第九話 晴れない霧

「件の少女を取り戻したか」


 織笠が陽のアークを訪れるのを見計らったかのように、陽のマスター代行は姿を現した。


「よくやった。これで間違いなく、今後の精保は安泰といえよう」


 喜びを隠しきれないのか、低く笑いながらその場をぐるぐると歩き続けている。


「随分とあの子に期待しているんだな。まだ未成熟の能力者だというのに」


 探りを入れるため、織笠は敢えてとぼけてみせることにした。マイアの潜在能力が高いのは理解している。しかし、眼前のこの男はそれ以上の価値を見出しているに違いない。それを引き出さねばならなかった。


「俺には分からないな。どうしてあの子にそんなご執心なのか。彼女のどこにそんな魅力がある?」

「ふん。分からないか、マイア・フォルトゥナという存在意義が」


 マスター代行が笑みを深くする。こちらに対する嘲笑だ。


「織笠零治よ。では、精保の役割とは何だ?」

「精霊使いの犯罪を取り締まることだろ」

「少し違うな。精霊犯罪を未然に防ぐことだ。事件になってからでは遅いのだよ。人間の警察とではその点で根本的に逆なのだ」

「だが、抑止力にはなっているだろう」

「私が目指すのは完璧な世界。本来、精霊使いが罪を犯すこと自体、異常なのだ。穢れているのだよ、今の精霊社会は。だからゼロにする。精霊使いは高次元の生命体であらねばならないのだ」

「まるで誰かさんみたいな物言いだな」


 織笠は呆れるように首を振った。前・陽のマスターは精霊使いを人間の上位種だと言った。こいつもそういったクチか、と織笠は心の中で呟く。昔の精霊使いはそういった思考が強く出やすいと、聞いたことがある。


「残念ながら現時点で精保はそのレベルに至っていない。だが、マイアがいることで限りなく完璧に近づくのだ」

「そのために彼女の力を利用するというのか。……だけど」


 織笠が語調を強くする。


「それは彼女が成長して、自分の能力を自由に発揮できる段階になれたらの話だろう。彼女の意思も無視して」

「そこはお前たちの出番だろう。マイアはまだ無垢。いかにして我等の素晴らしさを教え込むか、任せるつもりでいたのだ」

「俺たちが、いや……。俺が、素直にその命令に従うと?」


 織笠が壇上にいるマスター代行を強く睨む。


「何が気に喰わない? お前たちの仕事もやりやすくなるのだぞ」

「そういう問題じゃない。お前の大層な理想の為に彼女を酷使することが許せないんだ」


 静かな怒りを放出する織笠を、つまらなそうに見つめながらマスター代行は言った。


「今の貴様では私の考えは分かるまいな。……まあ、よい。あの娘の価値を知れば自ずと理解しよう」

「……どうかな」


 病室のマイアを思い出して、口元を歪めた。

 見た目はともかくとして、どこにでもいる普通の少女だと織笠は感じていた。降りかかった運命に戸惑うだけの、純真な心の持ち主。その能力を直に目にしてない織笠には、彼女の重要性をどれだけ力説されても信じる気にはなれなかった。


「やれやれ。疑り深いの結構だが、どのみちマイアには精霊使いとしての人生を歩む必要がある。それを世の中に役立てる道しるべを与えてやらねばならんのだ。本来、マスターの役割とはそういうものなのだよ」

「本当にそれだけか?」

「逆に問うが、それ以外なにがあるというのだね?」

「…………」


 睨んだまま黙る織笠に、マスター代行の唇がゆっくり笑みに変わる。


「だからマイア・フォルトゥナの専属として、貴様には彼女の覚醒を促してもらいたいのだ。生活を共にしつつ、サポートすれば能力の開花も、通常の何倍も速くなるだろう」

「面倒を見ろっていうのか」

「方法は任せよう。リーシャを何より理解し、どうしても重ねてしまうお前のことだ。双方にとっても少なからず良い影響を与えると思うのだが、どうかね?」


 反論できずに口を噤む織笠。正直なところ、マスター代行の言う通りだった。頭ではどれだけ否定しようとも、心のどこかで、あの亡霊リーシャとだぶらせてしまっている自分がいる。

 それにマイアには身寄りがない。こちらの世界のことをまだ何も知らない彼女の世話を誰かに任せるのは無責任な気もする。この男の言葉に従うのは癪だが、そうするのが妥当なのかもしれない。


