第21話 エルロイペ王国 聖都エルロイペ 死闘 その二
激しい雨も物ともせずに突き進む龍馬と龍羚の一群。怒りが伝わるのか神獣たちも興奮し、怒濤のごとく連打の足音を鳴らしながら、全身から湯気を立てている。
土砂降りの音とともに、聖なる瀧の音が聞こえて來た。
「エルロスの二つ瀧だ。聖なる清流」
アンニュイが言う。渓谷の断崖に段々に広がる聖都の左右を高地からの二つの瀧が垂直に落ちていた。あまりの高さのため、峡谷に着地せずに、中途で霧散している。
城壁が見えた。高く聳え、白く輝いている。聖都の名にふさわしい。
巨大な鋼鉄の門扉は紙のように破られていた。
「いるぞ」
いらふが言う。ジョルジュは剣を抜き、
「あゝ、わかっている。あれは兵器で突破した痕跡ではない。手仕事だ」
アッシュールもうなずき、
「ふ、そうだな。メタルハートでしかあり得ない痕跡だ」
近づくと、門の周囲は兵士の死骸だらけであった。門のなかに入るには瀧の落ちる前を渡らなければならない。本來は門扉が外側に倒れ、橋が架かる仕組みであった。今はそれができない。龍馬や龍羚は軽々と飛んで渡った。
崇高なる門をくぐる。石造建築しかない都で、ところどころ煙は上がっていたが、本格的な火災はまだこれからであった。
城壁内にも、酷たらしい兵士の遺体があっちこっちにある。民間人も混ざっていた。
「これだけの大都市、人口の多い街だから、まだ相當の人が生き残っているはずだ。急いで撃退しないと」
ユリアスが言う。イシュタルーナが見廻し、
「ジーク男爵の軍も、ヴォゼヘルゴ連邦の軍もいない。メタルハートの力だけで王国を滅ぼしたか」
「そうだな。だが、愚連隊はいるようだ。虐殺を始めているらしい。ジーク男爵の私軍やヴォゼヘルゴの正規軍も、やがて侵入してくるだろう。その前に、メタルハートや愚連隊を斃して、門をバリケードで閉ざさないと市民の犠牲はさらに大きくなる」
アンニュイが言うと、イリューシュは顎を摩り、
「いろいろ考えると、まったく時間がないな」
「どこにいるか、王宮だろうな。やはり、王族を狙うのがセオリーだろうから」
アッシュールがジョルジュの顔を見れば、ジョルジュはアンニュイへ、
「アンニュイ、案内してくれ」
中央大路を疾風のように進む。
「あちらから音がする」
「正確には悲鳴だな、イシュタルーナ」
「そのとおりだ、ジョルジュ。逝ってみよう」
愚連隊、と言うよりは正確には人間以外の人型種と言うべきオークであった。男を殺し、男たちが守ろうとしていた家族、女やこども、を錆びた刃で裂こうとしているところであった。
「路上に十数匹、おそらくは家屋に数匹、近くに路上にいるであろうものが数十、街全体で数百というところか、千は超えまい」
「軍の規模から言ってさほど拡散はしていないはず。この周辺だけでも片づけよう。一瞬散るぞ。三十秒だけだ。午後三時三分三十三秒に再集合だ」
燕のように移動するいらふ。
たちまち十数匹を屠る。イシュタルーナは建物に入り、次々斬る。
「臭いが強くてわかりやすい」
ジョルジュとアッシュールとは逃げ惑うオークを追い越し、前に立ちはだかる。命乞いをするオークが「頼む、赦してくれ、生きるために仕方なかったんだ」と懇願するも、
ジョルジュは冷厳な無表情。
「ならば、死ねばよい。悪を為して生くるは魂の地獄。正義のために生存を絶つは幸福」
「ばかな、普通はそんなふうに想えるものか、そうはなれない、不死の者に何がわかる」
