第12話 勉強、勉強、また勉強だぞ♡

 翌朝は、ぽかーんと良い天気だった。勉強日和だね。

 講義のために講師が部屋まで来てくれるそうで、朝食を済ませると、平服に着替えさせられた。と、言っても服の形状が変わるわけではなくて、布の色が白じゃなくなっただけ。好きな色を選んでいいと言われたから、薄緑にしておいた。目に優しいよね。


 ドアがノックされて、シロハツさんが立っていった。入ってきたのはモリーユさん。


「おはようございます、アサヒ様」


「おはようございます」


「本日、信仰の書の概要と、聖女様にお知り置きいただきたい心構えについてお話しいたします」


「モリーユさんが先生なんですね! 良かった」


 知らない人だと緊張するし、難しい話し方の人だったら、お手上げだしね。モリーユさんは優しく笑ってくれた。けど。


「時間がございませんので、早速始めましょう」


 そう言ったときの迫力は、なんだか凄味があった。




 時間がない、というのは本当みたいで、とにかくバンバン講義は進む。聞き取るだけで精一杯。記憶している暇がない。

 嵐の中、揺れる小舟のように翻弄されて、午前の講義は終わった。


「こちらの用紙に講義内容をまとめております。復習にお使いくださいませ」


 そう言って渡された紙には、びっしりとわかりやすく講義内容が書き込まれていた。これを見ながら講義を聞いたら、わかりやすかったのでは?

 ちらりとモリーユさんを見てみたら、「?」という顔をされた。まあ、この国の講義のやり方がそうなら仕方ない。なんか知らないけど、良い方法なんだろう。


 昼食が運ばれるまでに講義録を読んでみた。難しい言葉も、固有名詞も、一度耳から入ったからか、違和感なく読める。ほうほう、こういう勉強の仕方もあるのね。


 んで。今日の講義で一番重要だったのは、聖女は喋らないってこと。挨拶も特別な時だけ(晩餐会のときとか)で、あとは突っ立ってて、たまに頭を少しだけ下げる。

 挨拶があるときなんかは事前に打ち合わせて、教わったことを繰り返せばいいだけ。昨日みたいに緊張するような事態には陥らないのが普通らしい。前もって知っておきたかった……。


 あとは信仰の書を読破すること。私専用の信仰の書をもらったけど、けっこう分厚い。


『食対戦。その歴史は古く、その威厳は空よりも高い。神聖にして、何人もけがすべからず。人々が相争うとき、食対戦の勝敗が神判そのものである。決して、あだおろそかにすべからず』


 モリーユさんに一度読んでもらった部分。内容は覚えられるけど、一言一句間違わずに暗唱しろって言われたら、なかなかどうして難しいよ。こんな文章を丸覚えかあ。ちょっと時間がかかりそう。


 昼食はウェスティン王国風のものが出てきた。つまり、和食。


「ご遊学あそばすために、ウェスティン王国の食に馴染んでいただきますよう、国王陛下からのお心遣いでございます」


 ワンちゃん、ありがとう! 和食、バンザイ!

 メニューは、白いご飯と、焼き魚、コロッケ的なもの、豆腐のお味噌汁、卵焼き、野菜の浅漬け、海苔の佃煮みたいなもの。

 ご飯はバケツみたいな大きなお櫃にてんこ盛りだし、お味噌汁も炊き出し用みたいな大鍋にいっぱい。焼き魚は十尾積んであるけど、焼きたてをどんどん持ってきてくれるらしい。ほかのおかずも山盛りで、テンションが上がる!


「いただきます!」


 両手を合わせて箸を取る。まずはお味噌汁。お出汁がキリっと香り立って、味噌の風味を際立たせてる。家庭の味ではない、プロの味だ。豆腐は木綿豆腐の硬さがある。お箸で取りやすいようにという心遣いかもしれない。

 

 炊き立てご飯のほかほかの湯気。頬張ったときの熱さと甘い香り。噛みしめると噛みしめただけ甘くなる。新米みたいに水気があって、それでシャキッと立ってる感じ。銀シャリとはこのことだ。


 おかずは、野菜の浅漬けからいこう。


「……なんで」


 しっかり見つめてみると、きゅうり、だいこん、なす、どれも間違いなく、日本にある素材だ。箸を置いて、シロハツさんに向き合う。


「このお料理の素材は、この国のものですか?」


 尋問でもしてるみたいに、低い声が出た。シロハツさんは叱責を恐れているかのように不安げだ。


「いいえ、すべてウェスティン王国から取り寄せたものでございます」


「ウェスティン王国へ行けば、手に入るんですね?」


「さようでございます」


 いやっほー! 行くぞ、ウェスティン王国! 食べるぞ、和食! 出来ることなら和の食材を安く輸入できるような方法を知りたい。

 午後の座学もがんばろう!