「……いいだろう」

「よろしい」


 渋々といった織笠に、マスター代行が満足げに頷く。


「だけどな」

「……?」

「覚醒し、精霊使いとして力を使いこなせるところまで成長したとして、生き方を選ぶのは当人だ。俺は彼女の意思を尊重する」


 言い放つ織笠に、わざとらしい大きな嘆息を吐くマスター代理。


「やれやれ、強情な奴だ」

「選択の自由は生きる者すべてに与えられた最高の権限だからな」

「お前は私を悪と決めつけているのかもしれんが、それこそマイア自身が闇に堕ちればどうするつもりだ? その可能性だってあるのだぞ。私はそうならない為に、先んじて保護したのだ」

「お前たちが今後、利己主義に走りさえしなければ、未来は明るいだろうさ。マイアだけじゃなく、全国民がな」

「いい加減、口を慎め。お前は自分の立場が分かっていないな。少しばかり事情が特殊なだけで、我々と対等なわけではないぞ」


 マスター代理が初めて怒りの感情を露わにする。フードから覗く顔色が赤く変色していた。恐らくは彼のものと思われる陽のマナが、重苦しく織笠にのしかかる。


(これが奴の力……)


 能力的には一級品だからこそマスター代理にまでなった男の圧力を感じながら、それでも織笠は呑み込まれない。


「……ふん。貴様の無礼をどうこうするつもりはない。結果は出しているからな」


 それはどうも、と織笠は心の奥で答える。

 立ち昇る力を静めて、マスター代理は翻ったローブを整える。


「とにかく、マイアのことは頼んだぞ。我等が希望だからな」

「……ああ。それと、少し聞いていいか」


 そのまま立ち去ろうとしたマスター代理を呼び止める。怪訝に唇を歪めるマスター代理に、織笠は気になっていたことをぶつける。


「ちなみに、彼女の情報がどこかで漏れていた可能性はあるのか?」

「なぜだ?」

「誘拐犯がどうしてあの子の存在を知ったのか、心当たりがあるのか聞きたくてな」


 単純な誘拐事件なら、あそこまで厳重な扱いはしない。向こうも知っているのだ。マイアの特異性に。


「マイアは明らかにターゲットにされているようだった。誘拐犯の中にもこちらと同様、能力目的で攫ったんだと推測される。もしかしたら、アンタの周囲に裏切者でもいたのかと思ったんだが」


 ふむ、とマスター代行が顎を撫でる。しばらく間を空けたのち、「こちらとしても調査中ではあるが」と前置きして言った。


「マイアを発見し里まで移送する間、情報漏洩には特に気を付けた。他種の精霊使いにマイアの存在がばれては彼女自身に危険が及ぶのでな」

「怪しい人物はいなかったのか?」

「うむ。身の回りの世話係などはいたが、あの者たちはこちらの世界の転移者リストにはない。上層部の動向も私自身が目を光らせていたが、特にはな」

「……となるとやはり……」


 織笠の呟きに、マスター代理がふむ、と唸った。


「あの転移事故であろうな。私も原因を探ってみよう。向こうの世界と連絡が取れ次第、また精保に情報を送る」

「できるのか、そんなことが」

「マスターの特権だな」


 威張ろうともせず、平然とマスター代理は言う。

 向こうの世界との連絡手段など、想像が全くつかない。

 言うなれば、次元の超越。

 確かに、こちらでは正規とストレイという明確な棲み分けが存在する。が、その前に、向こうの世界での選考が一応はある。その情報を何かしらの手段で入手しているのだが、それがマスターにしかない後付け能力なのかもしれない。

 改めてマスターという存在は恐ろしいと感じてしまう。


「よろしく頼む。どうにも嫌な感じがしてたまらない」

「どうせ小物の所業だ。優先すべきは何なのか、ちゃんとしろよ」


 マスター代理の言葉は耳に入れつつも、敢えて無視しながら織笠は陽のアークを後にした。






 翌日。

 織笠以外のB班のメンバーは、剣崎の自宅を捜索する為、都内でも一等地にある高層マンションの一室にいた。元証券会社の社員だった頃の貯蓄で暮らしていたのか、現在の裏稼業の稼ぎが余程いいのか定かではないが、ストレイとして精霊使いの名誉を剝奪された人間としては珍しいタイプだ。

 剣崎の部屋は十階。カイとキョウヤは中を捜索、ユリカとアイサが外で訊き込みに回っている。


「綺麗に片付いているな」

「……だな。いや、でも綺麗すぎるっていうか、逆に何もないって言わないか、これ?」


 間取りは2LDK。リビングがやけに広く感じるのは単に一人暮らしというわけじゃなかった。

 生活感というものがまるでない。調度品の類がほとんど置かれていなかったのだ。見回っても生活雑貨すら見当たらないし、おかしいことに寝具すらなかった。日頃の生活ぶりからある程度の人間性を想像できるのだが、これではなんのヒントにもならない。

