9.ローリエのミートパイ

 ローリエを乗せたミートパイが焼けるまでの間、シュゼットは庭へ行き、ハーブを採取した。できるだけ葉が生き生きとし、栄養価が高く、体に良いものを選んでいく。後についてくるブロンも、手を動かすシュゼットも、ほとんど言葉を交わさなかった。


「シュゼット! フェリアスの意識が戻ったかもしれねえ」


 エリクの声に、シュゼットは弾かれたように立ち上がった。


「本当に!」


 シュゼットはブロンを抱き上げ、エリクと一緒にサンルームへ駆けて行った。

 中に飛び込むと、アンリエッタが「しー」と人差し指を立てた。シュゼットはコクコクうなずきながら、チラッとフェリアスの方を見た。確かに何やら口を動かしている。


「なんて言ってるか、わかった?」

「いいえ。でも寝言みたいに何か言ってるわ」


 シュゼットはハーブの入ったカゴとブロンをエリクに預け、そろそろとフェリアスに近づいて行った。ゆっくりと傍に座り込み、口元に耳を寄せていく。


「……おい。……いいにおい」

「……いい匂い?」

「……ローリエの、いい、におい」


 ハッキリと聞き取ることができた。

 シュゼットはバッと立ち上がり、エリクたちの方を見た。


「ローリエの良い匂いだって! やっぱりハーブが食べたいんだ!」

「なるほどな。そう言うことなら、これ」


 エリクからハーブの入ったカゴを受け取ると、シュゼットはもう一度フェリアスの傍に座り込んだ。


「良かったら食べて。採れたてのハーブだよ」


 シュゼットはローリエをフェリアスの口元に運んだ。しかしフェリアスは「……いいにおい」とつぶやくばかりだ。


「いっそうのこと、ローリエのパイを食べさせてみるのはどうだ? フェリアスは確か、肉食でもあるんだよ。あれだけ血を失ってるし、少しは肉をとった方が良いかもしれない」

「そっか。ちょっと待ってね、フェリアス。今、パイの様子を見てくるから」


 パイはしっかりと焼けていた。そこでパイを一人分の大きさに切り分け、皿に盛って、サンルームへ戻った。

 サンルームでは、ブロンがフンフンと鼻を鳴らしながら、フェリアスの周りをぐるぐる歩き回っていた。


「何かわかった、ブロン?」

「キューン」


 ブロンは首を横に振った後、ブルブルブルと体全体を震わせた。


「フェリアス、パイを持ってきたよ。食べられそう?」


 シュゼットがパイを差し出すと、ようやくフェリアスの目が開いた。その目は、若草色をしている。


「……おいしそう」


 そうつぶやくと、フェリアスは器用に舌を使ってパイを引き寄せ、口の中に運んで行った。全員が固唾を呑んでその様子を見守る。


「おいしい!」


 フェリアスの元気の良い声が聞こえてくると、シュゼットたちは手を上げて大喜びした。



 その後、フェリアスは大きめのパイをぺろりと平らげた。最後の一つと言う時には首が起き上がり、羽根がピンッとして、目はしっかりと見開かれていた。


「――ああ、おいしかった!」


 元気になったフェリアスの声はとてもかわいらしく、シュゼットたちは思わずフフッと笑ってしまった。荘厳な姿からは想像もできないようなかわいらしさだ。


「助けてくれてありがとう」


 フェリアスはシュゼット、ブロン、エリク、アンリエッタの順にしっかりと目を合わせながらそう言った。声とあいまって、まるでお行儀のよい子どものようだ。


「どういたしまして。もう大丈夫?」

「痛いけど、その料理のおかげで元気は出てきたよ」

「どうしてそんな怪我を?」


 フェリアスはヘラジカの唇を器用に尖らせて答えた。


「人間にやられたんだ」

「お前の角や毛皮を狙って?」

「えっ、どういうこと、エリク?」


 フェリアスが何か答える前に、シュゼットはエリクに尋ねた。

 まさかとは思うが物騒な話だ。しかしエリク曰く、その物騒な話は真実のようだ。


「フェリアスの角や毛皮、それから羽も、縁起物として高値で取引されてるんだ。特に金に目のない連中は、こうしてフェリアスを直接傷つけて、それらを得ようとするんだよ」

「まあ、ひどい!」


 アンリエッタは悲鳴のような声を上げる。


「じゃあ、この子もその被害に……」


 シュゼットが労わるようにそっと肩のあたりをなでると、フェリアスは気持ちよさそうに目を細めた。


「災難だったな」

「まあね。でも、ぼく、ラッキーだよね。ここに綺麗なお庭があるのを少し前に見つけてたから、あそこまで頑張って逃げようって思えたんだもん。それで、お庭にいたら、君たちに助けてもらえて。本当にラッキーだなあ」


 ニコニコするフェリアスを見て、エリクは「良い前向きさだな」と微笑んだ。


「綺麗なお庭って、うちのキッチンガーデンってこと?」


 フェリアスはニコッと笑ってうなずいた。


 ――うちの近くにフェリアスの羽が落ちてた日に、この子がうちのキッチンガーデンを見に来てたってことか。……ていうか、今、フェリアスに庭を褒めてもらえたってことだよね! 嬉しすぎる!


 シュゼットが心の中で小躍りをしていると、グーッと間の抜けた音が鳴った。音はフェリアスの方からした。


「……えへへ。お腹すいちゃった」

「あれだけ血が出たんだから当然よ。シュゼット、もう少し何か作ってあげましょう」

「そうだね。そうだ! エリク、今日ってマリユス教授の仕事お休みだよね?」

「ああ。今日は教授が大学に行ってるからな」

「それなら今日やろうよ、ハーブランチ! フェリアスのためにも」

「いいな。やろう、やろう!」


 ふたりはパンッと手を叩き合わせた。それに合わせて、ブロンが「キャンッ」とご機嫌に鳴いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る