第6話 こんなところ、見られちゃった♡
人がなにかを食べているところを見ると、お腹がへるのはどうしてだろう。食対戦前にパンを食べたのが嘘みたいに、お腹がごーごーと鳴り響く。
あまりに迫力ある腹の虫の声が恥ずかしくて、俯き加減に歩いていると、行き会う人が皆、「ほほえましいですわ」と言わんばかりの笑顔を向けてくる。恥ずかしい。
モリーユさんも優しい笑顔だ。とりあえず、食べることを好意的に捉えてもらえて嬉しいと思っておこう。
後ろをついて歩きながら、モリーユさんに質問してみた。
「モリーユさん、さっきのクギタケさんっていう人が言ってたことなんですけど……」
ぴたりと足を止めてモリーユさんが振り返る。突然すぎて背中にぶつかりそうになって、あわてて私も立ち止まる。
「下々の申すことは、どうぞご放念ください」
「ごほうねん?」
モリーユさんがなんだか怖い。怒ってるわけじゃないみたいだけど、微笑が消えてる。
「お気になさることはございません。アサヒ様は神聖なるお方。すべては神の御心のまま、お過ごしくださればよろしいのですよ」
「はあ……」
そう言われても、具体的になにをすればいいのか教えてもらわないと動きようがない。この世界の日常のこともなにも知らないのだ。
戸惑ってるのが伝わったのか、モリーユさんが微笑をよみがえらせてくれた。
「アサヒ様のこれからのご予定ですが、国民へのご挨拶を頂戴いたします」
「ご挨拶ですか?」
「はい。皆、聖女様のお声を聴きたいと朝早くから詰めかけております」
朝からって、もう夕食の時間じゃないかな、私の腹時計からすると。いったい、何時間待ってるんだろう。
「その後、聖餐会が行われます」
「聖餐会」
「聖女様がお食事なさるお姿をお披露目することです」
なんだか『お』をいっぱい聞いたけど、私の食事姿をお披露目って、なんのこと?
「具体的に、なにをするんですか?」
「アサヒ様には夕食を召し上がっていただきます」
「それだけ?」
「それだけです」
「お披露目っていうのは?」
「国民に聖女様が食す姿をお見せいただきます」
え、それって、私が食事してるところを見られるってこと? 大勢に? じろじろと?
「緊張して、ごはんが喉を通らなそうなんですけど」
笑顔のモリーユさんのふっくらした頬がつややかに光ってる。なんとも優しげだ。
「アサヒ様なら、大丈夫ですよ」
なんだか無神経だと言外に言われた気がする。
部屋に戻るとシロハツさんが待ち構えていて、着替えさせられた。やっぱり一枚布を肩で止めるタイプの服だけど、今回は真っ赤な布。自分で服を買うときには選ばない派手すぎる色だ。
聖餐会はコロッセオで行われるとかで、モリーユさんにくっついて、また速足で移動する。コロッセオって、ギリシャだったか、ローマだったかの闘技場じゃなかったっけ。この世界って、なんだか地球と似てるような、そうでもないような感じ。
王宮の真正面から一本、真っ直ぐ続く道を進む。
お城の外へ向かって開かれた、分厚くて、どでかい門をくぐる。奈良の大仏様でも這ってなら通れるくらい大きいと思う。白い石を組み上げたところに、やっぱりきれいな色の石が張り付けられてピカピカだ。
門からすぐ階段になっていて、広々とした土地を見下ろすことになった。
そこには、人がいた。それはもう、大勢。
名古屋の大通りくらい広い道。つまり、100メートルはあるその道を埋め尽くす群衆。様々な色の髪、服、肌の色。だけどみんなふくよかなことに違いはない。老若男女関係なく、お肉が分厚い。
その人たちの視線が、すべて私に向いている。
ざわっとこの場がざわめく。戸惑いの視線を向けて、ひそひそと囁きかわす人たち。なんだか、歓迎されていないみたいなんですけど。
「聖女様がお通りになる。道を開けよ」
門番なのか、鎖で出来た鎧を着けた人が二人、階段を下りて、交通整理みたいに手を振って人の列を左右に掻き分けた。
「さあ、アサヒ様」
モリーユさんに促されて足を踏み出す。布の服と一緒に履き替えさせられたサンダルのような靴が少し大きくて歩きにくい。なんだかヨチヨチしてしまう。
そんな姿をたくさんの人に見られるのは恥ずかしい。そのうえ、ひそひそ話す声が途切れることなく、いたたまれない。走り出したいくらい居心地が悪かった。
痛い視線を浴びながら道を行くと、地面にぽっかりと巨大な穴が開いていた。ちょっとしたコンサートホールくらいの広さはありそう。さらに近づくと、穴は階段状に深くなっていて、底が平らな、すり鉢状の建造物だとわかった。
「こちらがコロッセオです」
地球のコロッセオは大きな建物がどーんと建っていたけど、クヨウでは地下に掘ってある。雨が降ったら水溜りにならないのかな。
コロッセオの階段状の客席には、すでに大勢の人たちがぎゅう詰めに集まっている。その人たちの視線も痛い。ざわめきが歓声から戸惑いの色に変わった。
「アサヒ様、どうぞ顔をお上げください。皆、アサヒ様の食事を拝見出来ることを喜んでおります」
そうだった。ここで私は夕食を食べないといけないんだ。この微妙に居心地の悪い空気の中で、不安げな視線にさらされて。
一気に食欲がなくなった、と思ったけど、すぐにお腹がぐうと鳴る。私のお腹はいつでもどこでも素直で元気だ。
モリーユさんに導かれて、コロッセオの底、テニスコート二面分くらいの広さの空き地に立った。中央に大きなテーブルが据えられて、白いテーブルクロスがかけられている。装飾が豪華なイスが一つ、テーブルの真ん中あたりにぽつんと置かれている。
そのイスに座らされると、モリーユさんは私の背中側の壁際に去っていってしまう。私、これからどうすれば?
