第19話 血の色は、危険だ……♡

 食後のお茶を飲んでいると、公邸の前庭の方が、なにかざわついているみたいで、廊下に顔を出してみた。スエヒロちゃんも同じように廊下の向こうを覗いてみる。


「聖女様、どうしたんでしょうか」


 聞かれても口は開けないけど、スエヒロちゃんをかばうように前に出る。なにか大変なことが起きている。背中の産毛がざわついているみたいな不快感。


 市長さんも気配に気づいたみたいで足早にやってきた。


「様子を見てまいります。聖女様、スエヒロ様、こちらでお待ちください」


 入れ替わりのように市長さんの奥さんと、女中さんがやってきて付き添ってくれた。


「大丈夫でございますよ。ここには衛士が何人もおりますから、ご安心くださいね」


 奥さんが言ったけど、それってかえって心配になる言葉だ。衛士さんが出てこなきゃいけない事態なんだよね。それって、なにか危険なことが起きてるってことでしょ。

 

 気付いたときには駆けだしていた。後ろで奥さんがなにか言っているけど、聞いてる場合じゃない。行かなきゃいけないって、誰かが強く私の内側に語りかけるから。

 廊下を全力で走って公邸へのドアを開けると、外から硬い金属同士がぶつかり合う音が聞こえてきていた。


 玄関でシロハツさんが辺境伯領の騎士の鎧を着けた人と対峙している。騎士は剣を抜いていて、あっと思ったときにはシロハツさんに切りかかっていた。


 切られる!

 そう思ったけど、シロハツさんは滑るように剣尖から身をかわした。騎士が繰り出した剣の左側に少し体を捻っただけで。

 

 剣を持った騎士の腕に、交差させた手首を当てて、物凄い速さで左右に腕を開く。右手が騎士の手首を打ち、左手が騎士の喉に激突した。騎士はもんどりうって倒れ伏す。


「アサヒ様!」


 シロハツさんが私に気付いて駆け寄ってきた。


「奥へお戻りください! 辺境伯領の兵が攻め込んできました、ここは危険です!」


 ぐっと肩を押されたけど、戻るつもりはない。誰かが聞こえない言葉で私を呼んでるんだ。


 騎士がまた一人、飛び込んできた。玄関を一気に飛び越え、廊下に踏み出す。シロハツさんが振り返ったときには、剣を振りかぶっていて。


 シロハツさんが私をかばって両手を広げた。思わず目をみはったけど、シロハツさんの大きな背中が恐ろしいことを見ないようにと、私の視線を塞ぐ。


 ドン! となにかが床に落ちた音がした。


「大丈夫か、シロハツ殿!」


 ヒイロ王子の声がする。すぐ側までやって来て、私に気付いた。


「アサヒ!? なにをしてるんだ!?」


 ヒイロ王子が片手に持った剣には血がべっとりとついている。ヒイロ王子自身も腕から血を流している。

 自分の顔が真っ青になっていることがわかる。血の気が引いて足の力が抜けそうだ。でも、ここですべきことがなにか、わかった。


「リアーチャー。神の御心を持ちて、癒し、祝う」


 信仰の書にあった呪言を暗唱する。


「生きよ、浄めよ、あがめよ、歌え」


 これは癒しの呪言。


「血は糧に、痛みは希望に変えよ」


 劇的ななにかが起きるわけではない。ただ、ヒイロ王子の顔色が良くなったことで、傷が癒えたのだとわかって、ホッとした。


「聖女様、癒しの呪言をいただき、感謝いたします。シロハツ殿、聖女様を頼む」


 ヒイロ王子は、そう言って外へ向かおうとしたけど、アミガサさんが玄関に入ってきたのを見て、足を止めた。


「王子、討伐完了いたしました。すぐにおケガの治療を……」


「大丈夫だ。聖女様の御力をいただいた」


 アミガサさんも血だらけだ。返り血なのか、ケガをしているのかはわからない。


「ほかにもケガをした人はいますか?」


 私が口を開くと、アミガサさんは目を丸くした。


「聖女様、無言の行は……」


「そんな場合じゃないです。人を助けるためなら、神様だって口を開けって言うはずです」


 ヒイロ王子が切った騎士は意識があるのに、ぼんやりと倒れたままだ。しゃがんで頬をつんつんしてみたけど、反応がない。


「アサヒ様、危のうございます」


 シロハツさんに抱きかかえられて立たされた。シロハツさんの腕をすり抜けて玄関に向かうと、ヒイロ王子が私の腕を掴んだ。


「アサヒ、どこへ行くんだ」


「表に行きます、ケガした人を助けに」


 ヒイロ王子に両腕をがっちりとホールドされてしまう。


「まだ残党がいるかもしれない。確認するまで……」


「聖女の役目です。行かせてください」


 ヒイロ王子を見上げる。睨んでいるように見えているかもしれないと思うほど、視線に力が入る。どうしても行かなきゃならないんだ。私の中のなにかが叫び続けている。


「わかった。アサヒは私が守る」


 そう言ってヒイロ王子は私の前に立った。


 衛士さんが入って来て倒れている騎士二人を外に運んだ。その後について外に出る。

 前庭は踏み荒らされて、あちらこちらに血が点々と散っている。敵の騎士は十人ほど。みんな倒れたり、座り込んだりしてるけど、生きてはいるみたい。私のメイドさん二人が縄をかけて戒めていってる。


