第14話 旅の道中、万事ぶじだぞ♡
「その挨拶は、アサヒの国のものなのかな」
食後のお茶をもらうと、みんな出ていってしまって、部屋の中、ヒイロ王子と私だけがぽつんと座っている。
「えっと、ごちそうさまのことですか?」
「いただきます、も言うね」
「はい。日本では食前、食後に手を合わせる人は多いですよ」
「どういう意味があるの?」
意味ですか。意味ときましたか。ふふふふふ、お任せください。こちとら寺院が経営してる幼稚園で仏教教育を受けた身でござる。
「いただきますというのは、食事を作ってくださった方、食材を育てたり採取してくださった方、そしてなにより、私たちの命になってくださる動植物に対する感謝の気持ちです。これから命をいただく。そのことへの」
そうそう、そうやって教わった。改めて口にすると、自分が日本人なんだなって自覚する。
「ごちそうさまは、食事を準備してくださった方への感謝を表す言葉です。一回の食事を作るのは大変なことです。食材を準備して、下ごしらえして、火を入れて。熱いものは熱いまま、冷たいものはより冷たく。心を尽くさないと美味しい食事は作れません」
そうそう。家庭科の先生がそう言っていた。懐かしいな、学校。
「それは素敵な言葉だね。私も覚えて唱えよう」
この世界でも、同じ言葉を使う同士がいる。それはとてもホッとすることだ。
先を急ぐと言ってた割には、なんだかずいぶんゆっくりするんだなー。と思っていると、執事さんがやって来た。
「出立のご準備が整いましてございます」
そうか、みんなの食事時間とか、ポロ車の準備とか、そんな時間だったのか。
「では、まいりましょう、聖女様」
ヒイロ王子に手を借りて立ち上がる。部屋の外に出たら、シロハツさんが待っていた。
「シロハツ殿。聖女様には私と御同道をお願いした。ポロ車を替えられる」
「かしこまりました」
シロハツさんは丁寧に頭を下げた。いつも思うけど、シロハツさんの動きは優雅だなあ。見習わないと。
お屋敷を出ると、家の人たちがずらっと並んで見送ってくれた。出来れば「すっごく美味しかったです」って伝えたかったけど、聖女は話したらいけないんだよなあ。せめて心からの笑顔を残してポロ車に乗った。
ポロ車は六人乗りだ。体の大きな人が六人乗るものなので、体感的には大型車だ。そこに痩せている私とヒイロ王子の二人だけ。空間がもったいない気がする。
「アサヒ、旅はきつくないかい?」
きついか、きつくないかで言うと、寝てたのでわかりません。
「大丈夫です」
「本当に?」
ずいぶん心配してもらってるみたいだけど、なんでだろう。
「ポロ車を降りるとき、アサヒはずいぶん悲しそうだった」
ああ、そうか。夢を見ていたからだ。日本のいつもの家の日常。みんなでご飯を食べて、みんなでテレビを見て、宿題をしなくて叱られて。思い出したら、また泣きそうになった。
ヒイロ王子は窓を閉めて、カーテンを引いた。
「泣いても、大丈夫だよ」
優しい目で見つめられると、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。喉の奥になにかつかえているような感じ。熱いものがせりあがってきて、涙はますます流れ出た。
「家に帰りたいんだね」
こくりとうなずく。ヒイロ王子は私の手を握って、優しく撫でてくれた。だけど、日本に帰してくれるとは、言えないようだった。
道程は順調だそうで、夜には交易の中心地になっている街につくらしい。アルトメルト王国は常闇と接する台地のギリギリにお城がある。
ウェスティン王国は台地のど真ん中にお城が位置しているから、世界の中心に位置するホクトヘ皇国の方へ向かって今日一日、進んできた。
明日からの三日間はその街から真っ直ぐウェスティン王国まで続く街道を行くんだって。
滞在は三日なのに、移動は片道八日。日本の交通の発展って偉大だったんだな。
向かっている街の名前はリウミ。交易には台地の中央の方がなにかと便利なんだそうだ。街道が交差するから。貴族の領地じゃなくて、商人さんが自治権を持って運営してるらしい。
日本史の授業で教わった気がする、堺とか博多とか、昔の日本にもそういう殿様がいない街があった。勉強はしておくものだ、どこで役立つか分からない。
