17.この家に

「時々って回数か、これ」

「最近は捨ててたんだ。取っておいても気分が悪いから」

 エリクはため息をつきながら頭を乱暴に掻いた。

「証拠だから取っておいた方が良かっただろうけど、まあ、そうだよな。悪い、強く言って」

「いや、全然。ごめんね、エリクを巻き込んで」

「むしろこの場にいてよかったよ。なあ、迷惑じゃなかったら泊まらせてくれないか? 心配だよ」

 すぐにアンリエッタが「お願いしますっ」と声を上げ、エリクに飛びついた。

「こんな直接的なことは初めてなんです。女二人に小さな犬一匹じゃ、何かあっても対抗できません。お礼はしますから、どうか今晩はここにいてください」

 その横顔は本当に不安そうに見えた。

 いくらシュゼットが勇ましい性格をしている方だとしても、エリクのような男に襲われたら助かる見込みは無い。

 大切な人を自ら守れないのはシュゼットにとって悔しいことだが、エリクに頼るのが正解だろう。

 エリクはそっとアンリエッタの肩を抱き、優しく微笑んだ。

「困った時はお互い様ですから、お礼のことなんて気にしないでください。俺としても、泊まれる方が安心なので」

 エリクはチラッとシュゼットの方を見た。

「良いか、シュゼットは?」

「ダメなわけないよ。むしろ、わたしたちのこと、よろしくお願いします」

 シュゼットが手を差し出すと、エリクは笑顔でその手を優しく握ってきた。

「任された」


 その後の短い話し合いで、今晩は、エリクは玄関から最も近いダイニングルームのソファで眠ることになった。

 せっかくアロマトリートメントしてリラックスした後にそんなところで寝かせるのは、シュゼットとしては嫌だった。しかしエリクが頑として譲らなかった。

「ベッドでグースカ寝てたら意味無いだろ。大丈夫、慣れてるから」

「それなら、今日の分のお代は払わないで、むしろわたしたちからお礼を払わせて。元刑吏さんを用心棒として雇ったってことで」

 シュゼットはそう言い、エリクからもらった銀貨を差し出した。

「使ってなかったのか?」

 エリクはテーブルに置かれた銀貨を、困ったような顔で見つめる。

「ちょうどよかったよ。エリクの今日の仕事には、そのくらいの値打ちがあるから。言ってたでしょう、エリクも。それくらいの価値があることをしたって思えばいいって」

 シュゼットがいたずらっぽく笑うと、エリクは降参するように両手を顔の位置まで上げた。

「じゃあ、コイツはもらっておくな」

「うん。改めて、よろしくお願いします」


 エリクと別れ、二階の自室のベッドで横になると、シュゼットは天井をにらみつけた。


 ――犯人は、一体誰だろう。悲しいけど、町の人であるのは確かだよね。この辺りには、他の町や村は無いし。でも、誰が? 町の人全員と話したことは無いから、知らないうちに恨みを買ってるのかな。


「……同業者?」

 今日はシュゼットのベッドにもぐりこんできていたブロンが、「キューン?」と首を傾げる。

「ねえ、ブロン。おこがましいけど、わたしとお医者さんや教会ってやってることが似てるでしょう。ひょっとしてそのどちらかの人だったりするかな」

 ブロンは丸い鼻を丸い手で掻きながら唸る。

「ブライアン先生はお医者さんだけどすごくよくしてくださってるし、モニクも違うよね、絶対に。教会ではオリアンヌさんくらいしかきちんと話したことないけど……、まさか違うよね」

 誰かを疑うと、こんなにも心が鈍く痛むだなんて。シュゼットは鼻にしわを寄せて、苦々しい顔をした。

「もう考えるのやめよう。飽きてくれるようにお祈りする方が建設的だ」

 シュゼットはそう言うと、ベッドの上で手を組んだ。ブロンももぞもぞと手を合わせる。

「八百万の植物の神様、どうか、穏やかで平穏な生活が送れるように見守っていてください」

「キャンキャンッ」

「ふふふ、偉いね、ブロン。さあ、寝ようか。おいで」

「キャンッ」

 シュゼットはブロンを抱くと、目を閉じて眠ろうとした。ブロンの小さくも温かく柔らかい体は、シュゼットを安心させてくれた。それでもシュゼットはいつまで経っても深い眠りにつくことはできず、そのまま朝日が昇り始めてしまった。