 唯一あったのが、キッチン近くのテーブル。パソコンが一台と本が三冊並んでいた。


「普通、ストレイ堕ちしたら生活が荒れて然るべきなんだがな。逆に整理されてやがる。引っ越しでも考えてたのかな?」

「どうかな。ここは一時的な拠点で、いつもホテル住まいなのかもしれない」


 カイはPCに軽く触れてみた。誘拐を指示した人物とのやりとりが残ってないかメールボックスなどをチェックしてみたが、安易だった。削除されたか、そもそもこのPCを連絡ツールとして使用してないのか痕跡は見当たらない。


「何も残されていない、か。本当にあの剣崎という男が存在していたのかも怪しくなるレベルだな」


 舌打ちするカイの横で、キョウヤは本を一冊手に取り、パラパラとめくっていく。


「う~ん。一応、名残りのようなものはあるみたいだぜ」

「あ?」

「本は三冊とも心理学とかメンタルケアとか、そういった精神系のものばかりだ。こんなんやってても心のどこかで癒しを求めてたんかね」

「会社員時代に精神を病んだらしいからな。それでストレイ堕ちしているし、そのときに頼っていたんじゃないか」


 ストレイ堕ちした、もしくは正規だろうとも精霊使いにとってこの社会はストレスの塊だ。そのため、精霊使い専用の心療施設は山のようにある。

 剣崎が精神科に通っていたのは既に判明している。一時はこの生活に順応しようと努力していたはずなのだ。それでも結果、肌に合わなかったのは本人も残念だっただろう。


(だとしても、証券会社を辞めて犯罪に手を染めるまで一年。早すぎる気がする)


 心理的な変化よりも気になるのは、バイヤーとしてのコネだ。仲介業者なら取引先との信頼は絶対。もっとも時間のかかる作業をどう構築したのか。

 そのとき、カイの携帯端末が鳴った。画面の表示はユリカの名前。


「――どうだった?」


 そう訊くと、ユリカの声色は芳しくない。


『申し訳ありません。どうも近隣住民との交流はなかったようで、皆さん一様にして“そんな人知りません”……と』

「知らない?」

『いつからここに引っ越してとか、普段どんな仕事をしているのかとか。全く分からないようですね』

「意図的に避けていたのかもしれないな。そもそもの性格もある」

『ですが、隣の住人が一年ほど前、たまたま出かける彼の姿を見たそうです。そこで声をかけてみたそうなのですが反応が無し。そこから一ヶ月間、家には帰っていないそうです』

「一ヶ月も?」


 少し気になる情報だ。

 剣崎がストレイ堕ちしたのが一年前。恐らくはそこで何かあったのだ。犯罪に手を染める何か。彼の体内にあった自爆装置も、恐らくその辺りで埋め込まれたに違いない。


「その期間が怪しいな」


 キョウヤが低く呟く。


「それまで燻ぶっていた剣崎が、今回の事件に関わりだした本格的な期間かもしれねぇ」

「マイアを狙った犯人か」

「大口なクライアントが出来たってことだ。俺が思うに、剣崎のあの口ぶりはそのクライアントの影響じゃないか、ってな」

「宗教論者のような性格は元からじゃなかった……か。まあ、そもそもがあれではサラリーマンは出来んからな。となると、やはりそういった団体が怪しいか?」

「どうだかな」


 キョウヤがベランダに出て、外を眺めた。余白のスペースを嫌うかのように埋め尽くされた高層ビル群からは景色を愉しむような気分は訪れない。


「もし犯人側がオカルト教団だったとして、あんな言葉を使うか……?」

「何?」

「“幻影は夢にあらず”……。どこぞの神を信奉するなら、そんな風に言わないと思うんだよな」


 カイは死に間際の剣崎の言葉を思い返してみた。意味不明な言葉の羅列。まるで書物の内容を直接刷り込まれたかのような言い回しだが、それが剣崎の強烈な行動理念だった。


「……わっかんねぇな。マイアちゃんと何の関係があるんだ……?」

「あまり相手に呑み込まれるなよ。事実を一つずつ確かめていくしかない」

「……だな」


 誘拐犯側が何かを企てている――それは紛れもない予感だった。どうにも煮え切らないキョウヤを促し、部屋を出た。そして携帯端末からユリカ・アイサ組にも指示を伝えた。


「今度はその空白の一ヶ月に絞ってみよう。精保に戻って、もう一度一から足取りを追うぞ」




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