第八話 悲しき告白

 精保内、職員用療養施設。

 この場所はインジェクターだけでなく、一般職員も利用している病室だ。精保の仕事は過酷だ。体調に異変をきたす場合も少なくない。そのために様々なメンタルケア、場合によっては手術も受けることもできる。

 レストルームで十分な治療を受けたマイアは、ここの入院施設に移されていた。

 シンプルな入院着に着替えられ、ベッドで安らかな寝息を立てているマイア。白く細い腕にはコードが貼り付けられ、常時彼女の状態をチェックする計器に繋がれている。

 マイアに付き添うため、織笠もここに来ていた。カイの指示によるものだ。取調べの方も気にかかるが、彼女も今回の事件の重要人物。また、カイもこちらの気持ちをおもんばかってくれたのだろう。ベッド横の椅子に座りながら彼女が目覚めるのを待っていた。


「…………ふぅ」


 壁掛け時計を眺めて、織笠は大きく息を吐いた。

 レアはすぐにでも起きると言っていたが、これが中々どうして落ち着かない。この病棟に移されてまだ一時間なのだが、体感ではその数倍長く感じる。

 それにしても、前代未聞だな――織笠はそう思った。

 こんな少女に、一体何があるのだろう。

 誘拐の方はいずれ犯人が明らかになる。狙いや動機についても碌なものじゃないだろう。こちらは徹底的に潰すまでだ。

 だが問題は、マスターだ。

 いくら能力的に高いものを秘めているとはいえ、まだ幼い彼女を登用するなんて。何を考えているのか。


 その当人からは少し前、直接織笠に連絡があった。


 マイアの無事を喜びつつも、すぐに事務的な会話へと移った。ただ現時点での彼女の状態を考え、当人の回復を待って、それから精保の人間として登録しておくように――と。誘拐犯については関心すらないのか、特に何も言わなかった。

