18.魔法使い・ニノン登場っ!
これまでの嫌がらせ行為は夜にだけ行われている。おそらく相手は人気のない夜を狙っているのだろう。そこで昼間は、エリクはマリユス教授のところへ仕事をしに行くことになった。
「本を片付けながら、自分の仕事を把握してほしいらしい」
「エリクなら力もあるし、すぐに終わりそうだね」
エリクは腕に力こぶを作って、「まあな」と得意げに笑った。ブロンを抱くアンリエッタがフフッと笑う。
「まあ、そうは言ってもすごい量だったから、すぐには終わらないだろうな」
「久しぶりの仕事だから無理しないで、エリクのペースでね」
「おう。ありがとな。ふたりもくれぐれも気を付けて。なにかあったら、すぐに呼べよ」
「そんじゃあ、いってきます」と明るい調子で言い、エリクは出かけて行った。
「いってらっしゃーい」
エリクが一歩歩みを進めるごとに、エリクの背中が小さくなる。それに呼応するように、シュゼットの心のざわめきは大きくなった。
――なんのザワザワだろう。エリクのことが心配とか? でも相手がマリユス教授なら心配ないし。昨日調子に乗って食べすぎたせい? それとも……。
「さて、シュゼットの今日の予定は?」
アンリエッタの優しい声に、シュゼットの思考はピタッと止まった。
「あ、えっと、今日はニノンがうちに来ることになってるよ」
「ああ、そう言えばそうだったわね。地下室のよね?」
「そうそう」
シュゼットはアンリエッタと地下室の方を指さして微笑み合った。
「――やっほう! シュゼット!」
深い青色のローブに身を包んだ少女は、にっこりと笑うと顔の高さでピッと手を上げた。
「こんにちは、ニノン」
シュゼットも笑顔で手を上げると、ふたりはパシッと手を取り合った。
「来てくれてありがとう。休みの日に悪いね」
「ちっとも! むしろ朝からお邪魔して悪いね。とはいえ結構な量だから、お昼までかかるかもしれないけど……」
ニノンがいたずらっぽい笑顔に変わると、シュゼットも同じように笑いながら「わかってるっ」と答えた。
「お昼も食べて行ってよ。おいしいリンゴがあるから」
「それじゃあわたしはそれでパイを作ろうかしら」
「やったー! アンリエッタさんのアップルパイ大好きなんだよねー!」
ニノンが玄関の横木の上で飛び跳ねて喜ぶと、アンリエッタの腕の中でまどろんでいたブロンがビクッと震え上がった。
「あ、ブロンのこと起こしちゃったかな?」
「あはは、大丈夫だよ。それじゃあ、さっそくお願いして良いかな?」
「もっちろん。任せて!」
ニノンはローブをはためかせながらその場でくるりと回った。
「わたしにかかれば、ちょちょいのちょいだよ!」
地下室に降りると、オイルランプを持った二人は部屋の端へ向かった。石壁に備え付けられた鉤爪型の釘にシュゼットのランプをかける。
ニノンは顔の位置にランプを移動して、整理された棚をジッと見つめた。
「うーん。まだ何とか保ってるけど、もう直に取れちゃうね。全部かけなおした方が良いかも」
「そっかあ。本当に時間かかっちゃうね。ごめん」
「なんで謝るのさ。わたしが下手なのが悪いんだから気にしないで! ダミアン先生のなら二年は固いんだから!」
そう言うと、ニノンはランプをシュゼットに預けて、ラベンダーの精油が入った瓶を一つ手に取った。
「サーベディセサーベ、サーベ」
目を閉じてそう唱えながら、瓶全体をなでる。すると、ニノンの手とラベンダーの瓶がランプの灯りのようなオレンジ色の光に包まれた。
シュゼットは、何度見ても息を飲む光景に釘付けになった。
やがて光が止むと、ニノンはゆっくりと目を開けた。
「おっ、ちゃんとかかってる! これでこの精油は一年以上もつよ!」
「ありがとう、ニノン! 助かるよー!」
