二十三話 楽園の真実

 ザルツが消えた。

 そう思えるほどの速度で真正面から迫ってきた。駆け抜ける形で、すれ違いざまにザルツが握るナイフが飛ぶ。


「ッ!」


 頬かすめる刃。裂けた皮膚から、鮮血が弾け飛ぶ。ただ、それだけではない。燻る火のように、じりじりと焼け付く匂い。

 これは炎ではなく、細胞の壊死。マナの付着が示すのは、ザルツが闇の精霊使いだということ。


(速い……ッ! 素の能力でキョウヤさんと同等の速度か……!)


 二、三度、ステップを刻み、加速。織笠の視界から消え、見えない角度から背中を斬りつける。


「ぐッ!」

「ハハハハハハハハハ!!」


 織笠が振り向きざまに剣を振るが、空を斬る。哄笑だけを残し、また消えてしまった。距離を取っているのか、硬質な床を叩く靴音だけが響く。そして、不規則なタイミングでナイフを振るう。

 繰り返し、繰り返し。

 そうして傷つけられ、織笠の身体が徐々に血で染まっていく。


「く……」


 痛みに耐えかね、身体が沈む織笠。

 わざと致命傷を避けながら攻撃しているのかどれも傷は浅い。だが、厄介なのはナイフに付与した闇の力だ。傷口を焼き、痛覚を増してくる。

 ザルツが足を止め、姿を現した。優越感からか、口元には深い笑み。両手のナイフを指先で回して、付着した血を飛ばしている。


「お主の力はそんなものではなかろう? 呪われし英雄」

「どうだかな」

「我々裏稼業の人間にはお主は眩しすぎる。畏怖を抱くくらいにはな」

「誰が付けたか知らないけどな、全く以て嬉しくない通り名だ。けど、それが抑止力になっているなら悪くないね」

「だからこそ箔が付くのだ。生ける伝説を屠ったとなれば、戦場でしか価値のない我等にも光が当たるというもの!」


 再びナイフを己の眼前に構え、体勢を低く取る。

 瞬時に、織笠の漆黒の銃が火を噴く。動かれる前に足を止めようと先手を打ったが、それでも遅かった。一足早くザルツが駆け、闇の銃弾は無情にも地面を抉るだけだった。

 ザルツが再び背後から襲い掛かる。ナイフを大きく振りかぶり、無防備な織笠の肩口に吸い込まれる。これまでのようなお遊びではなく、心臓まで届かんばかりの一撃。

 が、直後。

 甲高い剣戟音が響き渡った。


「ぬッ!?」


 勝利を確信していたザルツの表情が驚愕に染まる。

 ナイフは肩にすら届いていない。受け止めていたのは煌びやかな白銀の刃。織笠が右腕を背中に回し、純白の剣で防御していた。


「貴様……ッ!」

「甘いな」


 織笠の鋭い視線が動揺するザルツを射すくめる。


「言っとくが、俺の先輩はもっと上手くやるぞ。仕留めるまでの過程を緻密に計算しているからな。お前のように単調じゃ、すぐに慣れるよ」


 ヤマを張って手を出したわけではない。読んでいたのだ。

 キョウヤという隠密のスペシャリストが身近にいるからこそ、立てられる予測。動体視力に頼らずとも、隠そうともしない殺意の流れを読み取ったのである。


小癪こしゃくな!」

「――ふっ!」


 短い息と共に、織笠がナイフを弾き飛ばす。ザルツはその勢いを利用することで後方へ退避。同時に両脚に力を溜め、再度織笠との距離を詰める。

 ザルツの怒涛の連撃が織笠を襲う。細腕からは想像もつかない筋力に加え、鋭い闇の一閃が飛んでくるが、織笠はその一切を受け流し一太刀も触れさせはしない。


「ぐぬッ!?」


 まるで嘲笑っているかのように舞いながら防ぐ織笠に、ザルツが怒りの表情を滲ませた。

 これまでに見せたことのない感情。その一瞬の揺らぎが隙を生み出し、織笠は見逃さなかった。

 避けたそのままの流れで、回し蹴りを叩き込む。ザルツの身体がくの字に折れ曲がり、床を転がっていく。何回か弾みながら体勢を立て直したザルツが、ナイフを構えなおす。