 やがて朝日が部屋に差し込んできた。

「……何事もなく、朝が来て良かった」

 そうつぶやくと、シュゼットはブロンを起こさないようにそうっとベッドから出て、静かに立ち洗いを済ませ、部屋を出た。

 そろそろと階段を降りてダイニングルームをのぞきこむと、すでに目を覚ましたエリクがいた。

 エリクはすぐにシュゼットの気配に気が付いて振り返って来た。

「シュゼットか。おはよう」

「おはよう。……ちょっとは寝たよね?」

 シュゼットが顔をのぞきこむと、エリクはくすぐったそうに笑った。

「ああ。心配しなくても仮眠はしたよ」

 エリクは「水もらってる」と言って昨日使ったコップを持ち上げた。

「水なんかいくらでもどうぞ。お湯沸かすから、この後はお茶も飲んでね。ごめん、昨日全然そういう気が回らなくて」

「あんな目に合ったんだから当たり前だろ。気にすんな」

 ピンッと指で額を弾かれる。シュゼットはジンジンする額をさすりながら、「ありがと」と答えた。

「シュゼットが起きてきたことだし、ちょっと家の外見てくるな」

「あ、うん。お願いします」

「すぐ戻る」

 エリクは棕櫚箒を手に取って外へ出て行った。

 その間にシュゼットは大急ぎで火を熾して、湯を沸かし始めた。三種類の根菜野菜を切り、フライパンに敷き詰めいく。その上に乗せるチーズを切っていると、エリクが戻ってきた。

「外に怪しい人影はなかったな」

「ありがとう。よかった」

「でも、油断は禁物だな。……なあ、シュゼット」

「なに、エリク?」

 シュゼットはナイフを持つ手を止めて、エリクの方を見る。

「シュゼットたちさえ良かったら、俺、今日もこの家に帰ってきて良いか」

「……えっ?」

 思ってもみなかった言葉に、シュゼットは目をパチパチさせた。

「あんなことがあって、ちょうどその場に立ち会ったのに、昨日の今日でこの家を出て行くのは薄情っつーか、心配で。また同じことが無い方がいいけど、万が一のことを考えると、しばらく俺が用心棒させてもらいたいなと思って。シュゼットには世話になってるから」

 エリクは一言も目を離さずに話した。その真っ直ぐな瞳は、水気を帯びてキラキラと輝いている。そのまぶしさに、シュゼットは思わず目を細めた。


 ――きっと前世のわたしはたくさんの徳を積んだんだろうな。


 シュゼットはナイフを下ろしてエプロンで手を拭くと、笑顔でエリクに手を差し出した。

「願ったり叶ったりだよ、エリク。こちらこそ、今日もうちに帰ってきてくれたら嬉しい。正直、わたしだけじゃおばあちゃんとブロンを護れないから、不安だったんだ」

 そう言葉にして、シュゼットは自分が不安がっていたことに初めて気がついた。

 エリクはその手を握り、「了解っ」と声を弾ませた。まるで自分のことのように安心した表情を浮かべるエリクに、シュゼットは胸が熱くなった。

「……ありがとう、エリク」

「どーいたしまして」

 ふたりはにっこりと微笑み合った。

「そうだ、宿屋に置いてある荷物持ってきたら? うちにいる間も宿代払ってるの大変でしょう」

「それは甘えすぎじゃねえか? まあそれなら、宿屋に払ってる分でシュゼットたちに宿泊代払うけど」

「いやいや、むしろこっちが用心棒のお願い料として、お金を払うべきでしょ」

 どうやら二人ともお金のことに厳しいところが似ているようだ。しばらく見つめ合って黙りこむと、エリクがパチンと指を鳴らした。

「あ、じゃあこういうのはどうだ? 俺の宿泊代と、シュゼットの用心棒代を相殺っていうのは」

「良いアイディアかも! そうしよう!」

 ふたりはニッと歯を見せて笑って、パンッとハイタッチをした。

「あらあら、朝から楽しそうね」

 パンっという音と共に、アンリエッタとブロンが現れた。そこでシュゼットはエリクが用心棒として家に留まることになったことを話した。アンリエッタもブロンももちろん大賛成!

 こうしてシュゼットとエリクは一つ屋根の下で暮らすことになった。

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