第三章

第七話 燻ぶる

 マイアを救出した織笠たちは精保に戻った。

 外傷こそ見当たらなかったが、呼びかけても反応は無し。投薬による昏睡、または、あの妙なコフィンに意識を失わせる装置でも仕掛けられた可能性も加味し、まずはメディカルチェックを施してみることにした。


 精保内――レストルーム。

 主にインジェクターが負傷した際、治療のために入る医療施設だ。カプセル装置に入ることで高濃度のマナミストを人体に浴びせ、自然治癒を促進させる。これによって短時間の回復が可能となっている。


「バイタル正常――脳波も異常なし」


 カプセルに繋がれた計器をちらっと確認して、部屋の隅に置かれたデスクに腰を下ろす白衣の女性。辰善怜亜シンゼンレア。医療班主任である彼女はインジェクターの健康状態を把握するだけでなく、殺人事件など死者が出た場合の検視も行う。精保になくてはならない人物である。


「安心していい。薬物反応も出ていないし、気絶させられているだけだろう。極度のマナ不足ではあるが、それもまあ疲労によるものだろう」

「そうですか、良かった……」


 ホッと胸を撫でおろす織笠。PCを小気味よく操作するレアから離れ、織笠はカプセルの中を覗く。

 カプセルの中でマイアは眠っていた。装置のおかげか、心なしか血色も良くなっている気がする。


「じきに目も覚めるさ。憔悴はしているから、話は時間を置かねばならんかもしれんが」

「ええ……」

「にしても……」


 レアも席を立ち、織笠の横へ。カプセルのガラス越しに、少女の頬を撫でるように指を伝わせる。


「――似ているな、我々の元・友人に」

「…………」


 驚きも憂いも、複雑な感情が絡み合ったような吐息。

 静かに、ゆっくりと織笠は頷く。

 寝顔はまるで瓜二つだった。

 自分が手にかけたときの、あの安らかな死に顔と。

 自分にこれからの未来を託し、同時に消えない呪いも与えた、あの白袖・リーシャ・ケイオスに。


「……似ている、だけですよ。他人の空似ってやつです。この子はリーシャじゃない」

「青年……」

「レアさんならとっくに経歴も調べてあるんでしょう? 俺がマスター代行から聞いた情報との差異は?」


 ふむ、と唸ってレアはPCに戻る。キーボードをタッチし、彼女の画像データを表示。読み上げていく。


「マイア・フォルトゥナ。十二歳。向こうの世界から送られたデータだから詳細は分からんが、マスターの言葉と概ね一緒だな」

「孤児院にいたところをスカウトされたんですよね」

「この子本人も覚えていないようだから正確な情報はない。物心ついた頃には既に孤児院で生活していたようだ。ただ、その稀有な容姿と特筆すべき能力のせいで周囲とは馴染めなかったようだが」

「……感応能力ですか」

「一般的に精霊使いは空気中に流れるマナを感じ取れる能力が備わっている。でないと精霊そのものを生み出せないからな。個人差があるとすれば、その範囲や濃度をどの程度感知できるか、だな」

「俺にはあまり無いようですね、そういった才能は」

「おいおい、やめてくれ。その自虐ネタは笑えんよ。話の腰を折るなんてらしくないぞ」

「すみません」


 頭を抱えるレアに、織笠は苦笑する。

 事実、そうなのだ。人工的に造られた織笠には、マナの流れを読み取る力が弱い。マナを結合して生み出された精霊ならば、それがどのくらいの純度なのかぐらいは推し量れるのだが。


「彼女がそこまで評価される理由は何だと思いますか?」


 やれやれと嘆息して、レアはPCモニターに視線を戻す。


「詳しい検査をしてみんとどうにも判断できんが……。確かにこの少女には戦闘能力は皆無なものの、マナ把握という点では秀でているように思える。現時点でのデータではそう推測できるよ」