ヒイロ王子はさすがの博識で、道中、いろいろなことを教えてもらった。なかでも興味深かったのが、ウェスティン王国とアルトメルト王国の術師の違い。
アルトメルトでは、召喚術も治癒術も神官が行うんだけど、ウェスティンには専属の術師がいるそうな。だからクヨウ随一の術大国と呼ばれている。
もしかしたら、クギタケさんが言ったように逆召喚が出来る人がいるかも。
「あの、ヒイロ王子、もし……」
「アサヒ。私たちは友人だろう」
う。やはり呼ばねばなりませんか、爆笑された、あのあだ名で。
「ヒーちゃん……」
ヒイロ王子は、やはり噴きだした。少年のような無邪気な笑顔を見ていると、もっと変なあだ名にしてあげればよかったかなと思う。嫌がらせではなく。きっと喜んでくれただろう。
彼の笑いが納まるのを待って、質問を再開した。
「ウェスティン王国の術士さんの仕事を見学することって出来ますかね」
「もちろん、大丈夫だよ。私も今回、視察する予定だ。一緒に行こう」
うーん。ヒイロ王子と一緒か。こっそり術士さんに帰還できるか聞きたいんだけど、隙はあるかな。
「それと、ひとつお願いがある」
ヒイロ王子は笑顔を引っ込めて王子様としての威厳を醸し出す。
「ウェスティンの王女、ショーロ姫と会談する予定なのだが、未婚の男女二人だけで会うことは出来ない。だが、他のものには聞かせたくない話なんだ。聖女の立ち合いを願うのだが、ご了承いただけるだろうか」
「もちろんです。私で役にたてるなら、なんでも言ってください」
「ご厚意に感謝いたします」
ヒイロ王子に笑顔が戻った。
あれ? 未婚の男女が二人きりになるのがダメっていうのに、今このポロ車の状況は大丈夫なのかな? 聖女は特別とか? うーん、なんとなくヒイロ王子には聞きにくい。まあ、知らなくてもいいんだから、黙っておこう。
リウミの街は外周をぐるりと石壁で囲われていた。城壁かと思うくらいの高さと頑丈さがありそう。五本の街道それぞれに門が一つずつ。
真っ直ぐ進んでいく先にある門は通行止めされていて、道路脇に人垣が出来ている。どうやらヒイロ王子のご尊顔を見たい人たちのようで、カーテンを開けたポロ車の中を見つめている。
そんで、やっぱり私を見て目を丸くする人の多いこと、多いこと。すみませんね、痩せててさ。
お役人さんみたいなお揃いの地味な服を着た人が開けてくれた大きな門を通って、ポロ車は街の中心に向かって行く。
街はずいぶんひらけているみたいで、家屋とか商店とかの一軒一軒が、がっしりした石造り。なんとなく活気があって、雰囲気が明るい。
ポロ車が止まったのは、一軒の邸宅の前庭だった。お偉いさんだと一目でわかる五人が待ちかねていた。街で見た人たちよりずっとふくよかだ。食事情がいいんだろうね。
五人が深々とお辞儀している間にポロ車のドアが開けられて、ヒイロ王子に手を引かれて降りる。
お偉いさんたちが顔を上げた。けっこう高齢みたい、みんな六十代以上くらいかなと思うんだけど、お肉がぱつんぱつんしてシワもない。顔なんか、つるんとしてる。
「第一王子、ヒイロ殿下。聖女、アサヒ様。リウミにようこそお越しくださいました。街人を代表いたしまして、歓迎のご挨拶を申し上げます」
あ、また難しい言葉が並ぶのかなと思ったら、ご挨拶はそれだけだった。良かった、眠くならなくていいわあ。商人さんにとって時は金なりなのかも。
このお屋敷は迎賓館だそとかで、街で管理しているそう。貴賓客を泊める施設というだけあって、それはそれは豪華な造りだ。建物はなにもかも白い石で出来てる、大理石に似てる石材だ。
正面扉前のポーチの屋根を支える太い柱は、古代ギリシャのコリント式という建築様式のものと似てる。柱の上部に木や草の装飾がほどこしてあるやつ。この国はなんとなく、ギリシャっぽいよね、服も建物も。
お屋敷の中も、もちろん豪華。通された部屋にはローテーブルと脚付きのソファがあった。この街はイス生活なのか。私とヒイロ王子には一部屋ずつ居間が用意されていて、シロハツさんとメイドさんたちが部屋に来てくれた。
「お疲れ様でございました、アサヒ様。お体の調子はいかがでございますか」
「すごく元気です! お腹も空いてます!」
今日のおやつが、ポロ車のなかでお菓子をちょっと食べただけなので、もうゴーゴーお腹が鳴りそう。
このお屋敷での夕食は晩餐扱いだそうで、白い服に着替えさせられた。ごちそうが食べられるー、やっほう!
