8.魔獣・フェリアスとカレンデュラの軟膏

 エリクが水を、シュゼットが治療道具を持って戻ってくる頃には、フェリアスの呼吸はさらに浅くなっていた。


「がんばって、フェリアス。今から治療を始めるから」


 まず大量の水を使って傷口を洗っていく。血はとめどなく溢れて出てくるが、何でできた傷かわからない以上念入りに洗う必要がある。

 それが済むと、手を清潔にして、カレンデュラの軟膏を傷口に塗布していった。カレンデュラには止血効果や抗炎症作用がある。傷口にはもってこいの植物だ。塗布が済んだら、大きなガーゼをぐるぐると包帯のように太ももに巻き付けた。最後にギュウッと力を込めて布を結べば、治療は完了だ。


「これで良しと」

「だな……って、シュゼット! エプロン真っ赤だぞ」

「えっ?」


 そう言われて自分を見下ろしたシュゼットは、真っ赤に染まったエプロンにぞっとした。こんなにも血が出ていたなんて。よく見ると、辺りの土にも血が混じっている。


 ――こんなに血が出て……、大丈夫かな。


 シュゼットは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


「シュゼット、ニノンを呼びましょう。あの子なら何か知っているかもしれないし、魔法でもっと楽な場所に運んであげられるかもしれないわ」

「あ、そ、そうだね。行ってくるよ。行こう、ブロン」


 シュゼットがヨタヨタと立ち上がろうとすると、ブロンはそっとシュゼットの手をなめた。


「待て、シュゼット。俺が行く」

「でも……」

「シュゼットはフェリアスについてるべきだ。大丈夫、もうダミアン先生の診療所の場所は覚えた」


 ニッと歯を見せて笑うと、エリクはシュゼットが何か言う前に駆けだしてしまった。




 ニノンはエリクと一緒に箒に乗ってやってきた。その方が走るよりも早かったのだと後で教えてくれた。


「ああ、かわそうな、フェリアス! こんな大怪我しちゃって……」


 ニノンはみつあみを振り乱して、フェリアスのそばにひざまずいた。


「運べそう、ニノン?」

「もちろんだよ! たぶんフェリアスにとっては、ここの方が気持ちは楽なんだろうけど……」

「そうか、普段は森に住んでるもんな」

「でも明日から雨のはずだから、傷に雨は良くないもんね。家に運んじゃおう!」

「それならサンルームにしよう。あそこなら今も少なからず植物が植えてあるから」


 サンルームとは、家からもキッチンガーデンからも繋がっている温室のことだ。冬越えができない植物を置くための場所として使われている、全面ガラス張りの部屋だ。


「ナイスアイディア! そうしよう!」


 ニノンはフェリアスの角に触れ、「フローディセフロー、フロー」と唱えた。すると、フェリアスの体がふわりと宙に浮かび上がった。


「よし、うまくいったね。それじゃあこのまま運ぶから、シュゼットたちはドアを開けてくれる? それからサンルームの中に、この子が横になるための柔らかい場所を作ってあげて」


 ありったけの毛布やタオルをサンルームに集めると、フェリアスはそこに収まった。ドアはフェリアスを縦にすることで何とか通ることができた。


「ありがとう、ニノン。仕事中にごめんね」

「ちっとも! ダミアン先生もすぐに『行ってらっしゃい』って言ってくれたよ」


 ニノンはシュゼットをギュウッと抱きしめ、「大丈夫だからね、シュゼット」と言った。


「うん。本当にありがとう、ニノン」

「どういたしまして。そうだ、それから。フェリアスについてなんだけど、目を覚ましたら、ハーブをいろいろ食べさせてあげてくれる? フェリアスは普段ハーブを食べてるはずだから」

「うちの庭の植物全部あげても良いくらい!」

「あはは、そうしたらきっと元気になるよ!」


 ダミアン先生がいくら優しいとはいえ、仕事中だったニノンは、また箒に乗って診療所に帰って行った。




「――ニノンが来てくれて助かったわね。これで、夜でも様子が見てあげられるわ」


 アンリエッタはため息をつきながら、サンルームにある木製の質素な椅子に座り込んだ。


「そうだな。これでひとまずは安心だ」


 エリクは「俺、お茶淹れるな」と言って、キッチンに消えて行った。

 シュゼットはブロンと一緒にフェリアスの傍に座り込み、布でくるんだ足を優しくさすった。


「助かると良いわね」

「……うん。苦しみながら死ぬなんて、そんなの悲しすぎる」


 そうつぶやいた途端、シュゼットの頭の中にある光景が浮かんできた。



 壁も天井も床も白い部屋の中に、白いベッドが置かれている。

 その上に横になる人の顔は良く見えないが、とても苦しそうだということはわかった。

 シュゼットは必死に手を伸ばして、その人を元気づけようとした。しかしその手はすり抜けてしまう。

 すると、別の手が現れた。その手は何かのオイルを手に垂らし、ベッドで横になる人の手にそっと触れた。

 すると、少しではあるが横になっている人の苦しさが無くなっていくのがわかった。


 ――よかった。苦しまずに済んで。



 そう思った瞬間に、シュゼットは我に返った。


「どうした、シュゼット。疲れたか?」


 ヒョコッとエリクの顔が現れ、シュゼットは思わず「わっ」と声を上げた。それに続いて、ブロンも「キャンッ」と驚いた声を上げる。


「あ、悪い。ぼーっとしてたか」


 エリクはブロンをフワフワなでて落ち着かせている。


「あ、うん。ごめん。ちょっとね」

「朝からお疲れさん。ほい」


 エリクは優しく微笑み、温かい紅茶が入ったコップを差し出してきた。お礼を言いながらそれを受け取り、シュゼットはじっくりと時間をかけてお茶を飲んだ。


 ――何だったんだろう。また神様のお告げ?

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