 こちらのケガ人はアミガサさんと、警備に残っていた騎士さん一人、公邸の衛士さん三人。衛士さんたちの傷が深いみたい。すぐに呪言を唱える。


「リアーチャー。神の御心を持ちて、癒し、祝う。生きよ、浄めよ、あがめよ、歌え。血は糧に、痛みは希望に変えよ」


 ファンタジーの魔法みたいにキラキラしたり、天使が下りてきたりしないけど、ちゃんと効いてるみたい。みんなシャキッとした。

 ありがとうございますの声が飛び交う。良かった、役に立てた。


 メイドさんの一人、ブナハリちゃんが「アミガサ様!」と大きな声を出した。


「敵兵の傷も塞がっております」


 どうやら神様は敵味方の区別なく、人を愛しているようだ。


「戒めを強くしてくれ。ケガのないものは尋問する。別けて縛っておくように頼む」


「かしこまりました」


 ブナハリちゃんと、もう一人のメイドさん、ノウちゃんがテキパキと仕事を進めていく。


「ヒイロ王子、敵さんの様子、変じゃないですか?」


「ああ。目を開いているのに意識があるように見えない。アミガサ」


 呼ばれてアミガサさんがやって来た。


「起きているものの意識が本当にあるのか確認してくれ」


「はっ」


 話を聞き取っていたノウちゃんが、目を開けたまま、ぼんやり地面を見つめている人に声をかけているけど、まったく反応がない。アミガサさんも次々と、ぼんやりさんたちの目を覗き込んだり、手の甲を叩いてみたりしてるけど、誰も動かない。

 これは、もしかしたらだけど。


「ヒイロ王子、彼らは催眠術にかけられてるのではないでしょうか」


 信仰の書に書いてあった膨大な呪言のなかの一つに、傀儡に魂を戻すというものがあった。モリーユさんに聞いたら、クヨウでは催眠術を使って悪事を働くひとが多いらしかった。催眠術をかけられて操られている人のことを傀儡と言うらしい。


「ヤマイグチ宰相に術師がついていれば、その可能性は高いと思う」


 じゃあ、やってみる価値はあるね。呪言を使いすぎても害はないらしいし。


「リアーチャー」


 祈りの言葉を聞いて、みんなが直立で畏まった。


「神の垂れたる魂よ。帰る家は今ここに。灯火をもちて道を示す。疾く来たれ、疾く覚めよ。神の与えし肉にもどれ」


 びくん、と肩を揺らして一人が顔を上げた。自分の置かれた状況が呑み込めないのだろう、きょろきょろして顔色が青ざめていく。縛られてるし、辺りは血だらけだし、そうもなるよね。

 次々とみんなが動き出した。やっぱり、術をかけられてたのか。ぼんやりした表情は消えた。


「な、なんだ、お前たち! 俺たちをどうするつもりだ!」


 手近にいるアミガサさんを睨み上げて詰問した人は、たぶん、隊長さんとかなんとかで責任のある人なんだろう。ただ脅えているだけにはいかない立場なんじゃないかな。


「そなたたちは、ヤマイグチ宰相の手のものか」


 アミガサさんの言葉に、「?」って顔をして責任者さんが答える。


「我らはケロウジ辺境伯の麾下。ヤマイグチ宰相の直接の配下ではない」


「ケロウジ辺境伯はどこだ?」


 責任者さんの眉間にしわが寄る。


「お前たち、辺境伯を探してどうするつもりだ!」


 すごい剣幕。知らないふりをしてるのでも、お芝居してるのでもなくて、なにがあったか忘れてるっぽい。自分たちが市長公邸に押し入ったのも忘れてるんだろうな。

 呪言のなかに記憶喪失を治すっていうものがあったかどうか思い出そうとしたけど、心当たりはない。


 アミガサさんがヒイロ王子の側にやって来た。


「尋問を続けるために場所を変えるようにいたします。市長に場所の提供を進言いたします」


「ああ。よろしく頼む」


 ふむふむ。敵さんに聞かれても、こちらの手の内は簡単には明かさないんだ。駆け引きってヤツかしらね。


 みんなが散開して働き始めた。アミガサさんは公邸に入っていった。敵さんから取り上げた武器をまとめる衛士さん。残党がいないか探している騎士さんたち。公邸の門前に集まった野次馬を返そうと声を張り上げている衛士さんもいる。