「煮え切らない……、といった感じですか」

「向こうの世界の資料が少なすぎるんだ。……ったく、人ばかり送り込まれるだけじゃなく、こちらからは機材提供でもせんと事前情報もまともに取れやしない」


 そこからブツブツと文句を垂れ続けるレア。余程不満が溜まっているのか、こちらと向こうの環境のギャップについての愚痴を数分間吐いて、ようやくスッキリしたらしい。織笠は耳に入れながら乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


「だから敢えて、ここからは私見を述べさせてもらうが」

「構いません。レアさんの意見を聞かせて下さい」


 精霊と科学、両方の分野を極めながらその相反する存在を見事融合させているのは彼女において他ならない。普段はマッドサイエンティストな言動が多いのが難点だが、見識の広さには会話していても思わず舌を巻く。

 だからこそ、誰よりも信用できるのだ。


「感応能力、つまりマナの認識レベルは高い。だが、それはあくまでこの年齢にしては、というだけにしか思えんのだ」

「単純に素養があるだけ……と?」

「将来性という不確定要素の話は好きじゃないのだがね。里では優秀だったようだから才能はあるのだろう。だが、それはどんな精霊使いだって言える。突然の覚醒なんて我々の世界ではザラだからな」


 里、というのはいわば精霊使いの修行の場だ。精霊を扱う能力を持った者たちが里に集い、“お役目”と呼ばれる世界を円滑にするための職務を全うする。

 それだけでなく里は彼等の生活圏でもあるため、日本に転移するまでは多くの能力者がそこで暮らしていた。


「優秀という点ならば、精保にいる職員はその誰もが里ではトップクラスの実力を持っていた者ばかりだ。今さら人員不足ではあるまいに」

「なのに、インジェクターはいつだってスタッフ募集中ですからね」


 織笠は肩をすくめた。現状、精保にはインジェクター三班合わせても十五人だけしかいない。その人数で関東圏全域の犯罪を取り締まれというのだ。加えて、ここ最近の転移者の急増。現場は毎日目の回るような忙しさだ。


「元来、精霊使いは戦いを好む種族じゃないからな。年寄りほどそうだ。害意を向けることなんてなかったのさ。それがこの国では全部がごちゃ混ぜに生きてる。他精霊も、普通の人間も。心が擦れて当然だ」

「精霊が暴力として使われる。俺たちインジェクターも、要は犯罪者と合わせ鏡なんですよね。インジェクターの選抜には慎重になるのも分かるんですが」

「精霊使いは一旦悪に染まると堕ちるところまで堕ちるからな。根が純粋なだけに」

「だからこそ本当の正義のために力を揮える者がインジェクターになれるんですが……って」


 そう呟いて、思わず自嘲する織笠。

 どの口が言うのだろう。この汚れた手を持つ俺に、語る資格なんてない――自分本位の、我欲だけでインジェクターをやっている俺なんかに。

 虚しい笑みを浮かべる織笠を見て、レアは大きなため息を吐いた。おもむろに立ち上がり、織笠の背後に近寄る。

 そして、右腕を振り上げ――。

 パァンッと乾いた音が、空間に気持ちよく響いた。思いがけない不意打ちに、織笠はその場にしゃがみ込む。


「悲壮感を漂わせるのはやめろ。誰もあの一件を責めてないだろうが」

「ですが……」

「やれやれ。またアイツらを泣かせたいのか」

「…………」


 呆れられながらそう言われ、織笠は半年前のことを思い出す。

 多くの犠牲者を出したリーシャの事件は、結果だけ見れば万事解決といえる。が、その中身は単なる織笠の自己満足だった。仲間である皆の優しさを利用し、自分とリーシャだけの私闘。非難されても仕方がない、独りよがりの結末だ。

 それでもまだB班に、あの居心地のいい場所に残っていられるのは感謝しかない。


「もう、しませんよ。あんなことは」


 立ち上がって決意の目を向ける。レアもそれ以上責める気が失せたのか、頭を乱暴に掻いてデスクに腰を掛けた。


「なぁ、少年。現在の日本において、最も感応能力に優れた物質は何だと思う?」

「え? いきなりそんな……」


 唐突の質問に驚きながら、織笠は黙考。答えはひねり出すまでもなく、簡単に浮かんだ。


「アーク……ですか? あそこなら常に世界のマナを管理して循環させているから」

「そうだな。そしてやや劣るものの、精保にも感知するシステムが備わっている。君らが出動するのもそこからの警報を受けてからだろう?」


 ああ、そうか、と織笠は納得する。日本各地には精霊の計測装置が至るところに設置されている。それがレッドゾーンを越えると機械が異常だと判断し、精保に連絡がいくようになっている。