「甘いな」


 冷ややかに、織笠は言った。

 左手に持つタナトスの銃口をザルツに向けながら。ただ静かに。


「チェックメイトのつもりか。この距離で仕留められるとでも?」

「まぁね。仕掛けは済んでいる」


 不可解とばかりに眉を顰めるザルツ。

 しかし、その異変をすぐに察知することになる。

 織笠が握る銃からはマナの香りは一切しない。しかし、闇の精霊はそこら一帯に充満していた。あまりに強く。

 ザルツを中心として、周囲に漂う黒い球体。軽く、数は百は超えている。


「き、貴様、いつの間に――!」

「黒連珠」


 厳かに、唇を動かす。

 炸裂。

 織笠の言葉に呼応し、闇の精霊が次々と破裂する。

 一つ一つは小さな火力でも、爆弾のように次々と爆炎が吸収され巨大な爆発へと形成されていく。そうなればザルツに逃げ場などない。

 ザルツは炎の中に呆気なく吞み込まれていった。


「す、すごい……」


 呆然と呟くのは、部屋の隅に退避しているマイア。織笠とザルツの戦いを一度見ているとはいえ、あの時にそんな余裕なかっただろうし、今回は全力の戦い。彼らの本気を目の当たりにして、感嘆している様子だ。

 室内を充満していた黒煙が次第に晴れていく。煙に包まれながらザルツが、ふらふらと膝をつく。


「くは……」


 血を吐き、荒々しく呼吸するザルツ。忌々しいものを見るかのように、織笠を睨む。

 精霊使いは基本、同属性の攻撃には耐性がある。闇の精霊で構成されている漆黒の銃タナトスにはあまり警戒をしていなかったのかもしれない。そこが仇となった。


「くは、は……。これが、呪われし英雄本来の力か……」


 ザルツが弱々しく笑った。織笠は警戒を解かず、距離を保ったまま銃を構える。


「お前等の企みは終わりだ。じきに煉原の方もカイさんたちが捕まえるはずだ。さあ、子どもたちを解放しろ」

「我等は楽園よりの使者。その実現が成就されないのは実に無念だ」

「どうして楽園なんかに拘る? 人の意志すら捻じ曲げた世界なんて楽園とは呼ばない。地獄だ」

「地獄……か」


 喉を鳴らして笑い続けるザルツに、織笠が眉根を寄せる。


「お主のような光を一身に受ける者には理解できまい。産声を上げた瞬間から日陰者の一生を余儀なくされた我々の心情は」

「転移者なんだろう? なら……」


 ザルツ一派に関しては精保のデータベースを駆使しても一切引っかからなかった。第二世代、つまりこの世界で生まれた精霊使いは基本出生届を通して精保に記録される。向こうの世界からの転移者にしても、転移以前に様々なチェックを受けるためデータが残るのだ。

 そもそも幽霊のような精霊使いは、いてはならない。あるとすれば違法な手段でこちらの世界に来た者たちである。


「向こうの精霊使いは誰もが甘い蜜を吸いながら生活していたとでも? 笑わせるな」


 奥歯を噛み締めてザルツが唸った。


「高みから人間界を見下ろす人種は秩序を重んじる。あまりに重く、息苦しいほどの規律が蔓延しているのだ。精霊使いは所詮、マスターの傀儡。その素養、性質を満たしていなければ容赦なく秩序の輪から外されるのだ」

「用心棒紛いになったのはその為か」

「だから誘いに乗ったのだ。煉原という男もまた、邪の道に堕ちた者。精霊使いが真の意味で、楽園に到達する。この世界に賭けて、転移センターに潜入したのだ」

「あの事故もお前たちが……!?」


 驚愕に声を震わせる織笠。

 情報としては、転移装置の不具合としか聞かされていない。襲撃があったとするなら、センター側も報告はするはず。あのマスター代理がそんな事実を隠す必要は感じないし、煉原側が実に巧妙に潜入したか、もしくはセンターのスタッフが自身の失態を隠蔽しているか、だが……。