 もうここで私が出来ることはないな。スエヒロちゃんのところに戻ろう。


「ヒイロ王子、私、市長さんのお宅に戻りますね」


 ちらりと私の方を見てから、ヒイロ王子は怖い顔を作ってみせた。


「もう、危険な場所に飛び込んできて欲しくはないな」


「ヒーちゃん、アサヒはみんなを助けたいんだよ」


 ヒイロ王子は笑わない。真剣な表情で私を見つめた。


「感謝いたします、聖女様。私は、心より、聖女様にお仕えいたします」


 ありゃ。なんだかシリアス過ぎて気恥ずかしいな。なんとも返答のしようがなくて、小さくうなずいてみた。




 廊下の先、市長さんのお宅に続くドアを開けると、涙目のスエヒロちゃんが奥さんに抱きしめられていた。


「聖女様、怖いです」


 スエヒロちゃんはブルブル震えている。


「もう大丈夫だよ。怖いことは全部終ったからね」


 そう言って頭を撫でてあげると、スエヒロちゃんは涙目のまま、微笑んでくれた。


「聖女様、無言の行は……」


 奥さんに聞かれたので「終わりました」と、とりあえず答えておいた。


 私邸にも、もしものためにと衛士さんがやって来た。私とスエヒロちゃんは居間に通されて、花茶をもらった。すごく安心するというか、心がほぐれる香り。スエヒロちゃんも落ち着いたみたい。


「聖女様、お父様は見つかりましたか?」


「まだわからないんだよ。スエヒロちゃんのお父さんを探しに行った人たちが、まだ帰ってきてないから」


 暗い表情でうつむくスエヒロちゃんに、早く良い知らせがくるといいんだけど。




 居間にいても、襖の向こうでばたばたしている気配がわかる。市長さんの家族が掃除道具を抱えて行ったり、衛士さんが伝令のために駆けてきたり。じっと座っているだけなのが申し訳ないし、どうしても緊張してしまう。スエヒロちゃんも同じみたいで、暗い表情だ。なにかしていたくて、両手をぽんと叩いてみた。


「スエヒロちゃん、あっち向いてホイしようか」


 暗い表情のまま、スエヒロちゃんが顔を上げる。


「なんですか、それ?」


「私の故郷の遊びなんだ。じゃんけんっていうゲームをして、勝った方が、あっち向いてホイっていって、右か左を指さすの。負けたほうは顔を右か左に向けるのね。で、指と同じ方を向いちゃったら負け」


「負けが二度あるのですか」


「そうなの。なかなか厳しい勝負なんだよ」


 スエヒロちゃんはニコッと笑ってくれた。


「聖女様が厳しい無言の行に当たっていらしたのも、あっち向いてホイで心を鍛えていたから、耐えられたんですね」


「そうかも」


 うふふー、と笑いあって、スエヒロちゃんにじゃんけんを教えた。あっち向いてホイは白熱して、襖が開いたことにしばらく気付かなかった。


「……聖女様。お楽しみのところ、失礼いたします」


 夢中になっていたから人が来たと思ってなくて、びっくりして飛び上がりそうになった。


「申し訳ありません、襖越しにお声をおかけしたのですが……」


「いえ、そんな。こっちこそ、すみません。ちょっと熱中して注意が疎かになってました」


 入ってきたのはシロハツさんだ。その後ろから、着替えてさっぱりしたヒイロ王子もやって来た。私の慌てる姿がおかしかったのか、ニヨっとしかけてたけど、スエヒロちゃんがいることに気付いて表情を引き締めた。


「聖女様、スエヒロ嬢。ケロウジ辺境伯が見つかりました」


「本当ですか! お父様はどこですか!?」


「城内の食糧庫で見つかりました。ケガはないそうです」


 スエヒロちゃんの目に涙がたまる。ぎゅっと肩を抱いてあげた。


「ただ、やはり意識が混濁しているらしい。聖女様のお越しを願いたい」


「わかりました」


 立ち上がると、スエヒロちゃんが縋りついてきた。


「私も連れて行ってください!」


 ヒイロ王子を見上げると、険しい表情で首を横に振る。なんで?


「スエヒロ嬢が城を出てから今まで、城内探索はあまり進んでいない。どんな危険があるかわからない。ここで待っていて欲しい」


「でも、聖女様は行くんでしょう。なんで私はダメで……」


 腰を屈めてスエヒロちゃんと視線を合わせる。瞳が今にも涙をこぼしそうに揺れている。


「私にしか出来ないお仕事があるの。絶対にスエヒロちゃんのお父さんを助けて、安全に会えるようにする。約束するよ」


 私が小指を立てると、スエヒロちゃんも小指を出してくれた。遊びの最中に教えた、指切りだ。小指を絡めて歌う。


「指切りげんまん、ウソついたら針千本飲ます」


 しっかりとスエヒロちゃんの目を見て、強くうなずいてみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る