14.マリユス教授とアップルピース・シナモンのハーブチンキ

 朝食を終えると、エリクはひとまず宿屋に帰ることになった。

「戻って着替えたら、職探しに行ってくるわ。いつまでも宿屋じゃ金も尽きるし」

シュゼットはエリクの肩をポンッと叩いて「頑張ってね!」と鼓舞した。

「おう。風呂も朝食もありがとな。おかげでシャキッとしてる」

「本当に! よかったあ」

「ああ。じゃあまた夜には戻るから。いってきます」

「いってらっしゃい」

「キャンキャンッ」

 エリクはシュゼットとブロンと握手を交わすと、勇んで街に出かけて行った。その後ろ姿は心身ともに健康に近づいたように見える。朝から厚めのハムを焼いて、ハーブペッパーで食べたのも良かったようだ。

 シュゼットとブロンは、エリクの姿が街の中に消えていくまで、見送り続けた。


 家に戻ると、シュゼットはアンリエッタの傍のソファに座った。

「エリクさん、良い仕事と縁があると良いわねえ」

「エリクならきっとすぐに見つけられるよ、良い人だもん。一緒に仕事をしたら楽しいと思う」

 「そうね」と朗らかに答えたアンリエッタは、声色を厳しいものに変えて「ところで」と切り出した。

「そのポケットの中、今朝も来てたの?」

 シュゼットも声色を変えて「……うん」と押し殺すように答えた。そしてエプロンのポケットから、手触りの悪いぐしゃぐしゃに丸めた紙を取り出した。すると、ブロンが紙をにらみつけ、鼻にしわを寄せて「ウウー」と唸った。

「物音がするから、またかしらとは思ったけれど」

「手紙だけで済んでるから、大事にしない方が良いよね」

「そうね。シュゼット、気にしちゃダメよ。わたしはシュゼットが来てくれてからとっても楽しいし、あなたの仕事を心から尊敬してるんだから」

「ありがとう、おばあちゃん」

 シュゼットは威嚇を続けるブロンをなだめながら、紙を開いた。


『奇妙な民間療法を今すぐやめろ!』


 走り書きで書かれた冷たい言葉。

 シュゼットは紙をもう一度丸めると、キッチンの火に放り込んだ。




「――やあ、シュゼット。おはよう」

「おはようございます、マリユス教授」

「あれ、今日はかわいい友達は一緒じゃないんだね」

「ああ。今日はブロンはお留守番なんです。おばあちゃんの見張り役。最近足の痛みが良くなったからって、色々やろうとするので」

「あはは、なるほどね。立ち話もなんだし、中へどうぞ」

 鎖骨辺りまで伸びた銀髪を揺らしながら、マリユス教授はにこやかにシュゼットを中に招き入れた。

 本で埋め尽くされた玄関を通り抜け、さらにたくさんの本が並んだリビングに通される。シュゼットはいつも通り、本を避けてからソファに座った。

 マリユス教授は、若くして首都の名門大学に籍を置く植物学の大学教授だ。教授になった最初の五年間は大人しく大学で研究をしていたが、六年目が始まった途端に教授寮を退寮し、この町に移り住んできたそうだ。本人曰く、「首都ではやりたいことができない」そうだ。植物学の教授としては至極全うな意見だ。

 今では講義をするため、平日の三日間は首都に通い、残り二日間と休日の二日間はこの町に買った家の庭で植物を観察したり、本とにらめっこをしたりしている。

「これ、頼まれてたハーブチンキです。今回のはアップルピースとシナモンが入ってて、集中力を高めてくれますよ」

「ありがとう、シュゼット。この前のもおいしかったけど、今回のもまたおいしそうな組み合わせだね。まるでアップルパイじゃない」

「どっちも記憶力とか集中力に効くので、ちょうど良いかなと思って」

「シュゼットのチンキは飲みやすくて良いんだよね」

 黄色のチンキを受け取ったマリユスは、蓋を開けて香りを楽しんだ。飲むだけでなく、香りを楽しむのもハーブチンキの取り入れ方の一つだ。

「そういえば、また新たにおもしろい植物の情報が入ったんだ」

「へえ、なんですか」

 マリユスはテーブルの上に置いてある新しそうな本をペラペラとめくり、該当するページを開いてシュゼットの方に向けた。ハートのような形をした大ぶりな葉の上に、キラキラと光る水分のようなものが描かれている。

「なんでも鉱物を作り出すんだって」

「鉱物を! それはすごいですね……」

「でしょう。まだ一部の地域でしか確認されていないらしいんだけど、水分が蒸発すると塩の結晶が残る塩水と似た現象なんじゃないかって言われてるんだって。葉の上に鉱物を付けるらしいんだ」

「まさにこの絵の通りですね。どのあたりに生える植物なんですか?」

「温暖な地域が多いってこの本にはあるね。この辺りも比較的温暖だから、ひょっとすると見つかるかもしれないんだ。見つけたら大興奮だなあ」

「わたしも見てみたいです! それにこの植物、花をつけるみたいじゃないですか。わたし、蒸留して、どんな精油がとれるか知りたいです」

「それじゃあ見つけたら一番にシュゼットに教えるよ」

「やった! ぜひ!」

 シュゼットとマリユスはにっこりと微笑み合った。

 シュゼットにとってマリユスは、看ている人でもあり、良き友人でもある。植物の話をこんなにも熱心にできるのは、アンリエッタと植物学教授のマリユスくらいなのだ。

「ところでシュゼット。無理を承知で言うけど、体力をつけるチンキやハーブは無いよね」

「教授、植物は万能じゃないって知ってるでしょう?」

 マリユスは両手を顔の高さまで上げて、降参のポーズをした。

「わかってる、わかってる。でも、このところ疲れが取れなくて。やっぱり二重生活は無理があったのかなあ。論文を書かなきゃならない間は、それだけで疲れて全然実地調査に行けないんだ」

「それは少しでも休んでください、としか言えませんよ。でも、あとは助手を雇うのはどうですか? この膨大な量の資料から必要なものを見つけてもらうだけでも、はかどり方が違うと思いますけど……」

 シュゼットは本で散乱した家の中を見回した。

「そう思って、求人は出してあるんだ。読み書きがしっかりできて、体力があって、落ち着いた人だと助かるんだけど」

「なんだ、そうなんですね。それなら、早く見つかるように願ってますね」

「ありがとう、シュゼット。俺も願ってるよ」

 その後は、マリユスが首都で買ってきたというクッキーを食べながら、植物を育てる上でのたい肥について熱く語り合った。最近では、魔法で作った農薬というものがあるそうだが、虫が死んでしまうほどの威力があるため、とてもじゃないけれど使えないという話をしたり、効率よくたい肥を作る方法を議論したり。話題は尽きなかった。

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