第20話 アルヴィアの虐殺

「アカデミア天領の南部、南の山脈の嶺を越えた、南側の中腹、聖エルロイペ王国と国境を接する辺り」

 ダルジェロが応えた。イユとイリューシュ以外は概ね場所の見當がつく。裂士たちのざわつきを見て、ユリイカが、

「どうしたの」

 アンニュイが説明し、

「逝かなければなりません」

「応援をつけるわ」

「ありがとうございます。兎にも角にも、今すぐ出立します。どうか、ご容赦を」

「むろんよ、念のため、全員で逝って。メタルハートと出会す可能性もあるから」

 アンニュイは振り返って、

「それから、イマヌエル、貴殿はここで図書館の調査をお願いする」

「そうしよう。不名誉だが、私は戦闘の役には立てないことがわかっているから」

「調査も闘いだ。頼んだぞ」

「わかった」

 ラフポワは置いて逝こうとアンニュイは考えていたが、イシュタルーナが、

「さような気遣いは無用」

 その一言で決まり、アンニュイ、ジョルジュ、アッシュール、ダルジェロ、イシュタルーナ、ラフポワ、いらふ、ユリアス、イリューシュ、イユとアヴァが向かうこととなった。

 イユとアヴァを向かわせることにもアンニュイは反対だったが、『龍肯の聖剣』の威力を発揮させるにはイユとアヴァとが必要である。

「そうしないならば、イリューシュも置くべきだ。でなくては、彼を殺させるに等しい」

 アッシュールがそう主張した。皆が納得し、又「聖剣がなくてはなるまい」と。

 龍馬と龍羚は飛ぶように急ぐ。音速を超える疾駈、二時間とはかからない。午後二時半。

「ここがアルヴィアの街があった場所だが」

 市門をくぐっても、人の姿は見えない。石造建築も焦げ、木造家屋は焼け跡を遺すのみ。

「ちっ。これも最近よく見る光景となってしまったな。ひどいもんだ。エルピスが襲われたというよりも街が襲撃された感じだな。報告と相違がある」

 アッシュールが言う。ジョルジュがうなずきながら、

「あゝ、悪夢そのものだ。もしや、これもメタルハートの仕業か」

「ふうむ、検証すべき餘地があるが。いずれにせよ、アカデミア天領での暴虐、帝国イ・シルヴィヱの手と思って間違いない」

 ユリアスが思案気にそう言うと、ジョルジュが、

「南で何をしようとしているか、だな」

「エルロイペ王国か」

 アッシュールがつぶやく。

「エルロイペ? どこ? なぜ?」

 イユが問うた。それには、いらふが応え、

「南山脈の外側にある王国だ。その首都は国名と同じで名を冠し、又、聖都と呼ばれている。残念ながら、王国内でジーク男爵の内亂が起こり、隣国ヴォゼヘルゴ連邦の傀儡政権が内亂平定を口実にエルロイペ内に侵攻し、王国軍と一触即発の状態となっているが」

「ヴォゼヘルゴの政府は神聖イ・シルヴィヱ帝国の傀儡」

 アッシュールがつけ足して言うと、アンニュイの顔に苦悩が浮かぶ。それを見て、ジョルジュも眉を顰めた。

 イリューシュが顔を曇らせ、唇を噛み、

「そういうことか。何て不運なことよ。この街がその通過経路であったという訳か」

「他にも、理由がありそうだ」

 ユリアスが言うと、理由のわからぬ不安を覺えつつ、ダルジェロが問う、

「何でしょうか。あなたは僕たちよりもよく知っている」

 それには、アンニュイが応え、

「挑発だ。私がエルロイペの出身だからであろう。私の国をこれから襲うぞというデモンストレーションだ。我らを聖域外へ誘き出すため。エルロイペの近くで事を起こし、危機感を募らせる、そういう策だろう」