 どうにも疑問に思い、単純に能力面での起用ならば他にも候補者がいるはずなのだが、と問いただしてみるも、返答は一点張り。

 マイアは未来の精保に希望をもたらす、そういった存在なのだ、と。

 マスターの内情を織笠は知っているだけに、どうも言葉の裏に何かがある気がしてならない。

 マイアでなければいけない理由が。

 マイアでなければマスターの望みを叶えられないものが。


「ん……」


 考えに耽っていると、衣擦れの音と共にマイアが呻き声を漏らした。

 まぶたが震えながら、ゆっくりと開く。


「……起きたかい?」


 少し戸惑いがちに、織笠は声をかけた。別人だというのに、リーシャに酷似しているという思いからどうしても意識しまい、すんなりと言葉が出なかったのだ。


「こ、ここは……」


 ぼんやりしながら呟き、マイアが上半身を起こそうとするのを織笠はやんわりと制止する。


「無理して起きない方がいい。眠らされていたせいで、マナに影響が出ているから」


 マイアが織笠の存在を認識すると、反射的にベッドの上で距離を取ろうとする。シーツで身を守ろうと深く被り、隠した口元で言葉を発した。


「……あなたは誰ですか? それにここはどこですか?」


 濡れたエメラルドの瞳が、織笠を射抜く。

 若干の怯えと、強い警戒心。無理もない。全然知らない世界に飛ばされて、いきなり誘拐されたのだ。誰であろうと怖がるのも当然だろう。


「ここは精保。この国で、精霊使いの犯罪を取り締まる機関だ。君が本来送られてくるはずの場所だったところだ」

「精……保……」


 そう呟き、そして同じ言葉を何回か繰り返す。記憶を探っているのだろう。虚空を見つめていた瞳が、再びこちらに戻る。


「そう……なんですか?」


 眉をひそめて訊き返してきた。疑いの眼差し、にも思えたが声色は意外に素直だった。


「え、知らなかった?」


 きょとんとした顔で織笠が尋ねると、マイアは小さく頷いた。


「私をこっちに送ってくれた人は、ただ“新世界”ってところに行くんだとしか言ってくれませんでした。そこで重要な役割を担うことになる……としか」

「あー……」


 マジか、と織笠は頭を抱えた。

 情報の伝達がまったく上手くいってないじゃないか。こちらと向こうとの情報共有がどこまで進んでいるのか知らないが、精保ぐらい本人に伝えてほしいものである。

 要は転移だけ転移させておいて、説明は現地で……なんて、無計画極まりないやり方をするつもりだったのだろうか。


「じゃあ、説明は一切受けていないんだね」

「はい」

「ここが日本という国だということも?」


 長い銀糸の髪を振って、マイアは首を横に動かす。

 がっくり項垂れる織笠。杜撰すぎる。これでは今までこちらに送られてきた精霊使いはどうしていたのか。全部そんな漠然とした説明で送り出してきたのか。

 いや、それはいくらなんでもおかしい。

 まさか、彼女にだけ意図的に伏せて転移させたのか。現マスター代行の胡散臭さを感じている織笠には、そう考えたほうがしっくりきた。


「そっか。それはこちらの落ち度だった。俺から謝らせてほしい。ごめんね」


 深々と頭を下げて謝罪する織笠。内心、なぜ自分がと思わなくもなかったが、彼女の不安を取り除くにはまず誠意を見せなければならないと感じたのだ。


「安心していい……っていうのは今の君には難しいかもしれないけど、とりあえずは心を楽にしてくれていいよ」


 微笑みかけて織笠は優しく言った。ひと昔前まで人との距離感が苦手だった織笠にとって、こういった不信感を抱く人に会うと思わず自分と重ねてしまう。そこを解くには、誠実に時間をかけて話していくしかない。


「……っと、自己紹介がまだだったね。俺は織笠零治。ここでインジェクターを……って、あぁそれも説明しないとな。警察は知らないだろうし……、そうだ! 守護門番ガーディアンは分かる?」

「はい。精霊使いの警護役、ですよね? 里で聞いたことがあります」

「よかった。まあ、それに近い場所だと思ってくれていい。これが証拠だ」


 精保のジャケットから携帯端末を取り出し、マイアに見せる。マイアからしてみれば珍妙な物体であることに間違いない。小さく薄い箱に映る織笠の画像やデータを食い入るように見つめながら、「はぁ」と淡白に答えるだけだった。

 それから、こちらの世界がどういったものなのかを簡単に説明。やはりピンとはきていないようで、曖昧な返事ばかりだった。そのあたりは今後、直に触れていくことで馴染んでいく筈だ。


「とりあえず、君はこの精保で保護することになっている。今後どうするかは、追々かな」


 マスターは、即座にでも精保の職員として雇用し、社会貢献させよという命令だったが、そんなもの現段階では酷な話だ。それに、彼女自身の意思もあるのだ。とりあえずこちらの生活に慣れてもらってから、今後の身の振り方を考えればいい。


「……分かりました」


 感情に乏しい声色で了承するマイア。少しだけだが、こうして話してみると、少し無機質な印象を受ける。生来のものか数多の情報を整理できないだけなのかは判然しないが、こちらとしては見守るしかできない。