 がんばった。すごくがんばった。

 ウェスティン王国流のマナーを身に付けるためにがんばった。そして、足がしびれて立てなくなった。マナー講義の二時間のあいだ、ずっと正座だったのだ。


 ウェスティン王国は、この国と同じように床にぺたんと座るのが日常的らしい。アルトメルトでは正座の文化はなくて、横座りだったり、立て膝だったり、あぐらだったりとわりと足に負担がない。

 だが、ウェスティン王国では、足を崩すのは無礼なことなんだって。三十分で足がしびれてどうしようもなくなったけど、講師の許しが得られずに、足の感覚がなくなるまで座り続けた。それが、二時間。


 講義が終わってすぐにごろんと倒れたけど、どうしようもない激痛が足を襲い、身もだえてごろごろ転がりまわった。


「大丈夫でございますか、アサヒ様。マッサージなどいたしましょうか?」


「さ、さわらないでえええ」


 もだえもだえて三十分。ようやく足の感覚が戻ってきたけど、衝撃のためにうまく動けなくて、おやつを食べる元気もしばらく出なかった。




「アサヒちゃん」


 小さな声で呼ばれてドアの方に振り向くと、細くドアを開けて、ワカちゃんが顔を覗かせていた。


「ワカちゃん! いらっしゃい。どうしたの、入っておいでよ」


 食べていたドーナツ的なお菓子を置いて手招く。ワカちゃんは一度顔を引っ込めた。それからノックの音がして、シロハツさんが立っていく。


 ドアを開けると、初めて見る女性がいた。ワカちゃんの侍女さんだろう。三十代前半くらいかな。妊婦さんなのかと思うようなお腹の出方だ。顔が少し細め。


「第二王女、ワカクサ様がご訪問の許可をお望みでございます。聖女、アサヒ様にお取次ぎ願います」


「かしこまりました。お待ちくださいませ」


 シロハツさんが楚々と戻ってきて、膝をついた。小声で「お言葉を発せず、頷いてくださいませ」と言ってから朗々と歌うような声で言う。


「聖女、アサヒ様。第二王女、ワカクサ様のご訪問でございます。お招きいたしましてもよろしいでしょうか」


 こくり。聖女っぽい高貴なうなずきを演出できただろうか。シロハツさんがワカちゃんの侍女さんに入ってちょうだい的なことを伝えると、ワカちゃんが部屋に飛び込んできた。


「アサヒちゃん!」


 わーっと走ってきて抱き着かれた。三歳児にしては重い。勢いに負けて床に転がった。ワカちゃんは楽しそうに私の上でニコニコしている。


「アサヒちゃん、お勉強終わったんでしょう? ワカちゃんも終わったの。一緒に遊ぼう」


「うん、いいよー」


 ごろんと寝返りをうってワカちゃんを床に下ろして起き上がる。


「ドーナツ食べる?」


 お皿に山盛りのドーナツを差し出すと、ワカちゃんは首をかしげた。


「ドーナツ? これはモロシゲじゃないの?」


 そうか、このお菓子はモロシゲっていうのか。これもモロシと同じで、モロ乳が使われてるのかな。


 ワカちゃんは両手にモロシゲを抱えてモリモリ食べだした。私も負けじとモロシゲを取り、二口で飲み込んだ。モロシゲは柔らかくて、口の中でとろけるようだ。喉越しも優しくてスッと飲み込める。