「我らは不死ではない。不死とは死を恐れる者の愚行に過ぎぬ。真の聖なる不死とは、死すること。時が來て櫻華が散るように」
言って斬殺した。ダルジェロはその場を見たが、生存の虚しさを抱く。
イリューシュはイユとアヴァを龍馬の後ろに乗せ(三人乗り用の鞍)、聖剣を構えると、その光燦でオークたちはパッと燃えて煙と消える。
アンニュイは静々とアーケードを歩き、立ち現れる賊どもを『霓の稲妻』を振るい、事も無げに切り捨てた。
ラフポワは雨も気にせず、ノタノタ歩く。目の前に数十のオークたちがあらわれ、
「やいやい、この状況で呑気に歩いているなんざー。ちーと頭がおかしいガキか? しかも、この雨のなかをよ。
へっ、だからって容赦はしねーぜ。どうだ、恐怖に震え慄きしょんべんチビれやー、がははあ」
だが、ラフポワはにっこり笑い。
「思ったとおり、探さなくてもこうして僕が歩いているだけで出て來てくれるんですねー、助かります」
「何だとー、マジでいかれてんのか、このがきゃー」
彼はトネリコの枝『雷霆の鎚』を上げた。
「はあん? それで俺たちをやっつけよーってのか? あひゃーははは、は、腹が捩れる、笑わせ過ぎだぜー」
ラフポワもにっこり。
「どうしてみんないつもそういうお約束のリアクションなんでしょーね」
振り下ろす。
凄まじい霹靂とともに、路にクレーターができてオークたちは跡形も残らなかった。
「力の加減を学ばなければいけないな、ラフポワ」
振り向くと、イシュタルーナ。
「何だ、見ていたの、やめてよー」
合図が響く。
「さあ、三十秒が過ぎた。宮殿に向かおう。一刻を争う」
だが、その必要はなかった。オークの雑兵を相手にしていようがいまいが、変わらなかった。同じ結果であったのである。
すべては羅刹のような悪魔の計算どおりの結果であった。
「おい、アンニュイ、あれを見ろ」
見上げる円塔の頂にある円錐の屋根のスレート葺の上に立ち、こちらを見下ろす黒いシルエットがある。烈しい雨に黒髪を靡かせ、数多の怨霊を躬から浮かび上がらせる姿。右手には黒い炎をまとう龍神が絡む魔剣。
「ジン・メタルハート!」
その左手に人間の髪の毛をつかんでいた。長いその髪は生きていた時は美しい黄金であったであろうが、今は血塗れで、どす黒かった。濃い血液が土砂降りに打たれ、たらたらと流れ落ちている。
その髪の毛にぶら下がっている生首もまた、血塗れであった。ぶらりぶらりと揺れている。眼はかっと睜かれたまま止まっていた。それは威嚇する怨霊の眼のようでもあり、死の驚きと恐怖とに震えたまま止まった眼のようでもあり、悲痛に満ちた悲劇のまま凍りついた眼でもあった。
「そ、そんな、ば、バカな」
「信じられない、あゝ、そんな」
聖エルロイペ王国の女王エスカテリーニャの生首であった。
アンニュイの激情が迸った。龍馬がいななく。噴き上がる闘気で石畳が巻き上がった。
「貴様っ、メタルハート!」
一瞬で垂直の壁を龍馬で上がり、急傾斜の円錐型の屋根のスレートを踏み砕いて立つ。
「貴様っ、よくもっ」
燃え墜ちる流星のごとく、自滅的な凄絶さで、眞っ正面から突っ込む。
『霓の稲妻』が虹色に燦めく稲妻を幾条も落とした。屋根がそちこち吹き飛ぶ。メタルハートは笑って躱した。
「ふはは、ははっ、あははは、憎め、悪(にく)め、恨み怨んで身を焼き爛れ牽き裂くがよい」
「この悪魔め」