「そこで見つけたのが、女神なのだ」


 ひきつるように笑みを作って、ザルツがマイアの方を見る。マイアがヒッと小さな悲鳴を上げた。


「女神の転送に合わせ、我等も続いた。転移先までは計算不可能だったが故、発見するのに時間が掛かりすぎたというわけだ」

「その間に、この七霊夢アイランドを完成させたのか。キーとなるマイアを残して」

「左様。それも儚い夢となりそうだが」


 諦めの境地からか、穏やかな笑みを浮かべてザルツが座り込む。剣崎や誘拐犯などの独自のルートも潰され、自身の主さえ失いかけている。もはや、抵抗の意志は皆無と思われた。

 そう確信し、織笠は慎重にザルツに近付く。

 その時だった。


『もういい、壊してしまえ! こんな島など沈めてしまえ! もう不要だ、滅茶苦茶にして構わん。全てを解放して終わらせろォォォ!!』


 どこからか大きな声が地下施設内に反響する。

 スピーカーでも設置してあるのだろうか。自暴自棄にでも陥ったような男の叫びだ。


「くく……」


 足元にいるザルツが不敵な笑い声を上げた。瞬時に殺気を感じた織笠は素早く後方に下がる。

 ゆらりと立ち上がったザルツが、高揚したように呟く。


「そうか。我が主は楽園を放棄する決断に至ったか。それも良し」


 ザルツの身体から蒸気が発せられる。ゆらゆらと立ち昇る黒の精霊が徐々に濃く明瞭な色へと変化していく。


「貴様にもう一つ真実を教えよう。この島には強大なエネルギー資源が長年蓄積されていた。それは只の人間には無用の長物。すなわち――マナが」

「…………何?」


 もともと、自然の物には多くのマナが含まれている。木々や河川、そういった太古から連綿と生息するものから精霊使いは精霊を生み出す。大地に流れる地脈がいい例だろう。

 ただ、そういった常識を今さら語っているわけではなさそうだ。


「海洋に浮かぶ小島。安定した気候や地質が影響したのか、あらゆるマナが爆発もせずに貯留していた。そこに煉原は目を付けたのだ。我が主は、島の所有権を確保するとともに楽園計画を実行に移した」

「人工的なマナだけでこんな大規模な夢の島を維持できるとは思っていなかったが、そういうことか……」

「無限式のエネルギーと、要石となる憐れな子羊たち。その二つを以て、新たな国家を造り上げる……その計画も失敗に終わった。ならば終幕にふさわしいセレモニーを其方に振舞おう」


 ぐらりと地面が揺れた。立っているのも困難なほどの震動が地下空間を支配する。

 突発的な地震なのではない。これはザルツが起こしているものだ。


「何を……!?」

「フハハハハハハハ!!」


 ザルツが纏う闇のオーラがどす黒く見えることのない天井へ昇っていく。永久的なマナ資源がザルツの中に集約されているようだった。

 織笠は戦慄した。

 と同時に、理解する。

 この場所こそが、エネルギー貯蔵庫であることを。


「あ、ぁぁぁあああああああああああ!!」


 どこからか子供の悲鳴がこだまする。それはすぐに数を増やし、阿鼻叫喚と化して鳴りやまない。

 織笠が衝撃に目を見張った。見上げた先、磔にされた子どもたちから光が発せられ、ザルツへ流れ込んでいる。


「貴様、子どもたちの力を……!!」

「何といい気分か……! わからぬだろう、この陶酔感が我等とともに沈んでもらおう、呪われし英雄よ!!」

「くそッ!」


 これまでにない危機感に駆られた織笠が、剣を振るう。


『ザルツ、やってしまえぇぇぇええええええええええ!!』


 再び煉原の声が音響設備を通して聞こえてきた。

 瞬間、ザルツが発した閃光が空間全域を埋め尽くす。

 視界を奪われた織笠は為す術もない。得体のしれない力によって吹き飛されてしまった。






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