 しばらく無言でモロシゲ食い競争をしていたけど、ワカちゃんがお腹いっぱいになったので私も手を止めた。

 ワカちゃんはシロハツさんからお茶をもらって満足そうだ。


「そうだ、アサヒちゃん。パロが居間に来たんだよ。アサヒちゃんのパロだよ。見に行こう!」


 パロ。たしかソファーのことだよね。ワンちゃんが居間に置いてくれるって言ってた。


「うん、行こう」


 っと、待った。マナー上どうだったっけ。聖女は勝手に遊びに行っていいんだっけ。講義録をぱらぱら見てみると、王族の招聘には応じるようにって書いてある。よし、遊びに行って良いみたいだ。


「シロハツさん、出かけます」


「かしこまりました、アサヒ様。同道いたします」


 シロハツさんがドアを開けて、ワカちゃんと侍女さんが部屋を出て、私は後からついていった。




 王族の居間には、五つのソファーがあった。私の分もあるって、なんだか気恥ずかしいような、じーんと嬉しくなるような。


「アサヒちゃんのパロはこれよ」


 ワカちゃんが一つのパロをポンポンと叩いてみせてくれる。近づいて座ってみた。自分のものだと思うと、すっかりくつろいだ気持ちになる。ワカちゃんは私の膝に乗って、鼻歌を歌い始めた。

 ほかのパロは無人で、部屋には鼻歌だけが響く。静かで心が落ち着くなあ。


「アサヒちゃん、あのね。もうすぐお姉さまもお勉強が終わるの。ヤマドリ兄さまは、そのあと。みんなで遊ぼうね」


「ヒイロ王……、ヒーちゃんもお勉強?」


「ううん、ヒイロ兄さまは、お仕事。国王陛下の練習をしているのよ」


 なるほど、世継ぎさんのヒイロ王子は、もう大人なんだもん。そうそう遊んでいられないよね。

 ワカちゃんにどんな勉強をしているのかと聞いてみると、信仰の書の暗記と、ダンスだと言って、踊ってみせてくれた。手を大きく広げてくるくる回る。服の裾がひらりと広がってとってもきれい。この国の人はみんな踊れるらしい。私も踊れた方がいいんだろうか。

 悩んでいると、ワカちゃんが手を引っ張って立たせてくれた。ワカちゃんに教わってくるくる回る。あ、これすごく楽しい。


「まあ、アサヒ。ダンスが出来るの?」


 ササちゃんの声がして回るのをやめると、ぐらりとめまいがした。今まで回っていた方向に倒れてしまう。


「アサヒちゃん、大丈夫?」


 ワカちゃんが心配して顔を覗き込む。大丈夫と言いたいところだけど、頭がグルグルしてどうしたらいいのかわからない。


「初心者は左右どちらにも回転できるように、少しの回数から始めますのよ。いきなりワカクサと同じようにすれば、目が回るのは当然ですわ」


 ううう。知らなかった。ワカちゃんにはまだダンスの講師は早かったみたいだね。それにしても、今日はごろごろしっぱなしだなあ。

 やっとめまいが治まってパロに座れた頃、ヤマくんがやってきた。


「アサヒちゃん! いらしてたのですか」


「うん。おじゃましてます」


 ヤマくんは嬉しそうに笑って歓迎してくれた。


「今日はウェスティン王国風のお菓子が届いているんですよ。一緒にいただきましょう」


 わーい。モロシゲを食べてから一時間。そろそろお腹が減ってたんだよねー。


『カステラをお持ちいたしました』


 やっぱり、インターフォンでもついているのかな。ドアを開けなくても声が……、っていうか、今、なんて言った?


 ドアが開き、数名の女性がお盆を捧げ持って入ってきた。一人に一つずつ、お盆を置いて、部屋の中央にさらに山盛りのお盆を置いて。彼女たちはしずしずと出ていった。


「カステラだ……」


 ふかふかの黄色の体に、濃い茶色の服をまとったような、そのお姿。ザラメ糖のシャリシャリ感がふわふわ生地のアクセントになって、いくらでも食べられる柔らかさ。


「アサヒちゃん、カステラはね、紙がついてるから取ってから食べるんだよ」


 せっかくワカちゃんが教えてくれたけど、私はそれを知っている。


「お茶もウェスティン王国のものにしますね」


 ヤマくんが淹れてくれたのは、抹茶だ。なんでこんなに和風なの? いったい、ウェスティン王国って、どんな国なの?