ジョルジュもアッシュールも龍馬を駈り、アンニュイに一刹那遅れて続いた。いらふは龍馬を降り、躬らの足で駈け上がる。イシュタルーナは龍羚を駈る。五人で黒髪靡かせる蛇眼の鬼神メタルハートを囲んだ。閃光が光り、雨はさらに激しくなった。
ユリアス、ダルジェロ、ラフポワ、イユとイリューシュとアヴァとは下で見ているしかない。ダルジェロはまたもや激しく震えた。生存が根底から揺さぶるのだ。死は海の大潮流だ。〝あゝ、恐ろしくて、どうにも抑えられない、この震えを。死は僕を遙かに超えた、途方もなく巨大で、儼なる存在、生存の最も奥深い存在だ〟と。これを超越しなくては。
ダルジェロは言葉や思惟にならぬ直截睿知を觀ずるように努めた。これが彼の天性である。彼を超えた彼の性であった。觀ずれば、臍下丹田に黎明を覺え、甚深な瞑想に入る。
アンニュイが再び正面から突っ込む。イシュタルーナは背後から迫って頭上に、いらふも背後から迫って下から上へ。
ジョルジュの『銀月の剣』の三日月形の光の刃が左から、アッシュールの『三叉屰』が右から突撃する。
「猪口才な」
すべてを一振りの剣で弾くのであった。その勢いで塔が瓦解し、五人とも墜落する。
「ぅらああ」
崩れ落ちる塔の崩壊とともにメタルハートも飛び降り、とどめを刺さんとす。
「そうはさせるか、畜生め、やぶれかぶれだっ」
イリューシュが騎乗で聖剣を眞上に振り上げた。
アヴァが双眸を燦々とさせ、イユが咒を唱え、その二つが絡みながら荊棘のように聖剣に蔦(つた)奔(ばし)ると、聖剣の切っ尖から光線が火(ほ)口(と)奔り、天へ亢龍のごとく噴き昇り、《いゐあゑえうをお》神の臍下丹田(せいかたんでん)に入り、赫奕を萬億倍に強化し、霆をよぢり集めた綱のような太い光の柱となって急降下、メタルハートの眞上に墜ちる。千分の一秒の間の出來事であった。大陸が大きく震撼する。
墜ちる直前、ダルジェロが心に觀じた、体験でしか知り得ない直截睿知を心から心へと伝えるよう怨霊へ諄々諭し、無餘依涅槃へと赴かせた。『リャマ・ネグラ』の黒い炎が消え、霊的な鎧兜であった怨霊が失せ逝くその瞬間に、聖剣の大神威が天から墜ちたのである。
それに重ね、ラフポワがトネリコの枝『雷霆の鎚』を振り下ろし、いゐりゃぬ神の大雷霆でメタルハートを撃った。
メタルハートは「ぅぐわっ」と叫び、重なる攻撃に躬を焼き焦がして膝を突くも、魔剣を地に刺し、どうにか體を支えて斃れまいと持ち堪える。
それを見てイリューシュは「瞬(いま)こそっ」と龍馬の鞍を蹴って飛び上がり、「喰らえっ!」と叫びとともに、メタルハートの眞上に渾身の力を込めて聖剣を振り下ろした。
ぐゎっごぎッ! 劇烈な激突音を爆裂させ、非の『リャマ・ネグラ』と『龍肯の聖剣』とが再びぶつかり合う。またもや、超絶空の光燦爆が起こった。
だが、以前と同じではない。限りなく零秒近い一刹那、同じ轍を踏むまいとするメタルハートは存在のすべてから、生存の根幹である妄執を起源とする、無限に湧く憎しみ、瞋(いか)り、劇しい憤裂の怨の眞髓である眞魂眞奥を炸裂させ、
「ぅうらっあああああああーーーっ!」
という凄まじい絶叫とともに漆黒の負の大爆裂を捲き起こし、すべてを黒い大火炎で噴き飛ばした。
怨み、憎しみ、瞋りの力は生存の根本で、存在たる威壓を数千倍とす。ブラックホールのような底なし無限大の重力、大重壓、超重低音の轟きで裂き、天地を鳴動させた。