座りっぱなしで凝っている体をほぐそうとラジオ体操をしていると、シロハツさんもメイドさんたちもニコニコと鑑賞している。いつかみんなにも教えてあげて、一緒にやってみたら楽しいかも。
ラジオ体操でますますお腹が空いて切なくなってきたころ、晩餐の部屋に呼ばれた。
部屋は広々していて大きなテーブルにイスが二十脚。そのうち十八脚にはすでに人が座ってる。
出迎えてくれたこの街のお偉いさんが五人。
どうやら貴族らしい着こなしの老人三人とアクセサリーをじゃらじゃら付けたお金持ちそうな女性が三人、その人たちの息子さんかなという感じの青年が五人。
どういう組み合わせなのか、ちょっとわからない。
それと私たちの一行から、隊長クラスの騎士さん二人。
隣同士で空いている二席にヒイロ王子と私が案内されて座ったところで、貴族っぽいおじいちゃんが立ち上がった。
「このような場所でお目にかかれるとは、僥倖でございます。ヒイロ殿下、聖女、アサヒ様。今宵の食は我が家自慢の料理長が腕を振るったものでございます。どうぞ心行くまでご賞味ください」
おじいちゃんが座ると、リウミのお偉いさんのうち最高齢らしいおばあちゃんが立ち上がる。
「聖女様の御前で恥知らずなお願いを申し上げます。どうか、食前の祈りをたまわりたく存じます」
ほえ!? 聞いてないんですけど! 挨拶があるときは事前に知らせてくれるんじゃなかったの?
壁際に控えているシロハツさんに視線を送ると、目を丸くしている。突然のお願いなの? どうすりゃいいの。喋っていいの? それより、なにを言えばいいの?
きょどっていると、ヒイロ王子がスッと立ち上がった。
「聖女様は来たる食対戦のために無言の行の最中。代わりにはならないが、私が食前の祈りを捧げても良いだろうか」
「もちろんでございます。おこがましい申し出にもかかわらず、お許しいただき幸甚でございます」
ヒイロ王子は両手を広げて厳かに言葉を紡ぐ。
「リアーチャー。神の御前に奉じます食を祝福し、皆とともに味わえる喜びを神に感謝いたします」
ああ、良かった。ヒイロ王子がフォローしてくれて。お兄さま、私、どこまでもついてまいります。
「リアーチャー」
食卓の全員が声を出したけど、私は黙っておいた。
ヒイロ王子が座りなおすと、みんな猛烈な勢いで食事を始めた。隣の席のヒイロ王子も優雅で爽やかでありながら、とんでもないスピードで食べ物を飲み込んでいく。メラメラと闘争心が湧いてきた。負けていられない!
テーブルに据えてある料理はアルトメルト風だ。これから外国へ行くから祖国の味を食べおさめさせようという料理長の心遣いだな、たぶん。
野菜から食べると痩せるらしいので、野菜は後。糖質を摂るべく、焼き菓子に手を伸ばす。モロシ、モロシゲの王道お菓子に、お砂糖がたくさん振ってある。ぱくりといくと、幸せが口の中で舞い踊る。
モロ乳の優しい風味を甘みが後押しして、まるで夢の国にいるみたいな幸福感。ふわふわ飛んでいけそうだ。
ユミナという名前の果物のゼリーが五種類、エンジという干し果物も五種類。果物はそれぞれ、酸味が強いチリミ、洋ナシ型のナヌ、マンゴスチンに似た味のベル、鶏の卵そっくりなキマ、ブドウみたいにつぶつぶしてるムルイ。
どれも日常的によく食べられる果物だそうで、お城の食事やおやつでも馴染んでる。のだけど、これはすごい!