 歎息とともに、ジョルジュが、

「じゃ、きっと、エルピスがいることも知っていたな。ともかく、我らを誘き出す作戦だ」

「そのために、こんな甚大な犠牲を。どのような理由であっても、赦されることではない。魂は地獄へ堕ちて、永遠に苦しみ、絶対に救われることがないであろう」

 イシュタルーナの激越なる怒りの言葉。ユリアスは冷静に、

「ふむ、しかしながら、この痕跡を見る限り、メタルハート自身と言うよりは、正規軍や特殊部隊でもない捨て駒的な愚連隊、強制収容所から徴した最下位の兵などでしょう」

「道理で。破壊や略奪の跡がある。メタルハートの場合だと、殺戮して暴れ廻った際に自然に発生する火災だが、これは砲弾などによる破壊の痕跡だ。そして、絶対にメタルハートにはない事象、放火や陵辱の痕跡もある」

 アッシュールがそう分析すると、ダルジェロが、

「ならば、メタルハートは、もはや、エルロイペに到着しているのでは。ここは下級兵士にやらせて、じぶんは先へと進み、僕らを聖都救済に間に合わないようにさせ、心的なダメージを与えるために」

「然り。聖域外に誘き出し、かつ、聖都エルロイペの救済にも間に合わないようにさせる計畫だ。そうとわかれば一刻の猶予もない。急ぐべきであろう」

 ユリアスも同調する。

 だが、アンニュイは別の行動を促す、

「いずれにせよ、今は行動すべきだが、今なすべき行動は民衆を救うことであろう。この街が全滅とはまだ決まった訳ではない。時間は少ないが、さあ、生存者を探そう」

 イシュタルーナが疑義を呈し、

「それもそうだが、聖なる都エルロイペへ急ぐべきでは」

 アンニュイは応えなかったが、ジョルジュが、

「逆私情か、アンニュイ。お前らしいとも言えるが。

 聖エルロイペの救済を優先することを、私情を挟むこととして羞じ、敢えて優先すまいとしているが、それは現状を見誤っている。むしろ、私情による弊害だぞ」

「僕もそう思います」

 ダルジェロがそう言うと、イユも、

「わたしも。でも、エルピスは探したいわ。私情よ、でも、探したい」

 ラフポワもうなずき、

「そうしようよ」

 探す。探すうちに、生存者を見つけ、一箇所に集めた。生き残っている者たちのなかには、医者や医療の心得のある聖職者もいる。

 ダルジェロはジョルジュとともに歩き探しながら尋ねた。

「逆私情ってどういうことなの」

 彼女は語る。

「アンニュイは聖都エルロイペ王国の女王エスカテリーニャが未だ少女であった頃の、少年近衛騎士、聖騎士だった。特に選ばれた高貴な血統を正しく継いだ者で、なおかつ、卓抜した知性と武の伎倆を持たなければならない、特別な地位だ。 

 しかし、近衛の聖騎士とは言え、王女に近づくことなど許されない。

 アンニュイにとっては遠い憧憬であり、人の手の届かぬ清らかな高嶺の白花、崇拝の対象でしかあり得ない存在だった。

 ある日、アンニュイは一枚の美しい刺繍入りハンカチを庭で拾った。芝生の上、王女の部屋に近い小さな噴水の傍らだ。

 イニシャルが見え、それが誰のものかわかった。

 落とし物なのだから、拾うのが當然だが、拾うということは触れるということだ。それすら憚られる身分の違いだった。

 侍女を呼ぶべきであった。しかし、彼は魅せられ、惹かれるように、拾ってしまった。そして、嗅いだ訳でもないのに、その芳しい香りを吸ってしまった。

 彼はその現場を侍従に見つかり、罰せられた。

 心優しき王女エスカテリーニャはじぶんの過ちで落としたハンカチを拾ったために、 罰せられた近衞少年騎士がいると聞き、心を痛めた。

 侍女や家臣の止めるのも聞かず、牢番を退け、牢獄に鎖で繋がれたアンニュイの前にあらわれた。高貴な身分のものがそのような不浄の場所に來ることはあり得ないことだが、王女は構わなかった。