城壁が瓦解し、すべての石造建築が崩れ、街が消え果てる。
イリューシュの龍肯(りうのがゑむじ)が未熟なため、メタルハートの絶非の威、氣魄に負けたかたちである。魂の威力で勝負は決する。それが神の決裁であった。
粉塵が起こるも、土砂降りのため、小時のうちに喪せる。雷霆が暗雲を裂くも、垂れ籠める雲によって暗く、日没前の時刻であったが、既に昏くなっていた。
雨が止む。
アンニュイの意識が戻った時、昼夜がわからなかった。びっしょり雨に濡れ、聖都を見下ろす山の斜面に、仰向けになって倒れているじぶんに気がつく。起き上がった。
「ジョルジュ、イユ、アヴァ、ダルジェロ、アッシュール、イシュタルーナ、ユリアス、ラフポワ、イリューシュ、いらふ。どこだ、無事か」
だが、誰もいなかった。
「まずい、ばらばらになってしまった。皆メタルハートにやられる」
聖都へ向かって下る。いななきが聞こえた。鞍だけを乗せた龍馬である。
「あ」
彼の乗っていた龍馬であった。アンニュイのことを探していたようだ。
「おお、お前も無事だったか、今は何よりの吉兆だ。よし、裂士たちを探しに逝こう」
気力が甦り、焦りを抑制しようと念を凝らした。
その頃、イシュタルーナとラフポワは聖なる都の下、瀧が霧になる辺りの小さな岩棚に倒れていた。意識を戻した巫女騎士は傍に斃れるラフポワを見て青褪め、
「ラフポワ、大丈夫か、頼む、眼を開けてくれ」
少年は顔を顰めて眼を擦った。まるで、午睡を邪魔されたかのように。
「う、ううーん、あ、イシュタルーナ、おはよう」
「バカ者、おはようじゃない、いや、無事か、怪我はないか、ともかくも、お互いの近くに落ちて幸いだ。いゐりゃぬ神のお力だ。深く感謝しよう」
「でも、大変だ、皆バラバラなんだ。それがメタルハートの狙いだよ」
「うむ、確かに。しかし、この近くには誰もいない。だが、仲間の誰かが襲われているかもしれない。もし、そうならば、急いで加勢しなければならぬ。探すぞ、ラフポワ」
「でも、ここからどうやって上がるの?」
「龍羚を呼ぼう」
「呼べるの?」
「當然だ。お前の龍羚も呼び戻す」
「やったー」
同じ頃、いらふは城壁の残骸の上で、ユリアスの肩を揺すっていた。
「起きろ、ユリアス」
「う、うう。ここは?」
「崩れた城壁だ。飛ばされたんだ。恐らくは神の加護があったのだろう。たぶん、イユかダルジェロ、もしかしたらアヴァの眞咒が効いたんだ」
「そうか。メタルハートは我らを斃すか、最低でも分断しようとして。だとすれば、イリューシュたちが危ない」
「正確に言えば、イリューシュだ。メタルハートがあの三人を一緒にするはずがない」
「確かに。急ごう」
「じぶんは急ぐが、ユリアス、あなたは、この場にいた方がいい。ただ、意識のないまま放置はできないから起こしただけだ」
「いや、私も逝く。大丈夫、ともかく急ごう。恐らくは、敵は都のなかだ」
又その頃、ジョルジュは瀧の飛沫で目覺め立ち上がった。
「う、ううむ。今は何時か。まずいぞ」
龍馬を呼ぶために口笛を吹くかどうか迷ったが、
「いや、寧ろ、口笛の音に気がついて、私のところにメタルハートがあらわれるならば、寧ろ、ありがたい。他の者らが助かる」
口笛を吹いて、龍馬を呼んだ。
來た。それとともに、もう一頭の龍馬が。
「無事だったか、ジョルジュ」
「アンニュイか、あゝ、良かった。ん? あの音は何だ」
「恐らくは、イシュタルーナだ。龍羚を呼ぶ口笛だ」