「今日のところはここでゆっくり休むといい。色々なことがありすぎて疲れているはずだから」

「…………」


 俯いて、マイアは黙り込んでしまった。

 静まり返った病室に、沈黙が流れる。やはり見知らぬ大人が傍にいては安心できないのだろうな、と織笠は席を立ち退室しようとした。

 すると。


「……怖かったんです」


 消え入りそうな声だった。


「え?」


 織笠が振り返ると、彼女はベッドの上で同じ姿勢のままだった。空耳かとも思えたが、よく観察してみると、その小さな肩は微かに震えていた。


「マイ……」

「あの日、変な機械に乗せられたんです。そのまま楽にしていればいいとしか言われなくて。そしたら急に苦しくなりました」


 途切れ途切れで、弱々しい口調。

 転移時の事故の話か、と織笠は冷静に理解した。織笠は椅子に座り直す。


「身体中が苦しくて気持ち悪くて。マナがおかしくなっているのは分かっていました。だから外の人たちに助けてって叫ぼうとしました。でも、声が上手く出なくて」

「無理に話そうとしなくていい。また具合が悪くなる」

「そこから記憶がありません。気づいたら変な場所にいました。すごく寂れた街……。暗くて寒くて。誰かに話しかけたくても、どの人もすごく気味が悪い感じがして」


 転移事故の原因はマスター代行でも把握していないらしい。

 基本的に、異世界転移はポッド間でやり取りされている。向こうの転移施設で精霊使いは専用ポットに乗せられ、こちらの転移センターへと送り込まれる。人体をマナの粒子へと変換し転送させるのだが、処理の限界上、片道切符でしかない。安全性については問題ないはずなのだが、どうして事故は起きたのか。

 レアにでも調査を頼めば嬉々としてやってくれそうだが、彼女も多忙の身だ。素人考えでは、転移者の急激な増加で装置に負荷がきたのではと思うのだが。


「ずっと歩き続けました。どれくらいそこにいたのか分かりません。これが、あの人が言っていた新世界なんだろうかって」

「…………」


 マイアの懸命に話そうとする姿が痛々しい。

 スラム地区は、この東京の中でもかなり特殊な空間だ。正常な大人でも、丸一日いれば精神に支障をきたしてしまう。陽の光さえ届かず、昼夜の概念さえ失くす。それをこんなか弱い少女が。小さな胸を埋め尽くす絶望を想像しただけで、胸が締め付けられる。


「あるとき、知らない男の人に話しかけられました。どんな言葉だったのかは覚えていません。急に意識が飛んで、そしたら――」


 次に目を覚ましたのが精保ここだった、というわけか。

 望んでこちらに来たわけでもない。なのに、いきなり不幸な事故に遭い、最悪な土地に飛ばされたところで誘拐――。

 あまりに不幸すぎるだろう。

 事件当日の話は、刺激が強いために後日改めて訊く予定だった。織笠としても心苦しかったが、誘拐の実行犯グループが何か口を滑らせた可能性もある。子どもの記憶は曖昧なものだ。増してショッキングな出来事は、脳が強制的に忘却を図る。

 織笠は深々と息を吐いて、優しく声をかけた。


「そっか。辛かったのによく話してくれた。ありがとう。もう休んで」


 自分の肩を抱きしめるように強く掴んだ腕に、織笠はそっと手を置く。潤ませた瞳を織笠に向け、マイアは深く頷いた。






「口止めの為の自爆装置……ですか」


 マイアを寝かしつけた後、織笠はオフィスに戻って取調室での一件を聞かされた。黙秘を貫く容疑者は数多いものの、自殺までするのは滅多にいない。その為のマナ遮断付きの手錠だからだ。人間の身体に自爆装置を埋め込むなんて信じ難い話に、織笠は呆然と呟くしかなかった。


