第7話 ちょっと、私、たいへんかも♡
「ふいー」
自分に与えられた部屋に戻って、お風呂でのびのび手足を伸ばす。ぬるめのお湯が好きな私にぴったりの適温。長湯派にちょうどいい三十九度と見た。
浴槽にぷかりと浮かびながら、今日一日を振り返ってみる。
朝は普通に登校した。学校の門も普通に通った。教室に行こうとして階段に足をかけて……そこから記憶が途切れてる。次に目を覚ました時には日本を離れて、ここ、クヨウにいた。
おやつ入りのカバンもなく、とにかく流されるままに食べて食べて食べていたけど。
「うちの方で、私はどうなってるんだろう」
行方不明になっているのか、それとも存在自体がなくなっているとか? もしかして向こうでは時間が止まっていて、この国を救うという使命を果たして戻ったら普通に高校にいるとか。
この国を救う。ヒイロ王子はそう言ったけど、この世界でなにが起きているんだろう。どんな危機的状況? 戦争? 宇宙人の襲来? 魔王復活?
どれにしても、ヒイロ王子の様子だと、あまり口外しない方がよさそう。あとでモリーユさんにそっと聞いてみよう。
「よし!」
謎のやる気を出してザバーと湯船から出ると、タイミングを見計らっていたのか、シロハツさんがタオルを手に浴室に入ってきた。思わず両手で薄い胸を隠す。
「失礼します。お体をお拭きいたします」
「え、いや! 自分で出来ますので! ていうか、自分でさせてください!」
「さようでございますか……?」
シロハツさんは不思議そうに首をひねりながらタオルを渡してくれて出て行った。
王国の偉い人、コワイ! 自分で拭かないの? このぎすぎすした体をしみじみ見られるなんて、私はいやだよー。
モリーユさんを待って、ぼーっとしているうちに日が暮れた。夕暮れの橙色に染まった空を見ていると、シロハツさんがランプを運んできて部屋のあちこちに置いてくれた。
「アサヒ様、お腹はお空きではないですか?」
たった二時間ほど前に夕食をたらふく食べたというのに、入浴しただけでお腹が空いている。これは、私にとっては日常で、お風呂上りには夜食を食べる。それから宿題をして、脳に糖分を与えるためにおやつを食べる。寝る前に夜中にお腹が空いて起きないように、夜中食を食べる。
これ、全部、シロハツさんに言って用意してもらえるかなあ?
とりあえず、夜食に食べさせてもらったのはミューズリーのようなもの。大麦みたいな穀物を乾燥させて潰した、オートミールみたいなものに、果物が、これでもか!とトッピングされている。牛乳と似た白い液体がなみなみ注がれていて、食べやすそうだ。
三十センチくらいの直径の深鉢に、大きめのスプーンを添えて渡された。
フルーツをのせず、穀物と白い液体を一匙掬って口に入れる。食感はオートミールのように、ちょっとトローリ、ちょっと硬い部分もある。
それより、白い液体だ。なんとも美味しい! 牛でもヤギでもない、濃厚で甘みのある脂肪分たっぷり。
「この白いの、なんですか!?」
勢い込んで聞くと、シロハツさんがにっこりと笑って教えてくれた。
「モロという家畜の乳でございます。モロシの材料にも使っております」
ああ、あの高級食パンみたいなお菓子ね。あれも美味しかった。モロ乳が美味しいからなんだね。
次はフルーツをいってみる。黄色のりんごのようなもの。紫のナスのような……たぶん、これもフルーツなのだろう……か? ほかにも小さく刻まれた赤、青、緑、茶色のナッツのようなもの、色とりどりの宝石のかけらが散りばめられたようにも見えて、美しい食べ物だ。
とりあえず、ナス……みたいなやつを口に放り込む。
「!!」
ナ、ナスだ。油で揚げたナスの味がする。でもそれが、モロ乳の甘さをまとってトロっと口の中でとろけると、得も言われぬ至福が輝きながら天上から降ってくる。
「こんなに美味しいものが、この世に存在しているの……」
「ずいぶんとお口に合ったようで、嬉しゅうございます。そちらはナッティという野菜なのですが、甘味にもよく使われております」
ナッティ、私、もうあなたと離れたくない。
感激のあまり、がつがつと鉢を空にしてしまった。もっとゆっくり食べれば良かったと、しゅんとしていると、シロハツさんがお代わりを持ってきてくれると席を立った。な、なんて親切な人なんでしょう。このご恩はいつか、お返しせねば!
