第3章
1.秋の訪れにサイプレス・レモンのフットバス
「あー、気持ちいいなあ」
暖かい湯が入ったたらいに両足を入れたエリクは、湯気でふやけたような気の抜けた声を上げた。
「フットバスは足の疲れに効くからねえ」
シュゼットも目を閉じたままのんびりと答える。
「良い匂いだな。疲れもふっとぶわ」
「みんなで朝から頑張ったものね」
「キャンッ!」
頬をなでる風が少しずつ冷たくなり、冷たい雨が降る夜となったこの日、シュゼットは精油入りのフットバスを用意した。血行が良くなり、体が温まるよう、サイプレスとレモンのフットバスだ。
夏の間も、シュゼットは自然療法での往診に、毎日元気に生えてくる雑草の除草、汗をかいた衣類やタオル類の洗濯などと大忙しだった。
しかし虫の音とともに秋を迎えると、また別の忙しさが待っている。それすなわち冬支度だ。
今日はさっそく一つ目の仕事にとりかかった。仕事が休みのエリクも一緒に、冬越えが難しい植物たちを根から掘り起こして、サンルームこと温室に移動させたのだ。
鉢植えが合わない植物や、根からうまく掘り起こすことができない植物もある。そういう植物はキッチンガーデンに植えたままにして、麻布などをかけて雪や寒さから少しでも保護できるように工夫をした。
そうは言うものの、フレゥールの町がある地域は年間を通して比較的温暖だ。雪が降るのはたいてい一月から二月の間だけで、地面や屋根がうっすらと白くなる程度。そのため、植物の育成が完璧に止まってしまうほどではない。
「この家って本当に立派だよな。ラーロが来た時は慌ててたから何も思わなかったけど、改めて考えるとサンルームだっけ? 温室? があるなんてな」
「あれもおじいちゃんが作ったんだよね」
アンリエッタは得意げにうなずいた。
「シュゼットと同じように植物が好きだったセルジョが自分で作ったの。温室の仕組みを知るために、わざわざ首都の植物園まで行ってね」
「すごい行動力だな! それに資金も」
「一代であれだけ広大なブドウ畑とブランデーの醸造所を作ったからね。お金はたくさんあったのよ」
アンリエッタは他人事のようにケラケラと笑った。
その醸造所は、今は、セルジョの息子で、シュゼットの父であるセドリックが中心となってブランデーを作っている。
「口癖のように『快適な暮らしをできる家を持つ!』って言ってたから、これだけこだわりの詰まった家になったんでしょうね」
「もっと長く暮らしたかっただろうね、おじいちゃん」
「今シュゼットが有効活用してくれているから、きっと天国で喜んでるわ」
シュゼットは「そうかな」とはにかんだ。
「そうよ。今じゃ自分の部屋に新しい頼もしい主もできて、嬉しいんじゃないかしら」
「俺のことですか?」
エリクはそわっと肩を揺らした。
「ええ。わたしやシュゼットやブロンに優しくしてくれる用心棒さんがいて、セルジョも安心してると思うわ」
「そうだね。エリクが来てから、わたしもおばあちゃんもブロンも、すごく安心して暮らせてるもんね」
「キャンキャンッ!」
シュゼットが息をまき、ブロンがブンブンしっぽを振ると、エリクは少し照れ臭そうに笑って「それなら、よかったよ」と言った。
「改めてありがとうね、エリク」
「前もお礼言われたけどな」
「何回でもお礼言いたいんだよ」
シュゼットがニッと歯を見せて笑うと、エリクは困ったように笑った。
「それを言うなら、シュゼットこそありがとな、このフットバス。シュゼットも疲れてるだろうに。おかげで今日もよく寝られそうだ」
「あ、それならもっとよく寝られるように、ハーブティー飲もうよ。今日はたくさん動いたから、しっかり寝て、疲れを取らないとね」
シュゼットは濡れた足を手早く吹き、地下室に駆け下りた。
フットバスで足を温めながらカモマイルのハーブティーを飲むと、三人と一匹はおやすみを言ってそれぞれの部屋で眠りについた。ハーブティーのおかげで、三人の体はいつまでも温かく、すぐに柔らかな眠りにつくことができた。
翌日、一番に起きて散歩をしてきたエリクが作った朝食をそろって食べた。エリク作のチャービル入りのオムレツは絶品で、シュゼットもアンリエッタも手が止まらなかった。
「エリク、最近早起きの日が多いね。眠りが浅い?」
「むしろ逆。よく寝られてるから、散歩しようって気になるんだよ」
「それならよかった」
この頃のエリクはよく朝の散歩をしている。しっかり寝られるようになったのはもちろん、気温が下がってきて過ごしやすくなったのも理由だ、とエリクは話した。確かにエリクの顔色は、夏の暑い日に出会ったころよりもずっと良くなった。日中にあくびをしたり、居眠りをしたりすることも減った。少しでもエリクの力になれていると思うと、シュゼットは嬉しかった。
「今日のシュゼットの予定は?」とアンリエッタ。
「午前は特に予約も入ってないから、家でローズヒップのジャムを作ろうかと思ってる。日持ちする食材を作っておかないとね」
「確かにそろそろやらないとね。それならわたしは野菜の塩漬けでもやろうかしら」
「ありがとう、お願いして良い?」
アンリエッタは笑顔で「ええ」と答えた。
「エリクは一日マリユス教授のところだよね?」
「ああ。冬までには部屋の片づけ終わらせたいらしいから、しっかりやらねえと」
上着に袖を通すと、エリクはドアを開けて外へ出た。シュゼットとブロンもそれに続く。
今日は朝から天気が良く、秋の穏やかな日差しがさんさんと降り注いでいる。汗ばむ程ではない心地よい陽気だ。少し冷たさを帯びた風が吹くと、枯葉のような香りが鼻をくすぐってきた。
「そんじゃあ、行ってくるな」
「うん、いってらっしゃい」
「キャンッ」
エリクが歩き出す同時に、家の裏手の方からバサバサッと大きな羽音が聞こえてきた。エリクは振り返り、ニヤッと笑った。
「またラーロが来たのかもな」
「もしくはその友達とか?」
ふたりはクスッと笑いあって別れた。
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