「よし、合流して聖都へ戻ろう」
イリューシュも目覺めた。眼の前では死力を尽くし、魔剣『リャマ・ネグラ』を支えに、どうにか片膝を突いた状態で斃れずに、肩で息をするジン・メタルハートがいた。
イリューシュが声を掛ける、
「おい、お前。ジンとやら。
何で、お前はそんなに必死放(こ)いてんだよ。バカじゃねえのか。人殺して、じぶんも、ンな鬼形相必死で。ぜいぜい息切らしてまでよー、何なんだ、てめえわ」
メタルハートは顔を上げた。だが、イリューシュの駄言には応えない。
「聖剣は、どこだ。『龍肯の聖剣』を寄越せ」
イリューシュは鼻を穿って、唾を吐く。
「ったくよー、何なんだ、その辛気臭えー、がりがり亡者っぷりはよー。いーーっ加減にしろや」
メタルハートは立ち上がった。
「寄越さねば殺す」
「ばか言ってんじゃねーよ、どーせぶっ殺すんだろ。虫けらみてーによ」
「お前がいなくても探せる。お前は死ね。死して後も苦しみ、我が怨霊となれ」
「じょーだんじゃねーや。誰が怨霊なんざになるもんかえ」
メタルハートはもう何も応えなかった。魔剣『リャマ・ネグラ』を振り被る。だが、
「むっ」
弾き落とした。光の塊がメタルハートを狙って飛んできたからだ。それは『龍肯の聖剣』であった。イリューシュのすぐ傍に落ちる。
「何者か」
「僕だ」
ダルジェロであった。恐怖で震えていている。彼は誰よりも早く覺醒し、イリューシュが危ないと察して探し回り、無我夢中で探し当てた。なぜ、探せたか。
〝人間は皆、最初からすべてを知っている。無意識の最深最奥に宇宙そのものが一式あるからだ。だから、わかる〟。そう思った。
だが、見つけた刹那、からだが諤々震えてとまらない。〝生存=死への恐怖だ。死への恐怖が生存なのだ。生命に還ろう。あゝ、瞑想に入らなければ。僕本來のすべて。宇宙へ。佛国土をも做すほどの力を解放しなくては〟。必死に震えを抑え、
「イリューシュ、剣を取って。僕が眞咒を唱える」
「お、おう」
取ろうとするも、
「そうはさせるか」
メタルハートが襲い掛かる。速い。咒を誦する暇がなかった。ダルジェロは無意識に印契を組み、眞咒を、《彝》と一言のみ誦する。ウパニシャッド大聖堂の中央大尖塔にある聖なる《彝》を想起していた。心のなかで、「聖の聖なる神髓の中枢の奥なる眞髓、《彝》よ、僕に眞なる睿智をお與(あた)えください。宇宙のすべてを睿らめて大自在天と做し」と希いながら。突如、機らきが燦めいた。
ダルジェロが觀じた《彝》が実際の眞究竟窮極の眞実奥義の
睿知が降り、ダルジェロは聖なる力をからだに觀じて解脱し、眞人神人となった。それが『龍肯の聖剣』の龍文と重なり、大神威を燦燦爛爛たる大爆氾濫流のごとく放つ。それだけではない。すべての存在の〝龍肯〟が呼応した。メタルハートがやったことと同じだ。撚り集まって巨大な超極太の光の束が生起し、巨大な彗星のように火散らせる勢いでメタルハートを壓倒し、吹き飛ばそうとした。
メタルハートは「くそっ」と鋭く短く唾棄し、魔剣『リャマ・ネグラ』を垂直に、光爆の大彗星を正面から受けて断ち裂かんとするも、虚し。
「ぅうぐわああああ」
激しい衝撃を受けて鎧が裂けた。しかし、レジストしていた。
「ぬっ、ぬぬうおぉ、それがどうした。裂けよ、破れよ、我は〝い《非》〟なり。我が躬よ、牽き裂けよ。裂け散れ。絶空っ! ただ、物質なり。無味乾燥、非情。ぅらあ、力よ、ぅぬうお。見よ、神など萬象に齊しく遍くあらば、なきに等しきものぞよ!」