シュゼットがガバッと抱き着くと、ニノンは鼻の下を指で擦りながら、「まあねえ」と誇らしげに笑った。
シュゼットと同い年で、親友であるニノンは魔法使いだ。
北国で生まれたニノンは八歳の時に医者を志し、魔法学校に入学した。魔法の難しさに苦戦しながらも無事に卒業すると、この町の病院で働くようになった。理由は、「ダミアン先生の目が信頼できるから」だそうだ。
そもそもなぜニノンに精油やキャリアオイルなどの瓶に魔法をかけてもらっているのか。それは、シュゼットの神のお告げ基前世の記憶によるものだ。
初めて精油を採取した後、シュゼットは記憶の通りに瓶に入れて保存をした。しかしすぐにこれではダメだという記憶も蘇ってきた。太陽光を通さない遮光性のある瓶に入れなければ、精油はすぐに傷んでしまう。そのためには茶色い遮光ガラスの瓶が必要だ。
それから精油は採取してあと半年から一年、キャリアオイルは数週間から半年以内に使い切らなければならない。それ以上経つと、酸化したり、痛んだり、成分が落ちたりするのだ。そのため、この町に来て、ニノンに出会うまで、シュゼットは植物を育てられる春から秋の終わりまでしかアロマとハーブによる自然療法を行うことができなかった。
『――シュゼットの仕事って期間限定なの? 最近は全然やらないよね』
友人になって半年経った頃、温かい外套に身を包んだニノンにそう尋ねられた。そこでシュゼットは精油とキャリアオイルの特性を話し、今は手元に使える精油とキャリアオイルが無いことを説明した。
『使い切れなくて捨てたものもあるんだ。ちょっと申し訳ないよね、植物に。せっかく取らせていただいたのに、使い切れなくて』
シュゼットがしょんぼりと肩を落とすと、すぐにニノンが『ねえ!』と明るい声を上げた。
『それならわたしが精油に魔法をかけてあげようか!』
『……魔法?』
『そう! ものが腐ったり痛んだりしないようにする魔法があるんだ! 魔法動力保存器に使われてる魔法だよ』
魔法動力保存器とは、魔法を動力にして、中身を腐らないように長期保存してくれる箱のことだ。魔法動力の品物は値段が高いため、庶民のシュゼットは見たことがないが、存在は知っている。ブランデーの材料になるブドウを保存するために購入を検討していた父親から話を聞いたことがあったのだ。
『消毒液とかが貴重だから、お医者さん見習いになる時に勉強した魔法の一つなんだ。きっと精油にも使えるよ。次にシュゼットが精油を取ったら試してみよう!』
ニノンは赤い鼻の顔でズイッとシュゼットに詰め寄って来た。ふたりの白息がふわっと混ざり合う。
『うれしいけど……いいの? 魔法って高いって聞いたよ? わたし、お金あんまり持ってないし』
『シュゼットったら! 友達でしょう! 困った時はお互い様だよ!』
ニノンはそう言って、シュゼットをギュウッと抱きしめた。
それから春が来て、最初の精油を採取すると、ニノンはさっそく魔法をかけてくれた。
結果はご覧の通り。ニノンの魔法は毎年続いている。
収入が安定してからは、シュゼットはきちんとニノンにお礼を支払うようになった。ニノンは断ったが、「フェアでありたい」というシュゼットの言葉で、受け取ってくれるようになった。
懐かしい日のことを思い出し、シュゼットはフフッと笑った。
ニノンのおかげでシュゼットは仕事を年中行うことができる。人々の健康を通年で看ることができる。それは、シュゼットにとって何よりも嬉しいことだった。
「いつもありがとうね、ニノン」
「なあに、突然。うれしいけどさ」
ニノンはニシシッと笑いながら手を動かす。シュゼットはその背中にそっと手を添えて、今度はニノンと同じようにニシシッと笑った。
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