 しかも、鎖に繋がれっ放しなので、糞尿は垂れ流しであったが、王女はそれも厭わず、鉄格子の扉を開けさせ、なかに入り、さめざめと涙を流し、頬に触れた。アンニュイは疲労と苦しみに朦朧としていたが、その場面をはっきりと憶えていて、永遠に忘れられないであろうと、當時、家族に話したことがあるという。天にも昇る想いであっただろうと推察する。私はそれを淡い、しかし、純眞で、崇高な恋であったと考える。

 だが、そのことは彼にとっては、さらに不利に働いた。

 アンニュイは愛する祖国を失い、誇りとしていた名誉ある家とも縁を切らされた。国外追放となったのだ」

 ダルジェロはアンニュイの気持ちを想い、女王の気持ちを想い、涙した。

「可哀そうに。とても、辛かったでしょう」

 雨が降り始めた。すぐに激しい土砂降りになった。午後二時五十分。

「ちっ、來やがったぜ」

 イリューシュが天を睨む。それでも歩きやめなかった。筋肉から濛々と湯気が立つ。

 その時であった。

「いたぞー」

 ユリアスの叫びだ。皆が集まった。

 エルピスが生きている。

「いたか。よくぞ生きていた」

 しかし、その周囲には焼け焦げた死骸が数体。

「いったい、これは」

 その時のエルピスの顔は皆が初めて見るものであった。激しい怒りの表情。

「エルピス……」

 イユが言葉を詰まらせる。イマヌエルが驚きで眼を瞠き、言葉を洩らす、

「……烈しい憤り。魂を裂くほどの憎悪が炸裂した後の残滓を感じる。エルピスの感情が蘇ったんだ」

 そのつぶやきと同時に、滂沱の涙が、エルピスの瞼の堰を超えてあふれ、激越なる言葉が迸る、

「家族がいました。幸せでした。皆虐殺されました。ジン・メタルハートに殺されたっ。ジン・メタルハートが憎いっ」

 ユリアスがゆっくり周囲を見廻し、

「憎しみの炎……。凄まじい……、凄まじい力だ。エルピスの激しい憎悪の炎が愚連隊どもを焼いたんだ」

「恐らくは、この虐殺が、残虐が、封印されていた記憶を、エルピスの感情を蘇らせたからであろう」

 アンニュイが哀しげに言う。ジョルジュが、

「たぶんね。だが、ここにいたのが、もし、メタルハートであったならば、恐怖が憤りに打ち勝って、魂まで殺されていたかもしれない」

 そう言いながらアッシュールを振り向く。長身の女傑も腕を組んでうなずいた。イリューシュも深刻な表情である。辛い表情であった。

「エルピス……」

 イユはかすれ震えた声でつぶやく。だが、感情があふれ、それ以上が言えなかった。深い哀しみ、苦しみを共有する傷み、涙がこぼれた。

「エルピスがこれを」

 ダルジェロも半ば茫然自失である。焼けた愚連隊を見廻しながら、信じ難い気持ちであった。その怒りの凄まじさは、身を裂く哀しみや苦しみの表れでもある。

 アンニュイがエルピスに近づく。エルピスは一点を凝視したままだ。アンニュイの存在に気がついてすらいないように見えた。アンニュイがそっと抱く。そして、恐るべき冷厳な声で言った。

「エルピス、君の怒りは神の御前においても正當だ。報いは必ず受けさせる」


 その頃、彼らを追って來たアカデミアの軍が到着した。その一部にエルピスを預け、アカデミアへ連れ帰るよう指示し、アカデミア正規軍にはアルヴィアの難民救済を依頼する。アカデミアの隊長は承諾したが、ただし、

「こちらの目途が立ったならば、逝ける者をそちらへ逝かせます。それはお赦しください」

「わかった。しかし、死を覺悟せよ。では、ともかくも、我らだけで今は逝く」

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