ユミナは口の上でとろけちゃって、果物の爽やかさがスーッと喉を過ぎていく。
エンジは確かに欲し果物の歯ごたえがあるのに、噛んでいるとジューシーでまったく知らない食べ物みたいだ。
胸がじいんと温まる。しばらく陶酔してしまった。
感動を共有したくて、ヒイロ王子の方に目をやると、まだお菓子には手をつけていない。私の視線を感じたらしく目を合わせると、ニッコリ笑ってくれたんだけど、なんだかいつもと違う笑顔だ。
その笑顔のまま、顎でクイッと私の食糧を指し示した。明らかにヒイロ王子の方が量を食べ進んでいる。いかん、食べ負けている。
ヒイロ王子の視線は、非公式食対戦の申し込みと判断した。ここから巻き返す!
次に食べるべきはパンとお肉だ。野菜はまだ早い。
塩気の強い丸パンに、花蜜を塗りこんで焼いたチャーシューみたいなお肉を挟んでガブリ。塩気と甘みのコントラストがいいんだよね。花蜜の香りだけじゃなくて、なにかスパイスが使われているようで、ツンとくる刺激もある。マスタードみたいな感じ。すごく良いアクセントになってる。
初めて見るパンもある。直径五センチくらいで長さが二十センチくらいの細長いパン。齧ってみると、すごく硬い。奥歯で噛み切って擂り潰すように咀嚼する。
ほかのパンとまったく風味が違う。たぶん、使っている穀物の種類が違うんだ。いつものパンは小麦粉っぽいんだけど、これはナッツっぽい。アーモンドの粉を使った焼き菓子に似ている。フィナンシェが砂糖抜きで、超硬くなったらこんな感じかも。
これにはナッティにひき肉を詰め込んだ料理が合うはず。右手にパン、左手にナッティを持って、交互に口に入れる。ナッティのとろとろと、ひき肉の肉汁がパンに染みて美味さ倍増。水分が染みて少し柔らかくなったパンの噛み心地も良い。
骨付きで、茹でた後に煮込んでから冷製にした感じのお肉がある。柔らかくて簡単に噛みちぎれる。ブイヨンみたいな深い旨味が骨までしみてる感じ。骨は齧ってないけど。
お肉の臭みというものが全く存在しない。どんな動物のお肉だろう。とにかく、美味しく育ってくれてありがとう。おかげで明日も元気に生きていけます。
ごろごろ積んであるハンバーグに似た料理は、見た目にはお肉の粒が見えるのに、噛んでいるとミンチじゃなくてステーキを食べているような歯ごたえ。どんな作り方をしたら、こんな不思議な食感になるんだろう。たくさんあるのに、一つずつ味が違う。甘い、酸っぱい、苦い、それぞれ際立つ個性があって食べ飽きない。
んだけど、そうなると、かえってアレンジしてみたいというチャレンジャー精神が湧いてきた。
ここで野菜に手を伸ばす。香味野菜のシャチの葉でお肉を包む。がぶりといくと、鼻に抜けるようなシャチの爽やかさと、辛いお肉の味がマッチしてこれはいくらでもイケる組み合わせ。
お肉の味がどんなものか味見なしで野菜と合わせるスリル満点な食べ方でも、一種類も外すことなくぺろりと平らげた。
ハムも、鳥の煮込みも、ゆで卵も、キノコとハムのタルト的なやつも、なにもかも美味しい。いつまででも食べ続けていたい。
でも、幸福な夢はいつかは覚めるもの。もう私の前には一切れのお菓子が残るだけ。ああ、悲しい。
そうだ、ヒイロ王子はどうしてるだろうと見てみると、私の顔を見ていたみたいで、目が合うと優しく微笑まれた。ヒイロ王子の前には、まだ盛りだくさんのお菓子がある。お残しするんだろうか。
「食べたい?」
腹話術で聞かれて、思わずうなずく。
「あとでね」
あとで……、もらえるのかな?
淡い期待を胸に、最後のお菓子、モロ乳クリームをたっぷり乗せたナヌの実をぺろりと飲み込んだ。
非公式食対戦は、ヒイロ王子が手を抜いたおかげで、私の勝利となった。かなり、くやしい。次は負けないぞ!
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