第15話 お仕事いろいろ頑張るぞい♡

 満腹の幸せを噛みしめながら居間でのんびりしていると、ノックが鳴った。シロハツさんがドアを開けて固まってしまった。


「いえ、そんなわけには……」


「淑女の部屋でございますから……」


「申し訳ございませんが……」


 なにやら必死で断っている。なんだなんだと野次馬根性で見に行くと、ドアの外には貴族の青年っぽい五人がやってきていた。


「あ、聖女さま!」


 一人が私に気付くと、五人が一斉に話し始めた。かしましくて、なんて言ってるのか、まったく聞き取れない。

 みんな、同じような太りっぷりで、みんな同じような坊ちゃん刈りで、みんな同じようなキンキン声で。見わけも聞き分けも出来ない。

 さらにみんな多分同じ内容のことを喚き散らしているようで、不協和音で不愉快この上ない。


「君たち、道を開けてもらえるかな」


 廊下の向こうから声がかけられた。五人は水を差されて同じような眼差しで声の主を睨み、同じように恐れおののき、同じようにソロリソロリと逃げていった。彼らに個性という概念はないのだろうか。


「聖女様におかれましては、求婚者に困らされていたご様子。追い払いましたが、問題ございませんでしたでしょうか」


 ヒイロ王子が、にこやかに部屋に入ってきた。


「きゅうこんしゃ?」


 思わず聞き返すと、シロハツさんが慌ててドアを閉めた。そうそう、私は無言の行とやらの最中なんでした。


「きゅうこんしゃって、なんですか?」


 ヒイロ王子は不可思議なものを見たというのか、目をぱちくりと瞬いた。


「アサヒの故郷では、求婚という文化はないのかな?」


「えっと、結婚を申し込むということですか?」


「そうだよ」


 いったい、なぜ今そんな話に?

 さっきの訪問客たちが求婚者?

 求婚って何?


 しばらく考えて、私の常識はこの世界では非常識なのではないかということに思い至った。


「もしかして、聖女って結婚出来るんですか?」


 ヒイロ王子は、またぱちくり。


「アサヒの国では、聖女は結婚できないのかな?」


「そもそも聖女は現在はいません。そんで、過去の聖女さんたちはみんな純潔です」


 たしか、そんなはずだ。映画で見たことがある。ヒイロ王子は今にも噴きだしそうに口元をぷるぷるさせながら、乱れた呼吸で話す。


「それでは先ほどは戸惑っただろう。彼らはアサヒとの婚姻を目当てに、ここにやってきたんだよ」


 笑いをこらえきれず、顔面の筋肉を震わせて、「ごほん」と空咳でごまかそうとする。無理ですよ、笑いがこぼれてますよ。


「えっと、私はどうしたらいいんでしょう」


 ヒイロ王子は「ごほん、ごほん」と何度も咳き込みながら、切れ切れに答えてくれた。


「求婚を、受けるも受けないも、聖女様のお好きなように、なさってくだされば、よろしいかと」


 くそお。面白がってやがる、この王子! どうしてくれよう。


「ヒーちゃん、アサヒはお嫁になんていきたくないよう」


 出来る限りの演技力で幼児のふりをしてみると、ヒイロ王子は腹を抱えて笑い出した。息も絶え絶え、咽び泣いている。いい気味だ。




 今日の料理を提供してくれた貴族のお父さんは、王族に恩を売りつつ、なおかつ息子を聖女に売り込みたかったらしい。

 美味しいものを食べさせてくれた恩には報いたい気もするけど、王子の一睨みで逃げ出す根性無しは、ちょっと……。私も乙女の端くれですから、お家の反対を押し切ってでも奪い去ってくれるような男性に夢と希望を抱いていないとは言いきれない。

 まあ、聖女ならどこの誰でもウェルカムするのだと知ってしまった今、そういうシチュエーションは期待できなくなっちゃったけど。


 ヒイロ王子が約束通り、お菓子を持ってきてくれたので、二人で向き合って黙々と、山と積んだお菓子を食べている。ヒイロ王子の肩がプルプル震えて、食はあまり進んでいない。