光爆彗星を堪えながら、力尽くでゆっくりと押し返していた。恐ろしい光景であったが、ダルジェロの震えは止まっていた。互いに叛すれど、差異は附与されたものに過ぎぬ。死は生に齊く、生は死と異ならぬ。神懸かった声が暗鬱な双眸の少年の五臓六腑から湧く。
「彝(しかり)。龍肯にしあらば。狂裂する自在奔放無礙無際限自由ゆえ。彝(しかり)。お前の言うとおりさ」
メタルハートは狂ったかのように激越に笑い、そして、
「肯(うべなひ)か。ふ、愚か。それが我が否定なり。我を非するは我を強化する哉。我は我をすらも切り裂く地獄の修羅ぞ、自滅破滅の狂裂こそ生存の原初衝動」
絶叫し、激烈に躬らを刺す裂く。濃厚な青緑の血が噴き出した。その暗い血が降り掛かると、『龍肯の聖剣』が赫きを喪う。それでも、神懸かったダルジェロは、
「彝(しかり)。それが僕らの肯定だ、それが現実、定義も、根拠もない、ただ、事実だっ」
ダルジェロが輝きのない聖剣をイリューシュから奪うように取り、ざばっと斬った。いとも自然に、花を手折るかのよう。叫びどころか、絶句にすらもならず、かっと眼を睜いたまま、メタルハートは斃れた。だが、死なぬ。死なぬどころか、斬られた青緑の血飛沫でイリューシュもダルジェロも噴き飛ばす。
「おンのれぇえええ、殺す、ぶっ殺してくれるわ」
魔剣を地に刺し、それを支えに、ふらふらと立ち上がった。
イリューシュはダルジェロから受け取り、剣をつかむ。彼もまた、ふらふらしている。
「ちっ、戦えるか」
唾を吐く。ダルジェロも同じ考えだった。一刹那の解脱は失せ、もう手は尽くしてしまったのである。
「イリューシュ、ダルジェロ」
後方から呼ぶ声が。
いらふであった。燕のように地上すれすれにジャンプし、急上昇、メタルハートを搏ち据える。だが、ダメージ薄く、籠手で脚を打たれ、飛ばされ、いらふは動けなくなった。
「助太刀いたす、いらふよ、ああるや いゐりゃぬっ!」
そう叫び、気勢を上げてイシュタルーナがいゐりゃぬ神の神威を帯びた剣でメタルハートを打ち据える。
「うぐふっ」
だが、イシュタルーナの剣もまた籠手で打ち折られた。「神威を帯びた剣が、ばかな。あり得ない」
今度は背後からアッシュールがあらわれ、『三叉屰』でメタルハートの背を刺す。だが、刺さった『三叉屰』もまた、素手で折られた。
僅差で、アンニュイとジョルジュがそれぞれ龍馬数頭を引き連れてあらわれ、
「神の御名の下、裂士の名に賭け、聖都エルロイペの民として貴様に復讐する」
アンニュイが虹色の稲妻を放つ。同時に、銀月の光の弧が襲う。しかし、メタルハートは血塗れでも、すべてを弾き返した。アンニュイは鎧を裂かれ、肋を数本折られる。ジョルジュは兜を飛ばされ、脳震盪を起こした。
「ばけものだ」
遅れて着いたユリアスがジョルジュを助け起こしながら青褪める。又別の声が、
「ああ、間に合ったかな、イシュタルーナ、追いつけなくて、ごめん」
龍羚に乗るラフポワであった。トネリコの枝を振り、雷霆を落とす。大地が裂けて大いに揺れ、無人の建物が崩れた。
「ぅぐぬぬっ」
一瞬、メタルハートも膝を突く。だが、立ち上がった。憤りで剣を持ち直すのも煩わしく、ラフポワを龍羚から荒々しく引き摺り下ろし、地に放り抛げる。跳ね飛んで転がった。
「あああっ、い、痛っ」