「つまりだ。アークや精保の機能に匹敵するような力が、この子には隠されているということだ。世界の頂点に君臨するマスターが期待値を込めるだけの、な」

「まあ、あとはこの子本人から何か聞けるといいのですが……」

「こんな年端も行かない少女に、事前説明もあったかどうか怪しいもんだがな」

「ないならそれはそれでやはり裏がありそうですけどね」


 少女を見つめて重いため息を吐く織笠。治療終了時刻を知らせるアラートはもうすぐだった。






 一方、その頃。


 取調室では、剣崎の尋問が行われていた。

 少し暗く、簡素な造りの部屋。やけに空気が冷えるのは、マナを遮断する装置が部屋全体に仕込まれているためだ。椅子に座る剣崎に嵌められた手錠にも同様の機能が備わっている。

 まるで感情というものを一切無くしたような男、というのが相対するカイが抱いた率直な感想。視線は合わそうとしない。ややうつむきがちなのは、精保に拘束された諦念からではなさそうだ。E.A.Wによる疲労が強いだろうが、短時間で目を覚ましたのは織笠の手加減によるもの。

 単純に、何を考えているのか読めない――カイはこの部屋に入って、しばらく黙って彼の観察しながらそう思った。


「……剣崎修吾、来日歴五年。最初は証券会社で勤め、一年後精神を病んだため休職。精神科に通ったが改善が認められないため、退職……か」


 カイは精保に記録されていた剣崎のプロフィールを読み上げていく。


「その後、ストレイエレメンタラーとして判断され、そこからは行方不明。……まぁよくあるパターンではあるな」


 最初正規と認められていても、ストレイ堕ちしてしまうパターンはよくある。その代表的な例が、この世界の文明に馴染めず体を壊してしまうことだ。ストレイ堕ちしてしまうと、社会復帰は難しくなる。まともな仕事さえ就けず、日々の生活もままならない。結果、犯罪に手を染める――インジェクターとして長く犯罪者と接していれば、この精霊社会のもどかしさを痛感してしまう。


「それからは仲介業者として、生計を立てていたわけか。闇に染まった分、体調は安定したということか?」

「…………」


 剣崎の表情は変わらない。社会奉仕という制約に縛られないということはなりふり構わず生きられる。精霊使いは能力の行使において、精神面の安定が非常に重要だ。その点ではストレイ堕ちしたことで病気が改善した、という症例も確かに存在する。

 カイは資料を置き、テーブルに前のめりになって剣崎を真正面から鋭く見つめる。


「いくら精保のデーターベースといえど完全じゃなくてな。ストレイ堕ちした後の情報までは記録していない。……お前は、彼女をどこに連れて行くつもりだったんだ?」


 本題に入る。

 誘拐となれば、それをした依頼主が存在するはず。それが一人にせよ複数にせよ、大元を叩かなければならない。

 単純に、彼一人が己の嗜好を満たすために欲望を満たしていた……という線も考えられたが、それは実行犯数名の取り調べで判明していた。引き渡し直後、あの埠頭に船が到着し、マイアはそれに乗せられる手筈だったようなのだ。


「お前に誘拐を指示したのは誰だ?」

「…………」


 黙秘。剣崎は眉一つ動かそうとしない。


「ついでに、ここ最近誘拐事件が多発していてな。しかも、あの少女と同様、年端のいかない子どもばかりを狙った悪質なものだ。あれもお前の仕業なのか?」

「…………」


 これも黙秘。まるで機械を相手にしているかのように、何も響かない。

 これは骨が折れそうだ、とカイはこめかみを指で撫でる。

 ならば、と少し方向を変えてみる。


「あの特注製のコフィンを用意したのはお前か? それとも飼い主か?」


 カイが現場で撮った写真を見せると、ようやく剣崎が反応を示した。窪んだ眼が写真を捉えるが、やはり茫洋としている。


「あれには精霊を無効化する封印が施されている。しかも幾重にもな。ただ気になるのは、頑丈な仕様が外部からの攻撃から守る為じゃない。内部からの干渉からだ。ということは、だ」