 公式な食対戦をすることになったら、幼女もの真似で笑わせてやろう。


 なんでお菓子を持ってきてくれたのかとヒイロ王子を観察していたんだけど、ただただ笑いをこらえるのに必死で口を開いてくれそうにない。

 しかたないから、私から真面目な話を振ってみた。


「今日の食前の挨拶は、かばっていただいて本当に助かりました。ありがとうございます」


「ああ、いや」


 お茶を一口飲んで、「ごほん」と空咳をして、ヒイロ王子は表情を引き締めた。


「聖女に突然あのような申し入れをすることは、普通なら許されることではない。罰を受けても仕方がないことだ。だが、アサヒは皆が待ち望んだ、五旬目にやっと降臨くださった聖女。浮かれてしまうのもわからないではない」


 五旬って、長い期間なんだね。というか、聖女っていないと困るものなの?と聞いてみたら、ヒイロ王子はまたぱちくりした。


「そうか、アサヒの国では聖女がいなくても人々は成り立っていけるのだね。クヨウでは、聖女がいないと世界が成り立たない」


「常闇のせいですか」


 ヒイロ王子は深くうなずく。


「そう。聖女がいない国にはやすやすと常闇が入り込む。我がアルトメルト王国は国の防衛のため台地の端、常闇の近くに城をかまえている。これは他国に対しては有効だと言える」


 国境からもっとも遠いところにお城を建てたわけだから、もし戦争にでもなって攻め込むとしても、一番遠い距離を移動しなきゃならないわけだ。


「だが、常闇に触れんばかりに近づいている我が国は、聖女の加護がなければ、あっという間に常闇に飲み込まれてしまう」


 モリーユさんに教わった聖女の役目。常闇を払うこと、それが一番重要だと。


「常闇の侵攻に抗い、五旬も保ったのは、ウェスティン王国とイデキ連合国の聖女の力を借りることが出来たからだ。その加護がなければ、アルトメルトはすでに灰燼に帰していただろう」


 クヨウは九つの国のどこが欠けてもバランスが取れず常闇に飲まれる。九人の聖女は欠かすことが出来ない存在なのだ。

 でも、そんなことを言われても、私にはなんの力もないし、なにも出来っこない。ただ食べることが好きで、得意なだけ。クヨウに呼び寄せられても、きっとなにも変わっていないだろう。今もアルトメルト王国が無事なのは、両隣の国の聖女の力のおかげなんだろう。

 私には、何の力もない。あるはずがない。だから、帰ろう。日本に。




 お菓子を食べ終わると、ヒイロ王子は、やっと本題に入った。


「聖女に面倒をかけるなど、あってはならないことなんだが、力を貸して欲しいことがある」


「私にできることなら、なんでも言ってください」


 軽い口調で応えた私を、ヒイロ王子は苦笑して見つめる。


「アサヒは働くのが好きなんだね。無理を言ってすまない」


「そんなに難しいことなんですか?」


 無理を言って、なんて言われると、身構えてしまう。あんまり難しいことだと、手に負えないかもしれないよ?


「シロハツ殿、少々、外してもらいたい」


 え、それって人払いってやつですか? 時代劇で見たことあるけど、相当大切な話をするときだけのイベントだ。

 シロハツさんはしっかりと頭を下げて部屋を出た。彼女がいないと、なんだか不安。


「外国からの書簡を受け取ったのだが、私では読むことが出来ないんだ。聖女はどのような文字も読むことが出来るだろう。解読を手伝ってほしい」


 なんだ、そんなことか。緊張して損したな。


「お茶の子さいさいですよ」


 時代劇っぽく言ってみたけど、ヒイロ王子は「?」という顔をしただけでスルーした。


 ヒイロ王子が服の前合わせから紙の束を取り出す。モリーユさんもよく胸元から荷物を取り出すけど、あの布の中に、どうやってしまってるんだろう。自分の服の中を覗いてみたけど、どこにもポケットのようなものはない。


