2.新しい朝 (2)
今日は、エリクがシュゼットたちの用心棒として家で暮らすようになった最初の朝だ。
昨晩、ニノンが宿舎に帰っていくと、自然と話題は嫌がらせのことになった。
エリクが一番に口を開いた。
『手紙の嫌がらせと、ドアを叩く嫌がらせ、この二つの犯人が同一人物かはわからないよな?』
『うん。どうして?』
『警吏をやってた時、同僚が面白がって夜にドアを叩いていたずらする、みたいなことがあったんだよ。だから、ドアの方は単なるいたずらって可能性も考えられるなと思って』
『言われてみれば、同じ人の嫌がらせだって決めつけてたわね』
確かにこれまでの嫌がらせと昨日の嫌がらせが別人の犯行である可能性は大いに考えられる。シュゼットは、もし同業者が犯人だと考えた時、それだけでもかなりの人数になるな、と思ったことを思い出した。
『実際のところはわからないし、単なるいたずらでも悪質過ぎるから、警戒する必要はあると思う。でも、だからといって怖がりすぎてもふたりが疲れるだけだから、あまり思い悩みすぎないようにしよう。そのために俺がいるわけだし』
『今まで嫌がらせは必ず夜だったんだよな?』とエリクが確認すると、シュゼットはこくっとうなずいた。
『朝起きたらドアの隙間に手紙が挟まってる感じだから、夜だと思う。わたしは早起きな方だし』
『それじゃあ、マリユス教授に頼んで、なるべく早く仕事を切り上げてくるようにするよ。その分、朝早く行って』
『大丈夫? エリクの睡眠時間も心配だけど』
『大丈夫だよ。最近は前よりずっとよく寝られてるから』
エリクの部屋は、前回泊まった時も使った祖父の部屋になった。洗い立てのカーテンをして、エリクの少ない荷物が部屋に並ぶと、それだけでこれまでとは別の部屋のように感じられた。
しかし嫌な感じはしない。むしろシュゼットも、ブロンも、アンリエッタも、部屋自体も、新しい部屋の主を嬉しく思っていた。
三人と一匹はそろって朝食を始めた。お祈りの言葉を唱えるのは、アンリエッタだ。
「昨日はよく眠れた、エリク?」
「はい、あ、じゃなかった。ああ。寝具がフカフカで良い香りだから、ぐっすりだった」
「うちのリネン類は、シュゼットがアロマを使って管理してくれてるからね」
アンリエッタとエリクは、昨日から砕けた話し方をするようになった。これからしばらくの間は、エリクが休む場所がこの家になる。「家の中でまで誰かにかしこまった態度でいるのは休まらないでしょう」と、アンリエッタが提案したのだ。
「管理だなんて大げさなものじゃないけどね。ラベンダーのスプレーをかけておくと、虫よけにもなるし、それから安眠効果もあるから」
「それじゃあ、シュゼットも昨日はよく眠れたか?」
「うん。セルフケアをしてから寝たから、よりいっそうぐっすりね」
昨晩、自室に戻ったシュゼットはエリクに言われた通り、自分自身にアロマテラピーを施した。ラベンダー、マンダリン、イランイランの精油を入れたオイルで行う、ヘッドマッサージだ。毛穴が多い頭皮は、オイルの吸収率が高く、効果を発揮しやすいのだ。不眠を訴えるエリクに対して、最初にヘッドマッサージをしたのもそれが理由だった。
自分にマッサージをするのは、シュゼットにとって久しぶりのことだった。この町に来てからは特に、趣味ではなく仕事としてアロマテラピーを行っていたため、「自分にやる」という発想に至らなかったことにも、この時初めて気が付いた。
『こんなに気持ちいいってこと、忘れてた』
シュゼットは心からリラックスし、すぐに眠りにつくことができた。嫌がらせのことも思い出すことはなく、むしろ友人たちへの感謝の気持ちでいっぱいだった。
「――そりゃよかった。それにしても便利だな、ラベンダーって。かなり万能じゃないか?」
「これもラベンダーだろ」と言いながら、エリクはテーブルに置かれた、ラベンダーのドライフラワーが入った砂糖瓶を指さした。
「それはラベンダーシュガーだね。お茶に香りをつけるのに良いんだ。あとはお菓子作りとか」
瓶の蓋を開けると、エリクは鼻の傍で軽く振ってみた。甘い砂糖の香りと共に、ラベンダーの甘い香りが漂ってくる。
「良い匂い。俺、菓子作るのが趣味だから、今度使ってみて良いか?」
「えっ! エリクってばお菓子作れるの!」
「ああ。甘いもの好きなんだよ。でも買うと高いだろ。だから、作れるようになったんだ」
「すごいすごい! ねえ、おばあちゃん?」
「本当ね。ぜひ味わってみたいわ」
「それなら今度の休みに作るよ。俺なんかのお菓子で良ければ」
シュゼットとアンリエッタは「ぜひっ!」と声をそろえ、テーブルの下に座っていたブロンもバッと顔を出して「キャンッ!」と元気よく吠えた。
「それじゃあその日は、わたしはハーブをたっぷり使った料理を作るよ! 時々ハーブランチ会を町の人たちと開いているから、その時のメニューの考案にもなるし」
「ハーブ料理なんてあんのか。楽しみだ」
エリクは声を弾ませながらサラダのパプリカにかぶりついた。
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