メタルハートは再び膝を突く。その隙に、ダルジェロが飛んで來て、ラフポワを抱え、どうにか龍羚に乗せた。メタルハートの動きが鈍いからできたことで、そうでなかったなら、イシュタルーナもいらふもジョルジュもアンニュイもアッシュールも皆殺されていた。
「アヴァとイユは」
イリューシュはアンニュイに訊く。
「ここから尠し離れた都市外にいる。恐らく、メタルハートは彼女らとイリューシュとを隔絶させたかったのだろう。今はアルヴィアから数騎のアカデミア正規軍の騎士が來ていて、イユとアヴァとを保護している」
「よかったー。じゃ、アンニュイ、ここは逃げようぜ。今なら奴は追って來られない」
「おのれぇぇええい、逃すか、待て、卑怯者め」
「けっ、殺戮鬼に卑怯とは呼ばれたくないぜ、悪魔め」
ダルジェロも背を向け、アンニュイが連れてきたじぶんの龍馬に跨った。
「逝こう。メタルハートはイリューシュの次にこの僕を殺したかったらしい。だから、僕のことも遠くへ遣らず、近くに墜とした。それが誤算だったな」
「そういうことか、お前がいなけりゃあ、死んでたぜ、ダルジェロ」
「僕もだ。お互い様だよ、イリューシュ」
イシュタルーナとアッシュールがアンニュイやいらふを龍馬に乗せ、どうにか全員が神獣に乗った。ダルジェロは力が抜けて手綱を操れず、しがみつくのみ。後ろから怖しい声、
「待てー、おのれ、待てえい」
その咆哮を後に、裂士たちは去ろうとする。メタルハートは翔虎を呼ぶ。だが、ジョルジュは尠しふらつきながらも振り向き様に『太陽の弓』で矢を二本放った。その巨大な矢は摩擦で燃え上がり、ミサイルのように飛ぶ。いつもなら二本ともメタルハートに叩き落とされるところだが、一本を弾くのが精一杯、もう一本は翔虎に當たり、一翼を捥ぎ取り、太腿を抉った。偉大なる神獣、有翼の虎、翔虎であっても、太陽神の武器には敵わない。獣の怒りと苦痛との叫びが轟き響いた。
それでも、怒りを滾らせ、噛み牽き裂かんとして、追い迫ろうとするも、肉を削がれ、飛べず、奔れず、よたよたと地に縋りて來るのみである。だが、それですらも、メタルハートが自力で歩くよりはましであった。アンニュイはぐっと口を結びつつも、洩らす。
「無念だ。あそこまで追い込みながら」
「向こうも気持ちは同じさ。見ろよ、俺らも満身創痍だぜ。剣は折られ、肋も折られ、傷も負った。客觀的になろうぜ」
「客觀的もいいが、追って來ている。この現実も無視できない。どこまで追って來るか。油断は赦されない」
「ふ、そうだな、アッシュール。奴の恢復力だ。追っているうちにスピードを上げるかもしれない」
ジョルジュの言葉に、非情なるいらふは、
「そう思うならば、一刻も早く聖域へ逝くべきであろう。それが勝機に繋がる」
イリューシュの後ろに乗るアヴァを支えながら、その後ろに乗るイユは振り向き見て、
「でも、尠しずつ離れて逝くわ。メタルハートにも限界があるのよ、あと一手、何か力が加われば勝てたわ」
アッシュールがうなずき、
「それも一理だ。さらに一つ言えば、もっと、皆の力を集約する方法を考えよう。十一人いれば、その力は一人の百倍にもなるはずだ」
ラフポワがにっこり笑って、楽しそうに、
「そうかー、じゃあ、練習だぁー」
イシュタルーナはラフポワの呑気で挫けない様子を見ると、ホッとした気分になる。
そんななか、ダルジェロは独り考えていた。