「これなのだが」


 ヒイロ王子が差しだした紙束は、アルトメルトの紙より、ずっと薄くて、色も白に近い。高い製紙技術がある国があるのかな。

 受け取って開いてみると、見たことのない字形だ。なんだか楔文字っぽい。読めるには読めるんだけど……。


「あの、これ。ぜんぜん意味がない文字の羅列みたいなんですけど」


「ああ、そうなんだよ。そのまま読み上げてもらえるかな」


「はあ」


 ヒイロ王子が筆記具をかまえたので、たぶん、読んだ文字を書き留めていくのだろうと思って、ゆっくり声に出してみた。


「そ・ま・り・じぇ・お。いい・ける・ま・に・ぺ・ぺぺ」


 なんだこりゃ。ヒイロ王子は表情を崩すこともなく、サラサラと書き上げていく。読めなくても、意味はわかるのかな。


「エローム・3」


 三枚にギッシリ書いてある文字の羅列の最後の言葉だけ、意味がある言葉だった。


『鍵・3』


「助かったよ、アサヒ。これで内容がわかる。それと、もう一つ、大切なお願いがある」


 言われることはなんとなくわかった。


「巻き込んでおいて申し訳ないのだけど、このことは口外無用でお願いしたい。きみの安全のためだ」


「暗号なんですね」


 意味のない言葉の羅列を『鍵3』という方法で解読する必要がある。『鍵3』は協力者しか知らない特別なメッセージかなにかだ。

 ヒイロ王子は、ふっと息を吐いた。


「アサヒはなんでも知っているんだね。さすが異世界からいらした聖女だ」


 いえいえ。スパイ映画で見たことがあるだけです、はい。


「暗号の内容って、もう読み解けたんですか?」


「だいたいはね。でもアサヒは知らない方がいい、まだ」


 まだ、ということは、この先教えてもらえるってことだよね。なんだかワクワクするね。暗号の秘密。早く知りたい。


「さて、あともう一つ。相談がある。シロハツ殿にも聞いてもらおう」


 ヒイロ王子がドアを開けてシロハツさんを呼び入れた。ヒイロ王子はソファに戻って話し始めた。


「聖女が無言の行の最中だということにしてしまったので、今後、アサヒは人前では口を開かないようにしてほしい」


 うん、まあ。聖女は基本、話したらダメだそうだから、今までとそんなには変わらないかな。


「シロハツ殿には知り置いてほしいが、アサヒ付きのメイドたちには秘密にしておきたい。なので、私のポロ車に、アサヒとシロハツ殿に同乗いただきたい」


「アイアイサー」


 と、言ってみたら、シロハツさんは眉を顰め、ヒイロ王子は爆笑の手前という表情になった。


「それも、アサヒの故郷の言葉?」


「イエス、サー」


 ヒイロ王子は盛大に噴きだした。笑い上戸だなあ。会話の邪魔をして悪かったかなと思ったけど、用件はそれで終わりだった。

 ヒイロ王子は心行くまで笑い転げて、部屋を出ていった。


 そういえば、メイドさんって旅に同行してなにをするのかな、と思っていたんだけど。寝室に案内されて、彼女たちの働きを見ることが出来た。

 私の身の回りの品の出し入れとか、管理っていうのかな。してくれたり。お風呂やお手洗いに必要なものを運んでくれたり。通される部屋の安全確認も、メイドさんのお仕事らしい。

 彼女たちのおかげで、私は快適に眠ることが出来た。ありがたや~。


 翌朝、街の長老のスピーディーな挨拶に送られて一行は出発した。貴族息子五人は、近づいてこないどころか、目を逸らしていた。根性無しだあ。


 ヒイロ王子のポロ車に乗り込むと、車内で話せるようにとカーテンを閉めてくれた。ありがたや。さすがに何時間も無言でいるのは辛いものがある。無言の行をやりとげる聖女様は、強い精神力の持ち主だろう。