「アサヒ様」
二杯目のミューズリーを食べ終えてお茶を飲んでいると、モリーユさんが、やっと来てくれた。
「遅くなりまして申し訳ございません。なにかご不便はございませんか?」
「大丈夫です。それより、またいろいろ教えてほしいんですけど」
「かしこまりました」
モリーユさんが私の側に座るのと交代という感じでシロハツさんが部屋を出ていった。これなら、秘密の話をしてもいいかな? ヒイロ王子に囁かれたことを知ってた方がいいよね。
「あの、この国の危機って、なんですか?」
「危機……で、ございますか?」
「はい。私はなにかを救うために召喚されたんですよね?」
モリーユさんは微笑を浮かべて、首を横に振る。
「この国は、大変、平和でございます。聖女様をお招きいたしましたのは神への祈りを届けていただくため。ご安心ください」
うーん。ヒイロ王子が「この国をお救いください」って言ったのは、なにか問題があるわけじゃなかったんだろうか。じゃあ、どういう意味?
「ほかには何かございますか?」
聞きたいことはたらふくあるぞ。どんどん行こう!
「えっと、聖女って、一度決まったら交代出来ないんですか?」
「聖女様は唯一無二のお方。神が定めたお一人だけでございます」
「私が来るまではどうなってたんですか?」
モリーユさんが少しだけうつむいた。なにか悲しそう。悪いこと聞いちゃったかな。
「先代の聖女様は、五旬前にお亡くなりになられました。ご高齢だったとはいえ、国民の悲しみようは、それはそれは大変でございました」
五旬ってなんだろう。という疑問はとりあえず置いておこう。
「それは大変でしたね」
モリーユさんはまた、にこりと笑ってくれた。
「ご神託もくだり、アサヒ様がお越しくださり、もう心配はなにもございません。どうぞ末永くアルトメルトをお守りくださいませ」
「末永くって、どれくらいの期間ですか?」
「次のご神託で次代の聖女様が立たれるまででございます」
「それって、いつくぐらいなんですか?」
「ご神託がくだるというのは、そうそうあるものではないのです。神の御意志でございますから」
ちょっと待って。私、今とんでもないことを聞かなかった!?
「私、いつになったら家に帰れるかわからないってことですか!?」
モリーユさんは優雅にお辞儀する。
「私たち全国民は、いついつまでも聖女、アサヒ様をお慕いし、お仕えいたします」
お慕いもお仕えもいらないよ、家に帰してー。
あまりのショックでパニックになって、パニック過ぎて動けなくなった。質疑が終わったと判断したみたいで、モリーユさんが明日の予定をなにか言っていたけど、聞こえてはいなかった。
家に帰れない? 平和を祈って一生を終えることもあり得る? この知らない世界で? そんなバカなことがある?
もう一生、チョコミントアイスも、チョコパイも、ウナギが入ったパイも、回転焼も、宇治抹茶かき氷も、ポップコーンも、ドーナツも、ポテチも、バナナスプリットも、魚肉ソーセージも、ゆで卵も食べられないの!?
あ、ゆで卵は似たものがあるかもだけど。そうではなく。
お母さんも、お父さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、拓にいちゃんも、山都も、みんな心配してるよ、きっと。学校にカバンだけ落ちてて姿が見えないって、どう考えても事件に巻き込まれてるって思うよね。誘拐とか誘拐とか誘拐とか。
まあ、召喚っていうのも、身代金を要求しない誘拐みたいなものなのかな。
考えてたら、頭がぐるぐるしてきて、ベッドに倒れ込んだ。ああ、夜中食を食べていないなと思いながら眠りに落ちていった。
「……聖女様、……アサヒ様」
なんだか呼ばれたような気がして目を開けた。室内がうっすら明るい。寝室には灯りはなかったはずなんだけど。
起き上がるとドアが開いているのが見えた。そのドアの陰から誰かの頭が覗いてる。誰?
ごそごそ起きだして近づいてみると、黒い神官服を着たおじさんだった。だれ?
「深夜に大変な無礼をいたしまして、伏してお詫び申し上げます」
そう言っておじさんは本当に深々と頭を下げた。うーん。深夜に女子高生の部屋に忍び込むのは、完全にアウトだし、謝られても許しちゃいけないような気がする。でもなあ、どこかで見たことある人のような気がするし、叫んで追い出すのも不憫というか……。
「あ、クギタケさん」
少し広くなった額を見て思い出した。そうそう、神殿で会ったんだった。
「は。クギタケでございます。どうしても聖女様にお知らせせねばならぬことがあり、参上いたしました」
クギタケさんが醸し出す雰囲気が重々しい。なに、なにを言いに来たの? 怖いんですけど。
「聖女様におかれましては、ご自分の世界にお帰りいただくことが、御身の御清福であると進上いたします」
「なんですと?」
言葉が難しくてわからない、というか、聞き取れなかった。
「あの、もう少し簡単な言葉でお願いします」
「は。この世界において聖女様は唯一無二のお方。次のご神託がくだれば、アサヒ様のお命はありません」
な、なんだってえ!?
