな。ともかく、この子の里親を見つける必要がある。アンニュイ」

「そうだな、それを一番先になすべきだろう。我らと一緒では危険過ぎる」

「アカデミアに逝っては、いかがか」

 イシュタルーナが提案する。ユリアスも賛同し、

「巫女騎士殿、良い考えです。調べたいこともあるし」

「調べるの? 何を?」

 イユの問いには、いらふが答え、

「むろん、メタルハートのことだ。奴には謎が多過ぎる」

「もしかして、アカデミアの大図書館に逝くの? 凄い、夢みたいだ、世界一の知の宝庫」

 ダルジェロがにわかに顔を明るくした。アンニュイは決然と、

「では、これからの行動だが、おのずと決まったようだな」

「アカデミアは聖域中の聖域。我らに有利であること、この上ない。まったく好都合だ」

 ジョルジュは剣を取り立ち上がった。アッシュールも、

「今すぐにではないが、費用は傭兵業でまかなうっていうのはどうか、アンニュイ」

「ふむ、悪くない」

「何だ、ぢゃ、俺ら全員、殉眞裂士清明隊という訳か、そいつぁ、愉快だな」

 イリューシュが言うと、アッシュールは、

「うまくやられた感もあるが、まあ、よいか。目的に共通項がある」

「いいだろう、現実的選択だ。では、早速出発しよう。装備は道々揃えればよい」

 いらふは早くも龍馬に跨る。イシュタルーナも、

「ふむ、街に出たら、ラフポワを呼び寄せる手紙を書こう」

 イリューシュは供物として捧げられ、貯まっていた食糧品や衣類など、役に立ちそうなものをまとめて縛り、分散して龍馬の背に乗せた。

 乗り物のないイユとイリューシュとアヴァとダルジェロとエルピスは龍馬や羚羊に分乗した。

 なお、イシュタルーナは大羚羊、ユリアスとイマヌエルは普通の羚羊である。

「下山したら、どこかで龍馬を買い揃えよう。速さがまったく違う」

「今まで考えたこともなかったが、龍と羚羊を掛け合わせた神獣っていないものか。いれば、山岳地帯では龍馬よりも早いやもしれぬ」

 イシュタルーナのその問いに、アンニュイが応え、

「巫女騎士殿、いるかもしれませんね、アカデミアでは交配の研究もしていると聞く」

「興味深い。ところで、もはや仲間、と言うより運命共同体となったのだから、他人行儀な物言いは、不自然と思うが、どうか」

「大歓迎だ。しかし、大丈夫か、巫女騎士。あなたが一番、苦手そうなことだが」

 ジョルジュがからかい気味にそう言った。

 イシュタルーナはそれにも真顔で応え、

「お見込みのとおりだ。努力しよう。在るべき在り方で在りたい」

「そういう動機でくだけた話をする人も珍しい。可笑しき御仁。ジョルジュとは趣を異にするが」

 アッシュールはそう言って、くっくっと笑い、ノーズティカを揺らした。

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