第7話 ダルジェロの夢想

 黄昏時の教室だ。  


 まだ午後三時にもならないが、この季節、北大陸(ノルテ)の北嶺の麓の村アキタでは一切が深い翳りと茜を帯びた黄金の二色とに分離される。※麓にはエスト、アキタ、アルダ、ウラの四村がある。


 ダルジェロ・プラトニー・コギトーは十代前半特有の、淡くも微熱を帯びた微かな想いで、女生徒アンヌの背に垂れる髪の透明感を眺め見ていた。又はアレクサンドルの逞しい肩幅や凛たる姿勢、豊かな髪を、かすかな嫉妬と憧憬とを以て。 


 Puberty(思春期)とはラテン語のPubes (陰毛)を語源に持つと云うが、こどもたちの眼醒めに伴う戸惑いの季節である。


 そんな淡い色彩の時間に、漢文学の教師の講義は異様な不協和音であった。


「文化・宗教・思想のなかで、荘周(荘子)の残したものが特に偉大である。

 眞という漢字は老荘(老子・荘子)以降に見られる文字と謂われる。その意味は、枉死者、横変死者、道殣者、非業の死を遂げた者、という意味があるという一つの説がある。

 飽くまで一説ではあるが、非常に興味深い。鎭魂や顚倒などに、眞の文字が使われていることの説明がつく。

 しかしまた、器の中身を満たすという説もある。されば、充塡などに眞がつかわれている理由も氷解する」


 言霊のまかふしぎよ、知られざる系譜学によって、縁起の綾糸の絡繰りは、まったく異なる場所にいる人と人とをリンクさせた。 


 ダルジェロは眞という文字への教諭の解説に感銘し、大いに刺激されて空想を廻らせる。その魂は憧(あくがれ)、彷徨い、別の現場へ投擲される。


 我らは毎瞬毎瞬、現場に投げ込まれているだけなのではないか。ただ、被投されているだけではないのか。唐突に、〝此處〟という名の瞬に、現場に、その都度いるだけなのではないか。


 実は異なる瞬間瞬間(又は異なる場)にいるのだが、瞬間(場)を数珠のように意識が連結し、あたかも連続した一連の現実に連綿と存在し続けているかのように感じさせているだけなのではないか。


 恐らくは、この瞬間と別の異なる瞬間を接続するために、意識がその都度変容し、各瞬間が繋がっているかのように処置しているのではあるまいか。


 又逆に、言霊によって、それが破綻する時もあるのではないか……、

 ダルジェロはそのようにさまざまに無意識的に想う。


 だから今、もしかしたら別の人格として 篠突く雨の草原に騎馬を疾駈させているのかも知れない。

 あゝ、見よ、今、アッピアーノ平原から西に数十キロメートルの山野のなか、將(まさ)に激しい土砂降り。そのさなかに唐突にいる。


 ペパーミント・グリーンの眸を燦々とさせるコレイ(古羚)人の いらふ は道を急いでいた。疾風のごとくに龍馬を駈る。一刻も早く、イヴァントの聖者たちに知らせなければならない。しかし、ふつと、奇妙な物体に気がつく。


 岩に磔になった死骸。しかも、逆さに。見れば首から上がない。残忍で無惨な、怖るべき非業の死であった。世俗的な幸福からは、最も離れた存在である。在り得べからざる非たるべきこと。荘周の考えた眞人とは、そういうものかもしれない。


 ダルジェロも、もうすぐこの世俗から離脱できるはずであった。彼はまだそれを知らない。ただ、今は龍馬を駈るじぶんを虚しく想い描くのみであった。

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