「畢竟の處、全肯定と全否定は同じだ。今、初めてのことではない。いずれも平常道であって、零。ただ、現実だ。ただ、現実しかない。当たり前な事実。死のように。免れられぬ」
再び雨が降り出した。高地へ逝くにつれ、雪へと変わる。皆息白く、襟を立てた。寒さは厳しくなる。雪が激しく降るにつれ、前も見えず、後方もまた見えなくなった。現実の何もかもが夢幻のごとく想えるような錯覺に陥る。
アンニュイは振り返り、心の奥で、静かに冥福を祈りつつ、尠しでも早くあの聖都エルロイペに還って弔いがしたいと、雪で見えぬ聖都の跡を想うのであった。さようなら、女王陛下。さようなら……エスカテリーニャ様。魂が慟哭した。
嶮路を登り、アルヴィアの街に戻ると、アカデミア正規軍の本隊と合流した。救助活動はあらかた終わっている。将校が申し出て、
「私たちがここに残って、後衛を防御しましょう」
しかし、アンニュイは断って、
「いや、手負いとは言え、メタルハートだ。命を無駄にするに等しい。ともに退却しよう。手を貸してくれ。龍馬の替えの予備があれば、龍馬を替えたい。我らが乗っていた龍馬たちは傷つき、かつ、とても草臥れている」
将校はうなずき、
「わかりました。替えの龍馬もありますが、龍馬車もあります。怪我された方々は龍馬車の方がよろしいでしょう。二頭立ての大きなものがあります」
「忝い」
龍馬車は龍馬が客車を牽くからと言って、速度が単体の龍馬に劣るものではない。それゆえ、迷わず、皆、龍馬車に乗った。十五人乗りの大型タイプで、二頭の龍馬が軽々と、何も牽引していない龍馬と比しても遜色なく駈ける。裂士たちの龍馬や龍羚は預けられた。
「坐ると、疲れや痛みがどっと襲うな」
アッシュールが顔を顰めて言う。
「でも、からだがあったまるよ」
と言うや否やラフポワは、すやすや。
いらふは後部の窓から油断なく、後方を監視する。イユが、
「ねえ、ここの抽斗に食べるものや飲むものがあるわ」
「お、いいね。いただこうぜ」
とイリューシュ。ユリアスも微笑み、
「そのためのものですから、遠慮なく、いただきましょう」
そう言って、配る。
イシュタルーナとアッシュールとジョルジュが片手に持って齧りながら、いらふと肩をならべ、後方を見る。凛たる顔立ちで褐色の皮膚滑らかなアッシュールは頬張りながら、
「もぐもぐ、んぐんぐ、大丈夫なようだな、もぐもぐ、奴も追いつけまい」
ジョルジュが苦言し、
「食べるかしゃべるかどっちかにしろ」
アンニュイはシェリー酒の小瓶を啜った。ダルジェロは相変わらず思索し、遙か遠い眼で車窓に流れる景色を見ている。植物はなく、吹雪と岩が在る。荒涼としていた。段々ぼうっとして來る。意識が霧のなかに消えて逝くように。深い瞑想に入って逝くように。
頂上近くに來る。暴風雪であった。雪は下から噴き上げている。雲は遙か下であった。視界は利かない。だが、既に聖域内なので、助かったと安堵した。しかし。
「あーっ!」
イユが叫ぶ。
「何だよ!」
イリューシュもそちらを見た。
「あ!」
黒い影が尖った岩の上から見下ろしている。
「裂士どもよ。
勝負は暫時、お預けだ。我は悪辣なる生存、不滅の輪廻転生、貴様ら、次に会う時は、地獄へ突き堕としてくれるわっ! ふわははははっ、それまで怯え震えて待っておれ、ぐわっはははっ」
消えた。喪失。渺茫。茫漠な無空しかない。
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