 翌日から、聖女の仕事も始まって、午前中は神殿。午後は自室でウェスティン王国のマナー講義。と言っても、正座の練習が主なんだけど。


 聖女としての仕事は、とにかく、そこにいること。神殿内で聖女用のイスに座って神官さんたちが唱えるお祈りを聞いたり、やってきた貴族の願いを聞いてうなずいたり。

 お祈りは信仰の書に載っているものだ。覚えなきゃのいけないから毎日、何回も聞けるのは助かる。

 貴族の願いは、だいたい同じ。聖女には守秘義務がある。神官が付き添わないで本音を聖女だけに話せるから本心なんだろうけど。大勢は領地の安全と豊作、天変地異が起きないように。っていうところなんだけど。

一部、違う地域もある。


「どうか、国王陛下の横暴が止まりますように」


 ワンちゃんの横暴? 確かにワンちゃんは怖い顔をしてるけど、政治は公明正大だって上位貴族たちは感謝の言葉を唱えていく。

 不平不満があるのは、下位貴族たちだ。領地がお城から遠いせいで、なにか困ったことになってるのかな。

 気になる。気にはなるけど、聖女は祈りの内容を人に漏らしてはいけないのだ。それでも。


「領民がこれ以上苦しまないよう救える力をお与えください」


「貧しい領地をお救いください」


「商人どもの不正が表に出るよう乞い願います」


 不正。どうやらアルトメルト王国は一枚岩ではないんじゃないかな。ワンちゃんの目の届かないところで、なにかが起きている。私はそれを知ってしまった。でも誰にも話すことは出来ない。

 なら、どうする?って、答えは決まってる。私が不正を突き止めるんだ。

 



 正座にもだいぶ慣れてきた。一時間は座っていられる。これなら、日常生活でなんとかなりそう。一時間以上座りっぱなしになる機会って、あんまりないよね。

 神官さんたちのお祈りのおかげで、信仰の書の暗記も進んでる。

 あとは、国の情勢を学ばなきゃ。


 ワカちゃんが「毎日いっしょに遊ぼう」と言ってくれるので、マナー講義が終わると、居間にお邪魔してる。ワカちゃんといっしょにおやつを食べて、ダンスをして、歌を歌う。とっても平和だ。

 しばらくすると、ササちゃんがやってきて、ヤマくんがまたおやつを届けてくれる。まるで天国にいるみたい。

 そしてここは、私の情報収集の拠点でもあるのだ。


「ササちゃん、地理の講義はどうだった?」


 王子王女たちは、それぞれ違う講師がついて講義を受けているそうだ。王女は基本的に女性の、王子は男性の講師がつく。

 だけど、ササちゃんの地理の講師は珍しいことに男性だそうだ。勘当されて各地を放浪した高位貴族で、生きた情報を伝えてくれるとか。


「本日はホクトヘ皇国のことを学びましたわ」


 ふむふむ。ササちゃんはもうすでにお隣のウェスティン王国とイデキ連合国のことは修了しているそうで、もう一国、土地が接しているホクトヘ皇国の学習に入ったらしい。


「ホクトヘ皇国は、その名の通り皇帝が統治している国。軍隊はとても強くてクヨウ最大の戦力があるの。でも困ったことも多い土地なのですわ」


 戦争大国。世界の中心にそんな国があったら、あとの八国は気が気じゃないんじゃないかな。


「ホクトヘ皇国は厳寒の国。作物はほとんど取れず、狩りと輸入で食料を賄っているの。輸出しているのは爆薬」


「武器を輸出してるの!?」


 凶悪な輸出入を想像して、思わず大声が出た。


「いいえ、爆薬は武器として使うだけではないの。硬い岩盤を爆破して隧道を作ることにも使えるわ。扱い方を間違えなければ、便利なものなのよ」


 なるほど、ダイナマイトも武器として作られたわけじゃないそうだもんね。使う人の采配ひとつなんだね。


「アルトメルトはホクトヘ皇国と交流はないの。国境が高い山脈に位置していて、なかなか行き来が出来ないのですわ。山を越えようと思ったら、暴風雪に耐える人員が必要ですし、登山の専門家もいなければ無理なのですわ」


 それは攻め入られることもなくて安心という反面、国同士の思惑がわからず、不信感を強めることにもなるのだと締めくくって、ササちゃんの講義は終わった。

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