「それって、次の聖女が選ばれたら、私は殺されるってこと?」
「さようでございます」
「え、殺すくらいなら、日本に帰してくれたらいいじゃないですか」
「召喚は出来ますが、ここ、アルトメルトには送り返す術はないのでございます」
そんなあ。家にも帰れない、死ぬまで聖女やらなくちゃならないかもしれないだけでも大問題なのに、そこに命の危険までやってくるって……。そんなこと、モリーユさんは一言も……。
「私がなにか悪いことした!? 聖女なんて突然押し付けられて、誘拐されて、たらふく食べさせられて」
いや、そこはいいんだけど。
「絶対、家に帰ってやる!」
「アサヒ様? いかがなされましたか?」
シロハツさんの声が聞こえて、部屋から顔を出してみると、小さな燭台を掲げてドアの外で立ち止まっている。
「えっと、もしかして、外まで聞こえてました?」
「はい。大きなお声が響いておりました。もしや夢にうなされておられたのかと懸念いたしまして」
クギタケさんと話していてヒートアップしただけだと説明しようとして、ハッとした。私の部屋に忍び込んだなんてことが知れたら、クギタケさんは罰を受けるんじゃないの? クギタケさんにはまだまだ聞きたいことがあるのに。もしかしたらモリーユさんは私に隠し事があるんじゃないかっていう疑問に答えてほしいのに。
「アサヒ様?」
シロハツさんから見えないようにクギタケさんを隠そうと、そっと立ち位置を変えようとしてチラリと見ると、クギタケさんの姿がない。
「え?」
寝室を覗いてみても、部屋を見渡しても、もしかしてと思って浴室を確かめても、いない。消えてしまった。
「アサヒ様?」
もう一度呼ばれても、なにが起きたかわからないまま、ぼんやりしてしまう。シロハツさんの顔を見ると、とても心配そうにしている。
「寝ぼけました」
とりあえず安心させようと、ぽつりと呟いた。
翌朝、ひどい空腹で目が覚めた。胃がきりきり痛むくらい。
なんとか起き上がったけど、めまいがする。栄養が足りてない。誰か、カロリーをください。
よろよろと寝室を出ると、シロハツさんがお盆を持って部屋に入ってきた。
「おはようございます、アサヒ様。お目覚めのくだものをお持ちいたしました」
思わず駆け寄って、奪い取るようにお盆を受け取り、座り込む。お盆の上にはチリミと、ナッティを素揚げして砂糖をまぶしたようなものと、ナヌの実と、名前を知らないつやつやした青い実がのっている。
「いただきます!」
ナヌの実を取って、かぶりつく。バターのようなこってりした甘み。とろける食感が南国を思わせる。
甘いものの後は酸味もいいよね。
チリミを齧る。酸っぱい! 甘いものの後に食べる酸味は刺すほどで、身震いする。そこでまたナヌの実。さっきよりずっと甘く感じる。
ナッティはカリッとしていてジューシーでシャリシャリの砂糖がアクセントになっていて、こんな面白い食べ物、食べたことない。
青い実はもちもちしていて、爽やかな香り。マンゴスチンに似ているけど、もっと甘い。青い果皮も薄くてつるりと食べられた。
ひとまず、胃の痛みが落ち着いた。そうすると本格的にお腹が空いて、ぐうと鳴る。
「さすがアサヒ様。素晴らしい食欲でございますね。朝餉をすぐにご用意いたします」
部屋を出ようとするシロハツさんを呼び止めてみた。
「シロハツさん」
振り向いたシロハツさんの笑顔は、本物だろうか。
「私は家に帰れないって本当ですか?」
一瞬、シロハツさんの表情が曇り、肩が揺れた。でも、すぐに優しい微笑に戻る。
「私ではあずかり知らぬことでございます。どうぞ、モリーユ神官長にお尋ねください」
そう言うと、頭を下げて部屋を出ていった。
クギタケさんは言ってた。
『ここ、アルトメルトには送り返す術はない』
それって、裏を返せば、他の国には逆召喚というか、送還できる技術があるってことじゃない?
だったら、外国に行けば家に帰して貰えるんじゃない? 一つの国には一人の聖女しかいらないんだったら、外国で私の価値なんてないもんね。
よし。当面の目標は、外国への脱出。
その準備にクギタケさんから、もっと話を聞かなきゃ。
多分、モリーユさんには、この話は秘密にしないといけないと思う。
この世界で一番頼りになるはずの人が、一番怪しい人になってしまった。
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