 カイが前のめりに、剣崎との距離を近くする。


「お前は、いや、お前たちはあの少女の特性について理解している、ということになる。一体何を知っている? あのマイアという少女にはどんな秘密が隠されているんだ?」

「……分からない」


 こんな狭い密室でも聞き取りにくい小声。それをようやく剣崎は発した。


「知らないのか? お前の飼い主が用意したものを、お前はただ命じられるままに使ったのか?」

「……お前等には到底理解できない」

「……なに?」

「神を気取る暴君。その番犬には何を言っても伝わらない、と言っているのだ」


 剣崎の瞳が、じろりとカイを捉える。あれだけ薄かった生気が、声色の熱と共に宿ってきていた。


「この腐った大地に根付く哀れな愚者ども。我々は許すことはない。奥底に眠る大いなる遺物を守ることが唯一の正義。多大なる怨念が蔓延したこの世界を清浄するために必要な逸材を我々は諦めたりはしない」

「何を言って……」


 まるでお経のように淡々と語る剣崎に、カイは面食らった。そして唐突に席を立った剣崎は、天井を見上げ語る。まるで神の啓示を受けているかのような恍惚の表情で。


「幻影は夢にあらず。幻影こそ大いなる統一世界に最適な力……」


 瞬間、聞き慣れない機械の音が流れてきた。精霊をブロックする手錠の警告音ではない。まるでタイマーのような単調な音。音の感覚は次第に短くなっていく。出所は剣崎なのは間違いない。


「剣崎! 何をする気だ!」

「貴様等には渡さない、あれこそ我らが希望。世の精霊使いを救う本当の神の手。貴様等は指をくわえて悔しがるがいい。我々こそ、ぎゅぎゅううぜいいいいいじじじ――」


 カイの背筋が凍った。

いよいよ剣崎が意味不明な言葉の羅列になったのかと思うと、頭部が小刻みに揺れ始めた。まるで機械がオーバーヒートを起こしたような挙動。それを人間となると、シュールな映像にしか見えなくなる。


「ひひゃ、ひゃあははははははっはは!!」

「馬鹿かッ、早く逃げろ!」


 取調室のドアを蹴破って入ってきたのはキョウヤ。B班の面々はマジックミラー越しの隣の部屋で様子を窺っていた。異様な気配を察して、真っ先にキョウヤが飛び込んできたのだ。

 キョウヤはカイの肩を抱き、庇うようにして床へ伏せた。

 目や耳、口のあらゆる穴から煙を出していた剣崎は、ガクンと大きく揺れ、それを最後に動きを止めた。

 その直後だった。

 剣崎の上半身が吹き飛んだ。激しい真っ赤な鮮血が噴水のように室内一面を濡らす。悪臭と共に嫌なぬめりけが漂い、カイもキョウヤも剣崎の血をまともに被ってしまう。


「なっ……」


 びちゃびちゃと天井から滴ってくる大量の血液。混ざっているのは剣崎の破裂した内臓の欠片だ。ただならぬ事態に、ユリカとアイサが室内に入ってこようとするが、凄惨な光景を前に二の足を踏んでしまう。

 意識を確認するまでもない。下半身だけの剣崎を見つめ、キョウヤが顔をしかめる。


「……どうやら口封じのための爆破装置が体内に仕掛けられていたようだな。精神の高揚に合わせて作動する仕組みだったんだろうぜ」

「精神を患っていたのかもしれん。そこを利用されチップでも埋め込まれていたか」

「……やってくれるぜ」


 吐き捨てたキョウヤの言葉を聞きながら、カイは沈痛な面持ちで唇を噛んだ。




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