13.エリクの助言

「また来ますね。どうも」


 灰色の人ごみの中に、明かりを灯すような声が聞こえてきた。

 振り返ると、そこにはエリクがいた。

 包みを抱え、パン屋から出てきたところだ。

 シュゼットは、気が付いた時にはエリクのシャツの裾を掴んでいた。

 エリクの驚いたような目がシュゼットを捉える。


「あれ、シュゼット。早いな。もう終わったのか?」


 キョトンとするエリクを見ると、シュゼットはハッとした。完全に無意識に体が動いていた。


「……あ、えっと、色々あって、もう帰ることになって。エリクは?」


 シュゼットはエリクのシャツの裾をパッと離した。


「俺は買い出し。マリユス教授が家に何もないって言うから」


 エリクは二人分のパンが入った包みをヒョイと持ち上げた。


「そっか。ごめん、引き止めて……」

「いや、なんか用があったんだろ。それか、話したいことがあったか」

「……えっ?」

「出会ってからまだ一か月くらいだけど、俺が甘いもの好きってこととか、朝が弱いこととか、他にも少しは知ってるだろ」

「う、うん。一緒に生活してるから、少しは……」

「だから俺も少しはわかるぜ、シュゼットのこと。なんかあったんだろ」


 エリクはそう言って優しく笑った。

 その笑顔を見ると、シュゼットはなぜか泣きたくなり、唇をかみしめて小さくうなずいた。


「マリユス教授の家までで良ければ話してくれよ。家帰ってから、改めて話聞いても良いし」

「……うん。ありがとう、エリク」


 「礼を言うのは早いだろ」と言って、エリクはまた笑った。




 マリユス教授の家までの道のりをゆっくりと歩きながら、シュゼットはロラの家であったことを話した。エリクは時々「うん」と相槌を打つだけで、静かに話を聞いていた。

 話し終わる頃には、シュゼットの中に一つの結論が出ていた。

 今回のことはもうシュゼットにはどうしようもないことだ。いくら頭を悩ませても、ベルトランの考えが変わることは無いだろう。それならばもう考えても仕方がない。

 しかし、実際にテラピーをしていた相手の身内に、自分の自然療法を否定されることは、見ず知らずの人間の手紙による否定よりも堪えた。


 ――面と向かって言われるのってつらいんだな。


 シュゼットは最後にふうっと息を吐いて、エリクの方を見た。


「聞いてくれてありがとう、エリク。話したらスッキリしたよ」

「そうか?」

「うん。前にニノンにも言われたんだ。話した方がスッキリするって。それに、もうわたしにはどうにもできないしね。今回のことは、もう考えないことにするよ」


 エリクはシュゼットをジッと見つめてから、「それも良い考えだけど」と切り出した。


「無理矢理考えるのを止めようとしてるなら、あんまり良くないかもな」

「えっ?」


 エリクは指で自分の胸を指した。


「感情って奴は厄介でさ、認めてやらないと、中々消えないんだと」

「認めないと、消えない」

「そう。だから、シュゼットがロラを心配してることとか、ベルトランさんに拒絶されて少なからずショックだったこととか、感じたことを整理して、つらいけど向き合って、できるだけ早く認めてやった方が早く消えるんだ」


 エリクは今度は自分の頭を指さした。


「そうじゃないと、頭の片すみでずっと考えてるんだと」

「……そうなんだ。知らなかった」

「俺も最近知った、教授の家の本で」


 マリユス教授の家が見えてくると、エリクはピタッと立ち止まった。そして一歩前に立ち止まったシュゼットの肩にそっと手を重ねた。


「ずっと考えないフリして無意識に考えてるんじゃ、疲れるからな。時間を決めて考えて、認めて、納得すれば良いと思う。まあ、これも無理はしなくて良いけど」

「……確かに、この前は吐き出してスッキリしたけど、それはニノンのことで悩んでて、それをニノン本人に話したからかもしれない」

「どんなことだったか聞いても良いか?」


 シュゼットは少しだけエリクの方に体を寄せ、「嫌がらせの犯人のこと」とささやいた。


「犯人が同業者なんじゃないかって考えたら、ニノンを疑ってることになるでしょう。それが嫌だったって話をニノンにしたんだ」


 「絶対に違うってわかってるのにね」とシュゼットは弱弱しく笑った。


「それだけ大きなことだったんだろ」


 エリクはそう言って、シュゼットの肩を優しくなでた。


「でもニノンが否定してくれたし、疑ったことを気にしなくて良いって言ってくれたから、スッキリできたんだ。だから、あれは話して良かったと思ってる」

「そうだな。シュゼットとニノンの関係性から考えても、話した方が良さそうだ」

「うん。でも今日は、エリクに話して、納得したフリしようとしてたかも」


 エリクは「そっか」と言って、また優しく笑った。いつもの歯を見せる無邪気な笑顔とは違う、人を安心させる笑顔だ。その笑顔を見ていると、シュゼットも自然と口元に笑みが浮かんできた。


「ありがとう、エリク」

「いーえ。またなんかあったら、俺で良ければ話してくれよ。力になれるならなりたいから」

「いいの?」

「シュゼットだって、俺のこと助けてくれただろ」

「お節介でもあったけどね。寝てる人を起こして」

「んなことねえよ。感謝してる」


 「ありがとな」と言い、エリクはシュゼットの隣を通り抜けて歩き出した。


「そろそろ行くな。教授の腹の虫が心配だ」

「ふふ、そうだね。マリユス教授によろしく伝えておいて。シュゼットに捕まったって」


 エリクは「あの人は怒らないだろ」と笑った。




「――ただいま、おばあちゃん」

「あら、シュゼット。早いわね」


 アンリエッタはキッチンで昼食の支度をしているところだった。


「ロラのお宅で御馳走になるって言ってたから、もっと遅くなるかと思ったわ」


 「一人だと思ったから、チーズとパンくらいしかないわよ」と、アンリエッタはいたずらっぽく笑った。シュゼットは手を洗いながら笑い返す。


「実はね、ちょっといろいろあって、早く帰って来たの。昼食を食べながら、話聞いてもらっても良い?」


 シュゼットはブロンとアンリエッタに、ロラの家であったことを話した。ブロンはシュゼットの膝の上で大人しく話を聞いていたが、時々、「ヴヴ」と小さな唸り声を上げた。

 そして、エリクと会ったことも話した。


「エリクが言ってたんだ。考えて、認めて、納得する方が良いって。だから、しばらく凹んだり、考え込んだりすると思うんだけど、良いかな?」

「もちろんよ。好きなだけ考えなさい」

「キャン!」

「ありがとう、おばあちゃん、ブロン」


 二人と話し終えると、シュゼットはサンルームへ向かった。ラーロは目を覚まして、温室の植物を眺めていた。


「ラーロ。ちょっと良いかな?」

「今のお話なら聞こえてたよ。シュゼット、大変だったねえ」

「わたしは全然。でも、しばらくはラーロの話に相槌忘れちゃうかもしれないから、先に謝っておくね。ごめん」

「シュゼットは優しいなあ」


 ラーロは足を伸ばしてゴロンと床に転がった。


「シュゼットの好きなようにして良いよ。ぼくはいつもここにいるから」


 ネコのように無防備な姿に思わずシュゼットはクスッと笑った。


「わかった。ありがとうね、ラーロ」

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