「恐らくは感情の昂ぶりが起動キーになっていたと思われる。俺たちに捕まった時点で既に腹をくくっていたんだろうな」


 悔しさを滲ませるカイ。容疑者をみすみす死なせたことによる責任を感じているのだろう。


「潔いっちゃそれまでだけどな。だが、剣崎の口ぶりは精霊使いのそれじゃなかった気がすんだよな」

「と、いうと?」

「自爆寸前の言葉がな。オカルトめいた……というか、まるで狂信者のようなイカれっぷりだったのさ」


 渋い表情のキョウヤが指でこめかみを叩く。


「やめて下さいよ。カルト集団なんか、いつの時代ですか」


 非難を口にしたのはアイサだった。


「それがそうでもねぇんだよな。こんな世の中だからこそ神に縋りたいやつはゴロゴロいる。子どもをさらうのも何らかの儀式に使うためかもしれねぇ」


 まるで見てきたような口ぶりでキョウヤが返す。真面目な表情なだけに、過去、実際にそんな事件に出くわしたのかもしれないと織笠は思った。


「どう思いますか、カイさんは」


 織笠が尋ねると、カイは少し考えて慎重に口を開いた。


「飛躍した妄想だと、俺は思わん。そういった可能性も捨てきれないからな」


 ただ、とカイは言葉を添えて。


「現実問題、有力な手掛かりは剣崎しかいない。そこがきえてしまった以上、奴の行動履歴を洗ってみるしかない。それに、どうも引っかかる点があってな」

「と、いうと?」

「誘拐された子どもは、船を渡ってまたどこかに連れ去られている。だが、俺たちが突入したあの晩、どうして船は来なかった?」

「それは……」


 確かにそうだった。

 マイアの受け渡しには必ず船が立ち寄る。あの晩は、船の一隻どころか光さえない闇夜。剣崎は実行犯たちを皆殺しにする算段だった。マイアを掴まえた段階で用済みだと最初から計画していたのだろう。それを計算に入れていたのなら時間的余裕を作っていたのだろうが、それでも影形もないのは不自然だ。


「確かに……変ですね」

「俺たちの突入で連絡したんじゃねぇの? 危険を察知して合図を送っていたとか」

「剣崎の所持品にはそういった類の物は無かった。精霊を飛ばして伝達する方法もあるが……」

「そんな仕草もありませんでした。突入したとき、かなり動揺してましたからね」


 キョウヤの思い付きな発言を、織笠とカイが揃って否定する。

 剣崎側の反応からして精保対策は取ってなかったように思える。誘拐の実行犯連中の方も大元の情報は微塵も知らされていない為、輸送船さえ掴まえられれば芋づる式に黒幕を引きずり出せたのだが。


「まさか、それも体内に……? 起爆装置で吹っ飛んだとか」


 どかーん、とどうにも緊張感のない声でアイサは大げさに両手を広げながら言った。


「どうだかな。解剖は既に始まっているからそっちは結果待ちになる。俺たちは剣崎の自宅を調べてみよう」

「そうなるか。証拠を残してるか、怪しいもんだけどな」


 席を立ち、背筋を伸ばすキョウヤ。談話スペースに行くと、煙草を吸い始めた。


「それで……彼女の様子はどうでした? もう目は覚ましたのですか?」


 不意にユリカが織笠の方に顔を向ける。心配そうな彼女を安心させようと、織笠は柔らかく微笑む。


「問題ありませんよ。少しだけ話すことが出来ました。やっぱりまだ混乱しているようですけど、今は落ち着いてまた眠っていますよ」

「そうですか、よかった」


 胸を撫でおろすユリカ。

 精神的ショックは見られるが、軽度の部類だろう。とはいえ、今後トラウマになるとも限らない。こちら側の配慮が今後大切になってくる。


「マイアさんは、これからどうするおつもりなのですか? やはりこのまま精保に?」

「まぁ身寄りがないからな。精保で預かることにはなるだろうが、問題はその先だ。この流れで本当に雇うのかは分からんが……」


 ユリカの問いに歯切れ悪く答えるカイ。マイアの処遇に疑問を持つのは織笠だけではない。いくら能力的に特異性があるとはいえ、マイアは幼すぎる。精保に性別や年齢に規定はないものの、異例中の異例だ。


「俺はあの子の自由にさせてあげるべき、と考えています。あのマスターの思惑がどうであれ」

「お前の気持ちは分かるが、どのみち報告はしなきゃならんぞ。どうするんだ?」

「向こうの意志は頑なでしょうね。組織の一部に組み込む、だけの理由なら、俺も強く否定しませんよ。だけど……」

「そこに、かいまみえる本当の訳か」


 織笠は強く頷く。


「報告ならば俺が直接出向きますよ。そこにどんな狙いがあるのか少し探ってくるつもりです。素直に話すとは思えないけど」

「レイジ……」

「カイさんじゃ難しいでしょ?」

「お前な……」


 カイの重荷を減らそうと冗談を言うと、周りの面々から笑いが漏れた。少しばかり空気が緩和されたところで、織笠は真剣な口調に戻り、全員に言った。


「俺がマスターのところへ行っている間、剣崎の件はお願いします。あのコフィンから見ても、今回のは単なる誘拐事件だとは思えない。裏で手を引いている人物は誰なのか、必ず突き止めましょう」





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