 朝食の美味しさにどれほど感激したかをシロハツさんに報告していると、ヒイロ王子が仕事を始めた。なにかなと覗き込んでみると、ウェスティン王国に着いてからの予定と、挨拶を交わすべき人たちのリストだった。そうか、事前情報は大事なんだね。


 黙ってヒイロ王子の仕事っぷりを眺めていると、リストを読み終わったみたいで、別の書類を取り上げた。三枚だけなんだけど、辞書を使ってるから、読むのに時間がかかりそう。


「ヒイロ王子、良かったら……」


「アサヒ」


 にっこり笑うヒイロ王子の笑いの琴線に触れねばならぬのか、今日も。あだ名を呼ぶたび噴きだされるっていうのも、どうも、居心地がいいものじゃないんだよね。


「ヒーちゃん、良かったら、私が読み上げましょうか?」


 ヒイロ王子は笑わなかった。真面目な調子を崩さない。もう、あだ名に慣れたのかな?


「いや、聖女様のお手をわずらわすわけには……」


「ヒーちゃんは友達だからね。困ってたら助けるよ」


 はにかんだところは、ヒーちゃんが子どもに戻ったみたいで、とてもかわいかった。


「ありがとう」


 素直な言葉が、ヒイロ王子には似合う。


 書類はウェスティン王国の古語で書かれた祈りの言葉だそうだ。式典で読み上げられるそうで、私なんかは聞いているだけでいい。ヒイロ王子もとくに読んでおく必要はないそうなんだけど、知っておきたいそうだ。勉強家だ。


 祈りの内容は、この世界を創った神が、生きる場所、生きる糧、生きる心を与えてくれたことへの感謝。常闇から守るために聖女を与えてくれたことへの感謝。九つの国が平和であることへの感謝。

 神への祈りを食にのせて送り出すという契約を守ること、人の命を疎かにしないという契約を守ることを改めて誓う。ほかにも色々色々。


 簡単にまとめると、世界が出来たころ生まれた人間は神様と話が出来て、いろいろな約束事を交わして、それを後世まで確実に履行させますってことらしい。

 神様から直接、命じられたことだもん、逆らったら罰が与えられるかもだよね。これは守っておかないと。

 ヒイロ王子は一度聞いただけで覚えたようで、書類を片付けた。一旦、休憩するのか、書類の束が詰まったカバンを閉めた。


「ヒーちゃんは、働き者だねえ。移動中も仕事して」


 クスクス笑ったのは、ヒーちゃんって呼び方に対してじゃなくて、褒められたのがおかしかったらしい。


「それを言うなら、アサヒの方がえらいよ」


 シロハツさんが水筒から注いでくれたお茶とお菓子で本格的な休憩になった。お腹が空いてたからお菓子に飛びついて、しばらく会話が途絶えた。


「なんで私がえらいんですか?」


「聖女の力を寝ている間も使ってくれているから」


「え、それ、なんのこと?」


 いかん、ヒーちゃん呼びを続けてたら、王子相手なのに敬語が出てこなくなってきている。ヒイロ王子は気にしていないようで説明してくれた。


 聖女は食べることで神様に祈りを届けてる。で、常闇を抑えることもしなくちゃいけないんだけど、それって二十四時間続けなくちゃいけない仕事。

 私はなーんにもしてないって思ってたら、食欲を恐れて常闇は寄ってこないんだって。

 どういうことかというと。


 聖女満腹→神様満足→常闇寄ってこない→聖女空腹→そろそろ神に祈りを捧げる時間→常闇退散。


 空腹だろうと満腹だろうと、常闇にはかわいそうなことだ。心休まるときはないんだね。だから聖女はいつも満腹か、いつも腹減りか、どちらかの状態をキープする必要がある。まさに、私が無意識に行っていることだった。

 私は私のまま生きれば、聖女としての責任が果たせる。なんだか、素晴らしいことのような気がする。


「アサヒ、これからもアルトメルト王国を、よろしく頼むよ」


「アイアイサー」


 褒められてちょっと照れ臭かったから、ヒイロ王子を爆笑させてみた。

 うん。今日もいい笑いっぷりだね、ヒーちゃんは。

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