12.ユーカリ・マジョラム・バジルのアロマトリートメント未遂

 翌日、朝から太陽が照り付ける今日は、お散歩日和だ。シュゼットはアンリエッタとブロンとラーロに「行ってきます」を言って、鼻歌を歌いながら出かけた。街行く人々も、みんな夏らしい日に喜んでいるように見える。

「雨があるから、晴れがいっそう嬉しく感じられるんだよね」

 シュゼットがそうつぶやいた時、前方からシュゼットを呼ぶ声が聞こえてきた。

「あ、ダミアン先生!」

 通りの先には、ダミアンが立っていた。シュゼットに向かって手を振っている。シュゼットはカバンを抱えなおして、ダミアンに駆け寄った。

 ダミアンは白髪交じりの銀髪に、木製のきれいな眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の男性だ。

「こんにちは、先生」

「こんにちは、シュゼット。お出かけかい?」

「あー、はい。そんなところです」

 ロラの家に行くとは言えないため、シュゼットは言葉を濁した。すると、ダミアンはクスッと笑って、少し声を潜めた。

「さっきロラのところに行ってきたんだが、今日は調子が良さそうだったよ。体に合うハーブティーが見つかったらしい。それから大好きな友人ができたとか」

 シュゼットが目を見開くと、ダミアンはパチンと片目を閉じた。

「先生、ご存じなんですか?」

「フランセットさんから少し聞いたんだ。やはりシュゼットのおかげだったのか。納得だよ」

 ダミアンはにっこりと笑ってうなずいた。

 ロラの担当医師であるダミアンから、直々に自分の仕事を褒めてもらえるだなんて。これ以上ない光栄なことに、シュゼットの胸は熱くなった。

 ――やっぱり、この仕事は続けるべきことなんだ。誰かに辞めろって言われても、辞めることなんてできない!

「嬉しいです。ありがとうございます」

「こちらこそだよ。協力して、ロラを元気にしてあげよう」

「はいっ、ダミアン先生」

 ダミアンと笑顔で別れると、シュゼットは軽やかな足取りでロラの家へ向かった。

 

 ロラの部屋に入ると、シュゼットに負けないほどの笑顔を浮かべたロラに迎えられた。と言ってもロラはいつも通りベッドの上だ。

「こんにちは、シュゼット。来てくれて嬉しいわ」

「こんにちは、ロラ。体調はどう?」

「シュゼットが来てくれたから、今はとっても元気よ!」

 ロラが両手を伸ばしてくると、シュゼットはそっとかけ寄ってその手を優しく握り返した。

「そう言ってもらえてうれしいよ。それじゃあ、アロマセラピーを始めようか。今日は背中に精油入りのオイルを塗布しようと思ってるんだ」

「よろしくお願いします」

 ロラはシュゼットの指示のもと、背中にボタンが付いていて、開閉することができるシャツに着替え、うつぶせになった。その間にシュゼットはキャリアオイルに、ユーカリ、マジョラム、バジルの精油を入れた。

「それじゃあ塗布していくけど、寒かったり、冷たかったりしたら遠慮なく言ってね」

「はあい」

 ロラがのんびりと返事をすると同時に、バンッという激しい音に続いて、怒鳴り声が上がった。

「その手を止めなさい!」

 シュゼットはビクッと震えあがり、言われた通りにピタッと止まった。

「あなた! 仕事はどうしたのよ!」

 フランセットが悲鳴のような声を上げる。

 しかしベルトランはフランセットを無視して、シュゼットの方に歩み寄ってきた。突然のことに、シュゼットは体が固まってしまい、目だけでベルトランを見ることしかできない。

「君は、民間療法士のシュゼットだな」

「……は、はい」

「突然現れてどうしたのよ、お父様」

 ロラは毛布の中に体を隠しながら言った。

「気づかないとでも思ったか。この頃、民間療法士が出入りしていると。それから、日曜日以外も教会にも行っていることも気づいているぞ」

「だったら最初から止めればいいじゃない。嫌な人」

 ベルラントはじろっとフランセットを見ると、もう一度シュゼットの方を見た。

「御足労いただいたところ悪いが、帰っていただけるかな。わたしは魔法治療以外の治療をロラに受けさせるつもりはないんだ」

「本当に頭が固いわね、あなたは。もしかしたら、シュゼットのおかげで、ロラの具合が良くなるかもしれないのよ」

「静かにしなさい、フランセット。私にしてみれば、前例がないものなど、信用する理由がない。自分の娘を実験台にするようなものじゃないか」

 ベルトランは一層声を落として、「悪いが帰ってくれ」ともう一度言った。

 ベルトランがシュゼットの自然療法を受けさせる気がないことは、フランセットから聞かされていた。それでもフランセットとロラの頼みとあって、シュゼットはロラに自然療法を施してきた。

 しかし、もう一人の親であるベルトランに直接止めるように、立ち去るように言われては、シュゼットは食い下がることができなかった。

 シュゼットは拳を握りしめ、真っ直ぐにベルトランを見つめ返して答えた。

「……わかりました。帰ります」

「シュゼット! 帰っちゃうの?」

 ロラがベッドから起き上がった。シュゼットは慌てて、ロラをベッドに寝かせなおした。

「ごめんね、ロラ。でも、お父様のご意向に沿わないわけにはいかないよ」

「シュゼットが帰ること、わたしは認めませんよ」

「私が拒否する。彼女を警察に受け渡すことだって考えるぞ」

「お父様ったら!」

 ロラは鳴きそうな声で「もう知らない!」と言って、毛布にもぐりこんだ。その声に、シュゼットの胸は痛んだ。

本当はシュゼットも帰りたくないに決まっている。少しでもロラを楽にしてあげたい。

 しかし、警察とまで言われては、シュゼットも、フランセットも、もう何も言えなかった。


 手早く荷物を片付けると、急いでベルトランが開け放ったままにしてあるドアの方へ歩いて行った。その後に続いて、ベルトランも部屋を後にした。

 黙ったまま玄関の方へ歩いて行く間も、ベルトランはシュゼットのあとをついてきた。見張られているのかと思うと、気分は良くない。

 ――せっかくダミアン先生にも褒めてもらえたのに。

 シュゼットは静かに唇をかみしめた。


「……お邪魔しました」

 ドアを開ける前にそう言うと、ベルトランは会釈で答えた。

「娘を心配してくださっていることには、感謝します」

 ベルトランの意外な言葉に、シュゼットは目をパチパチさせた。すると、ベルトランはうっすらと笑みを浮かべた。

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