「ご降臨くださった聖女、アサヒ様に心よりの感謝を」
突然、朗々とした声が響いた。どこから?と声の主を探すと、この席の真正面に、いつの間に来たのやら、王子様が立っていた。第一王子、ヒイロさん、だったっけ。
「聖女様の御口をお借りして、神への供物を捧げ申し上げる」
それは、私が供物を食べて神様に捧げなきゃいけないってこと? 無理だよ、神様になんて会ったことないのに。
「リアーチャー」
ヒイロ王子が言ったお祈り?の言葉を、集まった人たちが復唱する。コロッセオ全体から「リアーチャー」の合唱。なかなかに荘厳な雰囲気になった。
広場の壁に開いている通路から神官服を着た人が四人出てくる。それぞれ手に大きなお盆を捧げ持っていて、そこにはとんでもなく美味しそうな料理がのっていた。
果物、焼き菓子、パン、厚切りのハム、色とりどりの野菜のサラダ、具だくさんの澄んだスープ、どれもこれもたっぷりある。よだれが出てきそうになって慌てて唾を飲み込んだ。
「どうぞご賞味ください」
ヒイロ王子の言葉を半分も聞き終わらないうちに、手がテーブルの上に伸びた。
まずは、チリミという酸味がすごい果実を口に放り込む。やっぱり背筋が凍るほど酸っぱい。でもこの酸味が食欲を掻き立てる。
その勢いのまま、ハムの器に目を向ける。
こんがりと炙られた厚切り肉の断面にはツヤツヤした肉汁が光っている。この国では手づかみで食事をするのだ。ぐいっと腕を伸ばし、ハムを掴んでかぶりつく。しっかりとした噛み応えのあるお肉。
まだ温かくて肉汁が口の中を滑らかにしていく。噛んでも噛んでも旨味だらけだ。二枚、三枚、食べても食べても飽きがこない。
だけど、インターバルを取るためにサラダに移る。
手で取りやすいようにという配慮なのだろう、葉物野菜の上にみじん切りになった野菜がのっている。葉物野菜はキャベツが縮れたような形状で、一口大に切ってある。
のっている野菜は赤、黄色、緑、青、紫、白、いったいなんなのかは、まったくわからない。でも絶対に美味しいものだという確信を私の舌が感じている。
サラダを手に取り、一口で頬張る。シャクシャクした歯ごたえのなかに、優しい甘さと酸味が広がる。ドレッシングはなくて、野菜の味だけでしっかり美味しい。これ、ハムと一緒にサンドイッチにするべきだ!
どのパンがサンドイッチに合うか食べ比べして吟味する。
手のひら大の丸パンは固めで甘い。焼き固めたロールパンっていう感じ。食対戦で老夫婦が食べていたバゲット風のパンは間違いなくサンドイッチに合う。ナンのように平べったくて香辛料がピリッと効いたパン、口に入れたらとろけるほど柔らかなパン、中にジャムのようなものが入った一口大の揚げパン。
どれもこれも美味しくて、そのまま食べつくしてしまいそうになった。
いや、いかん。初志貫徹、サンドイッチを作ろう。
選んだのはソフトフランスパンのような長いパン。材料の穀物の精製度合いが高いのだろう、癖がなく柔らかで甘みがある。
パンの中心線に沿ってパリパリ割いていく。そこにサラダを詰め、ハムを詰め、サラダを詰め、ハムを詰め、と繰り返し、パンの頭からお尻までギッシリと具を挟んだ。
両手で抱えて頭から食らいつく。柔らかなパンの中からシャリっとした野菜の瑞々しさとハムの塩気が顔を出す。噛めば噛むほど三位一体になり、これぞ神に捧げるべき食べ物という満足感を得た。
サンドイッチを中心に、コンソメに似たスープで喉を潤し、色とりどりの果物で口直し、他のパンでも結局サンドイッチを作り、焼き菓子の完成度の高さに昇天しかけて食事を終えた。
テーブルに準備されていた手巾できれいに手を拭く。両手を合わせて、「ごちそうさまでした」!
うおおおおお!と物凄い歓声が湧いた。
なにごと!?
目を見張り、あたりを見回すと観客総立ち、スタンディングオベーション状態で、コロッセオ中が興奮に包まれていた。
視線が私に集まっている。でも先ほどまでの胡散臭いものを見るような刺すような視線ではない。感涙、歓喜、愛情がそこには込められていた。
「お見事です。聖女、アサヒ様」
轟音のような歓声の中、わずかに聞こえたのはヒイロ王子の声。いつの間にかテーブルのすぐ側まで来ていた。
「その食欲で、どうぞ、この国をお救いください」
「救うって、どういうことですか?」
ヒイロ王子はすごく硬い表情で、深く頭を下げて踵を返した。答えは返ってこなかった。
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